かたく冷たく、だんだん強く   作:ぞんぞりもす

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一一話

 洗い流されたばかりのような秋空は、一発のミサイルによって閉ざされた。

 一瞬にして埃と砂塵が探知を遮り、私は暴風にたまらず帽子を押さえる。やっと周囲が開けたと思ったら熱を感知した。発砲に伴う瞬間的な熱ではない。爆発に近い、広範囲の、そして持続的な熱である。

 

「どのようなミサイルかは不明だが……あの速度では最新のレーダーでも捉えきれまい」

 

 だからこそ逃げ惑う両校の生徒がいるのだ。だがゲヘナ、トリニティの指揮系統は持ち直しつつあるらしい。私が教鞭をとった風紀委員会はともかく、トリニティの組織も相当優秀と見える。

 現場は任せてもいいだろうか。私には別に依頼されたことがあるし、まして年寄りが一人出ていったところで事態が好転することなどありえないのだから。

 

 予備戦力として、そして機動隊として、私は体に鞭打って金属音を響かせる。

 

「セナ、先生の確保を最優先にしてくれ」

『了解しました。しかし爆発の余波でいまだに情報が乱れており、先生の正確な位置が把握できていません』

「計画の位置にいるような気はするが……何せこの爆発だからね。吹き飛ばされていてもおかしくはないだろう」

 

 私たちの特別な回線ですら途切れ途切れになっているのだから、いわんや普通の回線など。

 私は少し考えて口を開く。

 

「彼は事の中心人物である場合が多い。そして戦場で特別な動きが見られたとき、その周囲には必ずキーパーソンがいるものだ。無理に動かず、周囲の状況を把握しながら落ち着いて事に当たってくれ。そして先生らしきものが見つかり次第エンジンを吹かせばいい」

『承知しました。ザクロも気をつけて』

「分かっている」

『私が戦場であなたと出会うとき、あなたは必ずと言っていいほど動けなくなっていました』

「それは無理な任務だったからだ。私は今回の依頼を額に見合った正当なものだと考えている」

 

 セナは渋々といった調子で『信じましょう』と通信を切った。

 

 

 マッコイから託されたモデル500をホルスターから抜き、初めて実践の空気を吸わせたことを感慨深く思う。演習場通いだった雛鳥の巣立ちだ。命を泥沼に沈める快感に、血をすする快感に、いずれ新入りも染まるだろう。

 静止するのもつかの間、私はシリンダーに一発ずつ魂を込めた。

 体と心の冷たさが一層際立ち、熱風がコートを膨らませる。危うく飛んでいきそうになったソフトフェルトハットを押さえ、私は灰色の世界に足を踏み入れる。

 

 

 

 戦火は太陽よりも熱く広く大地を焦がした。懐かしい感覚だが、当時の私にできることなどなかった。

 私は一介の傭兵に過ぎない。特別な経歴のない、普通の、数々の戦場を生き抜いた傭兵に過ぎない。身の程を弁えることこそ、実力のないものが重要視すべき事柄である。

 

 長いこと忘れていたが、大事なことはいつまでも胸に残っているものだ。

 

 

 

 絶命させると消えていく得体の知れない化け物に対処しながら先生の捜索を続けた。

 

 弾丸が煙を突き抜けて道を作った。私は変わりゆく戦況を走りながら、細かな気配に神経をとがらせる。

 銃撃の音と悲鳴とが火事を知らせるサイレンのように絶え間なくこだまし、それをビルの倒壊音が割る。

 地獄絵図の周囲はほとんど似たような有り様で、灰色のジャングルには目印らしい目印がない。どれだけ精密に探知をしても判別しづらい情報が五万と転がっている。下手を打てば迷うだろう。

 火遊びなんて規模ではない何かが起こり、世界は灰色の太陽に照りつけられている。

 

 そこでふと特徴的な音を捉えた。MG42の連射音である。私はコートを翻した。

 

 

 

 ガスマスクの集団を眼の前にした丸腰の先生を抱え、私はひとまず戦場を離脱した。スモークグレネードを準備していて正解だった。

 一昔前はこんな装備に金を掛ける余裕などなかった。二昔前の感覚などほとんど初めてに等しい。私にはまだ笑う余裕があるようだ。

 

「ザクロ! 大丈夫!?」

「なに、問題はないさ」

 

 追っ手はきているが、この爆煙と砂塵である。味方の混乱を引き起こした要因(ミサイル)は運よく敵にも作用していた。

 

「砂塵で体が誤作動を起こしたらどうすればいいのだろうな」

 

 逃げ込んだ先の雑居ビルはミサイルの爆撃にかろうじて巻きこまれなかったらしい。しかし戦闘の余波にさらされ、窓ガラスや蛍光灯はすべて割れている。私は先生を下ろす場所を見極めて壁際に近づいた。

 先生は壁に背を預けて黙りこむ。

 

「ヒナから頼まれていたのでね」

「ヒナは……」

 

 先生は言い淀んだきり、再び無言の殻に閉じこもった。表情はこの世界のように曇っているだろう。

 

 裏で先生を見ておくように、と私はヒナから頼まれていた。

 

 ヒナとしては私だけでなくもっと多くの戦力を投入したかったのだろうが、エデン条約は和平の一歩だ。和平条約を結ぶのに、なぜ大量の部隊を引き連れてくるかと問われれば痛い。だからこそ少ない人数しか動員させられなかったのだ。

 

 ここまでの話を先生は黙して聞いた。

 

「この話をヒナから持ちかけられたとき、最新の装備一式を買ってパーツを組み替えられるほどの額を提示されたよ。まったく、憎いことだ」

 

 私は先生から目を外して自動ドアを見た。その先はいまだに暗い色に閉ざされている。

 

「私は若返りの妙薬に手をつけるつもりはない、と断った。そのときのヒナは珍しく打ちひしがれていてね。あの彼女がそこまで落胆することがあるのだな、と驚いたものだ。あとでちゃんと面倒を見てあげたほうがいい」

 

 私は少し考えるふうの間を作る。

 私から回収される寸前で、先生は流血したヒナに手を伸ばしていたことを私ははっきりと覚えている。

 

「忙しいのであれば同棲を勧めよう。あれは点滴のようなものだ。強制的に栄養が体内に行き渡るだろう。進退窮まる袋小路を脱するには、蜘蛛の糸を垂らされる必要があるのだよ。いいかな」

 

 私は屈んで、先生に目線を合わせた。彼はいまだに自分のつま先を見ている。

 

「そろそろ動いたほうがいい。せっかく繋いでもらった聖火を消すことは、いい大人の役割ではない」

「ザクロはどう考える」

 

 先生は顔を上げて問う。瞳の中にはきっと熱い炎が渦巻いていた。やっとこちらに戻ってきたらしい。

 

「影に潜んでいたのは私だけではなかった、というくらいしか分からないな。あの存在たちは私の経験の範囲外にあるものだ。ヒナとは別の……なんだったかな。タブレットの中に優秀な助手がいると聞いていたが、その助手は今どこにいる?」

 

 私の言葉を遮るように「助手じゃないよ」と言った彼は、それから「アロナは」と言い淀む。

 先生はジャケットの懐から薄い端末を取り出したが、しばらく待ってみても、起動した様子は見られない。

 

「問題があるようだね」

 

 私の言葉には沈黙が返ってきた。ただならぬ事態は、いよいよ私の想像を超えてきた。

 先生は呼吸を忘れて祈るような雰囲気をまとっている。やがて募る衝動をむりやり抑え込むように、いやにゆっくりと、再びタブレットに触れる。だが電源は入らない。振り上げた拳こそが、そっくりそのまま彼の心であった。

 

「見ているのが私でよかったね」

 

 私の言葉は冷ややかだった。先生を見下したのではなく、行きすぎた事態を解決するための方法を模索しているがための冷静さだった。

 先生の烈火は私によって冷やされたらしい。ため息をつき、肩を落として「すまない」と謝る。

 

 

 私たちの沈黙を打ち破ったのは、襲撃者たちの足音だった。膝の関節がきぃんと鳴った。

 

「また戻る」

「でも――」

「大人しく身を潜めておいてくれ」

「敵は多い」

 

 それでも先生は食い下がった。

 私は先生を首だけで振り返る。私はこのとき、初めて先生と話したような気がした。

 物分かりの悪い人物に説き続ける根気の正体は、執念と言ってもいいほどの諦めの悪さであり、これは人を導く本質である。セナもいい教師になるのだろうな、と埒のないことを考えた。

 

「正面からはやり合わない。勝てないのでね」私は声を軽くした。「信号はすでにセナに発している。多少時間を稼げばいいくらいだろう。私たちにできることは限られているが、時間を稼げば……彼女たちならやってくれるさ」

 

 そうして私は全身に煙を迎えた。

 

 幾度となく部品を取り替えても、戦場は私の肉体に、魂に染みている。闘争を取り除くことはできない。鉄仮面には獰猛な笑みが宿っているし、義眼には広がる戦火よりも熱い炎が滾っている。

 この程度の炎くらい食い殺してやれる。それくらいの気炎が胸にあった。私の心には冷たさと熱さとが奇妙に混在していた。

 

 敵の撹乱、陽動、奇襲は個人行動で磨き上げた。一人で多数を相手取るための時間が私には多かったのだ。

 

「これくらいの自信を持っておかないと、若いのに遅れを取りそうだな」

 

 もう何度も遅れを取っているが、今回のは足掻けない範囲ではない。

 弾薬は十分にある。なにせセナにコートを見繕ってもらったときの条件が、十分な量の弾薬を持ち歩けることだった。

 

 

 新品のコートを煤だらけにして戻ったらへそを曲げるだろうか。

 それとも生きて戻れば抱きしめるくらいのことをするだろうか。

 

 

 家があるのは決して悪いことではない。

 私にはまだ傭兵としての矜持がある。使い古された感情はいつだって燃え上がれるよう、常に熾き火となって私の中に存在している。任務を終えたら馬鹿騒ぎをして、日の出とともに襲ってくる任務を撃退し続ける日々に身を投じるのだ。

 

 

 私も結局、手を差し伸べられなかった子どもたちを痛めつけている。報酬を得ている。見下げた賊徒の一人に過ぎないのかもしれない。

 だが、その迷いが引き金や銃口を鈍らせることはない。かわいそうだが同情はくれることができない。私はいい大人ではないのだから。

 

 

「セナから連絡があった! 付近に到着したとのことだ。合流地点まで走れ!」

 

 私はビルに飛び込むなり叫んだ。言いつけどおりに隠れていた先生は、私が指さしたほうに向かって走り出す。

 

「私が護衛する! ひとまず大通りに出てくれ」

 

 そのあとはひたすらに走った。私も先生も身体能力は同じくらいらしい。先生の息が荒くなるにつれ、私の体もがたぴし鳴いた。

 

「ザクロ! 先生!」

 

 果たして迎えの天使は定刻通りにやってきた。どうにか荷台に乗り込んだ私たちは、それからしばらくのあいだ黙っていた。

 体の熱をどこかに逃がす必要があったのだ。あるいは、健全な心を食い物にする病魔のような、黒い不安をを落ち着かせる時間も含まれていたのかもしれない。

 

「ありがとう、ザクロ。でも君はあまり戦闘に向いていないと聞いていたけど……」

「不思議な力を持つのは生徒たちだけではないということだ。私には多少、手品の心得がある。古い技術さ。きっともう廃れている」

 

 車内でかわした言葉はこれくらいだった。

 

 そして救急車両11号はトリニティへカチコミをかけた。人が行き交う学園の敷地に堂々と車を止めたセナは、「まずは先生の容態を」と言って保健室かどこかに先生を誘導する。

 戻ってきてから、タバコをふかす私に「学園内は禁煙だそうですよ」と告げた。

 

「なに、そうなのか」

「もしやと思い救護騎士団の方に聞いたところ、禁煙とのことでした」

 

 私は紫煙をたなびかせる先端を見つめ、渋々火を消した。

 

「世知辛いな」

「もともとゲヘナもそうだったのですよ。あなたのために譲歩したんです」

「それでも約束は守っているだろう。常に携帯灰皿を持ち歩く。生徒に唆されても吸わせない。これにももう少しあったろう? どんどん厳しくなっていった」

「ザクロが吸いすぎるからです。お金があるからと酒とタバコを充実させて」

「セナの家には置いていないのだから、多少は勘弁してもらいたいのだがな」

 

 私との距離をぐいぐい詰めてきたセナは、ついに私に背中に腕を回した。そしてタバコのにおいが染みたコートに顔を押しつける。臭いだけだったコートは、ところどころが煤け、破けてしまった。

 

「また無理をしたのですか」

「五体満足で返ってきたさ」

 

 私には、セナの表情が分からない。

 彼女の声音はいつもと同じくらい凪いでいたが、その奥には、水底から感情が浮かび上がるようなかすかな振動があった。

 

「先生を迎えに行ったとき、あなたはあの場に留まるのではないかと不安でした」

「……私は、有事の際に先生を安全な場所まで届けることを依頼されていたのだ」

「考えなかったわけではないのですね」

 

 セナは小さな声で「あなたはもう傭兵ではありませんから」と呟いた。

 セナの言葉は私の意識に打撃を与えた。自分の意志を優先させる可能性がある、と暗に言われたのだろうか。死に場所を求めているとでも思われているのだろうか。

 

「私は……わたしは」

 

 うわ言のように、自らの一人称を繰り返した。ついに絞り出せたのは「私には、家がある」という短い文言だけであった。

 

 この言葉はどうやらセナの眼鏡にかなったようである。「はい」という声には、浮かび上がった泡が水を飛ばすような弾んだ響きがあった。

 ちょうどそのとき、救護騎士団の誰かが申しわけなさそうに間に入った。

 

 だが、しかし。セナがゲヘナにいるうちは家があるのかもしれないが、彼女が卒業したらどうなってしまうのだろう。いずれ離れ離れになるのではないだろうか。

 その問いを口にする機会はついぞ訪れなかった。心に垂れ込めた暗雲を、私はいつもの通り見て見ぬふりすることしかできなかった。

 

 

 

「いいところをすまないね」と先生は私にぶつけた。

 救護騎士団の誰かが遠ざかる靴音はたどたどしいもので、もしかしたら私とセナの様子に頬を赤らめていたのかもしれない。

 

 慣れない医務室の構造に戸惑いながらも、私は慎重に先生へと歩を進めた。

 先生は、検査の結果大きな怪我がなかったことを私に説明した。

 

「少し服が汚れたくらいかな。……あと運動不足も指摘された」

 

 そう笑った。

 私は「そうか。それはよかった」と返すことしかできなかった。

 先生もまた「本当によかった」と繰り返した。

 

 先生と私のよかったは、どこか重さが違っている。先生の声が切実な響きで耳を打つのは、一発をくらうだけで致命傷になりうるからだろう。

 

 人の声によってざわついているのは、医務室も市街地も同じだった。先ほどの市街地は、そこに銃声と爆発音とビルが崩れる音がまざっていた。

 だというのに、私には医務室に流れ込んでくる怒号のほうが気味悪く感じられた。本当に恐ろしいのは感情の箍が外れた人間だ。安っぽい事実など何度も経験しているはずなのに、いつまでも慣れない感触で体に届く。

 

「すべてが丸く収まったというわけではなさそうだね」

「……むしろここからだと私は考えているよ」

 

 先生の声は深刻だった。

 

「だから、もしも私があのとき撃たれていたら、出だしで躓くことになっていたと思う。本当に助かったよ、ありがとう」

「構わない。が、そういった話はすべてを解決させてから言うものだよ。今は時間が惜しいだろう?」

「ザクロを呼ぶ前に各所には連絡をしておいたんだ。だから今きっとみんな戦ってくれている」

「であればなおさらサボるわけにはいかないさ。指揮官が指揮官たる所以は、実際は後ろにいたとしても心では最前線に立って命を預かり、重みを判断し、頭脳を絞るからだ。このように無駄話をするためではない」

 

 私は不意に口を止めた。もしかすればこの先生もまた追い込まれているのかもしれない、と。脳裏には彼を助けるために命を張った小柄な少女の姿が浮かぶ。

 ちょうど私宛てに通信が入り、鬼の形相をしたアコと、疲弊しきっているヒナとが映った。

 

「ヒナは無事らしいな」

「……いま、私のほうにも連絡が入ったよ」

 

「まったく」と私は懐からタバコを取り出す。

 

「一本いい?」

「意外だな。吸うのか」

「ほとんど吸わないよ。二○歳(はたち)のときに少し吸ってたくらい」

 

 彼のタバコに火をつけ、適当なガラス棚から小皿を取り出す。携帯灰皿を取り出すのが億劫で私もそこに灰を落とした。

 

「ここは全館禁煙らしい」

「あとで謝っておくよ」

「健康に悪いと多方面から叱られるだろうな」

「……なんで吸っちゃったんだろう」

 

 特別な会話もなく、私たちはほとんど同じタイミングで吸い終えた。

 「これをどうしようか」と小皿を持って固まる先生に、私はスマホを差し出した。

 

「連絡先を伝えておこう。タブレット端末を貸してもらえれば勝手に登録しておく。まずはその皿を持って謝りに行くべきだ」

「ザクロが渡してきたんだよね!?」

「知らんな。私が渡さなければどうしていた? そのへんに落とすわけにもいかないだろう。不可抗力さ」

 

 大きなため息をついた先生はまっすぐ扉に向かう。私はタブレットに手を伸ばす。私たちは互いに背中を向けていた。

 

「生徒に頼れないときは悪い大人を使うといい。身の程は弁えている」

 

 リノリウムの床を叩くかたい音が止まった。どんな物音も入ることを許されない刹那の沈黙が生まれた。私たちは刺し違えるほどの覚悟をもって、視線をかわさずに互いをぶつけた。

 

「ときには弁えていたとしても、出なきゃいけないときがあるんだよ」

「いい大人は大変なものだな」

「かもね。だから君も大変だよ」

「さて知らんな。これで終わりだ」

「……ヒナともちゃんと話してくるよ。君もちゃんとしたほうがいい」

「形は人それぞれさ」

 

 私たちはそこで別れた。

 先生が私を頼ったのは、空が赤く染まったタイミングの一回きりであった。

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