体と意識を冷たい泥に浸していた。陽が差したみたいにあたたかな感触を覚え、意識が一ミリずつ浮上する。こんな寝覚めは珍しい。
眠りに落ちる寸前の気分は最悪だったのに、寝起きはずいぶん穏やかだった。銃撃で叩き起こされなかったことを幸福に思うべきだろうか。
「意識が戻ったのですか」
すぐ近くから平坦な声が聞こえた。少女の声だった。スケバンっぽい調子ではなく、貞淑なトーンだった。
私はそちらに顔を向け、「すまない。手間を掛けさせた」と頭を下げる。
首から金属の悲鳴が聞こえた。部品は見つかっていないが、そろそろパーツの替え時だ。どこもかしこもガタがきている。
「ひどい怪我ですね」
「見ても分からんだろう。風通しがよくなっているわけでもあるまいし」
「しかし……体を動かすのが、億劫そうに聞こえましたので」
「かもしれないな」
体を動かすのが億劫そうに聞こえたなんて言葉、長く生きてきたが初めて出会った。私はそこに一種の愉快を見出した。肩を揺らすと、それに伴って金属音が踊る。
穏やかな寝起きが私の気分をよくしてくれたのかもしれない。
「何か楽しいことでも?」
「いいや。なんでもない。少々不気味に映ったかもしれないな」
少女は話しながら私の体を触診した。ぺた、ぺた、と薄い手のひらが体を這い回る。私の体は鋼鉄の冷たさを帯びているから、少女の手のほうがあたたかい。だがそれはあたたかいというような温度ではなく、私の体よりも冷たくない、といった程度の体温でしかなかった。
「あんたは冷たいな」
「出会ってすぐの方に言われたくありませんが」
「体温なんて触れば分かるだろう。猫や犬の住人と比べると冷たいし、生徒たちの中でもおそらく体温が低いほうだ」
「……そちらでしたか」
「逆にどちらならあるんだ」
「いえ……」
少女は私の肩で手を止めた。
「態度を冷たいと言われているのかと思い……申しわけありません、勘違いだったようです」
「そんなに礼儀知らずではないさ」
少女の口調は淡々としていたが、過去と自身への評価が香った。あまりいい記憶がないのだろう。
私は慰めるように言った。
「冷たい看護師は運ばれてきた患者しか見ないだろう。病院に引きこもっている。逆に自らの意思で率先して外へ治療に行くというのは、そういうことだと思うがね」
少女は雰囲気を和らげて礼を述べた。そして「それにしても」と再び手を動かし始める。
「なぜこのようになるまで……」
少女の声には咎めるような響きがあった。おおかた、こんなになるまでほっといて何を考えているんだ、とでも考えているのだろう。
私は「む」と言って口ごもる。私は簡素なシャツとジーンズに身を包み、ヴィクトリアンコートを羽織っていた。金欠により服はすべてうらぶれているが、それは汚れているという意味で、穴だらけという意味ではない。体のパーツだって全部くっついている。
「少しばかり激しい銃撃戦をしただけだ。問題はない」
「意識を失っていた方の言葉とは思えません」
「休息は誰にだって必要だ」
「戦場が移ったとはいえ、ここは先ほどまで最前線だった場所です。最前線で休むほどの怪我なら大人しく撤退すべきでしょう」
「あんたははああ言えばこう言うな……」
「あなたの話しぶりが適当なのですよ」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、手つきは丁寧だった。私がこれまで出会ってきた看護師の中で最も丁寧だった。明らかに手慣れていて物怖じしない姿は、かつての傭兵団の医療部を彷彿とさせる。
彼女は関節を繋ぐ細い管まで丁寧に触診したが、特別な異常を見つけられなかったのか、「ロボットの肉体は専門外です」とどこか落ち込んだ調子で呟く。
「仕方がない。この体は古いからな」
「古い新しいといった話ではなく、私の知識不足によるものです。人体の構造と似通っているとはいえ、人と機械ではやはり違いますから」
人が二人並んで歩けないような幅の路地裏には陽が差さない。むしろ陰気な影に覆われる有り様だ。だがなんとなく空は晴れているような気がした。
晴れているとき特有の爽やかさが、路地裏の淀んだ空気の中を、光線のように一直線に流れていく。大通りにクレープ屋でもあるのか、甘い香りがまざっていた。
不意に少女が立ち上がった気配がした。
それに続き私も立ち上がろうとするが、うまく力が入らない。私はみっともない金属音を響かせて、尻に冷たい感触と打撃をくらった。遅れて壁に頭を打った。
少女は無言のまま、私に肩を貸して立ち上がらせた。相変わらず手慣れている。かたく冷たい体に触れても虚しさが募るだけだろうに、そういった気持ちを一切感じさせない強情さが彼女にはあった。
「君は優秀な看護師と見受けられる」
「救急医学部部長、氷室セナと申します」
「そうか。セナというのか」
「あなたは?」
「私は……そうだな。ラファエル・シャンボリー。プロトタイプ
コンクリートの壁に手を当てると、自分と似たような感触が返ってくる。私はその感触にどこか安心した。
「名前からして古そうですね、ラファエルは」
「試作品だからな。無論、パーツを組み替えれば若返ることもできる。だが機械にアンチエイジングは必要ないさ」
私の耳の近くでセナはくすりと笑った。彼女は私と出会ってから初めて少女らしく振る舞った。
「……すまない。リボルバーとホルスターはそのあたりに転がっていないかな。眠った拍子に手放してしまったらしくね。腰に感触がないんだ」
セナは身動きをぴたりと止め、恐る恐るといった具合いに質問を口にした。
「目が見えないのですか?」
気遣いと同情と憐憫を努力で包んだセナの声が耳を打つ。ことのほか深刻に受け止められている。目が不自由であることはセナにとって死活問題なのだ、と思い至った。
相手に聞くのは申しわけないからと黙る選択肢もあるが、そこでしっかりと確認したがるのは相手の容態を見極めたいからだろう。
私は内心で舌を巻いた。そしてことさらに軽い調子で返答した。
「似たようなものだ。だが傭兵稼業をやる分には支障がない。というのも、周囲の地形が分かるレーダーを搭載していてね。あいにく今は故障しているが」
「機械の体は……私たちとそんなにも異なっているのですか」
肩を竦めると、金属が鈍く肩で踊る。
「すまないが場所を教えてもらえないだろうか」
セナと一緒に体を動かし、ホルスターを腰に回してリボルバーを入れる。
私の体は動く度にぎこちない音を出した。持ち主によって適当にしか整備されなかった楽器が、いざ本番を迎えたときに情けない音を出すようだったが、私はこれでも手入れを欠かしたことはない。
彼女は私の装備にも感慨を抱いたのか吐息したが、何かを言ってくることはなかった。
「この帽子は……」
「それも私のものだ」
「あなたの趣味とは思えませんが」
「遺品だ」
「した……ご友人の」
「温度のない、血の出ない鉄の塊を生きていると呼ぶのなら、これは私の古い友人の遺品だ」
セナは手に収めたらしいソフトフェルトハットをそっと私に手渡した。彼女が手渡すまでにはけっこうな時間があったので、私は片手を差し出したまま彫像となっていた。
フェルトの手触りは優しかった。セナの手つきとよく似ていた。
慣れ親しんだ動作で帽子を頭に持っていく。
オンボロだというのに、この体はその瞬間だけ流れるように無音で動いた。私は滑稽を覚えた。ずいぶんと長いあいだ、こんなことをして無為に過ごしてきたようだ。
セナは大通りに向かって足を進めようとした。だが私は足を動かさなかった。
「迷惑をかけたね。だが、あいにくここでお別れだ。私は太陽の下に出ることを好まない性分でね」
「この近くに車を停めています。……役立つかは分かりませんが、救急車両11号には様々なものが揃っています」
「だとしてもだ」
「いいえ。あなたは怪我人です」
セナは強情だった。ぴったりと触れ合う体に力が入っている。そこには意志がこもっていた。
「情けない話をするが、私には持ち合わせがないんだ。たったいま君に面倒を見てもらった分のお礼すら満足に支払えないだろう。これ以上の恩をかけるのは勘弁してもらえないか。いい傭兵というのは恩や義理で動かない。金勘定なんだ。私に対価を要求しない善意でのおこないは……よしてくれないか」
もうたくさんだ、と私は続けざま言った。できるだけ突っぱねた言い方にならないよう優しい口調を作った。
その裏で自分を罵った。突き放しておきながら何を、都合のいいことを言って何を、と。
だが必要なことだ。であれば、私はいたいけな少女を崖から突き落とし、荒波に飲まれて溺れる様を眺める。手を差し伸べることはない。私はこれまで数々の場面でそうしてきた。
セナはなかなか返事をしなかった。私の顔色を窺っているのかもしれなかった。あるいは意志を瞳にたぎらせ、目の奥に炎を宿しているのかもしれない。
彼女の頭は私の顎に届かない。幼い顔つきで精いっぱい睨み上げているのだと思うと、ぎりぎりかわいさのほうが勝った。
私はなんとなく天を仰いだ。都会の雑音を金属音が鈍く割った。
空は変わらず晴れていることだろう。人の心のように天気は移ろうが、人の心ほど早く変わるわけでもない。以前の記憶が正しければ、空とは、生きる人の血に染まったなんとなく薄い色をしている。
大通りから吹いてくるやわらかな空気が頬を後ろへ抜け、私はふとクレープの存在を思い出した。重たい空気を茶化して早々に別れる算段を立てる。
「おいしいクレープ屋でも来ているのかもしれないね。明るい光とともに、大通りから甘い香りが漂ってくる。そこで友だちと一緒にお茶をしてはいかがかな? 君はよく働いているからね、太陽だって多少の休養には目をつむってくれるさ」
セナは相変わらずだんまりしていた。
まさか友だちがいないなどということもあるまい。冷たい私たちでさえ群れることで生活しているのだ。ちゃんとした心を持った少女であれば、友だちの一人や二人くらいいるに違いない。
長い沈黙は、言外に友だちなどいないと訴えていた。しかし私はセナの言葉を待った。現実逃避かもしれなかった。
「私のことが心配なら問題ない。この体には自己修復機能が備わっている。年代物だが性能は確かだ。何日かすれば不自由なく動けるようになるだろう」
言葉で示すだけでなく、肩を貸すセナの背中をやんわりと押した。セナは梃子でも動かない。
「あなたは……ここ数日、まともに食事を取っていないのではありませんか?」
セナの言葉は奇妙だった。だが的を射ていた。
私はエネルギー残量を示す目盛りがあるほどハイテクな型ではないので、エネルギーがないとしてもそれを隠し通す自信があった。
「身なりよりは気を遣っているよ。食事は日々の糧だからね」
「でしたら一緒に食べましょう。糧なのでしたら、多少の贅沢は許されてもいいはずです。あのお店のクレープはイチゴがおいしいと評判ですよ」
私は言葉を失った。
「大丈夫」と遠回しに言ったのに、「服装よりは気を遣っているんだったら食べてもよくないか」と切り返されるのは考えていなかった。これでは恩の押し売りだ。
それとも、まさか彼女は恩をバーゲンセールに出したら悪人にたかられることを知らないほど純粋なのだろうか。これまでの言動を思い返すに、若干ありそうな気がした。
「一緒に食べてくれる人が、私の近くにはいません」
彼女はぽつりと言い、私が返事をする前に歩き去る。硬いブーツの音が空っぽの心に反響するみたいにいつまでも聞こえ続けた。
長い孤独は心を壊す。私は自分が歩いてきた歪な道を垣間見た気がした。長い間さまようのは――疲れる。彼女はその道中にいるような気がした。
人生という荒野を使命感一つでゴールまで突っ走るのは、とても難しい。道に迷っても誰も何も言ってくれないし、立ち止まったところで、立ち込める霧の中で両腕を振り回す無力に苛まれるしかない。
セナはすたすたと戻ってきて、逃げるかどうかをいまだに思案していた私に片手を差し出す。
「一度味わってみたいと思っていました。せっかくなのでチョコにしました」
「……すまない。私は分かりかねているのだが、君のがチョコなのか? それとも私のがチョコなのか?」
「私のがチョコで、ラファエルのがイチゴです。もう一度食べるときは逆にしましょう」
なんだか気の抜けるやり取りだった。もう一度食べる、などとしれっと口走っているが、私はそのことには触れない。
やわらかいホイップクリームを薄い生地が包んで、それをぺらぺらの紙がさらに包んでいる。思い出とか記憶とか言葉みたいにどこか安っぽい感触だ。遠い未来で引っ張り出したらかび臭いにおいを放ちそうだと思った。
形を崩さないために緩くクレープを握ったセナは、私の手にそれを押しつけた。私は受け取るしかなかった。
「いいですね」
老人に気を遣う少女の図だった。セナの抑揚は小さかったが、そこには確かに幼く弾むような調子があった。私はひどく懐かしい不可解な気持ちに襲われていた。
「食べられますか?」
「……消化部は問題なく機能している。まぁ……おそらく、受けつけないということはないだろう」
「甘味はいつの時代にもありますから、年代物でもきっと大丈夫ですよ」
セナがくすりと笑った気配がした。
このときのセナを突き放すだけの度量が私にはなかった。私がどうのこうのではなく、自分にいいことをしてくれた少女が苦難に喘ぐのを見ていたくなかった。これもすべて言い訳なのかもしれなかった。
砂漠をさまよう人間に一滴の水を与えることが悪事となるのか、私には分からない。しかし水の心地よさを知ったあとの飢えは、以前よりも数倍の強度を持つ。
私は気がつけば自らも崖から海に飛び込んでいた。善意と同情と感謝が胸にあった。塩水によって体が錆びつくのもあまり気にならなかった。
「陽の当たるところは好まない」
「ですがずっと路地裏にいるわけにもいかないでしょう。この場所は食事には適していません」
「一つ穴場がある」
「奇遇ですね。私も一つだけ知っています」
「では君のところに行こう」
「でしたら次はあなたの場所に」
「……言わなければよかったな」
「あなたのことがだんだんと分かってきました」
「分からなくていい。一回きりの付き合いだ」
「私はそうは思いません」
セナには不思議な自信があった。
手にクレープを持ったまま、私たちは歩き続けた。もしも体温が高ければホイップクリームが溶けてしまうほどの時間を歩いた。私はこのとき、こんな体でも存外にいいことがあるのだなと感心していた。
淡々とした会話を続けながら、私たちは奇妙にも打ち解けていった。
彼女はそこで、戦闘発生の報告を受けて駆けつけたことを説明した。到着したときにはすでに戦場が移り、別の地区は別の生徒がちゃんと対応してくれているらしい。
クレープ屋に並んでいる間にかんたんな報告を受け、事務処理もしたらしかった。
「優秀だな」という呟きにセナは何も返さない。それまで一定だった足音が崩れた気がした。自分が優秀であることを、もしかしたら心のどこかで嫌っているのかもしれなかった。
私たちは路地を抜けて、海の臨める埠頭を歩いた。この地区は工業開発が進んでいると記憶していたが、なぜか磯の香りに藤の香りがまざっている。
「てっきり猫の尿と廃棄物のにおいがあふれているものだとばかり思っていた」
「私たちは今、クレープを手にしていますが」
「失礼。つい……いや。あんたに話すことではないな」
私は懐かしさをごまかすように頭を振った。
「それにしてもなぜ藤の香りがするのだろうな」
セナに尋ねると、彼女は「今歩いているのは工業団地に住む人の居住区と工業区の境目なのですが」と前置きをした。
それから少しの間、二人分の靴音と波の音が世界の全てになった。ときおり風が甘い香りを運んだ。
「人の生活が近くにあるため、公園と言えないまでも、誰かが過ごせるような場所が作られています」
「……藤棚の道か」
「はい。ここは少し高い場所になっていますから、コンテナ群や海を臨むことができます。夜は街灯の明かりしかありませんが、日中はとてもきれいです」
「そうか……」
中空に投げた相槌は大きな波の音にさらわれた。つま先を見つめても自分が今どこに立っているのかは判然としなかった。
心に垂れこめる雲を払うようにセナは雰囲気を切り替える。
「あなたの仲間もおそらく無事でしょう。食べ終わりしだい私は他の地区に合流しますが、あなたはどうしますか?」
「あぁ……私は」
言い淀んだ私をよそに、椅子に腰を下ろしたセナはクレープを口にする。
しばらく海の音を聞いていた私はつま先に目をやり、どこに座る場所があるのかを念入りに探って腰を下ろす。
ホイップクリームがたっぷり入ったクレープは甘く、機械を錆びつかせる塩辛さとぶつかった。ときおり瑞々しいイチゴの酸味が加わった。
「私には……味方と呼べる味方がいない。一人で戦っていた」
「だからあんな捨て駒のような場所にいたのですか」
「そういう契約だったからな。仕方なくというやつだ」
私はセナと一向に目を合わせなかった。海の音は低く、重い油が寄せては返すようだった。
「詳しく事情をお聞きしても?」
「ふむ」
傭兵とは不要な情報を相手にもらさないものだ。いつ何が自分の首を締めるか分からないし、常に情報戦をしなければならない。
私はしばし考え込んでいた。唐突に思考を遮ったのは、こらえきれなくなったようなセナの笑い声だった。ひとしきり笑い声が止むまで待ってから私は口を開いた。
「なにかしたかね」
「とても面白くて……つい」
「面白い?」
「はい。一切表情が変わらないのに、イチゴとクリームがはみ出たクレープを深刻そうに持って考え事をしていて……」
ふふ、とセナは耳をくすぐるような優しい笑い方をした。私はつい思ったことを口にしていた。
「君は……そんなふうに笑うこともあるのだな」
セナはそのとき、自分の動きの一切を止めた。タブーに触れてしまったかと後悔するのもつかの間、セナは「初めてのことです」と私に言った。
それまで正面の海を見ながらとなり合って会話をしていた私たちは、このときばかりはおそらく見つめ合った。
私は不意に、どうせ会うのはこれきりだろうし、傭兵家業とは関わりのない女子だろうからいいか、という念に打たれた。そこには、相手が内面をある程度見せてくれたのだからという返礼の気持ちも多少はあった。
「前の契約者の話だ。私は……今の徒党と敵対していた組みに雇われていた傭兵だったのだ」
そこからの話は早い。自分を雇った組みは負け、後手に回った私は、ひどい条件で徒党から雇われる他なかった。戦いの強さはなにも物理的な強さがすべてじゃない。私は立ち回りで失敗したのだ。
「逃げたやつはみな、部品になった。どこかの工場で再利用されていれば御の字だろう」
遠い過去を思い起こし、私は流れるように左手をハットの頭頂部に当てた。セナが息を呑んだのが分かった。
「違う。誤解させたな。この帽子はずっと前に残されたものだ。私はずっと以前から単独で依頼を受けている。繰り返しになるが、先ほどの戦場に立ったとき私には味方の一人もいなかった」
私はしばらく海を見つめていたが、セナからまたしても笑われてしまうと思い、急いで残りのクレープを口にした。ここ何年も感じたことのない痛烈な甘さが込み上げた。イチゴの酸味がなければ体が拒否反応を示して吐いたかもしれない。
異物が逆流しかける感触を意外に思いながら、立ち上がる。
「私はジャンク品を探しに行く。そろそろこの体にも限界が来ているだろうからな」
セナもまた私に合わせて立ち上がり「では、また」と言った。彼女の手にはいまだにチョコのクレープが握られている。幼い子どもが約束を大事に握りしめるようだった。
私は見て見ぬふりをして踵を返した。ぎこちない歩き方だったが、いつまでも彼女といるわけにもいかない。
私の背中にセナはなんの言葉もかけなかった。再開できると確信しているとき、もしかしたら人は無言で信頼を示すのかもしれない。
重たいばかりの毎日にしゃがみ込んではいられない、なんてことを思った。革靴の先は明日を向いていた。