かたく冷たく、だんだん強く   作:ぞんぞりもす

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四話

 外で出会うとき、セナは一緒に行動する口実を作るように不思議な行動を取った。

 

 たとえばクレープの次にパフェに誘って「もう一度食べましょう」と言い、今度は以前に約束したクレープを食べた。「もう一度食べましょう」という約束がある限り、私たちはまた出会えると思っているようだった。

 願掛けには薄暗い影が滲んでいた。孤独と祈りの影だった。セナは、星の輝きはいつか失われてしまうが、約束を続ける限りは失われないと考えているようだった。

 

 

 セナが私を怪我人として世話したがるように、私はセナを孤独な人物として認識し、多少はその孤独を癒やしてやりたいと考えるようになった。癒せればいいくらいの認識で、鳥が羽を休めるためのとまり木となってやり、いつか旅立つときまで過ごせればいいと考えたのだ。

 

 そんな生活が続いたとある晩、私たちはなんとなくベランダに出た。

 

「春までは遠いな」

 

 この日はたまたま任務がうまくいって、タバコを手に入れることができた。

「本来なら健康に悪いと指摘するところですが」とセナは渋々、注意しても私の体には影響がないという事実に折れた。

 

「受動喫煙が気になるようであれば中にいるといいだろう」

 

 セナはこのような忠告を聞いても、首を横に振ってベランダまでついてきた。

 その夜は厳しい寒さの冬と言うよりも、秋と春に挟まれた夜だった。外気はなんとなく穏やかな香りを運んできた。

 手すりはむき出しの金属だったが、そこに肘を乗せて考え事をしても冷たさが気にならない。私はそういう存在だった。

 

「雪は降っていないらしいね」

「……来週からまた積雪の見込みだそうです」

 

 ここ数日はあたたかかったらしい。私にはその自覚がなかった。

 親指にフィルターを引っかけて灰を落とす。久々だというのにまったく忘れていない動作だった。

 

 一つため息をついたセナはリビングに戻り、灰皿とウイスキーの水割りを持ってきた。

 

「外に落としてはいけません」

「灰にだって、風に流れて飛んで行きたくなる気分の日もあるさ」

「使ってください」

 

 セナが持ってきてくれた水割りはとても薄かった。私が万年金欠なのは事実だが、酒を薄めたことはなかった。

 

「酒は弔いなんだ。薄めるようなまねをしてはいけない。……いや、すまない。私が今度からは作ろう」

 

 酒を薄めたところで、私の体への負担が軽減されることはない。それは人間の体だけだ。

 しかしセナが薄い酒を渡したのには別の理由があるようだった。

 

「薄めてたくさん楽しみたいとは思わないのですか?」

「思わないな。昔からとびきり濃かった。私たちのところ独自のルールだったがね」

 

 酒のせいか、昔を思い出しているというのに多少の愉快がある。それから少しだけ昔話をしたが、弾んだのは最初だけで徐々に失速していった。消えてしまった星の輝きを振り返ったところで暗闇が広がっているのは当たり前だ。

 

 昔を思い出す私はたいてい静かで、偲ぶというのは、楽しい感情に彩られていてはいけないような気がする。

 口数の減った私に合わせ、セナもまた静かに夜風を受けた。彼女が自分から口を開くことは少なかった。

 

 澄んだ冬空の輝きは都会の情報量よりもやかましくない気がする。少なくとも昔はそうだった。

 

 金平糖を散らしたような夜空を思い浮かべながら呟けば「今もそうですよ。空はぎらついていません」ととなりから声がした。

 

「静かな夜のほうが私は好きです。ザクロともっとこういった夜を過ごせればいいと思います」

 

 私たちはそのまましばらくの時間を過ごした。

 

 

 

 静かな夜もあれば、ぶつかる夜もある。日常の一部を共有しているのだから当然だった。家族や同僚とは違う形をする私たちの関係は不思議なものだった。互いを気にかけていることだけは疑いようもなかった。

 

 その日はとくに激しい戦闘となり、私はセナになかば抱き抱えられるようにして戦場を離れた。

 

 救急車両に揺られて私の家までどうにか戻ってきたのは、予定していた撤収時間よりも早い夕暮れの時刻だった。

 私の家は、ご飯の香りが漂ってくるような住宅街にはない。似たような境遇のものばかりが集まる、綿あめによって押し潰されそうな雰囲気の場所にあった。

 

「やはり生徒の相手は骨が折れるな。頑丈な子が多すぎる。それに私たちと違って気絶するだけなのだからたちが悪い」

 

 頑張って相手をしたところで一定時間しか戦闘不能にならない相手と戦うなど、物資不足に悩まされる身としては勘弁してほしかった。加えてどうせ無駄なのだからと気力も削られる。

 多対一となったからといって引いたら他部隊の作戦が頓挫するし、私は契約不履行となる。

 

 思い出したように「今回も失敗だったか」と呟くと、私の体を診ていたセナが「私が全て片付けておきましたから、契約は反故にはなりません」と反論した。

 

「もし仮に成功したとして、弾薬費が賄えるかどうかの資金繰りになるな……」

「それは……」

 

 セナは自分の言葉を遮り「終わりました」と立ち上がる。そして私のとなりに腰を下ろした。私達の体位置である数人がけのソファは、引っ越し祝いに友人から贈られたものだった。

 

「今度からでいいのですが。一人だけでは厳しいとザクロが判断した場合、連絡をもらえませんか? 私は手伝えます。手伝いたいとも思っています。あなたは私にほとんど連絡をくれませんから」

 

 言いながらテーブルに置いたグレネードランチャーの銃身を撫でた。口調は悲しげで、手つきは優しかった。セナの愛用するソードオフタイプのそれは、私の部屋の古くさい照明を反射して鈍く光っていることだろう。

 

「傭兵の生き様に干渉すれば命を落として終わるだろう。知っているか。傭兵というのは、この世で最も関わってはならない職業に数えられているんだ……こんなこと学校では教えてもらえないのかもしれないな」

 

 セナは私の答えを受け合わなかった。

 

「……つけ加えて言わせてもらうと。もう少しスマホを見てもらえませんか」

「それは……見ているだろう」

「任務中はモモトークを見られないことは承知しています。しかし、あなたは既読をつけたあとに返事をしないことほとんどです。それを直してもらえませんか」

 

 連絡はよこさなくてもいいが、返事はよこしてほしい。セナの譲歩はそこが限界点らしかった。返事をしない私の名を、苛立ちのこもった声がなぞる。

 

 言葉を飲みこむことの多かった彼女は、今日ばかりは辛抱できなくなったのか、開いた口がとうとう塞がらなくなった。

 

「他にも……職だって選べるはずでしょう……!」

「そうかもしれない。私は生徒と違って学園に所属していないから、そのあたりの規制は緩いだろう」

 

 先の言葉にすら反応を返さなければ、彼女が何をしでかすか分かったものじゃなかった。そのために、セナの言葉を取り合わなかったのは事実だとしても、反応を返した。

 私の態度は無視よりもよほど腹に据えかねたらしい。セナは私の手を強く握った。そして冷たい体に熱を分け与えるように激しい口吻で言葉をぶつけた。

 

「それならなぜ――」

「農夫がいきなり鍬からペンを持てるだろうか。上手に文字が書けるだろうか。生きるのはかんたんかもしれないが、生きていくのは難しい。あんたは死体の冷たさを知らない。私たち以上に冷え切った体を知らないからこそ、生きていくための道でなく、生きる道を示そうとするのだ」

「あなたはなぜこんな捨て駒のような――」

「やめてくれ」

 

 セナの言葉はまったく関係のない場所から話を引っ張ってくるような、女性に特有の脈絡のなさを孕んでいた。

 要望を伝える勢いのついでに、我慢していた点を論っているだけなのだろう。きっとセナの中では点どうしが繋がっている。私は首を横に振るばかりだ。

 

「今日ばかりは年寄りの説教のようになることを容赦してほしい。私はああいった長話の類が嫌いなのだが、仕方がない。まずは落ち着いてもらえないだろうか」

 

 そういった私に「落ち着いています」なんて答えが返ってくることがなくて一安心だった。私は音を立てて何度も深呼吸をすることで、セナにも深呼吸をさせようと試みた。

 試みは成功したらしく、数分も経ったころには彼女の棘が和らいだ気がした。

 

 懐からタバコを取り出し、しかしこのペースで吸ってはすぐになくなってしまうから、と考え直して箱に戻した。惨めな仕草だった。一人になってからというもの、私はこれよりも惨めなも思いを幾度も経験した。

 仲間を貶されることがないのなら、忍耐の雨に一人で打たれるくらいどうということはない。

 

 セナの手はするりと私の手を滑り落ちてスラックスに当たった。

 

「私は傭兵だ。そして傭兵とは契約を守る生き物だ。ちなみに言えば、感情や義理に流されるのは一流の傭兵とは呼べない」

「契約の時点で不当な条件であれば蹴るのが一流の傭兵であると私は考えますが」

「……金払いがよかったんだ」

「装備や服が満足に買えないほど金払いがよいのですね。以前は逼迫していると仰っていましたが」

「……あんたな。手厳しいことを言う」

「嘘をつく必要がどこにあるのですか」

 

「もういいだろう」と話を切り上げた私に、セナは何も言わない。言っても無駄だと悟ったのかもしれない。彼女は追い縋る雰囲気の一切を見せなかった。やがて悩み、思い切った事実を告白するように勢いをつけて話した。

 

「私は死体を見たことがありません」

「見るもんじゃないさ、あんなものは。この世の掃き溜めみたいなにおいがするからね。ロジャーは初めての戦場を生きて返ったあと、吐いてしまって数日間は何も口にできなかった」

 

 私たちは沈黙に閉ざされたまま、部屋の中で身動きが取れなくなった。動こうともがいたところでどうしようもできない無気力は、私たちの関係によく似ていた。

 

「頭を冷やす。ベランダに出てくる」

 

「はい」とセナは返事をした。日常のやり取りを踏まえて、癖となった返答が口をついて飛び出したようだった。

 それから後悔するように「冷えますから……」と言い淀んだ。言葉を続けずに見送った彼女は、自分に何もできないことを悔やむようだった。

 

 

 私はそれから、彼女が夕ご飯ができたことを呼ぶまでリビングに戻らなかった。

 セナの連絡に「そうか」と言って踵を返しても、セナが立ち去る素振りを見せないものだから、私もリビングを向いたまま固まることしかできない。

 

 なかなか動かないセナに私は首を傾げた。

 

「……どうした。冷えてしまうと言ったのは君だったはずだが」

 

「はい」とセナは返事をした。先ほどの返事と違って、間をもたせるために言ったような曖昧な調子だった。

 言い争いを引きずった私たちの会話はぎこちなかった。

 

「もう少しこのままで……少しくらい冷えてもいいのではありませんか」

「私は問題ないが」

「普段のあなたなら構わないと言いそうなところです」

「今日は普段通りではないだろう」

「……はい」

 

 やり取りの最中に私は広い世界に向き直った。手すりに肘を乗せていると、どうにもタバコが吸いたくなる。

 となりに立ったセナはごめんなさいをする猫のように肩に頭を乗せた。あまりに近いものだから、私は懐に入れた手をゆっくりと手すりに戻した。

 

「む、なんだそれは」

 

 しばらく中空を見つめていた私は聞き慣れない音に思考を遮られた。

 

「夕食を作る際にハーブティーも淹れたのです。あたたまります」

 

 どうやら持参した水筒にいれたらしい。いや、私は把握していないが、もしかしたら茶葉も水筒もリビングに置いていたのかもしれない。浴室やキッチンを使うのは彼女だけだし、私の知らないものがあってもおかしくはなかった。

 こんなこと信頼している人にしかできないな、と私は胸の内で苦笑した。自分の家の一角を完全に預けるなんて家族でもなければしないだろう。

 

「いい香りだ」

「タバコとは違いますから」

「……私の香りの基準はタバコだけではないさ。それとあれも決して臭くはない」

「大人の香りですか」

「いいや。社会の香りさ」

 

 小さく喉を鳴らす音が静寂をより濃密なものへと変化させる。ごうごうと雑音は耳に届くが、音らしい音は聞こえない夜だった。

 

「飲むと落ち着きます。ホルモンバランスが整いますから」

「私には縁のない飲み物だろうな」

「そんなことはありません」

 

 差し出された小さなコップに口をつけると、悲しい味がした。腹に流れ落ちたあたたかな液体は、私の体のせいですぐさま冷たくなった。

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