ヴァージニアとデルトラクエスト   作:アヤ・ノア

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ヴァージニアの出番を出すためにも、回想シーンを入れました。
この町はあの感染症流行時を思い出しますね……20年以上前の作品だというのに。
だからこそ冒険の種は尽きませんが。


第17話 清潔を尊ぶ街

 これは、ヴァージニアとワソが、まだこの世界に来ていない時の話。

 

「さあ、やりますわよ!」

「何を?」

「……このゲームですわ!」

 

 ヴァージニアとワソは、とあるレースゲームをしていた。

 配管工の双子、王女、大魔王やその息子が参加する、日本のゲームである。

 ヴァチカン市国出身のヴァージニアは今までやった事がなかったが、

 いとこの兄妹と遊んだ事で、このゲームをやるようになった。

 運動だけでなくゲームでも競い合おうと、ヴァージニアの方から誘ったのだ。

 ワソも鬼として、このゲームを楽しもうと、ヴァージニアの誘いに乗った。

 

「できれば、いとこが実況してくれたらいいんですけど……」

「ヴァージニアにいとこなんていたの?」

「いますわよー! ジュニアアイドルですわ!」

 

 キッズアイドルと言わなかったのは、いとこの二人が中学生と高校生だからだ。

 こうしてヴァージニアは背が高い緑の王女、ワソは角が生えている大魔王を使った。

 

「では、始めますわよ! コースは……ここですわ!」

「おぉ! 凄く短いコースだね!」

 

 そのコースは何も考えなくてもいい、と言っていいが、とにかく非常に短い。

 なので不評らしいが、あえてヴァージニアはこのコースを選んだのだ。

 

「何も考えず、とにかく突っ走ってゴー! ですわ!」

「私達が使っているキャラは、重量級なんだけどね……」

 

 回想が終わり、場面はリーフ達に戻る。

 店の前に着くと、トムが手綱を握り、リーフ達はマドレットの背に跨った。

 少し話し合った後、ジャスミンはザンジー、リーフはヌードル、バルダはピップを選んだ。

 もっとも、三頭はよく似ていたので、どれらを選ぶかはさほど重要ではなかった。

 鞍は子馬の首のすぐ後ろ、体が一番細い部分に取り付けてあった。

 荷物は後ろ、広いお尻の部分に縛り付けていた。

 とても快適な配置だったが、リーフは少し不安を感じていた。

 地面がとても遠く感じられ、手綱が手にしっくりこなかった。

 ふと、リーフは結局、こんな事をしてよかったのだろうかと自問したが、

 もちろん、それを表に出さないように最善を尽くしていた。

 マドレット達は嬉しそうに鼻を鳴らしていた。

 新鮮な空気の中で出られてとても嬉しそうで、運動を楽しみにしているようだった。

「手綱をしっかり握ってください。最初は少し活発かもしれません。

 進む時は『アブラ』、止まる時は『カタブラ』と呼んでください。

 耳があまり良くないので、大きな声で呼んでください。

 止まったら、迷子にならないようにしっかり縛ってください。それだけです」

 リーフ、バルダ、ジャスミンは頷いた。

「もう一つ」

 トムは爪を確かめながら呟いた。

「どこへ行くのか聞いていません。知りたくないからです。

 こんな厳しい時代に、知識は危険なものです。

 ですが、一つ忠告しておきます。重要だから必ず従うように。

 ここから30分ほどで道が二手に分かれる場所に着きます。

 その時は、必ず左の道を進んでください。では、良い旅を!」

 そう言うと、トムは片手を上げてヌードルの尻を叩いた。

「アブラ!」

 そう叫ぶと、ガクンと音を立ててヌードルが前に進み出た。

 ピップとザンジーのすぐ後ろをついてきた。

 クリーが彼らの頭上で羽ばたきながら、甲高い声を上げた。

「忘れないでください!」

 トムの声が三人の後ろから響いた。

「手綱をしっかり握ってください! 必ず左の道を通ってください!」

 リーフは聞いた事を示すために手を振りたかったが、勇気が出なかった。

 ヌードルはスピードを上げ、垂れ耳をそよ風になびかせ、力強い脚を前に突き出した。

 リーフは海に行った事がなかった。

 生まれる前に、影の大王がデルの住民に海岸への立ち入りを禁じていたからだ。

 しかし、活気のある泥沼にしがみつくのは、嵐の中で船を操るようなものだと彼は想像した。

 それはリーフの全神経を集中させる必要があった。

 

 10分ほど経つと、マドレット達の興奮は冷め、ゆっくりとした足取りに戻った。

 リーフはヌードルに乗りながら、揺れる船ではなく、子供の頃に持っていた木馬を思い出した。

 これはそんなに難しい事ではなく、それどころか簡単だ、とリーフは思った。

 道は広く、三人は並んでマドレットに乗る事ができた。

 揺れに心地よくなったフィリはジャスミンのジャケットの中で眠りに落ちた。

 万事順調だと確信したクリーは、時折身を潜めて虫を捕まえながら、前を駆けていった。

 ジャスミン自身は黙って馬に乗り、考え込むような目をしていた。

 バルダとリーフは話をした。

「順調に進んでいるな。このマドレットは本当に素晴らしい。

 今まで聞いた事がなかったのが不思議だ。デルでは見た事がない」

「トムが言っていたよ、捕まえるのが大変だって。

 デルトラのこの辺りの人達は、きっと秘密にしているんだ。

 それにデルは影の大王が来るずっと前から、田舎からほとんど連絡がないんだ」

 ジャスミンはリーフを一瞥し、何かを言おうとしたがすぐに口を固く閉じて何も言わなかった。

 リーフとバルダがしばらく何も言わずに馬で進むと、ジャスミンが口を開いた。

「これから行く場所、ラット・シティについて何も知らないのね」

「城壁が囲んでいて、人影がなく、はばひろ川の湾曲部にぽつんと建っている事は知っている。

 遠くから旅人達が見かけた事はあるが、城壁の中に入ったという噂は一度も聞いた事がない」

「もしかしたら、中に入った人で生き残った人はいないのかもしれないわね。考えた事ある?」

 バルダは肩を竦めた。

「ラット・シティは悪名高く、影の大王が侵略した朝、上空にアクババがいた。

 間違いなく、ベルトの宝石の一つがあるだろう」

「準備もなしに行くつもりなの?」

「嘆きの湖も沈黙の森も準備しなかったよ。それでも僕達は両方とも達成した。今回も成功する」

「随分と恐がらないのね! 沈黙の森では私が助けたし、

 嘆きの湖ではマナスが道案内をした事を忘れてるのかもしれないわね。

 でも、今回は違う。助けてくれるヴァージニアはさらわれちゃったのよ」

「……確かに、もっと注意していれば……」

 ジャスミンの率直な言葉はリーフを苛立たせ、バルダも同様に苛立っていた。

 彼女の言った事は正しいのかもしれないが何故、二人のやる気を落とさなければならないのか。

 リーフはジャスミンから背を向け、真っ直ぐ前を見つめた。

 二人は黙ってマドレットを走らせ続けた。

 しばらくして、トムが言った通り、前方の道が二つに分かれた。

 分岐の真ん中に標識があり、片方は左を、もう片方は右を指していた。

 

「はばひろ川だ! あれがラット・シティが建っている川だ! なんて運が良い!」

 興奮したリーフは、ヌードルの頭を右に向け始めた。

「リーフ、何をしてるの? トムが言った事を忘れたの? 左の道を行かなきゃ」

「ジャスミン、分からないのか?

 トムは、僕達がラット・シティに進んで行くなんて夢にも思わなかっただろう」

 リーフは肩越しにヌードルを促しながら言った。

「だから、もちろん彼トムこの道はダメだと警告した。

 でも、まさに僕達が行きたい道なんだ。さあ、行こう!」

 バルダとピップは既にリーフの後についていた。

 まだ不安だったジャスミンは、ザンジーに後を追わせた。

 道は反対側と同じくらい広く、車輪の跡は残っていたものの、しっかりとした道だった。

 進むにつれて、両側の土地はますます豊かになり、緑が濃くなっていった。

 ここには乾き切った場所も枯れた木もなかった。

 果物やベリーは至るところに自生し、ミツバチは花の周りをブンブンと飛び回っていた。

 金色の花粉袋を脚に抱えたミツバチの足は重かった。

 右手には霞んだ紫色の丘が、左手には森の緑が広がっていた。

 前方には、道が淡いリボンのように遠くまで続いていた。

 空気は新鮮で甘美だった。

 小さな子達は楽しそうに鼻を鳴らし、スピードを上げ始めた。

「みんな楽しんでるよ」

 リーフはヌードルの首を撫でながら笑った。

「俺もだ。やっと肥沃な土地を走れるなんて、なんて素晴らしいんだ。

 少なくともこの土地は荒れていない」

 三人は木立を駆け抜け、少し先に幹線道路から脇道が分岐し紫色の丘へと続いているのを見た。

 リーフはぼんやりと、その道がどこへ続くのか考えていた。

 突然、ヌードルが奇妙に興奮した吠え声を上げ、首を伸ばして手綱に力を入れた。

 ピップとザンジーも同じように叫んでいた。

 二人は前に飛び出し、一跳びで長い距離を走破した。

 リーフは鞍の上で激しく揺れ、しがみつくだけでも力の限りだった。

「一体どうしたんだ?」

 風が顔に打ち付ける中、リーフは叫んだ。

「さあな!」

 バルダは息を切らして言った。

 彼はピップのスピードを落とそうとしたが、ピップは全く気に留めなかった。

「カタブラ!」

 バルダは怒鳴るが、ピップは首を伸ばし、口を大きく開けて、

 焦燥感に駆られながら、ますますスピードを上げた。

 ザンジーが頭を突き出し、ジャスミンの手から手綱を乱暴に引き剥がすと、

 ジャスミンは悲鳴を上げた。

 ジャスミンは横滑りし、リーフは一瞬、落ちてしまうかと思ったが、

 何とかマドレットの首に腕を回し、再び鞍によじ登った。

 彼女は風に逆らうように頭を下げ、険しくしがみついていた。

 ザンジーは猛スピードで突き飛ばし、飛ぶような足元で道の石が飛び散った。

 三人にはどうする事もできなかった。

 泥濘は強かった――彼らにとってあまりにも強すぎた。

 三人は脇道が分岐する地点まで轟音を立てて駆け抜け、

 砂埃を巻き上げながら本道から逸れ、霞んだ紫色の丘陵地帯へと駆け上がっていった。

 涙目になり、叫び声で嗄れた声で、

 リーフは紫色のぼんやりとした丘陵地帯が自分達に向かって迫ってくるのを見た。

 紫色の真ん中に何か黒いものがあった。

 リーフは瞬きをし、目を細めて、それが何なのか見ようとした。

 それはどんどん近づいてきていた……。

 そして、何の前触れもなく、ヌードルが急に立ち止まった。

 リーフはジャスミンの頭上を駆け抜け、自身の衝撃の叫び声が耳に響いた。

 かすかに、ジャスミンとバルダが馬から投げ出され、叫んでいるのが聞こえた。

 そして地面がリーフに向かって急に押し寄せ、リーフはそれ以上何も分からなくなった。

 

 リーフの脚と背中に痛みがあり、頭も痛かった。

 肩を何かが押しているようだった。

 リーフは目を開けようとした。

 最初は目が閉じているようだったが、何とか開けた。

 顔のない赤い影がリーフの上に迫っていた。

 リーフは叫ぼうとしたが、喉から出るのは絞り出した呻き声だけだった。

 赤い影は後ずさりした。

「目覚めたようだな」

 手が降りてきて、コップに入った水を持っていた。

 リーフは頭を上げて喉を渇かせながら水を飲んだ。

 ゆっくりと、リーフは自分がバルダとジャスミンと共に、

 広い広間の床に横たわっている事に気づいた。

 石壁の周りではたくさんの松明が燃え、部屋を照らし、揺らめく影を落としていたが、

 冷たい空気を暖めるにはほとんど役に立たなかった。

 隅には巨大な暖炉があった。

 大きな薪がぎっしりと詰まっていたが、火はついていなかった。

 燃える松明の匂いに、強烈な石鹸の匂いが混ざり合っていた。

 床は最近磨いたばかりだったのかもしれない。

 リーフが横たわる石は湿っていて、埃一つついていなかった。

 部屋は人でいっぱいだった。

 頭を剃り、身体にぴったりつく黒いスーツに大きなブーツを履いていた。

 皆、床に横たわる三人を、訝しげに、そして恐怖に震えながら見つめていた。

 水をかけていた男が後ずさりすると、リーフが意識を取り戻した際に強い恐怖を感じた、

 そびえ立つ赤い人影が再びリーフの視界に入った。

 今、リーフはそれが全身真っ赤な服を着た男だと分かった。

 ブーツさえも赤かった。

 両手を手袋で覆い、頭は口と鼻をぴったりと覆う布で覆い、目だけが見えていた。

 手首には革を編んだ長い鞭がぶら下がっていた。

 それは後ろにあり、動くたびに揺らした。

 リーフが正気を取り戻し、その人物を見守っているのが分かった。

「クリーンチュルナイ」

 男は呟き、肩から腰へと手を撫でた。

 明らかに何らかの挨拶だった。

 リーフは、この見知らぬ人々が誰であろうと、自分が友好的な人間である事を確かめたかった。

 彼は苦労して座り込み、その仕草と言葉を真似しようとした。

 黒衣の人々も呟き、それから彼らも肩から腰へと手を撫でながら

 「クリーンチュルナイ」と囁き続け、その声が広い部屋に響き渡った。

 リーフは目を丸くし、頭がくらくらした。

 

「ここは……一体どこだ?」

「ここはチュルナイだ」

 赤い人影が言った。

 口と鼻を覆う布に声がかすれていた。

「ここは余所者を歓迎しない。何故来た?」

「わざとではありません。マドレットが暴走して、道から外れて落ちたのです」

 目の奥に突き刺さる痛みに、リーフは顔をしかめた。

 ジャスミンとバルダも動き始め、今度は水を与えられていた。

 赤い影は二人の方を向き、リーフに挨拶したように挨拶した。

 それから彼は再び口を開き、疑念に満ちた冷淡な声で言った

「お前達は門の外に倒れていて、荷物を散らかしていた。マドレットは見当たらなかった」

「それなら逃げたに違いないわ。意識を失うほどの力で倒れたのよ!」

 ジャスミンは苛立ちながら叫んだ。

 赤い服を着た男は身を起こし、巻き付いた鞭を威嚇するように振り上げた。

「口を慎め、汚れた者よ。敬意を持って話せ! 私はライ、九人のネズヌクの主席だぞ」

 ジャスミンは再び話し始めたが、バルダが声を荒げ、ジャスミンの言葉をかき消した。

「誠に申し訳ございません、主席ネズヌク。我々は余所者であり、あなたの作法を知りません」

「九人のネズヌクは、人々に清潔、用心深さ、そして義務という聖なる掟を守らせている。

 こうして街は安全だ。クリーンチュルナイ」

「クリーンチュルナイ」

 人々は、裸の頭を下げ、肩から太ももまで体を撫でながら、呟いた。

 バルダとリーフは顔を見合わせた。

 二人とも、この見知らぬ場所から早く立ち去れば幸せになれるだろうと考えていた。

 

 ジャスミンはよじ登り、広間を苛立たしく見回していた。

 黒い服を着た人々は、ジャスミンのぼろぼろの服と絡まった髪が

 自分達を汚すのではないかとでも言わんばかりに、囁きながら後ずさりした。

「クリーはどこ?」

「お前と同じ人間がもう一人いるのか?」

「クリーは鳥です」

 リーフはバルダと共に立ち上がり、急いで説明した。

「黒い鳥だ」

「クリーは外で待っているぞ、ジャスミン」

 バルダは小声で呟いた。

「静かにしろ。フィリは無事か?」

「ええ。でも、私の服の下に隠れていて出てこないの」

 ジャスミンは不機嫌そうに呟いた。

「ここが気に入らないの。私も気に入らない」

 バルダはライの方を向き、頭を下げた。

「わたくしどもを気遣ってくれて本当に感謝しています。

 では、お許しをいただければ、出発いたします」

「そろそろ食事の時間だ。大皿を用意した」

 ライはまるで異議を唱える勇気があるかのように、暗い目で人々の顔をなぞった。

「この食事は既に清浄委員会が祝福している。

 祝福を受けた食事は、一時間以内に召し上がるべきだ。クリーンチュルナイ」

「クリーンチュルナイ」

 人々は恭しく繰り返した。

 バルダがそれ以上言う前に、ゴングが鳴り始め、

 部屋の端にある二つの大きな扉が開き、その向こうに食堂が現れた。

 ライと同じように赤い服を着た八人の背の高い人影が、両側に四人ずつ、開口部に立っていた。

 リーフは、他の八人のネズヌク達だろうと思った。

 ネズヌクの手首には長い革の鞭がぶら下がっていた。

 彼らは、黒衣の人々が足を引きずりながら通り過ぎるのを厳しい表情で見守っていた。

 リーフは頭痛がした。

 これほど空腹を感じた事は、人生で一度もなかった。

 リーフは何よりもこの場所から出てヴァージニアを助けたいと思っていたが、

 リーフとバルダ、そしてジャスミンは食事を終えるまでは出て行けない事は明らかだった。

 

 渋々、三人は食堂へと歩みを進めた。

 そこは前の部屋と同じように清潔で、隅々まで見渡せるほど明るく照らしていた。

 そこには、何も置かれていないテーブルが長い列に並べられていた。

 テーブルは非常に高く、細長い金属製の脚がついていた。

 簡素なカップと皿が各席に置かれていたが、食器も椅子もなかった。

 チュルナイの人々は、どうやら立って指で食べるようだった。

 ホールの奥には、一段高い台へと続く階段があった。

 そこにもテーブルが一つだけ立っていた。

 リーフは、ここがネズヌクが食事をする場所だろうと推測した。

 高い位置にあるため、下の様子がよく見えるからだ。

 ライはリーフ、バルダ、ジャスミンを、他のテーブルとは少し離れたテーブルへと案内した。

 それから彼は他のネズヌク達のところへ行った。

 リーフの予想通り、彼らは皆、壇上のテーブルに立って群衆の方を向いていた。

 

 中央に着くと、リースは手袋をはめた手を上げ、部屋を見渡した。

「クリーンチュルナイ!」

 ライは叫び、肩から腰へと手を走らせた。

「クリーンチュルナイ!」

 人々も声を合わせた。

 ネズヌク達は皆、一斉に口と鼻を覆っていた布を引き剥がした。

 すぐにゴングが再び鳴り響き、黒衣の人々がさらに大勢、

 蓋付きの巨大な大皿を持ってホールに入ってきた。

「こんなに不便な食事だなんて信じられないわ」

 テーブルの天板は、ジャスミンの顎までしか届かなかった。

 

「……」

 給仕の少女がテーブルにやって来て、震える手で荷物を置いた。

 少女の水色の目は怯えていた。

 見知らぬ客に給仕するのは、少女にとって明らかに恐ろしい事だった。

「チュルナイには子供はいないのか?」

「テーブルが高すぎるんです。子供は訓練室でしか食事をしません」

 少女は低い声で言った。

「子供達は成長してホールで自分の地位に就く前に、聖なる道を学ばなければなりません。

 クリーンチュルナイ」

 少女が大皿の蓋を外すと、リーフ、ジャスミン、そしてバルダは息を呑んだ。

 大皿は三つに分かれていた。

 一番大きな皿には、木の棒に刺さった小さなソーセージや肉、

 そして様々な形や色の野菜を盛ってあった。

 二番目には、山盛りの黄金色に輝く香ばしいペストリーと柔らかい白いロールパン。

 三番目で一番小さな皿には、ピクルスフルーツ、

 砂糖漬けの花で覆われた小さなピンク色のアイシングケーキ、

 そして奇妙な形の丸くて茶色いお菓子がぎっしり詰まっていた。

 バルダはお菓子の一つを手に取り、驚いたように見つめた。

「まさかこれがチョコレート?」

 バルダはお菓子を口に放り込み、目を閉じた。

「そうだ!」

 バルダは至福の表情で呟いた。

「ああ、デル城の衛兵をしていた頃以来、チョコレートを口にしていなかった! 16年以上も!」

 リーフは生まれてこの方、こんなに豪華な食べ物を見た事がなかった。

 そして突然、あらゆる困難に苦しみながら、空腹が襲った。

 リーフは串焼きを一本手に取り、肉と野菜を噛み始めた。

 料理は実に美味しく、今まで味わった事のない味だった。

「なんて美味しいの!」

 口いっぱいに食べ物を詰め込みながら、給仕の少女に呟いた。

 少女は満足そうに、しかし少し戸惑った様子でリーフを見つめた。

 明らかに、少女はネズヌクの料理に慣れていて、他の食べ方を知らないのだ。

 少女は緊張しながら手を伸ばし、テーブルから重い蓋を取ろうとした。

 それを皿の上に持ち上げようとした時、震える指が蓋の端に引っかかりパンが外れてしまった。

 パンはテーブルに転がり落ち、少女やリーフが受け止める前に床に跳ね上がった。

 少女は甲高く、恐怖の叫び声を上げた。

 同時に、高いテーブルから怒りの叫び声が上がった。

 部屋の全員が凍りついた。

「食べ物がこぼれた!」

 ネズヌクが一斉に叫んだ。

「拾え! 犯人を捕まえろ! ティラを捕まえろ!」

 客に一番近いテーブルから数人がくるりと振り返った。

 一人が落ちたパンに飛びつき、高く掲げた。

 残りの者達は給仕の少女を掴んだ。

 少女は再び悲鳴を上げ、高いテーブルへと引きずり始めた。

 ライは鞭を解きながら階段へと歩み寄った。

「ティラが地面に食べ物をこぼした。こぼした食べ物は悪だ。クリーンチュルナイ。

 悪は鞭打ち百回で追い払わなければならない。クリーンチュルナイ」

「クリーンチュルナイ!」

 テーブルの周りの黒ずくめの人々も声を合わせた。

 彼らは、恐怖に泣きじゃくるティラがライの足元に投げ倒されるのを見ていた。

 ライは鞭を振り上げた時、リーフはテーブルから飛び出した。

「これは僕がやったんです!」

「お前が?」

「そうです!」

 ライは鞭を下ろしながら怒鳴った。

「食べ物を落としたのは僕です。申し訳ありません」

 責任を取るのは無謀だと分かっていた。

 しかし、この民の奇妙な慣習がどんなものであれ、

 ティラを単なる事故で罰するのは耐えられなかった。

 他のネズヌク達はぶつぶつと呟いていた。

 ライに最も近いネズヌクがライの傍に来て、何か言った。

 一瞬の静寂が訪れ、倒れたティラのすすり泣きだけがそれを破った。

 それからライは再びリーフと向き合った。

「お前はよそ者であり、汚れた者だ。お前は我々のやり方を知らない。

 清浄委員会はお前を無罪にした」

 ライの声は荒々しかった。

 明らかにライはこの決定に賛成していなかったが、他の者達に敗れたのだ。

 安堵の溜息をつき、リーフはテーブルへとそっと戻った。

 ティラは地面から這い上がり、よろめきながら部屋から逃げ出した。

 バルダとジャスミンは眉を上げてリーフに挨拶した。

「危うく命が危うかった」

「本当に危なかったよ」

 リーフは、危うく逃げ出した事でまだ心臓がドキドキしていたが、軽く答えた。

「仲間を罰するほど他人を罰する事はないだろう――少なくとも最初の時は」

 ジャスミンは肩を竦めた。

 棒から野菜を一本取り、肩に担いでフィリに食べさせようとしていたのだ。

「できるだけ早くここを出た方がいいわ。この人達、本当に変わってるわ。

 他にもどんな変な掟があるのかしら。ああ、フィリ、そこにいるのね!」

 おやつに誘われた小さな生き物は、ついにジャスミンの服の襟の下から鼻を出した。

 用心深く彼女の肩に這い上がり、小さな前足で黄金色の野菜を一切れ取り、かじり始めた。

 高いテーブルから突然、窒息するような音がした。

 リーフは顔を上げ、ネズヌク全員がジャスミンを指差しているのを見て驚いた。

 顔は恐怖に歪んでいた。

 部屋の他の者達も振り返った。

 一瞬、衝撃の静寂が訪れた。

 そして突然、恐怖の叫び声を上げ、彼らはドアに向かって駆け出した。

「邪悪だ!」

 ライの声が壇上から轟いた。

「不浄なる者達が私達の館に邪悪を持ち込んだ。私達を滅ぼそうとしている!

 見ろ! 怪物が娘の体の上を這っている! 殺せ! 殺せ!」

 九人のネズヌクは一斉に壇上から駆け出し、ジャスミンに向かって突進した。

 鞭を自在に使い、パニックに陥った群衆を切り裂いた。

「フィリだ! 奴らはフィリを恐れている」

「殺せ!」

 ライは吠え、もうすぐそこにいた。

 バルダ、リーフ、そしてジャスミンは必死に辺りを見回した。

 逃げる場所などどこにもない。

 人々があらゆる扉の前で、通り抜けようともがいていた。

「逃げて、フィリ!」

 ジャスミンは恐怖に震えながら叫んだ。

「逃げて! 隠れて!」

 ジャスミンはフィリを床に投げ捨て、フィリは飛び去った。

 人々はフィリの姿を見て悲鳴を上げ、よろめきながら後ずさりし、倒れ込み、

 恐怖に駆られて互いを踏みつけ合った。

 フィリは群衆の隙間を駆け抜け、姿を消した。

 しかしリーフ、バーダ、ジャスミンは捕らわれていた。

 そして、ライが三人に迫っていた。




次回もまた、ヴァージニアの過去を入れる予定です。
こうしないと彼女が空気化しそうなので。
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