「リーフ、ジャスミン! ああ、やっぱり罠だったんですのね」
ヴァージニアを除いた一行はもがき、恐怖に震えながら、沼に飲み込まれていく中、
三人は助けを求めて叫んだ。
既に三人は胸まで沈んでいた。
もうすぐ、三人は危険な緑の沼の中に消えてしまうだろう。
今ではそれが、ぬるぬるした水草の薄い層に過ぎない事が分かっていた。
「今、助けますわ!」
ヴァージニアは慌ててリーフ達を助けようとしたが、ヴァージニアまで飲み込まれてしまった。
リーフが運んでいた果物や木の枝は散らばって跡形もなく沈んでいたが、
彼が見つけた大きな板切れは、
もがいているバルダ、ジャスミン、ヴァージニアがいる沼の表面にまだ横たわっていた。
それが浮くのは平らで幅が広いからだ、とリーフはパニックに陥りながらも考えた。
他の何も浮かばないところでそれが浮いているのだ。
叫び声が聞こえると、リーフは小さな白い小屋から、
長い棒を携えた太った白髪の二人の人物が急いで出てくるのを見た。
助けが来る。
しかし、到着したときにはもう手遅れだろう。
手遅れだ。
さもなければ……。
リーフは平らな板切れに手を伸ばし、指先で何とかその端に触れた。
「ジャスミン! バルダ! ヴァージニア!」
リーフは叫んだ。
「この木に掴まってくれ! 端を! 優しく! 泳ぐようように、体を伸ばして平らに!」
リーフの言う通り、瞬く間に、四人は板切れの周りに、巨大な花びらや輻のように散らばった。
ジャスミンの肩の上で、フィリは小さな手でジャスミンの髪を掴みながら、
恐怖に震えながら喋り始めた。
沈みかけていた四人は、もう沈んでいなかった。
木が何とか支えているようだが、バランスはどれくらい保てるだろうか。
もし四人のうちの誰かがパニックに陥ったら、木がどちらかに傾き、
沼の下に滑り込み、四人も一緒に流されてしまうだろう。
「助けが来るまで、掴まってろ!」
リーフは息を切らして言った。
だが、飲み込む力が強く、バルダは思わず、手を放しそうになった。
「ふんぬあぁぁぁぁっ!」
その時、ヴァージニアの身体が光り輝き、バルダを引き上げた。
動きでバランスを崩すかもしれないので、頭を上げて二人の老人を探す勇気はなかった。
しかし、二人の息も絶え絶えの叫び声が聞こえた。
二人はもうすぐそこにいた。
ああ、早く、とリーフは心の中で彼らに懇願した。
(急いで!)
二人が沼の端に着く音が聞こえた。
彼らは奇妙な言語で話していたため、言葉は理解できなかったが、
声は切迫していて、助けたいと思っているのは明らかだった。
「ダウソ チゴダク ニ!」
「ヨダ メダヤチ メズシ!」
「……?」
あの二人の人物が話している言葉は、ヴァージニアには何故か聞き覚えがあった。
親指ほどの大きさの小人族が話している言葉とそっくりだった。
水しぶきが上がった。
沼がうねり、波打った。
リーフは板切れを掴み、叫んだ。
緑色の粘液と砂が口と鼻を覆い……そして、何かが背中を掴み、
腕の下で曲がり、リーフを持ち上げ、前に引っ張るのを感じた。
息が詰まり、むせながら、リーフは目を開けた。
リーフを掴んでいるものは何か――恐らく大きな金属のフック――長い木の棒の端だった。
ジャスミン、バルダ、ヴァージニアは棒自体を掴んでいた。
三人も一緒に唸り声を上げながら、一緒に力を込めている二人の老人が、
しっかりとした地面に向かってゆっくりと引っ張っていた。
進むのは苦痛なほど遅かった。
沼が四人の体を吸い込み、引き留めた。
しかし、二人の老人は諦めなかった。
顔を赤らめ、汗をかき、息を切らしながら、全力で棒を引っ張った。
そしてついにリーフは、ジャスミン、バルダ、ヴァージニアが沼から出るのを見た。
沼は恐ろしい吸い付くような音を立てて三人を解放し、二人は乾いた地面にバタバタと倒れた。
濡れて汚く、ぬめりまみれだった。
「ああっ、もう! わたくしの服が汚れましたわ!」
そのすぐ後に、リーフの番が来た。
リーフの身体は、コルクがボトルから抜けたように、ぬめりから飛び出し、岸に落ちた。
あまりに突然だったので、二人の老人は後ろに転がり、勢いよく座り込んだ。
三人は息を切らし、お互いに掴まって笑った。
リーフは地面に横たわり、息を切らしながら、安堵と感謝を呟いた。
背中にしっかりとくっついていたのは、
リーフの命を救ってくれたフックだったが、リーフは気にしなかった。
リーフは、まだ板切れを掴んでいる事に気づき、笑った。
それは非常に粗末だったが、それも役割を果たしていた。
沼の中に失われていなかったことを嬉しく思った。
リーフは起き上がり、辺りを見回した。
二人の老人は立ち上がって、お互いに興奮してお喋りしていた。
「ヨダリ ドケイ!」
「アナ デズキム!」
「何を言ってるか分からないわ」
ジャスミンの顔は怒りに満ちていた。
「あの二人は、僕達の命を救ってくれたんだ」
「あの人達は『これならしはいる』っていう罠の看板で殺そうとしたのよ!
どうして感謝しなきゃいけないの!?」
「やっと分かりましたのね。あの看板が罠って事を」
「奴らはそこに看板を置いたわけではないかもしれない。
奴らより長くここにあったのかもしれない。とても古く見えたし、壊れて傷んでいた」
突然、リーフはとんでもない考えを思いついた。
リーフは手に持った板切れを見下ろした。
それもとても古いように見えた。
そして、その端も、まるでずっと昔に何か大きなものから切り離されたかのように、
ギザギザしていた。
リーフはゆっくりと、片側にまだ残っている苔をこすり落とした。
かすれた言葉や文字が見えてくると、リーフの顔は熱くなり始めた。
!!ぬまあり!!
からさき、ゆく
ぬ。けっして
べからず。
リーフは頭の中で、この板切れを沼の反対側の標識に取り付けた。
!!ぬまあり!! これ
からさき、ゆくならし
ぬ。けっしてはいる
べからず。
リーフは黙って板切れを掲げ、ヴァージニア、ジャスミン。バルダに文字が見えるようにした。
三人は目を見開いて呻き声を上げ、自分達が死にそうになった過ちを犯した事に気づいた。
二人の老人は慌てて近づいてきた。
彼らも今度は壊れた看板の破片を見て、驚きの声を上げた。
「ル スウド エネ タレバ!」
「ニチタノ モカロ オナンコ! カノ モルレバ!」
男はうなり声を上げ、リーフの手から看板を受け取り、首を振った。
そして沼の反対側を指差し、両手で砕くような動きをした。
「そうだ、警告標識は壊れていた。
ヴァージニアはそれに気づいていたのに、急いで前に進んだ俺達は馬鹿だった」
「看板は何年も前から壊れてるわ!
落ちた破片は苔で覆われてるし、あの人達は知っていたに違いないわ。
それに、どうして木に鐘がぶら下がっているの?」
「ここが沼で囲まれてるなら、あいつらは滅多にそこから出ないのかもしれない。
そうだとしたら、その向こうに何があるのか、どうして分かるんだ?」
老婆はリーフに微笑んだ。
その微笑みは優しくて楽しげだった。
頬はピンク色で、青い目はキラキラと輝き、青いロングドレスを着ていた。
エプロンは白く、白髪を首の後ろで結んでいた。
リーフは微笑み返した。
老婆は家の本棚にある古い絵本の絵を思い出したため老婆を見ているだけでリーフは安心した。
老人も見ていて心が安らぐ。
彼は優しくて明るい顔をしていて、頭の禿げた部分に白髪の縁取りがあり、
ふさふさした白い口髭を生やしていた。
「ニジ」
老婆は胸を叩き、軽くお辞儀をしながら言い、老人を指した。
「ドッジ」
老婆は老人を軽く叩きながら言った。
リーフは、老婆が自分達の名前を呼んでいる事に気づいた。
「……リーフ」
リーフは自分を指差しながら答えた。
そして、ジャスミン、バルダ、ヴァージニアに手を差し出し、三人の名前も言った。
そのたびに、ニジとドッジはお辞儀をして微笑んだ。
二人は小さな白い家を指差し、洗ったり飲んだりする真似をし、
四人を疑問に思いながら見つめた。
「もちろんだ」
バルダは笑顔で力強く頷いた。
「ありがとう。親切な人だな」
「ソダ ウチソゴ ダ コペラハ」
ドッジはバルダの背中を軽く叩きながら言った。
ニジとドッジはまるで何か凄いジョークを聞いたかのように大笑いし、
一緒に家に向かって歩き始めた。
「ララド族の男を忘れてるの?」
ジャスミンが低い声で尋ね、四人はそれに続いた。
「あの人が目を覚ましたら、私達がいない事に気づくわよね。
あの人は私達を探すかもしれないわ。もし沼に落ちたらどうするの?」
バルダは肩を竦めた。
「あいつが俺達を見つけようとはしないと思う。あいつは家に帰りたがりすぎるだろう。
ララド族は建築作業のためにいつも旅をしているが、
ララディンからはあまり長く離れたくないしな」
ジャスミンが肩越しに振り返って立ち止まると、バルダの声は鋭くなった。
「来い、ジャスミン! いつまでもずぶずぶでぬめぬめでいいのか?」
リーフとヴァージニアはほとんど聞いていなかった。
煙突から煙が上がり、花畑のある小さな白い家に近づくにつれ、リーフの足は速まっていた。
家だ、とリーフの心は告げていた。
バルダは老人の横を大股で歩いた。
リーフが歓迎してくれる家に着き、
家の中の快適さを楽しみたがっているのと同じくらい熱心だった。
ジャスミンはフィリをジャスミンの髪に寄り添わせて、後ろについていった。
彼女はまだ顔をしかめていた。
リーフ、バルダ、ヴァージニアがジャスミンに注意を払い、
ジャスミンの疑いや疑念に耳を傾けていたなら、三人は歩みを遅らせたかもしれない。
しかし、どちらもそうしなかった。
そして、四人は緑のドアが後ろで閉まってからずっと後になって初めて、
自分達の間違いに気づいた。
「……やっぱりあいつらは、わたくし達を……。襲撃しようかしら? いえ、それでは……」
ニジとドッジは、四人を石の床の広くて明るい台所に案内した。
磨かれた鍋やフライパンが大きな燃料ストーブの上のフックに掛かっていて、
大きなテーブルが部屋の中央に立っていた。
リーフは鍛冶場の台所を思い出し、そこにいても幸せだっただろう。
特に、バルダ、ジャスミン、ヴァージニアのように、彼らも濡れて泥だらけだったからだ。
しかし、ニジとドッジは、客が台所に座っているという考えに驚いたようで、
四人をその先の居心地の良い居間に案内した。
ここでは暖炉が燃え、床には快適そうな安楽椅子と織りカーペットが敷かれていた。
ニジは何度も頷き、微笑みながら、
ヴァージニア、リーフ、バルダ、ジャスミンに体を包むための敷物を渡し暖炉の傍に座らせた。
それからニジとドッジは、戻ってくるという合図をしながら、また急いで立ち去った。
すぐにリーフは、台所からガタガタとざわめく音を聞いた。
リーフは、二人の老人が風呂のお湯を沸かし、恐らく食事の準備をしているのかと推測した。
「ネカ タイワハ ユオ?」
ニジは忙しそうに話していて、ドッジは仕事をしながら笑っていた。
「ダクニ マナ! ゾル エクガク ニマナ!」
ドッジは歌うような声で言った。
リーフの心は温かくなった。
彼らは、困っている見知らぬ人を助けるために、どんなものでも与えてくれる。
「あの人達はとても親切だ」
リーフは数日ぶりにリラックスした気分になった。
暖炉は明るく、肩に巻いた敷物は心地よかった。
部屋もくつろいだ気分にしてくれた。
飾り棚の上には黄色いヒナギクの入った水差しがあった。
鍛冶場の門の傍に自生しているものとそっくりのヒナギクだ。
暖炉の上には額に入った刺繍がかかっていたがそれは間違いなくニジ自身が作ったものだった。
【ニジトドッジノイワイノマ】
「本当にいい奴だな。こういう人達のためにも、デルトラを救いたい」
ジャスミンは鼻を鳴らした。
リーフはジャスミンをちらりと見て、ジャスミンの落ち着かない表情に驚いた。
もちろん、ジャスミンはこんな家に入った事も、
ニジやドッジのような普通の人に会った事もない。
ジャスミンは森の中で、木々の間、空の下、人生を過ごした。
リーフ、バルダ、ヴァージニアが感じた平和ではなく、
ここで居心地の悪さを感じていたのも無理はない。
「どうしましたの、ジャスミン?」
フィリは前足を目の上に乗せてジャスミンの肩に蹲っていた。
ニジとドッジが歓迎してくれ、微笑んで撫でようとしていたが、フィリも幸せではなかった。
「リーフ、ベルトは大丈夫? トパーズはまだついてる?」
ジャスミンはリーフが自分を見ているのを見て囁いた。
リーフは、この瞬間までベルトの事をすっかり忘れていた事に、
少しショックを受けながら気づいた。
彼はベルトを手探りで探し、それがまだ腰にしっかりと固定してある事に気付き、ほっとした。
リーフは汚れた服を持ち上げ、それを見た。
鋼の部分は泥と粘着物質で詰まっていた。
トパーズは厚く覆われ、金色の光は隠れていた。
リーフは指で、その汚れを徹底的に取り除き始めた。
こんなに汚れているのはおかしいように思えた。
「……?」
ドッジがお盆を持って台所から急いで入ってきたので、リーフは突然、手を止めた。
リーフは自分の不注意を呪った。
彼に巻き付いた絨毯が戸口からベルトを隠していたが、これは単に幸運な偶然だった。
ニジとドッジは親切で善良だったが、
デルトラのベルトについてはできるだけ知られないようにする事が不可欠だった。
リーフはもっと注意すべきだったと後悔し、頭を下げ、
トパーズの上に両手を組んでじっと座り、
その間にドッジは飲み物と小さなケーキの皿が載ったお盆を置いた。
「さあ、クズめ! この世で最期の晩餐を楽しむがいい」
ドッジはリーフにカップを手渡し、キッチンの方へ歩いて戻った。
「サノルムネ ニンエイエ グスウモ」
ドッジは唇を舐めながら、ドアのところで言った。
二人は逆さ言葉を話していたのだ。
頭をぐるぐる回しながら、言葉を思い出すと、
リーフとヴァージニアはニジとドッジが言った全ての言葉が逆さまになっている事に気づいた。
恐怖でぼんやりしながら、リーフはドッジが部屋から出て行くのを見ていた。
ドッジがニジと一緒にキッチンでガタガタと音を立てながら歩き回り、
同じ歌を歌うような声を上げているのが聞こえた。
「ゾダ クニマナ ゾダ クニマナ」
リーフの全身が、まるで氷のような風に吹かれたかのように震えた。
ジャスミン、バルダ、ヴァージニアの方に振り向くと、居間の本当の姿が見えた。
それは陰気で暗い独房だった。
壁は石造りで、油っぽい水が滴っていた。
柔らかいカーペットは小動物の皮で作られており、粗雑に縫ってあった。
しかし、マントルピースの上の刺繍はまだ完成していた。
リーフは初めて、澄んだ目でそれを見つめた。
【マノイワイノジッドトジニ】
「リーフ、どうしたの?」
ジャスミンはカップを口に運んだまま、困惑しながらリーフを見つめていた。
ヴァージニアは何もせずにじっとしている。
「それを飲むな!」
「喉が渇いたのよ!」
ジャスミンは顔をしかめた後、カップを持ち上げた。
「リーフ、一体それには何が……」
「ダメですわ!」
ヴァージニアは必死になってカップを手から叩き落とた。
ジャスミンは怒りの叫び声を上げて飛び上がった。
「ちょっと、何するのよ!」
「静かにしろ! 君は分かっていない。ここは危険だ」
「その飲み物の中には、毒が入ってますのよ!」
「……毒だって、ヴァージニア?」
バルダは欠伸をした。
「美味い!」
バルダは臭い動物の毛皮に寄りかかっていて、目は半分閉じていた。
リーフは必死に腕を振り、バルダが既に飲み物を半分飲んでいる事に気がつき、心が沈んだ。
「バルダ、起きろ! ヴァージニアの言う通り、奴らは僕達に毒を飲ませようとしてるんだ!」
「馬鹿げている。ニジとドッジみたいな親切な人を見た事がない。
奴らは夫婦だと思うか、それともきょうだいだと思うか?」
ニジ、ドッジ……突然、リーフの頭の中で名前が回りリーフはようやく本当の意味を理解した。
「あの二人は兄妹だ」
リーフは厳しい表情で言った。
「本当の名前はニジとドッジじゃなくて、ジニとジッド、魔女テーガンの子供だ。
あの巨人が歌った歌に出てきた怪物だ! 僕達が眠ってる間に食べるんだ!」
「それは酷い冗談よ、リーフ」
「リーフの言う通りですわ。あいつらの言葉をよく聞いたら、食っちゃうつもりですのよ」
ジャスミンは顔をしかめ、バルダは心配そうに瞬きした。
しかし、ヴァージニアは真剣な表情で言った。
今は、ヴァージニアを信じようとリーフは思った。
部屋を見回したリーフは、自分が目にしているのは家庭的な安らぎだけであると悟った。
バルダ自身の目は、恐怖が仲間の正気を失わせた事を告げていた。
「ゾダ クニマナ ゾダ クニマナ」
台所にいる怪物ジッドが歌を歌った。
ジニもそれに加わり、ナイフを研ぐ音よりも声を張り上げた。
「ダウチシ イマウ ダウチシ イマウ」
バルダは眠そうに微笑んだ。
「奴らが仕事中に歌ってるのを聞いたか?」
バルダはリーフの腕に寄りかかり、軽く叩きながら言った。
「奴らが見た目と違うなんて、どうして思えるんだ? 今は休んでくれ。すぐに気分が良くなる」
次回、『ニジ』と『ドッジ』の『祝いの間』から脱出します。