ヴァージニアとデルトラクエスト   作:アヤ・ノア

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~前回までのあらすじ~

三つの宝石を取り戻したヴァージニア達は、次の目的地に向かう道中で、
アクババから水遁の術で逃れ、リンゴを盗んで果樹園の老婆の蜂に襲われる。
ヴァージニア達は命からがら蜂から逃れた後、ギャンブルの仕組みを見破る。
その後、ヴァージニア達は資金を稼ぐため、リスメアの競技大会に参加する。
競技大会でオーエンとジョアンナの夫婦、グロック、ネリダと競い合う中、
ジャスミンはトムの店で出会った謎の男ジョーカーと決勝戦でぶつかり、優勝する。
しかし、ヴァージニア達は影の憲兵団に捕らえられてしまった。
リスメアの競技大会の優勝者は影の王国に連れ去られてしまうのだ。
ヴァージニア達が影の王国に連れ去られそうになったその時、ジョーカーが四人を助ける。
その後、うごめく砂に向かったヴァージニア達は大量の虫の怪物から逃げつつ、宝石を探す。
そしてうごめく砂の秘密を知り、ラピスラズリを取り戻すのだった。


恐怖の山
第29話 恐怖の山で出会った恐怖


 その日は快晴で、空気は少し冷たかった。

 散歩には絶好の天気だったが、喉が渇き、疲れ、恐怖に怯えているとどんな事でも楽しくない。

 リーフは頭を下げ、手足は痛み、

 隣で動くヴァージニア、バルダ、ジャスミンの姿がかすかに感じられるだけだった。

 水筒はほとんど空になっていた。

 うごめく砂を出てからというもの、四人は一日に数口の水で生き延びてきた。

 それでもなお、四人の目の前には川も小川もない、平坦な茶色の田園地帯が広がっていた。

 夕日のオレンジ色に染まった空は、雲一つなく広大だった。

 リーフは、荒れた地平線を見なくて済むように、頭を下げて歩いていた。

 恐怖の山はまだ遥か遠くにあった。

 四人がそこに辿り着くまでには数週間かかるだろう。

 もし先に喉の渇きで死ななければ、とリーフは陰鬱に思った。

 しかし、その事を考えると恐怖で胸が締め付けられる。

 一歩一歩が影の王国の境界に近づいていくという認識は、ますます恐ろしく感じられた。

 

 リーフは肩を竦め、デルをこれからの冒険への期待で胸を躍らせたあの少年の事を、

 不思議に思いながら考えた。

 あの少年は今や、途方もなく幼く見えた。

 そして、あの時は遥か昔の事のように思えた。

 しかし、それほど長くはなかった。

 ほんの数ヶ月だった。

 そして、その間に多くの事を成し遂げた。

 リーフの服の下に隠されたデルトラのベルトには、今や四つの宝石が輝いていた。

 あと三つ見つけるだけだ。

 リーフはジャスミンのように、喜びと希望、そして勝利の喜びに満ちるべきだと分かっていた。

 しかし、リーフは憂鬱と絶望と戦っていた。

 振り返ってみると、宝石が無事だった事、それ自体が奇跡のように思えた。

 四人が直面した恐怖から生き延びた事が奇跡のように思えた。

 こんな幸運は、後どれくらい続くのだろうか。

 これから起こる事を考えると、リーフの心は萎縮した。

 これまで四人は影の大王の目を逃れてきたが、今度こそ確実に終わりを迎えた。

 レジスタンスのリーダー、傷だらけのジョーカーは、四人の噂が広まっていると言っていた。

 ジョーカーが噂を聞いたのなら、影の大王もきっと聞いていたはずだ。

 しかし、ヴァージニア、リーフ、バルダ、ジャスミンは、

 クリーが前を飛ぶ中、広い空の下、広い空間を歩いていた。

 誰も名前を知らないからといって、何が問題なのだろうか。

 

「……貴様らか。影の大王様に逆らう者は」

 その時、どこかからフードつきローブを身に纏った人物の姿が現れた。

 その人物は腰に刀と銃を携えていた。

「誰!? そこにいるのは!」

「あっ、あなた……わたくしをさらいましたわね!」

 ヴァージニアは自分をさらった人物だと確信したようで、メイスを構える。

 ジャスミンはその人物に敵意を見せるように、短剣を抜いた。

 しかし、その人物は冷たい声でこう言った。

「……確かに私は貴様を、大蛇リア様の生贄に捧げようとした」

「そうですわね……ならば、仇討ちですわ!」

「それはできない。影の大王様に逆らう者は、このオサが皆殺しにするのだからな」

 オサと名乗った人物は武器を抜かずに、リーフ達のところに突進した。

 リーフとバルダは慌てて剣を抜き、その人物に対峙した。

 

「君も影の大王のしもべか!」

「ああ、そうだ……私はこの力を影の大王様に捧げた」

 オサは徒手空拳だけでリーフ達と渡り合っていた。

 明らかにこの力は人間のものではなかった。

 リーフは何とかオサを攻撃するが、なかなかオサは倒れなかった。

「あなた、どうしてこんなところにいるの? 答えて!」

「知る必要はない」

「ならば、今すぐに倒す!」

 ジャスミンは短剣でオサを切った後、バルダが大きく剣を振り下ろす。

 バルダの攻撃は確かな手応えがあり、オサのフードとローブを切り裂いた。

 すると、その中から、額に先端が赤くそれ以外は白い角が二本生え、

 赤い女物の和服を着た、左の前髪に赤いメッシュがある、黒髪の女性が現れた。

 しかし、彼女の瞳は闇に澱んでおり、表情にも笑顔は全くなかった。

 その姿は、ヴァージニアには見覚えがあった。

 

「ワ……ソ……!?」

 そう、行方不明になっていた友人、ワソである。

 ヴァージニアは恐怖のあまり、攻撃の手を緩めてしまった。

 その隙にオサは徒手空拳でヴァージニアに突撃し、彼女の腹に拳をぶつけようとした。

「させん!」

 その時、バルダはオサの移動を妨害し、剣で反撃する。

「まさか、今、戦っている影の大王のしもべが女だったとはな。

 だが、俺は女だろうと影の大王に付き従う者には容赦しない!」

 バルダがオサを剣で攻撃しようとすると、ヴァージニアが慌ててバルダの前に立った。

「駄目ですわ、バルダさん! ワソを殺してはいけませんわ!」

「何故だ!」

「それは……」

「隙あり」

 オサは隙を突いて、何かを出すような勢いでバルダを殴った。

「うぐっ! 見た目に似合わず怪力のようだ」

「ワソ……わたくしが分かりませんの……?」

「そんな名前など知らない。私は影の大王様のしもべ、オサだ」

「えぇいっ、ワソ! 元に戻りなさいっ!!」

「ぐ……っ!」

 ヴァージニアはオサに呼びかけるが、

 オサは動じずに、足をヴァージニア目掛けて振り下ろそうとする。

 だが、ヴァージニアはオサの攻撃をメイスで受け止め、メイスを振って反撃した。

 その一撃がオサにクリーンヒットして、オサはふらつきながらこう言った。

「お、覚えているがいい。貴様らは、いずれ、影の大王様に敗れるのだぞ……」

 そう言って、オサは煙玉を取り出して地面に投げつける。

 煙が消えた時、オサの姿はどこにもなかった。

 

「まさか、ワソがこんな目に遭っていたなんて……」

 行方不明の友人と再会したヴァージニアはショックを受ける。

 友人が影の大王のしもべになっていたなんて……と頽れそうになるが、

 リーフはすぐにヴァージニアを支える。

「確かに君の友達は今は、影の大王のしもべになっている。

 でも、そればかりに囚われて、目的を失うのはダメだ。今は宝石を取り戻すのが先だ。

 君の友達は絶対に助けるから、信じてくれ」

「……そうですわね、リーフ。ワソは絶対に戻ってきますわ。一緒に行きましょう」

 笑顔を取り戻したヴァージニアに、リーフはほっと、一安心した。

 

「うわっ!」

 しばらく歩くと、リーフは緊張して飛び上がり、

 頭の横で黒いものが羽ばたいたのを見て躓きそうになった。

 しかし、それはクリーで、ジャスミンの腕に止まっていた。

 クリーは甲高い声を上げた。

 フィリはジャスミンのジャケットから毛むくじゃらの灰色の頭を覗かせ、興奮して話しかけた。

「クリーが、この先に水があるって言ってたわ。小さな池……泉かもしれないわ。

 そこに続く小川は見えなかったから。道からそう遠くない木立の中にあるのよ」

「えっ、水ですって!?」

 水の事を考えた四人は皆、足早に走り出した。

 間もなくクリーは再び飛び立ち、四人を道から外した。

 茂みや岩を避けながら、四人はクリーの後を追って、ついに青白く奇妙な木々の林に入った。

 そして、確かに、真ん中に白い石に囲まれた小さな円形の池があった。

 四人はそこへ駆け寄った。

 すると、石の一つに鈍い真鍮の板を取り付けているのが見えた。

 そこには文字が刻まれていた。

 薄暗い光の中で、辛うじて読み取れた文字だった。

 

 夢の泉

 心正しき者は 飲むがよい

 心悪しき者は 報いを受けよ

 

 四人は躊躇った。

 泉は澄んでいて、とても魅力的だった。

 喉は酷く渇いていた。

 しかし、真鍮の板に書いてある文字は四人を不安にした。

「この水は飲んでも安全ですの?」

「ジャスミン、木々は何と言ってるんだ?」

 かつてバルダはジャスミンが植物と話せるのかと疑った事があったが、

 今回はもう遠い昔の事だった。

 ジャスミンは眉を潜めた。

「何も言わないのよ。私には分からないわ」

 リーフは身震いした。

 森は緑で静まり返っていた。

 足元には青々とした柔らかな草が生い茂っていた。

 まるで小さな楽園のようだったが、空気中には奇妙な感覚が漂っていた。

 リーフは乾いた唇に舌を這わせた。

「この泉の水を飲まない方がいいかもしれない。

 魔法がかかっているかもしれないし、毒が入っているかもしれない」

「俺達は心悪しき者じゃないから、大丈夫だ」

 しかし、リーフはそこに留まり、泉に近づかなかった。

 フィリはジャスミンの肩の上で、せっかちそうにさえずった。

「みんな喉が渇いているのよ、フィリ。でも、待たなきゃ。分からないの……フィリ! ダメ!」

 フィリは地面に飛び降りた。

 ジャスミンの叫び声を無視して、池へと駆け寄った。

 すぐに透明な水に頭を浸し、たっぷりと水を飲んだ。

「フィリ!」

 ジャスミンは絶望して叫んだ。

 しかし、フィリは今回ばかりは聞いていませんでした。

 酷い喉の渇きを癒す喜びに夢中になっていたのだ。

 次に泉へ飛んで行ったのはクリーだった。

 クリーもまた、くちばしを水に浸し、頭を後ろに傾けて何度も水を飲みました。

 クリーにも何の異常もなかった。

「うーん、癪ですけど、フィリとクリーが飲んでも大丈夫なら、わたくしも飲みましょうか」

 ヴァージニア、リーフ、バルダ、ジャスミンは待ちきれなくなり、自ら泉へと駆け出した。

 水は冷たく、甘かった。

 リーフはこれほど美味しいものを味わった事がなかった。

 デルの実家でも水は同じように冷たく、いつも金属製のポンプの味がした。

 ヴァージニアも、まるで聖水のようだと感じた。

 

 ようやく必要なだけ水を飲み終えると、

 四人は夜中に急いで逃げなければならない場合に備えて、水筒に水を満たした。

 森は安全に見えたが、外見を鵜呑みにするのは賢明ではない事を学んでいた。

 月が昇り、頭上に星が輝く中、四人は草の上に座って水を飲んだ。

 寒かったが、火を焚くのはやめた。

 小さな炎でさえ、自分達の存在を知らせる灯台のようなものになるからだ。

 また、安全のために、毛布を広げる前に木陰に隠れた。

 他の誰かがこの泉の事を知っていて、夜に水を飲みに来るかもしれないからだ。

「なんて用心深くなったのかしら」

 ジャスミンは毛布を体に巻きつけながら、欠伸をした。

「もっと大胆だった頃を思い出すわ」

「今は状況が違う。今じゃ奴らが僕達を探している」

「命懸けのかくれんぼってところですのね」

 バルダはリーフとヴァージニアをちらりと見て、不安げな表情を隠すように顔を背けた。

 ヴァージニアは眠る準備をしていた。

「交代で寝よう。俺が最初の番だ」

「クリー、あなたも寝なきゃ。とても疲れているでしょ? 一晩中、私達を見張るなんて無理よ。

 バルダが起こしてくれたら、あなたとフィリと私で一緒に見張りましょう」

 ジャスミンは寝返りを打ち、目を閉じた。

 フィリの柔らかな毛皮に手を突っ込んだ。

 リーフはうとうとしながら、クリーが頭上の木の枝に舞い上がり始めるのを見守っていた。

 するとクリーは気が変わったようで、くるりと向きを変えて草むらに舞い戻った。

 ジャスミンのすぐ傍まで跳ねて行き、翼の下に頭を入れてそこに止まった。

 リーフはかすかな恐怖を感じた。

「バルダ、クリーを見て」

「……」

 バルダは、暖をとるために体に巻いた毛布の下にうずくまり、身を乗り出して振り返った。

「どうして枝に止まらずに地面で寝ているの?」

「もしかしたら木々が気に入らないのかもな。ジャスミンが木々は静かだと言っていた」

「確かにおかしいですわね」

 リーフは辺りを見回し、バルダの言う通りだと気づいた。

 木々がおかしく見える理由の一つはそこだった。

 どの木も同じように真っすぐで滑らかな幹、

 空へ伸びる同じ三本の枝、同じ薄紫色の葉の茂みを持っていた。

 背筋がゾクゾクした。

「リーフ、心配するな。クリーが困っていても今は休むのが先だ。そうしなければ後悔するぞ。

 すぐに君も見張りの番が来る」

 リーフはゆっくりと毛布をきつく巻きつけ、横たわった。

 一、二分の間、奇妙な木々の淡い葉が縁取る、星がちりばめられた夜空を見上げた。

 風は葉を揺らさず、虫の声も聞こえなかった。

 ジャスミンとヴァージニアの柔らかな呼吸音以外、何も聞こえなかった。

 瞼が重くなってきた。

 やがて、リーフは瞼を開けていられなくなり、開けようともしなかった。

(クリーが寝てるなら、僕も怖がらなくていいかな。バルダが見張ってるし)

 すぐにリーフは眠りに落ちた。

 そのため、バルダの頭がリーフの胸に優しく垂れ下がるのを見る事はなかった。

 バルダの静かないびきの音も聞こえなかった。

 そして、森の住人達が夢の泉に静かに歩いていった。

 

 リーフは夢を見ていた。

 夢はまるで現実のようだった。

 リーフは鍛冶場の古いポンプの傍に立っていた。

 場は暗く、誰もいなかった。

 夜だ、とリーフは思った。

 両親はこの時間には家にいるだろう。

 しかし、家も暗く、玄関から、そして台所から呼びかけても、誰も返事をしなかった。

 

 戸惑いながらも、まだ恐怖は感じずに、リーフは居間に入った。

 満月の光が窓から差し込んでいた。

 カーテンは閉まっていない。

 奇妙だ。

 そして、床には物が散乱していた。

 本や書類が、そこら中に散らばっていた。

 両親がこんな風にしておくはずはなかった。

 寝室は空っぽで、ベッドは乱雑に散らばり、整っておらず、服が床に散らばっていた。

 箪笥の上には枯れた花の入った瓶があった。

 

 今、リーフは何かがおかしいと悟った。

 恐怖に駆られ、リーフは再び外へ飛び出した。

 月が誰もいない場を照らしていた。

 鍛冶場の門が揺れていて、そこに何か跡があった。

 それが何なのか、リーフにはよく分からなかった。

 リーフは心臓がドキドキと高鳴りながら近づき、そしてそれを見つけた。

 それは、影の大王の印だった。

 

 リーフはハッと目を覚ました。

 額に汗が滲み、息が荒く、手は震えていた。

(もしかして、僕は報いを受けたのか……? いや、そんなはずはない)

 頭上の空が青白く、星はほとんど見えなくなっている事に、リーフはゆっくりと気づいた。

 もうすぐ夜明けだ。

 リーフは一晩中眠り続けていた。

(あれ? なんで呼ばなかったんだろう)

 リーフは昨晩、ジャスミンが寝床についた場所をちらりと見た。

 ジャスミンはまだそこに横たわり、静かに、そして規則的に呼吸していた。

 クリーは彼女の傍にうずくまっていた。

 ヴァージニアはすやすやと眠っていた。

 そして、そう遠くないところにバルダが腰掛けていた。

 背中を木に預け、頭を胸に乗せていた。

 バルダもまたぐっすり眠っていた。

 リーフは思わず笑いそうになった。

 つまり、賢明な計画を立てていたのに、皆、眠ってしまったらしい。

 もしかしたら、それでよかったのかもしれない。

 四人は休息を必要としていたし、たまたま夜の間、何も心配する事はなかったのだ。

 

「喉が渇いた……」

 リーフは酷く喉が渇いていた。

 静かに毛布をほどき、立ち上がり、木々の間を抜けて泉へと向かった。

 裸足は柔らかな草の上を全く音を立てなかった。

 それがこの林のもう一つの異常な点だとリーフは気づいた。

 木々は葉も小枝も全く落ちていないようだった。

 

 泉にもう少しで着く頃、かすかな水しぶきの音が聞こえた。

 誰か――あるいは何か――が水を飲んでいるのだ。

 リーフは剣の柄に手を伸ばした。

 ヴァージニア、バルダ、ジャスミンを起こそうかと思い、半ば振り返った。

 しかし、泉はもうすぐそこだ。

 林に入ってきたものが何であれ、せめて覗き見しないのは愚かな行為に思えた。

 息を止め、最後の木の周りを回り込んで覗き込んだ。

 

 丸々とした何かが水の上に屈み込み、水を舐めていた。

 それは何かの動物だった――大型犬ほどの大きさだが、

 リーフが今まで見た事のあるどの犬よりもずっと丸っこい。

 リーフは薄明かりの中で、それをはっきりと見ようと必死に目を細めた。

 その生き物は濃い栗色の身体だった。

 毛皮はないようで、耳は小さく、頭の近くに付いていた。

 短くずんぐりとした後ろ足と、ほっそりとした前足を持っていた。

 背中と側面の皮膚には奇妙な模様があり、ひだがあり、波打っていた。

(一体あれは誰なんだ?)

 一歩前に出ると、その生き物は真っ直ぐに立ち上がり、振り返り、リーフを見た。

 リーフは、驚いたように大きく見開かれた黒い目、恐怖で硬直した髭、

 ピンク色に開いた口、そして恐怖で握り締めた小さな前足を見つめた。

 すると、奇妙な快感と安らぎがリーフの身体を駆け巡った。

 リーフはそれを理解できなかったが、一つだけはっきりと分かっていた。

 その生き物は無害で、優しく、そしてとても怯えているという事だ。

「怖がらないで。僕は君を傷つけないから」

 生き物はまだリーフを見つめていた。

 しかしリーフは、その目から恐怖がいくらか消え、好奇心が湧いてきたと思った。

「君を傷つけない。僕は友達だ」

「名前は?」

 生き物は甲高い声で尋ねると、リーフは激しく飛び上がった。

 それが話せるとは思いもしなかった。

「僕はリーフ。君は?」

「私はプリン、キンの娘よ」

 生き物は言った。

 プリンは真っ直ぐに立ち上がり、リーフに向かってよちよち歩き始めた。

 短い脚で草の上を苦労して歩き、前足を曲げ、口元には優しく希望に満ちた笑みを浮かべた。

 リーフは驚きで顎が落ちた。

 記憶の波がリーフを襲った。

 プリンの顔を初めて見た時に、あの安らぎを感じたのも無理はない。

(まさか、キンって……!)

 キンは、デルの子供達なら誰もが知っている伝説の空飛ぶ生き物だ。

 リーフには幼い頃から、一緒に寝るおもちゃのキン、モンティがあったらしい。

 母親は柔らかい茶色の布に藁を詰めてモンティを作り、

 長い年月を経て、モンティは擦り切れて傷んでしまった。

 今では他の宝物と一緒に引き出しにしまい、からかう友人の目に触れないようにしている。

 しかし、かつてモンティはリーフの信頼できる仲間であり、慰めであり、

 どこにでも連れて行ってくれていた。

 あの頃、リーフはモンティに命が宿ってくれたらと何度願った事だろう。

 そして、この生き物がその願いを叶えてくれるかもしれない、とリーフは思った。

 草の上を歩いてくるモンティかもしれない。

(キンはずっと前に絶滅して、今は昔話や絵本の中にしか存在しないはずだ)

 リーフは息を呑み、まだ夢を見ているのだろうかと一瞬思った。

 しかし、プリンは目の前に、実物大で立っていた。

 今、プリンにも毛がある事が分かった。

 上質な茶色の苔のような絹のような綿毛だ。

 折り畳んだ羽は、同じベルベットのような毛で覆われていた。

 リーフは、プリンを撫でて、見た目通り柔らかいかどうか確かめてみたかった。

「ねえリーフ、一緒に遊んでくれる?」

 プリンは、髭をぴくぴくさせ、つま先でぴょんぴょん跳ねながら尋ねた。

「かくれんぼでもしてくれる?」

 リーフはその時、自分がまだ幼い事に気づいた。

 プリンは立った状態で、リーフの肩まで届くだけだった。

 しかし、完全に成長したキンはあまりにも大きく、昔の人々は空を見上げて彼らを見かけると、

 竜だと勘違いして撃ち落とそうとする事もあったと聞いていた。

「家族はどこだい?」

 リーフは辺りを見回し、尋ねた。

「まだ夢を見てるの? 太陽が昇ってからずっと後まで目覚めないわ。ほら?」

 リーフが木々の間や向こうに散らばっている、

 巨大な岩の群れだと思っていたものを、プリンは指差した。

 驚いた事に、それらは岩ではなく、キンだった。

 キンは体をきつく丸めていて、猫背しか見えなかった。

「彼らが目を覚ますまで、私は丸まらないといけないのよ」

 プリンは声を落として言った。

「でも、それは不公平よ。私には面白い夢なんてないの。遊びたいわ。

 さあ、あなたは隠れて、私が歌うわ。ズルはしないわ、約束するわ!

 ゆっくり歌うの。目だけでなく耳も閉じるわ。準備? ゴー!」

 プリンは前足を目に当てて歌い始めた。

「隠れてもいいけど、見つけてあげる。私の鋭い目で見つけてあげるから……」

 

 リーフはすぐに、この歌が子供達が数える代わりに使っている歌だと気づいた。

 歌が終わると、プリンは目を開けて、リーフがもういない事を覚悟するだろう。

 プリンをがっかりさせたくなかったリーフは、素早く逃げ出し、

 森の一番深いところにある木の陰に隠れた。

 あまり賢い隠れ場所ではなかったが、

 ヴァージニア、バルダ、ジャスミンが眠っている場所から遠く離れたくはなかったし、

 少なくともプリンに友好的な態度を見せたかった。

 木の幹に体を押し付け、歌の終わりに向かって甲高い声で続くプリンの声を聞きながら、

 リーフは心の中で微笑んだ。

 

「隠れてもいいけど、見つけてあげるから。羽ばたけば、きっと出てくるわ!

 隠れてもいいけど、見つけてあげるから。私の鋭い目で……ああ!」

 むせるような甲高い声と共に歌は途切れた。

 大きな、耳障りな笑い声が爆発した。

「おい、抵抗してるみたいだぞ」

 リーフは恐怖に駆られ、木の陰から這い出て、泉の方を覗き込んだ。

 二人の影の憲兵団が、地面で暴れる包みに覆いかぶさっていた。

 その包みとはプリンだった。

 二人はプリンの頭に服を被せ、縄でぐるぐる巻きにしていた。

「蹴ってみろ、4号」

「これで懲りるぞ」

 4号が激しく蹴り、包みが動かなくなると、リーフは叫び声を堪えた。




ヴァージニアの友人が影の大王に洗脳されて敵対する展開は、最初から決めていました。
お借りした本人には申し訳ありませんが、ただ召喚しただけでは影の大王らしくないし、
原作でもこんな事をしていたので、こうなりました。
サルゲッチュのカケルとヒロキみたいな関係にもしたかったというのもありますし。

あと、第一部と第二部は最終回まで書き終わりました。
木曜日と土曜日に更新するだけです。
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