かたく冷たく、だんだん強く   作:ぞんぞりもす

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六話

 その冬は比較的温暖な冬だった。

 キヴォトスで争いなんてのは日常だが、自ら意図して戦いに赴く連中はそれなりに希少な存在である。セナの目には私の言動がちぐはぐに映ったらしい。

 

「あの方は引退しています。それは戦う理由が見当たらなくなったからではないのですか? あなたはなぜ戦っているのですか?」

 

 セナはいつだったか、そんな内容を口にした。マッコイの一件があってしばらく経ったころのことだった。

 

 時間間隔のあやふやな私は、クリスマスや新年といった行事とも縁遠く、ただ漠然と冬のまっただ中に投げ出されていた気がする。

 

 この日はたまたま気が向いて共同墓地に向かおうと準備する私のところに、セナが来たのだった。その日は雨が降っていた。霧雨と言うには雨粒が大きく、かといって小雨と言うにはあんまり濡れない、私の心のようにどっちつかずの天気だった。

 

 

 

 ベランダでタバコを吸いながら、夜明けの季節に紫雲を吐く。霧雨が降っていた。しとしとと世界を濡らす貞淑な音に、傘を弾く雨音が蘇る。

 

 

 

「望んでいるようには見えませんが」

 

 珍しく大通りを歩く私たちは、前後に並んで歩いた。左右に並ぶと傘を差している分だけ幅を取ってしまう。往来の妨げになる恐れがあった。

 布地に遮られているから、という理由で会話をしなくてもいいような気がするのが気楽だった。

 

 ヘッドライトを照り返すほど濡れた歩道に、たくさんの形状の靴裏が叩きつけられる。ピンヒール、スニーカー、革靴、ブーツ。

 

 それぞれの靴が別々の音を立てる。

 それぞれの傘が別々の音を立てる。

 

 禿げてもなお圧倒的な存在感を誇る公孫樹や唐楓の枝に雨が当たる。弾かれた雨音もまた世界の一部だった。濡れて濃くなった幹は待宵の乙女のように寂しげに、視界の果てまで一直線に並ぶ。

 高くそびえるビルたちも心持ち静かな気がした。

 曇天の空から見れば、コンクリートジャングルは、それぞれが自分に向かって手を伸ばす蜘蛛の糸みたいな地獄絵図なのだろうか。

 

 

 大音量の広告がいきなり壁面に投射された。なんだか世界全体が暗く沈んでいた気がしたのは、こういううるさいのが流れていなかったからなんだな、と得心した。

 誰も足を止めないというのに、広告は絶え間なく投影され続ける。私を含め、通り過ぎる人々の残酷さをどこかに知らしめているようだった。

 

 私たちは大通りから奥へ入った。通りから少し外れたとしても都会の道は人の行き来が変わらない。だから道幅もそんなに変わらなかった。

 

「このあたりは桜並木が有名だ」

 

 言い、気持ち歩くペースを落とす。背後からずっと一定に続く足音がわずかに変わったような気がした。

 

「春には……多くの見物客で賑わう。今は誰も足を止めないし、向こうに見える木が桜であることも忘れているだろうが」

 

「きれいですね」とセナは言ったのだと思う。

 私は深く考えず「そうだな」と返事をした。

 

 

 墓参りに行くのだとセナに告げたとき、かなりの距離を歩くことは事前に説明していた。電車などの移動手段を使う気がほとんどないことも説明していた。

 それでも構わない、とセナは私を見上げた。

 

 

 かなり前の彼女の問いについて、このときの私は答える気がなかった。セナが問いを繰り返し口にすることもなかった。

 

 無言のまま、何度も靴底をアスファルトから離した。そのたびに水滴がつま先から飛んだ。暗い色をした明日に向かって飛んだ。

 

 

 

「友の多くがここに眠っている」

 

 骨すら埋まっていないが、名前は彫られている。名前すた彫られていないやつはリサイクルに回された。それでも魂だけはここに眠っていると私はかたく信じている。

 

 墓なんて土地の無駄だからと言外に訴える小規模な土地には、そのくせ多くの名前があった。狭いところに御骨を押し込む様子は死人を冒涜しているみたいで好きじゃないが、一人ずつちゃんとした墓を立てるには死人が多すぎる。

 仕方のない無念が小さな墓地には淀んでいた。

 

 菓子も何も添えてやれないし、花を買う余裕もないが、傘を置いて黙祷を捧げた。

 それから何十人もの名を一人ひとり読み上げる。今回は新たに二名を加えた。

 

 

 私が名前を読み上げるあいだ、セナはほとんど微動だにせず立っていた。彼女が立てた物音は、私の頭上に傘を掲げるための音くらいだ。

 私の過去や境遇に思いを馳せているのかもしれなかった。別のことを考えているのかもしれなかった。

 

 考えや感情は推測することしかできない。彼女を連れて友の前に姿を現した事実だけが重なった。

 

「戦う理由は……それぞれにあるものだ。望む望まざるに関わらず」

 

 すべての名を言い終えた私は、天に向かってそのように呟いた。セナは小さく「あなたは」と言った。

「これ以上はやめておこう」と、私は傘の礼を言って自分のを開いた。

 

「おしゃべりは薬みたいなものだ。度が過ぎれば関係を壊す毒に転じる。ほどほどでいいんだ。無理してすべてを語ることは善いおこないではないのだからね」

 

 この日はこれだけしか言葉をかわさず、セナはゲヘナの最寄りで私と別れた。

 

 

 

 のらくらかわした分のツケをどこかで支払う必要がある。吐き出した紫煙は、きっと灰色の空に手を伸ばして消えていった。

 ベランダの手すりに肘を乗せ、親指にフィルターを引っかけて灰を散らす。セナに見られたら「灰皿を使ってください」と叱られるだろう。何度か注意されたことがある。

 

 私は矛盾していた。

 

 聞こえたインターホンに踵を返し、リビングテーブルの灰皿にタバコを置いた。タバコの先は誰かの命のようにまだ赤いはずだ。

 

 勝手にあがってもいいと伝えているのだが、セナは「失礼します」と一礼する儀式めいたものを欠かさない。玄関で顔を合わせる感じがいいのかもしれない。

 慣れた所作で編み上げブーツを脱いだ彼女は、私の脇を抜けてまっすぐ冷蔵庫まで向かい、中身を確認して「ちゃんと食べていますね」と言った。

 

 私は矛盾している。

 

 セナを突き放さねばと思っていながらできていないし、彼女の今後のために付き合いを絶ったほうがいいと分かっていながらもできていない。

 彼女のほうから突き放してもらえればよっぽど後腐れなく別れられると考えているくせに、心のどこかでそれは嫌だと訴える自分もいる。

 

 冬の風が心に吹き込むような感覚を喪失感というのかもしれない。風の巡りは春を知らせているが、私は冬に取り残されたままでいる。

 

 ぴったりとくっついた何かを粉々に打ち砕くか、引きはがすための衝撃を私は持ち合わせなかった。待ち望んでいながら、自分から打撃を加えようとはしなかった。

 

 キッチンから聞こえる生活音に、私は二本目のタバコを取り出した。

 

 

 かなりの頻度でセナと顔を合わせるようになってから、私は南京錠を買った。そして一箇所につけた。圧倒的な力を前に小細工は無駄と分かっていたが、せめてもの意思表示だった。

 

 

 

「荷物……?」

 

 マッコイからの小包が届いたのは、三歩進んで二歩下がるような、重たい毎日にしゃがみ込んでときたま立ち上がっていたときのことだった。

 

 マッコイとはセナの一件以来顔を合わせていなかった。そんな彼から届いた小包は、靴の箱よりも少し小さいくらいの大きさだった。外装は見えないが、どうせおしゃれとは程遠い褪せた柄だろう。

 

 友人から小包が届くことは今までに何度もあったから、経験をもとにした強烈な嫌な予感が過去から私を貫いた。私は玄関の扉を開けたまましばらく突っ立っていた。

 

 やっとの思いでリビングに引き返すと、同封されていたのは桜の花びらとリボルバーだった。私の規格の情報伝達部品も入っていて、それを端子に接続する。

 

『リボルバーについては触れば分かるだろう。いろいろと改造を施しておいた。撃って覚えろ。俺の腕だ。壊れはしない』

 

 私は思わずハットに手をやった。このコートだってそうだった。

 ちゃんと原型が残っていたり、戦場で多くの遺品に埋もれたりせずに済んだ代物は、それほど多くはない。

 

 そんな素振り見せなかったというのに。誰にも相談せずに一人で決めたのだろう。傭兵団は命をともにしているからこそたくさん相談してぶつかったが、私たちはもう、個になったのだ。

 

「あんたも俺に託すのか」

 

 呟きが水底から浮かび上がる。底冷えのような感覚は床下から足裏を通り、背骨を這い上がった。その冷たさは、心をどうしようもなく熱くした。

 

 南京錠の奥には何枚もの紙やいくつもの部品が保管されている。もらったものも、返事をしたためたものも。

 一度も出せたことはない。そこに一つ、追加するしかなくなった。

 陽に当たってないのに古ぼけていくそれに、何度、色褪せていないでくれ、と思ったか分からない。

 

 

 そっと何かから抱きしめられ、意識が揺り動かされる。私は自分が立っていたことに初めて気がついた。かたく冷たい体を抱きしめたところで、なんにもならないというのに。

 

「気づかないほどでしたか?」

 

 私はとっさに端子を抜いて手の中に隠した。セナは耳もとで「見ませんから」と囁いた。背伸びをさせている事実に気がついてソファに腰かけたが、セナは私を抱きしめたままだった。

 

 私を包んだ穏やかな心地は、この先を思う絶望によって一瞬にして黒塗りになった。もうじき開戦するのだ、と思うと膝から崩れ落ちそうになった。

 

 なぜそのような気持ちに突然襲われたのかは定かではない。いや、情報が命の商人が新しい武器を渡してきたということは――。マッコイがいなくなるのも事実だが、もう一つの事実にも直面しているということだ。

 

「あぁ……そうかもしれない。そうかもしれないな」

 

 うわ言を言った私は天井を仰ぎ見る。はやる思考に対して拍動はあまりにも遅く、一定のペースを守り続けた。

 

「もうじき開戦する。最も明るく長い夜が来るんだ。最も暗い夜が来るんだ。あんたは来るんじゃない。これは最初から分かっていたことのはずだ」

「忠告してくださるなんて、いつからそんなに優しくなったのですか? 私があなたの言ったことを聞く人に見えますか?」

 

 私はため息をついた。

 

「……見えない、がね」

 

 セナは私の返事に満足げに吐息した。それから深刻な声で「怪我人が出るのですね」と理由づけをした。抗争を出動の理由としていることは明らかだった。

 

「怪我人の出ない争いはない。だがあんたの求める……人の怪我は少ないだろう。キヴォトスを照らす光は穢れた光だ。汚れている。野望と打算と利益に汚れているのだ」

 

 セナは何も語らなかった。私は話の矛先を彼女に向けた。

 

「君が私にはたらきかけるのは寂しさがためだ。私以外の適任者を見つけたほうがいいだろう。君は健全な関係を築いたほうがいいだろう。だから今回の件からは手を引いたほうがいいだろう」

 

 だが水を知った砂漠の民は、たとえそれが毒物を多く含んだ水と知っていても手を伸ばしてしまうのかもしれなかった。

 

「ザクロと関わりをもつことができて、私はとても嬉しかったのに。あなたは私の気持ちを知りません」

 

 私が本音をぶつけたのに魂が熱くなったのか、彼女は錆びついた部屋に本心をさらした。

 

「人の命を助けるためには優秀でなければなりません。ですが優秀過ぎても近寄りづらさを感じさせることがあります」

 

 セナの本心は冷静に叫んでいた。冷たい心が熱い血潮に乗って音となり、切実な響きで耳を打った。

 

 感情表現が苦手な部分は変えられずとも、もう少し抜けていたら。周囲との距離に苦心せずに済んだのだろうか。助けてもらうこともできたのだろうか。

 でも、抜けていたら、取りこぼした怪我も多かったのではなかろうか。

 

「私はザクロとの距離感について、相談するべき友人を持ちません。相談ができていば、私たちの間に結ばれた糸はもっと強固に、そしてもう少し変わった形をしていたのでしょうか」

「どうだろうな」

 

 セナは私にしがみついた。

 

「リズムの違うメトロノームは別々に触れるしかないのだ。それが楽器の音色の違いとして曲になったとして、曲を豊かにしたとして……人生はそうではない。立ち止まって足並みを揃えたところで、歩き始めたら再び足並みが揃わなくなる。かといって揃った場所で止め続けるのは、息苦しい」

 

 セナを振りほどこうとすると、彼女は案外かんたんな力で離れた。

 

「あんたが惹かれているのは、所詮は技術の集合体だ。私という個人の性格に惹かれているのではなく、人と話す技術を知悉し駆使する私に惹かれているのだ。経験に惹かれることは間違っている。そうして寂しさを埋めるのは間違っている」

「技術は使う人の理性で操られるべきです。そういった技術を使うことを選ぶあなたは……それは……あなたではないのですか?」

 

 セナの言葉に嘆息した私は片手を振って話を終わらせた。

 

「すぐにも大規模な抗争が始まるだろう。関わらないほうがいい。物事において最も安全な場所は蚊帳の外だ」

 

 私は、名前のない、どうでもいい、歴史に埋もれる争いのために命を張っている。それでよかった。仲間を追うのは悪いことではないはずだ。

 

 私はタンスからノートの切れ端を取ってセナに乱暴に手渡した。紙には多くの名前が書かれ、二重線で消されている部分もあった。

 

「横流し品であれば多少なら融通を利かせられる。今まで世話になった」そして玄関を見た。「私の名を出せば融通してくれるだろう。二度と来ないでくれ。これは別れだ」

 

 二度と関わるな。

 

 そんなことは思っていないが、合理とは、常に感情の対極にある。

 

 セナは突然の別れにぐずつくと考えていたが、薄々この展開を予期していたらしい。すんなりと引き取った。

 彼女の体温だけが名残惜しそうに私につきまとっている。あるいは、私の心に反応して引き剥がされずに、包んでくれているのかもしれなかった。

 

 

 立ち上がったセナは、受け取った紙の切れ端を音が出るほど握りしめ「もう知りません」と言った。

 言ってもなかなか出て行かなかった。散々迷ったあげく、彼女は私の手を両手で包んで胸に持っていく。

 

 

 胸の奥で火が揺れていた。火のついた蝋燭を火のついていない蝋燭に近づけて、命の灯火を分けるようだった。

 足早に立ち去る音は悲痛そのもので、セナは編み上げブーツを結ばずに出て行った。

 

 彼女が買ってきた食材だけが部屋に置き去りにされていた。

 

 

 

 私には確信があった。

 

 セナは二度と私の家に来ない。しかしなんとしてでも争いに関与しようとする。

 初めて私たちが言葉をかわした日に彼女が抱いた予感めいたものの正体もまた、これと似たような現象なのだろうか。

 

 いい大人の噂が耳に入ったのは、この数日後だった。

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