武器と毒袋から吐き出した毒を使い、弟子と共に英雄を殺す罠を作り上げていく。罠は地面に置かれた壺を動かすと仕掛けられた大量の弩から矢が放たれ槍が降り注ぐ罠を作り上げていくといった単純なものだ。
どれ程の強者でも四方八方から飛んでくる矢玉を完全な無事でやり過ごすことなど出来はしないので、罠に掛かった者は少なからず傷を負う。傷を負えばそこから毒が入り、動きが鈍らせるはずだ。
出来上がった罠の仕上げとして突き刺すような悪臭を放つ汚れた壺を罠の中心に置く。内容物はエリーから排出された体液であり、加熱によって周囲一体に突き刺すような悪臭を放つようになっている。鼻で世界を見ているような者にとってはこれ以上ない釣り餌であり、尚且つ俺達や罠の存在を隠す煙幕となってくれる。
ランジェはその匂いに耐えられなかったので、エリーを守る役割を与えて騾馬と荷車を連れて遠くに離れさせた。本人はベーリンと戦いたかったようでこの作戦の所為で参加出来ない事を不服としていたが、この作戦を取らねば勝機が無いのでその内どこかで強者を紹介するのを交換条件に引き下がってもらった。戦闘狂は御しやすいが面倒臭い。
「後は時が来るまで待つだけですね」
「そうだな。待つだけだ……あぁそうだとも、ただ待つだけだ……」
水筒を弟子から奪い取って手を洗い、投擲用に集めていた石を積み上げる。
時が経つと共に、その時が来ることを実感し息苦しさが増していく。幾度となく共に死地を乗り越えた友人を殺すことで味わうことになる悲しみと、新たな悲しみを背負ったままどれだけ残っているのかわからない時間を過ごすことになる未来は想像の段階で耐え難い苦痛を与えてきている。
仕掛けを施したその日の夕方に、その時は来た。
英雄であった男は低く重い羽音を轟かせながら現れ、木々の隙間を通り抜けて餌として置かれた壺の近くに着地した。月光に照らされ見えた彼の頭部は厚い鱗で覆われており、聞いていた通り目は無くなっている。壊れた鎧を着た4本腕の人間の体に洞窟で見られる目の無い蜥蜴の頭部と蝙蝠の翼を付けたかのような外見だ。
彼は臭いの元である壺の近くに着地すると、4本の腕を伸ばしてそれを持ち上げた。壺を動かしたことによって仕掛けていた罠が作動し矢や槍が放たれ、それに合わせて俺とナールが手元にある飛び道具を投げつけていく。土煙と血煙が立ち上り、彼の背に生えていた翅が砕けて皮膜が宙に舞うその光景を見ていると、もしかするとこれで終わったのでは無いかと錯覚してしまいそうになる。
「やった……?」
「やってない!」
煙が収まり俺達の方へと顔を向けている怪物が姿を現した。怪物は叩き落とした矢玉の中心で2対、4本の腕で2本の両手剣を握っている。ただ攻撃を叩き落したといっても全ての攻撃を避けられたわけではなく、致命傷となり得ない部位への負傷は追わせられている。剣を使う技術は残っているが、人間であった頃のベーリンよりと比べればお粗末な物であるようだ。ただしそれでも力の差は明らかで、やはりまともにやっても勝てる気がしない。
「ベーリン、お前という奴は……いつもいつも予想を超えてくるな。ナール、ランジェとエリーを連れて逃げろ。俺は今から毒と病を撒き散らして、この一帯を生物が生存出来ない場所に変えてこいつと戦う」
「なっ!? どうしてそんなことを!?」
「そうすれば最悪の場合でも相打ちになるからだ。たとえ俺が勝てなくてもベーリンの名誉を守り、お前の腕の代わりになるものの情報も得られる」
ギュンターと交わした契約が記載された契約書をナールに投げ渡し、毒袋から瘴気を吐き始める。先程の待ち伏せの結果で身体能力の有利不利をはっきりと実感させられた。勝てる見込みは極めて薄く、仕切り直すための撤退も上手くいくとは思えない。目標の達成と弟子の生存を第一にするべきだ。
「お師匠様……死ぬつもりなのですか?」
「死ぬ気なんざ毛頭ない。少なくとも、お前を一人前に育て上げるまではしぶとく生きるつもりだ。ほらさっさと行け、毒で死んじまうぞ?」
弟子との間に瘴気で壁を作り、彼女を徐々に追いやっていく。広範囲に毒を撒くのは弟子をこの場所から離れさせる口実を作るためでもある。今の彼女はこれ以上この場に居ても何も出来ないし、居続ければ何かをしようとして危険を冒してしまうかもしれない。
「どうかご無事で……どうかナールを置いていったりしないでくださいね……」
ナールは健闘を祈るとエリー達が隠れている方向に向かって走りだした。彼女は一度も振り返らない。振り返ったら足を止めてしまうとわかっているのだろう。
「待たせて悪いな親友。さぁ喧嘩しようじゃないか!」
準備が整うまでこちらの様子を見ていたベーリンの方を向いて棍棒を構え直す。強者と真正面からの戦うことを好む以前の彼の気質が影響しているのだろうか、俺が戦う気を見せるとベーリンは笑っているようにも聞こえる唸り声を上げ始めた。
睨み合う2人の間に1枚の木の葉が落ちたその瞬間、それを合図にして俺達は相手の生命活動を止めるべく動き出した。戦いの主導権を奪われないように俺が攻め気を出して棍棒を振るうと、ベーリンが飛び上がってそれを避け、剣から離した2本の腕で木の枝に掴まった。彼は猿のように木々の隙間を跳ね回りながら攻撃し始め、一瞬のうちに攻守を入れ替えた。
技術と身体能力の差は埋め難く、致命傷を負わないようにしながら周囲に瘴気を放って彼に吸わせるので精一杯で、尚且つそれの効き目が出るのは遅い。たった数合打ち合っただけで少なくない手傷を負わされているこの状況を変えられなければ、辛勝は疎か相打ちすら果たせないだろう。
「前に進めないなら……転進あるのみ!」
一撃離脱を繰り返すベーリンが高所に離脱した僅かな隙を付き、彼に背を向けて遁走する。目指す場所は森の中を流れる川に架かった脆い橋の上。そこは彼から地の利を奪い、俺が彼を倒すことが出来る唯一の場所だ。
こちらを追いかけてくるベーリンの呼吸は強さや回数が不規則になっているが、動きは未だに鈍っておらず馬並みの速度で走ってこちらに追従してきている。毒や病を呼吸だけで送り込むのでは時間が掛かり過ぎる。噛み付いて直接注ぎ込まなければ。
「奇遇だな。俺も丁度追いかけっこに飽きたところだ」
橋の中腹まで辿り着いたところで後ろから跳ねる音が聞こえ、目の前にベーリンが着地した。俺が橋を落として逃げようとしていると思って回り込んだのだろう。
「"痛み無くして勝利無し"。ベーリン、俺は覚悟でもってお前を殺す!」
服を脱ぎ捨てるように自分の皮膚を引き剥がし、棍棒と共に投げつける。
接近する臭いから、俺が棍棒を持って走ってきていると認識したベーリンは両手の剣を全力で振るって棍棒諸共皮膚を斬り裂いた。皮膚は残った勢いで彼の顔に張り付き、彼が知覚出来る世界の全てを塗り潰す。それは手応えの無さと相まってベーリンを混乱させ、俺が襲い掛かって左右1本ずつ、2本の腕をベルトに下げていた斧で叩き潰す隙を作り上げてくれた。
更にこの機を逃さず彼の首筋に噛み付き、彼諸共橋から川へと飛び降りる。数秒の風の感触の後に石畳に叩きつけられたかのような衝撃を体に受け、暗く冷たい水の中で呼吸を封じられながらも水中で周囲の状況を把握出来ないベーリンへと毒を送り続ける。
魚が死に絶え水草が枯れて果てた時に息を止める限界が訪れた。死んでも離すものかと彼を掴んでいたが、本当に死んでしまっては元も子もない。食い込んでいた牙を外し、拘束を解いて水面に向かって泳いでいく。
「あとは奴を――。流石は英雄様だな。ここまでやってもあと一歩が必要か……」
岸に上がってベーリンの亡骸を探していると、川の中から歩いてくる彼の姿が目に入った。毒に耐性を持つ"一角獣"でさえも死に至る量の毒物を注入してやったというのに、彼は弱々しくではあるがこちらを殺そうと。
「そうだこっちだ! こっちに来い! 俺はここだ!」
握り拳を作り彼へと近づいていく。一歩また一歩と歩を進め、距離がに埋まっていく度に籠める力は強くなり、振るい上げた時には爪が食い込み出血していた。拳が届く距離に達した俺とベーリンは互いの顔面に互いの拳を打ち込んだ。彼の拳は俺の牙を打ち砕き、俺の拳は彼の頭蓋骨を叩き割る。この一撃でもって勝敗は決し、頭蓋を砕かれたベーリンはこちらにもたれ掛かり眠るように息を引き取った。
「……さらば我が友ベーリン。お前の偉業を語り継ぎ、最後の願いを引き継いで叶えよう。だからどうか、どうか安らかな眠りについてくれ」
俺は彼の事を抱きしめ、大口を開けて噛り付く。"痛み無くして勝利無し"、心身共に傷付く覚悟は既に終えていた。肉を喰らい傷が脈打ちながら癒えていくと共に、体中から針に刺されたかのような痛みが走り、同時に金色交じりの黒い体毛が生えそろっていく。
生え揃ったその黒毛に混じった金毛は食した友の髪色に酷似しており、肩から腰に掛けて薄らと稲妻が走っているかのような文様を作り出している。どうやら弟子の腕を食らった時と同じように、取り込んだベーリンの血肉に籠っていた多量の"業"によって肉体が変化してしまったようだ。
「……だから、安心して逝ってくれ」
両手で自分自身を強く抱き締める。最早この世に彼は居ないのだ。祈ろうが、願おうが、蘇ることも再開することも決して無い。出来るのは語り継ぐ事と、存在を忘れてやらない事だけだ。