身を投じている争いがなんのために必要なのか考えることを、私はとうの昔に放棄した。傭兵にとっては必要ないからだ。
酒の席で前に話し合ったときに、何かはよく分からないが大きな利益のためだろうという結論に落ち着いた気がする。だがその話もすぐに流れた。
「団長俺たちにもそういうすげー金もらえるとこ連れてってくださいよぉ」という新人の声によってだった気がする。彼はお調子者で、酒の席以外でも私たちをよく笑わせてくれた。入団して何ヶ月かしたころ、彼は我々を笑わせる機会を永久に剥奪された。
争いがあれば人手がいる。そのために我々は雇われる。それだけが重要だった。
無論、傭兵団の団長なんかは、どっちにつくだの、利益と消費が見合うかだの、次にどこの地域に移れば稼げそうかだのに頭を抱えていた。
私は常に北極星を見て歩くだけでよかったし、なんなら方位磁針や星座表まで持たせてもらっていた。
私はなぜ一人になってしまったのかをはっきりと覚えていない。
このコンピュータが忘れてしまうとなると、よほどのことが起きたのだろう。それだけを理解したまま、私は再び荒野を進んだ。空は曇っていたし、私の手には愛銃だけが握られていた。
そのころには、自分がなんのために戦っているかも考えなくなっていた。
そういう生き方なのだ。自分を納得させるための生ぬるい言葉はちょうどよかった。
「あなた。ちょっといい?」
あぁ、セナではないのだな。そう思ったら電源を落としたくなった。
「ちょっと。眠らないで。まさか忘れたの?」
思い返せば、聞き覚えのある声だった。だが音の認識なんて部品の故障でかんたんに狂うものだし、誰の声なのかを考えるのを私はすぐに中断した。
肩に乗った小さな手は執拗に私の体を揺らした。「ちょっと」「聞いてるの」「ねぇ」などと気だるい小鳥が囀るように耳もとで鳴いた。
いいかげん鬱陶しくなって、私は細い腕を肩からどかした。女子の片手をどかすのが精いっぱいなくらいの損傷だったが、女子は察したらしく自ら手を離してくれた。
「ここは敵陣のはずだが」
「情報にあったとおりだったわよ。想定していたよりも攻撃が激しかったのだけれど……それはあなたがそれだけ脅威だと考えられていたからなんでしょうね」
「どうだろうな。いつも孤軍だ。そのため敵味方の内情など私には分からない」
「そう」とだけ女子は言った。
「……あなた、本当に私のことが分かってないの? だって少し前に会ったじゃない」
「ヒナ、と言ったかな」
「えぇ、そう。ちょっとあなたに聞きたいことがあってきたの。ザクロさん?」
ヒナは私の名を切り札としているらしかった。私はヒナの言葉に確かに面食らった。
「なぜ私の名を」と言いかけたが、ヒナの「合っていたのね」という声に遮られる。
私はそこで我に返った。小鳥の囀りが耳に届くなどありえないからだ。
陽動が私に課せられた任務であるはずだった。そしてその隙に主要部隊がなんとかするという話だった。だから通常であれば、まだ銃撃の音が続いていなければならないのだ。私は途中で倒れたはずだった。
事態を把握していない私を差し置いて、ヒナは淡々と事情を説明した。
曰く、ブラックマーケットの違法な銃火器がゲヘナ学園に横流しされている可能性があり、ゲヘナのとある生徒が関与している可能性が持ち上がり、その生徒に話を聞いたところ、私の名があがった、と。
「捜索途中に規模の大きな銃撃戦が勃発したから片づけたの。ちょうどゲヘナ自治区とも近いし、風紀委員がそろそろ応援に来てくれるはずよ。あとは丸く収まるはず」
流れるようなヒナの説明は、「そうそう」という声で一度止まった。
「ブラックマーケットに何度も出入りしていたその生徒なんだけど、今は事情聴取のために学園にいてもらっているの」
立場上「よかったわね」なんて言うことは憚られるが、その声は言外に「よかったわね」と伝えていた。
「だからあなたにもひとまず来てもらいたいんだけど……いいかしら?」
「断ると言ったら、どうなる」
「そうね」とヒナは少し間を置いた。「あなたの四肢が最新の部品に変わるわ」
「肩を貸してほしい」
「いいわ。誰にも見られていないでしょうし、運ぶから」
「それは少し勘弁してほしいがね」
肩の位置を誤ったとき、ヒナはくすりと笑って「私の知っている人の位置ね」と言った。
ヒナは事情聴取なんて言っていたが、実際はかなり簡素な聞き取りだけだった。それも下っ端でなくヒナが直々にやった。
聞き取りが始まってからずっと手を動かし続けたヒナは、不意にため息を一つ落とした。彼女の声には、雨によって桜の花びらが落ちるような、圧倒的なものに耐えきれなくなって散った儚さが滲んでいた。
「これは聞き流してほしいんだけど……ゲヘナ学園に武器を卸してくれている企業も……言ってしまえばあまり信用できないのよね。ブラックマーケットにもときどき流しているみたいで。でも価格と品質を考えると、それに武器の普及数だってかなりのものだからみんな扱いやすいでしょうし……そういうことを考えると難しくて」
ここがどこなのか、留置所なのか拘留する場所なのか取調室なのかは判断がつかないが、空気は淀んでいなかった。彼女たちゲヘナの性格がよく表れている、とでも言えばいいのか。
足裏にぴったりと接地する床も、冷たいが、家や道路ほど冷え切ってはいないような気がした。意識を失いかけていた先ほどとはまったく違う待遇には現実感がなかったが、ヒナが手を止めたことによって、少しずつ思考が浮上してくる。
私はコンクリートよりもふかふかのパイプ椅子の感触を不思議に思っていた。相槌が遅れてしまったが、彼女は気にもとめなかった。
「でもトリガーを引いたら爆発したなんて改造品を卸されるのって嫌じゃない……? 今のところそういった報告はあがっていないけど、ないとも言い切れないし、そんな可能性を考えるのも面倒だし……」
はっと息を呑んだヒナは「あなたはいいところを知らない?」と話の先を私に向けた。そして私の返答にすまなそうに「そう」と言った。
つま先を向いたような雰囲気を和らげるため、私はあえて軽い調子で話した。
「お互いに自分ですべてやるか、新しく信頼できる場所を探さないとね」
「なかなか見つからないわね……というか自分でゲヘナ学園全員分の銃を点検するなんて無理よ」
くすくす笑ったヒナは「ん~」と点検するようにかわいらしく唸ったあと、「もういいかしら」と呟いた。そして茶化すように「ともあれいい場所を見つけたら教えるわ」と言った。
ぱたん、とパソコンを閉じた音を私は捉えた。
個人と学園に卸すのでは部門が異なってくるだろうが、私は余計なことを言わずに「では私もそうするとしよう」と返した。
ほとんど何もしていないが、これにて話自体は終わっただろう。取り調べをしたという事実作りをしたかっただけなのかもしれない。腰を浮かした私に、ヒナは慌てたように「ちょっと」と言った。
「あなた、手で制しても分からないんだものね。少し待ってもらえる? 一応ここを三○分は使うって言ってしまっているから」
「何か問題でも? 私が手早く話したと説明すればいいだろう」
「それも……そうね」頷いたヒナは、しかし唐突に話を移した。「あなたってコーヒーを飲めるかしら」
「一応は」
言葉の意図を探る私に対して、ヒナはやわらかく言った。
「それなら少し質問をさせてちょうだい。あまり機械の体について話すことがなかったから」
それでもなお、私は渋った。調べればある程度分かるものをなぜ私に聞くのか不明だったし、加えてヒナがそういった人懐っこさを持ち合わせているとも思えなかった。
ヒナは私の様子をうかがったあと、説明をつけ足した。
「あなたたち世代の体はデータが廃棄されていることが多くて、急所が分からない場合があるの。急所を狙うのは攻撃の基本でしょ? もちろん、部品が傷んでいることが多いから、そこまでする必要がある場面は少ないんだけど」
言い終えるなり「コーヒーを淹れてくるわね」と立ち上がったヒナに、私は従わざるをえない。この学園を一人で歩いていると何が起こるか分かったものじゃないという風の噂からだった。
「ん~」とどこか伸びをするような呑気な声は次第に遠ざかっていった。ヒナの足音は体躯相応で、慎み深い性格がよく表れている。扉を開け閉めする音も小さかった。
ヒナとセナの靴音はどこか似ているが、それは靴の形状が似ているという話であって、靴音が似ているわけではない気がした。
こんな小さな違いにも気づけるほど、日常は積み重なっていた。
なんとなく背もたれに体を預けるとパイプ椅子が鳴く。慣れ親しんだ金属音とは違う軽い音だった。悪い気はしなかった。
それから私は、経験したことがないくらいシックな味わいのコーヒーをいただきながら、ヒナの質問に答え続けた。
「それで……私とザクロが初めて会ったとき、あなたは先生と何かを話しこんでいたでしょう? 一応、あなたと先生の関係を聞いておこうと思って」
私が彼女の質問にあらかた答え終わり、そして話の幕切れを匂わせる沈黙が苦しげなヒナによって何度か打ち破られたころ、本題はいきなり降ってきた。曲がり角を曲がったら何かに激突されたような質問だった。
彼女がしきりに私を引き止めたのは、この質問をぶつけるためだったようだ。今までのすべては要するに助走で、彼女はやっと気持ちよく大空に飛び立てたというわけらしい。
いじらしいヒナがほほえましかった。私はソフトフェルトハットを目深に被って、自分の腹部を見つめる。
私にセナのことを知らせた目の前の少女もこんな気分だったのかもしれない。私は穏やかに答えることができた。
「あのときはセナを止めるように話していただけだ。あのひ私は初めて先生に会った。傭兵流のご挨拶をした覚えはあるが、何かしようと思っていたわけでも、先生と特別な友誼を結ぼうと考えていたわけでもない」
「ごめんなさい。少し気を張りすぎていたのかも」
ヒナは素直に謝った。そして「彼、いろいろと注目が集まっているでしょう?」と弁解した。目が不自由でも、よそ見をしているのがありありと伝わってくる。
「私がセナのために奔走したのも、あんたのような気持ちからなのかもしれないな。認めたくはないが」
「認めたくはない?」
「長く生きるということは、つまりそういうことだからだ」
取調室に一瞬の沈黙が舞い落ちた。木から落ちた桜の花びらがひらひらと地面に落ちるまでの、ごく短い時間だった。私は「分からないほうがいい」と言って立ち上がる。
「素直さというものは、若さと優しさの証明だ。あるいは……あんたの性格だ。宝物は知らぬ間に汚れてしまうから気をつけたほうがいい。そうして自分の大切が多くのものに汚されて踏みにじられて偏屈になったのが大人という生き物なのさ」
「……先生も?」
「今度聞いてみるといい。おそらく、悪い大人に騙されちゃいけないとでも言うだろうね、彼は」
ヒナのところまでゆっくりと歩き、小さな頭にぽんと手を乗せる。正確に言えば、ヒナの角に阻まれた私の手首を、意図を察したヒナが誘導してくれた。
「先生にもされたことないのに」とヒナは少し膨れたように言った。だが彼女はそれ以上の抵抗を示さなかった。
「そろそろお暇してもいいだろうか。冷蔵庫に入っている作り置きを……とある人物が来るまでに食べないといけないものでね。最後のが残っているんだ」
おかしそうに笑ったヒナは「送るわね」と私を先導した。
どれだけ不鮮明で不明瞭な世界でも、慣れ親しんだ感触には一発で気づけるものだ。たとえば自分の帽子の感触やホルスターの位置、あとは――同じ時を何度も過ごした知り合いの雰囲気などだ。
私はセナを正面に捉えた瞬間、ふと、自分の意志で彼女に触れたことはないのかもしれないな、などと考えた。
「あとはもう平気だ。直進だろう?」
「えぇ」
「ありがとう」
案内してくれたヒナの手が離れる。私はゆっくりと正面に向かって歩いた。
呼吸のたびに春が脈に流れる心地よさを私の体は知らないが、そよぐ葉の音が全身を包む感じならなんとなく知っている。新芽の色をずいぶんと見ていないせいか、優しい色がひどく恋しかった。
ずいぶんと見ていないものの感触は、思い出すと恋しくなるものだ。
離別を何度経験しても、痛みは変わらない。ほんの少しの間しか離れていないというのに、セナをずいぶんと見ていないような気分になった。私は頭を振った。
どれだけ決心を固めても、それはひび割れた大地が干からびて硬くなっただけにすぎない。水を与えればいずれ柔らかくなってしまうし、ぼろぼろで隙間だらけだ。
向かい合った私とセナは、しばらく無言のまま見つめ合った。
「あなたは離別の痛みを知っているものと思っていました。なぜいきなり私を突き放したのですか」
「劇的な別れや劇的な出会いなんて、現実には数える限りしかないものだ。それに君だってあれ以降来なかっただろう」
「押しかけ女房は時として疎んじられる場合があるとヒナが悩んでいたので」
つんと澄ましていながら、とんでもない方向に流れ弾を飛ばすものだ。私は感心して何も言えなくなった。
それから「強かだな」と笑った。裏にはどれだけの気苦労と実働があったのだろう。そう思った途端に悪いことをしたような気がした。
「私は悪いことをしたか」
「人の心を傷つけることが悪いことであれば」
「……それなら私は、そうだな。大罪人なのかもしれない」
「言質は取りました。罪を犯したのならば償うことが道理です」
「私は君がときおり分からなくなる」
会話はそこで途切れた。私は迷ったすえに、手を伸ばして彼女の頭に触れた。今度は角にぶつからなかった。それがおかしくて一人でくつくつ笑うと、セナは不思議そうな声を上げた。
帰ろうと言ったのがどっちだったのかは判然としない。
カラスの声が世界に溶けて、その影を追うように私たちは足を踏み出した。私たちの影はきっと長く、いろいろなものにまざったろう。空を飛ぶ宝物の影も、いつかはそこにまざるのかもしれない。
どこに帰るのか一切相談せずとも、私たちの足は同じほうを向いた。
家の鍵を回したセナは、出し抜けに「今後の生活に必要なものをすべて集めてください」と言った。
心地よかった夕方の静寂と風が一気に不穏な空気となって、私の体にまとわりつく。春の夕暮れの薄暗さが記憶から蘇った。
「玄関で話すのもなんですから、まずは部屋で荷物を整理しましょう。ご安心ください。予備のバッグは多めに持ってきておりますので」
セナは私の腕を引いて、なかば強制的に家に上がらせた。家主がどちらかを聞く勇気は、とうに私の体を置いて胸部部品から逃げ出していた。
セナは冷蔵庫を確認して作り置きが残っている事実に嘆息し、やがて浴室に姿を消した。私はシャワーが床を叩く音を聞きながら黙々と荷物をまとめるほかない。
過ごした年月に反して荷物の少ない部屋だった。思い出や記憶によってとっ散らかることのない、私の体のような日々が鏡写しとなって現実になったのだ。
各地を転々としていたころも荷物が少なかったが、なぜだかとっ散らかっていたことを思い出し、私は一人で笑った。声は出していないし表情も変わらないが、私は確かに笑った。
部屋の電気をつけようと立ち上がったら、もうついていて。
セナといると彼女がいつもつけてくれる。友人たちが、荒野でまっさきに焚き火をつけてくれたように。
影の濃淡によって表現される、夜を控えたこの地平で、ボロいアパートの一室は弱く脆い光を放っていたことだろう。
「あまり変わりませんね」
風呂から上がったセナの声は普段よりも暗かった。それは春の夕暮れと秋の夕暮れくらい、見分けのつきづらいものだったのかもしれない。だが私はかすかな違和感から、その季節を見事に言い当てられたような気がした。
「こう見えて必要なものは工具箱にあらかた詰めたのだ。弾薬が心もとないが……まぁ物資不足などいつものことさ」
「分かりました」と言ったセナは、狭いリビング兼寝室を数分歩き回る。しゃがみ、何かの痕跡を見つけては過去を辿っていたような感じがした。彼女はここでの日々の味わいを思い出していたのかもしれない。
私はその間しばし黙っていた。腕を組んで、目深に帽子を被って、壁に背を預けて。
たとえ見えずとも見ていられなかった。真意を知らないままのほうが健やかに過ごせる事例があることを、私は知っている。
知ろうとすることは勇気だが、知らないままを選ぶことは信頼や優しさだ。
何を言ってもよかったし、何も言わなくてもよかった。神聖な沈黙だった。
「あの引き出しは……」
「どれのことかな」
「南京錠のかかった」
セナの手を離れたのか、南京錠は引き出しにぶつかって鈍い音を立てる。古ぼけた思い出が鳴らす、錆だらけの鐘の音のようだった。……これでいいのだ。
「それは……いいんだ。また戻ってくることもあるだろうからね」
しんみりした空気をぶち壊したのは、「それはほとんどないと思いますが」というセナの平坦な声だった。
私は思わず「なに?」と聞き返した。私は目をそらしていた現実に渋々目をやった。
「あえて聞かないようにしていたんだが、あんたはいったい私をどうしようと考えているんだ?」
「あなたを確保するための手っ取り早い方法を思いつき、それを実行する用意が整った、といったところでしょうか。仕事についても、傭兵から強制的に足を洗っていただきますから、ご心配なく」
私は身の危険を感じて工具箱のところまで急いだ。取っ手を掴んで膝と腕に力を込めたが横からかっ攫われて、危うくバランスを崩しかけた。
声を抑えた代わりに体が情けなく悲鳴をあげた。
「私の指示に従ってください」
私は彼女の強かさを甘く見ていたのかもしれない。見立ての甘さが私の人生をいくらか甘くすることは間違いなかったが、それはそれとして、考えものであった。