ヴァージニアとデルトラクエスト   作:アヤ・ノア

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~前回までのあらすじ~

四つの宝石を取り戻したヴァージニア達の前に、ヴァージニアをさらった女が立ち塞がる。
女の正体はヴァージニアの友人ワソだったが、ワソは影の大王に洗脳されていた。
ヴァージニアは友人を傷つけたくないと躊躇うが、ワソはヴァージニア達を容赦なく攻撃する。
何とかリーフ達はワソと戦い、ワソを撤退させる。
リーフは落ち込むヴァージニアを励まし、キンの導きで目的地の恐怖の山に向かう。
ヴァージニア達はキンの子供プリンを守った後、グノメ族に気をつけながら恐怖の山を探索する。
グノメ族はキンやヴァージニア達を容赦なく毒矢で攻撃するが、
実は影の大王のしもべ、ゲリックに従わされていただけだった。
ヴァージニア達はゲリックを倒してエメラルドを取り戻し、グノメ族と和解するのだった。


魔物の洞窟
第36話 オルとの遭遇


 リーフ達はデルトラの七つの宝石のうち、五つを取り戻した。

 誠実を司るトパーズは、霊界と接触し、心を清める力がある。

 幸福を司るルビーは、危険が迫ると色が薄れ、悪霊を撃退し、解毒剤となる。

 希望を司るオパールは、未来を垣間見せてくれる。

 神の石であるラピスラズリは、強力なお守り。

 名誉を司るエメラルドの力は、まだ分からないようだ。

 

 リーフの父親が描いた地図に従って、

 四人は海岸と次の目的地である魔物の洞窟に素早く、隠密に向かっている。

 影の大王は四人に気付き、リーフは両親が捕まった事を知った。

 

 ヴァージニア、リーフ、バルダ、ジャスミンは、

 木々が開けた空から自分達を守ってくれる事をありがたく思い、

 静かに急いで恐怖の山からトル川へと歩いた。

 何日もこのように旅を続け、いつ敵が襲ってくるか分からない事をよく知っていた。

 何晩も、彼らは交代で眠り、完全に服を着たまま、武器を手にしていた。

 

(ワソ……あなたは一体どこに……)

 ヴァージニアはワソの行方を心配していた。

 川に沿って行けばデルトラの西海岸に着く。

 どこかに、地図に記された次の目的地があった。

 それは、恐ろしい「魔物の洞窟」だ。

 リーフの父親の言う通りなら、そこに六つ目の宝石があるという。

 しかし、影の大王のしもべ達はリーフ達を監視して、リーフ達が姿を現すのを待っていた。

 影の大王は、トパーズを沈黙の森から何者かが持ち去った事、ルビーが嘆きの湖から消えた事、

 オパールがネズミの街から消えた事を知っていた。

 恐らく、今頃はラピスラズリも、

 うごめく砂の恐ろしい番人から奪ったのではないかとさえ疑っていた。

 もしグノメ族が騙していたら、エメラルドが既に他の四つの宝石と同じ運命を辿っている事に

 気づくまでにはしばらく時間がかかるだろう。

 しかし、影の大王のしもべ達は今ごろこの辺りにいて、

 山の麓に潜んでいたり、上空から捜索していたりするだろう。

 そして、魔物の洞窟とそこへ続く道は全て、男、少年、修道女、

 黒い鳥を連れた野育ちの少女を探している敵が厳重に守っているだろう。

 

「あらまぁ……隠密というのは大変ですわね」

 ヴァージニアは、フィリの隣でジャスミンの肩に陰気にうずくまっているクリーを見つめた。

 クリーは翼を広げたかったが、

 空中であまり姿を見せすぎると、敵にバレる恐れがあり、危険だった。

 そのため、地面近くに留まらざるを得なかったが、クリーはそれが気に入らなかった。

 このざわめく森の中を、追われた生き物のように走り回るのは不快だし、

 夜が来るのを恐れるのも不快だが、仕方がない。

 ジャスミンが突然横に振れ、ベルトから短剣をひったくると、リーフは飛び上がった。

 クリーは空中に舞い上がり、ギャーギャーと鳴いた。

 リーフは茂みの中に、明るい黒い目と尖った鼻先をちらりと見た。

 それから、逃げる小さな足のもみ合いが起こり、

 次の瞬間、ジャスミンは嫌悪感で鼻を鳴らしながら、再び武器を鞘に収めた。

 

「私は今、影に飛びかかって、森のネズミと戦ってるわ」

 ジャスミンはクリーに腕を差し出し、荒れた小道を闊歩した。

「見られているような気がしてならないわ」

「ああ、何日も感じていたな」

 バルダはジャスミンに視線を戻しながら答えた。

「森には目がたくさんありますのね……」

 リーフは腰のベルトをとても意識していて、何も言わなかった。

 服の下に隠れていて、ジャケットのボタンがきちんと留まっていたが、

 影の大王のしもべ達はそれに気づいているに違いないと感じていた。

 それは、デルで最初に空のまま身に着けた時よりもずっと重かった。

 今やそのメダルの五つに散りばめられた宝石の力と魔法が、それを重くしているようだった。

 

 突然、どこか前方からかすかな甲高い叫び声と水しぶきが聞こえた。

 四人は立ち止まった。

 水しぶきはますます大きく、必死になっていった。

「あっちに誰かがいるわ!」

 ジャスミンの言葉で、クリーは翼を上げて音の方へ飛んでいった。

 

「マリー! マリー!」

 甲高い声が叫んだ。

「ああ、マリー……」

「どうしたの?」

 リーフは息を切らして言った。

「バルダ、急いで! どうやら……」

「気をつけないと」

 バルダは警告した。

「罠かもしれない。待ってくれ」

 しかし、既にクリーは急いで金切り声を上げながら、四人の方へ飛んで戻ってきていた。

「誰かが溺れてるわ!」

 四人は走り始めた。

 足は狭い道を踏みしめ、絶望の声は刻々と大きく甲高く、

 水しぶきの音はだんだん小さくなっていった。

 四人は最後の木々を突き抜け、白い砂浜の広い岸に出た。

 川はヴァージニア達の前にきらきらと輝きながら、深くて速い流れで広がっていた。

 5、6歳くらいの女の子が、木の枝にしがみついて浅瀬を漂っていた。

 ひっくり返った筏の横で深い水の中でもがいていた別の子供に

 手を差し伸べながら叫んでいたのは彼女だった。

 すぐにリーフとバルダは靴と剣を投げ捨て、水の中を歩いていた。

「……?」

「岸に一番近い奴を捕まえろ」

 筏に向かって突き進むリーフに向かってバルダが肩越しに叫んだ。

「急げ、リーフ。さもないと、彼女を失ってしまう。川の流れが速い」

 リーフは枝を掴んでいる女の子のところまで歩いていき、

 女の子が流されてしまう前に何とか捕まえた。

 女の子は死ぬほど冷たかった。

「マリー!」

 女の子は震えながら、ひっくり返った筏を振り返ろうと必死に泣き叫んだ。

「わたし、おちたの。マリーがたすけようとして、おちた。

 わたしはえだをつかんだけど、マリーは……マリーは、どこなの?」

 リーフは辺りを見回し、心が沈んだ。

 バルダは筏の前に辿り着いていたが、マリーがいた場所には渦巻く水しかなかった。

「……」

 ヴァージニアが見守る中、バルダは深呼吸をして飛び込んだ。

 すぐにバルダは再び現れ、ぐったりとした白い包みを引きずっていた。

 バルダは岸に向かって泳ぎ始め、片方の腕で漕ぎ、もう片方の腕で包みを引きずっていた。

 

「おぼれてる!」

「ううん、長く水に浸かってなかったから大丈夫だよ」

 リーフは、自分が感じている以上に自信たっぷりに言った。

 水の中を歩き続け、安堵しながら岸に登り、

 毛布を持って待っているジャスミンのいる岸に着いた。

「私が何とかするわ。バルダを助けて!」

 ジャスミンははっきりと言い、毛布を女の子に巻き付けた。

 

「私はジャスミンよ」

 リーフは、ぐったりとびしょ濡れになった荷物を掴みながら

 岸に飛び跳ねているバルダのところへ走って行くと、彼女が言うのが聞こえた。

「こっちはフィリとクリー。名前は?」

「アイダ。わたしはアイダ。ああ、わたしをかわからはなれたばしょにつれてって!

 もうみたくない! マリーはおぼれた、おぼれちゃった!」

 リーフは再び水に飛び込み、意識を失った女の子を岸まで運ぶバルダを手伝った。

 アイダ同様、その女の子――マリーも骨まで凍えていた。

 リーフとバルダはマリーをそっと横たえた。

「……まさか、この二人は……!」

 リーフはマリーの顔を見て、驚いて息を呑んだ。

 真っ直ぐな茶色の髪、きめの細かい金色の肌、ハート型の顔、長くカールした黒いまつ毛。

 なんと、マリーは左の頬骨の小さな茶色い斑点や白いドレスまで、アイダそっくりだった。

 二人は双子で、細部までそっくりだったのだ。

(こんなに幼い双子の女の子が、一人でこの荒野で何をしてるんだろう。

 両親はどこにいるんだろう)

 バルダは寝かせたマリーの上にかがみ込み、厳しい表情を浮かべていた。

 

「あの女の子は死んだのか?」

 リーフは、女の子達が双子だと分かった今、何故かその考えはより恐ろしく思えた。

 どちらかが一人ぼっちになるなんて、考えるのも恐ろしい。

 リーフは顔を上げると、ジャスミンが泣きじゃくるアイダを、

 川岸から木々の方へ連れて行き始めているのを見てほっとした。

「どうしたんだい、ヴァージニア?」

「……何でもありませんわ」

 ヴァージニアは何故か、マリーを見て嫌な目をしていた。

 それから、ジャスミンが脇に寄ってマリーを自分の前の道に進ませると、

 リーフは近くの下草に小さな動きがあるのに気づいた。

 リーフが動くか警告の叫びを上げる前に、ドンという音がして矢が空中を飛んでいった。

 矢はアイダの背中に当たり、アイダは叫びもせずに崩れ落ちた。

 リーフは怒りの叫び声を上げ、襲ってきた者に向かって飛びかかった。

 彼の剣は手の届かないところにあったが、リーフは気にしなかった。

 リーフは怒りとショックで素手で対処するほどだった。

 彼は身を隠していた茂みを掻き分け、そこに蹲っていた黒髪の少年に飛びかかった。

 少年の手から弓を叩き落とし、沼の上に投げ飛ばした。

 その人物は顔から重く倒れ、腕が折れて動かなくなり、痛みに呻き声を上げていた。

 リーフは剣に駆け寄り、それを掴み取った。

 彼の耳はゴロゴロと鳴っていた。

 もう一度くるりと振り返った時、リーフの心には殺意が湧き上がっていた。

 呻き声を上げながら、地面に倒れていた少年は仰向けに転がった。

 少年は立ち上がろうとしたが、顔をしかめて腕を押さえたまま再び後ろに倒れた。

「分からないのか。あの双子はオルだ! ……オルだよ!」

 少年は叫んだ。

 すると、リーフはバルダのゴボゴボという叫び声と、

 ジャスミンとヴァージニアの叫び声を聞いた。

 リーフは顔を上げた。

 アイダの体は消えていて、マリーが沼の中から立ち上がった。

 彼女はバルダの喉を掴み、白い指をバルダの肉に深く食い込ませた。

 マリーの歯は剥き出しで、体は泡立ち、伸び、大きくなり、中央に黒い斑点があり、

 巨大な尖った頭が不気味な白い蝋燭の炎のような、高く揺れる白い影となった。

 その目は赤く燃え、口は歯のない黒い穴だったが、

 バルダがよろめいてその重みで倒れると、子供のように笑った。

 恐怖に息を切らしながら、ジャスミン、リーフ、ヴァージニアは突進し、

 その物体を刺したり引き裂いたりして、バルダから引き離そうとした。

 冷たく揺れる塊は縮み、再び形を成した。

 その物体はよろめいたが、形は保っていた。

「心臓を刺せ! 心臓を刺さないと、あいつは死ぬ!」

 負傷した少年は叫んだ。

「もう心臓を刺してるわ! なのに、倒れないのよ!」

「危ないですわ、ジャスミン!」

 唸り声を上げながら、その物体はジャスミンに向かってきた。

 叫び声と共に、リーフは白い突風に吹き飛ばされ、ヴァージニアと共に転げ落ちた。

「リーフ! 右を攻撃しろ! オルの心臓は左じゃない、右だ!」

 少年がそう言うと、リーフは剣を突き刺した。

 その物体は震え、倒れた。

 その体は形がなく、のたうち回り、手足、顔、爪、耳があちこちで恐ろしく膨らんでいた。

 リーフは嫌悪感と恐怖で息が詰まりそうになりながら、

 マリーの顔、森のネズミの尖った鼻、鳥の翼を見た。

 すると、そこにはただ白い泡立つ水たまりがあった。

 リーフが見ていると、それは沼の中に沈んでいった。

 

「……何とか助かったみたいですわね。

 でも怪物とはいえ、女の子をあなたが撃つなんて、ちょっとショックですわ」

「それはどうも」

 バルダは震えながら咳き込み、息が喉から枯れていた。

 首を絞めていたオルの指の跡は、既に暗赤色から紫色に変色していたが、バルダは生きていた。

「彼は運が良かった。あと1分遅かったら手遅れだっただろう」

 リーフはくるりと振り向くと、

 襲った少年が何とか這い上がってリーフの後ろに立っているのが見えた。

 ジャスミンは驚いて少年を見つめていた。

「あなたはリスメアの競技会で飲み物を出した少年みたいね。ジョーカーの仲間のデインよね?」

 少年は短く頷き、バルダが横たわっているところまで足を引きずりながら歩いていった。

「キミの友人は温める必要があるよ。オルの攻撃は身体の芯まで凍りつくからね」

 デインは背を向け、ゆっくりと木々に向かって歩き始めた。

 

 リーフは急いで火を起こし、お茶を飲むためにお湯を沸かし、

 その間にジャスミンは毛布を取りに走った。

 デインが小さなリュックサックを引きずり、

 怪我をした腕を粗末な吊り具で包んで戻ってくる頃には、

 バルダはしっかりと包帯を巻いており、パチパチと音を立てる炎の傍に座っていた。

 酷い震えは治まり、顔色も戻り始めていた。

 ヴァージニアが何とかバルダを奇跡の力で治したようだ。

「ありがとう。君がいなかったら……」

 バルダはデインにかすれた声で言い、顔をしかめ、喉に手を当てた。

「喋らない方がいい」

 デインは忠告した。

 彼はリーフの方を向き、怪我をしていない方の手に持っていた瓶を差し出した。

「この甘くて温かい飲み物が彼を助けるだろう。力を与え、痛みを和らげる。とても強力だ。

 スプーン一杯で十分だろう」

 瓶には小さな手作りのラベルが貼ってあった。

 

【ジカセイ ヨイアジ オレンジ ウメ バラ チカラノモト】

 

 リーフは蓋を開け、瓶の金色の中身を嗅ぎ、リンゴの花の甘い香りを吸い込んだ。

「頭文字は面白いけど、名前自体は普通だ。

 実際、あまりにも普通だから、偽物じゃないかって思うくらいだ」

「リーフ、リスメアの競技会で付けた名前と同じくらい偽物だ。

 今は厳しい時代だ。気をつけなきゃいけないのはキミだけじゃない」

「そうですわね」

 リーフは頷き、オルの襲撃前に彼らが互いに呼び合っているのを耳にしていた事に気づいた。

 その後、リーフはマグカップにお茶を取り、湯気の立つお茶に蜂蜜を少し混ぜた。

 それからマグカップをバルダに渡すと、バルダは両手でその温かさを包み、ありがたく啜った。

 

「オルって何者ですの?」

 ジャスミンは、デインに自分の分のマグカップのお茶を渡した。

 ヴァージニアは少し警戒して、飲み物は少しだけに留めた。

「影の王国から来た、変身する怪物だよ」

 デインは自分のカップにスプーン一杯の蜂蜜をかき混ぜながら言った。

「影の大王は奴らを使って悪事をする。キミ達が奴らを知らなくても無理はない。

 奴らは、キミ達が来た東よりも、ここ、西の方によく見かけるよ」

 デインは立ち止まり、眉毛の下で彼らを見つめた。

 ヴァージニア、リーフ、バルダ、ジャスミンは無表情のままだった。

 四人がこんなに単純な罠に陥るとでも思っていたのだろうか。

 デインは簡単に笑い、身を屈めてレジスタンスのマークを描いた。

 四人は黙ってそれを見つめ、そしてお互いに視線を合わせた。

 デインは身を乗り出した。

「ボク達は同じだ、そうだろう?」

 デインは突然気楽な態度を捨て、真剣に尋ねた。

「あなたの住処を知っても何の問題がありますの? ジョーカーは――」

「どうしてここに来たの? どうやって私達を見つけたの?」

 デインは後ずさりし、再び暗い表情になった。

「ボクはキミ達を探していたんじゃない。西の要塞に戻る途中、オル達を見たんだ。

 奴らがどんな存在かは分かっていた。Cオルは長い間、同じ姿を保てない。

 何を探せばよいか分かっていれば、簡単に見分けられる。

 ボクは奴らを追いかけて、倒す機会を待った。

 すると、キミ達が現れ、オル達がそっちに目を向けた。

 奴らは数日間もキミ達を追っていたんだ。

 奴らは森のネズミに変身して、キミ達の一挙手一投足を観察し、どう行動するかを決めていた。

 結局、奴らはキミの心の優しさに訴える事を選んだ。

 奴らはキミ達をバラバラに引き離した後に、攻撃しただろう。

 そうなったら、絶望的だったと思うよ」

 ヴァージニア、リーフ、バルダ、ジャスミンは互いに顔を見合わせた。

 全員が恥ずかしく思った。

「助けてくれてありがとう」

 バルダは堅苦しい口調で言った。

「疑ったり秘密にしたりした事を許してほしい。ここ最近は、用心深くなっていたからな」

「ボクもだよ」

 デインは相変わらず厳しい声で言った。

「でも、見慣れた顔を見て喜びに我を忘れた瞬間もあった」

 リーフは突然、デインが思っていたよりも年上だと気づいた。

 少なくとも自分と同じくらいの年齢だった。

 華奢な体格に優しい顔立ち、

 額に無造作に垂れ下がった黒髪の絹のような質感がリーフを騙したのだ。

 デインは最後のお茶を飲み干し、負傷した腕を守りながらぎこちなく立ち上がった。

「オルには気をつけて。Cオルは、さっき倒した二人のように、常に二人で行動する。

 他の奴は、まあ、いずれにしても、多分知らないだろう。誰も信用しない方がいい」

 デインはリュックを肩に担ぎ、立ち去ろうとした。

「待ってくれ!」

 リーフは衝動的に叫び、飛び上がった。

「一人じゃ無理だ! 腕が傷ついてる。これじゃあ武器が使えないよ」

「大丈夫だよ。そんなに遠くまでは行かない」

 バルダは首を横に振った。

「一晩、待ってくれ」

 バルダは喉に手を当て、しわがれた声で言った。

「それが俺達にできる事だ」

 リーフはジャスミンが固まるのを見た。

 明らかに、ジャスミンはこの計画に賛成していなかった。

 ジャスミンはジョーカーを信じておらず、ジョーカーに二度と会いたくないようだ。

 しかしジャスミンは何も言わず、デインはジャスミンの表情に気付いていないようだった。

 デインは躊躇っていた。

 彼らと別れるよう促すプライドと、

 無防備で旅をするのはおかしいと告げるリーフの常識が葛藤しているのは明らかだった。

 ついにデインは頷いた。

「分かった」

 デインはリュックを下ろしながら言った。

「ありがとう。待つよ。それから一緒に要塞へ行こう」

 デインは唇を噛みながら言葉を止めた。

「南東だ。キミの邪魔になる場所じゃない」

「どうして知ってるの? どこに行くのか言ってないのに」

 ジャスミンは怒鳴った。

 デインの優しそうな顔が真っ赤になった。

「キミ達は恐らく、トーラへ旅をしてるのではないかと思ったんだ」

 その名前はジャスミンにとって何の意味も持たなかった。

 しかしリーフは激しく考えていた。

 トーラはデルの西にある姉妹都市だったが、

 トーラの名前を聞いてから長い時間が経っていたので、その存在をすっかり忘れていた。

 デインは不安そうに身を乗り出し、答えを待っていた。

 

「確かに。まあ、トーラに行くなら、予定より1、2日遅れても問題ないだろう」

 ジャスミンは立ち上がった。

「今夜は安全な場所を探すわ」

 ジャスミンはクリーを先頭に飛び立たせて木々の中へと歩いていった。

 デインはジャスミンの後ろを見つめ、リーフはデインが褒めているのに気づいた。

 リーフは嫉妬から来る不安な痛みを感じ、唇を噛み、背を向けた。

(もし、僕が君を傷つけなかったら、こんな事にはならなかったのに)

 すぐにリーフは恥ずかしくなった。

 レジスタンスの拠点への旅が貴重な時間を無駄にするので、

 ただ腹を立てているだけだと自分に言い聞かせた。

 遅れる1日ごとに、リーフの両親は地下牢で影の大王から拷問を受けているだろう。

 しかし、正直に言えば、たとえ短期間であっても、

 リーフはデインを疑った事も認めざるを得なかった。

 デインの穏やかで礼儀正しい態度は魅力的で、静かな威厳は印象的だった。

 そして、大した力はないのに、デインは勇敢に行動して、オルからリーフ達を救った。

 しかし、一見気楽そうに見えてもリーフはデインの心の奥底に何か秘密がある事を感じ取った。

 

 落ち着かず、デイン、バルダ、ヴァージニアと一緒に、

 火の傍に長く留まる気もなかったリーフは、ジャスミンを助けに行った。

 しかし、木々の中に入って行くと、新しい考えが浮かんだ。

 運命はこれまでも四人に奇妙な悪戯をしてきたが、

 どういうわけかいつも最善の結果に終わっていた。

 彼らがデインと付き合わざるを得なかったのには何か理由があるのだろうか。

 デインと知り合う運命だったのだろうか。

 レジスタンスの拠点に行く運命だったのだろうか。

 ジョーカーに再び会う運命だったのだろうか。

 時が経てば分かるだろう。

 ジャスミンが見つけた張り出した木の下に腰を下ろすと、

 デインはオルについてさらに詳しく話した。

 デインの柔らかく落ち着いた声を聞いていると、

 リーフは、もし彼らが自分と過ごす事を意図していたとしたら、

 この情報だけでもその理由だったかもしれないと感じ始めた。

「オルはどこにでもいる」

 デインはそう言って、毛布をきつく体に巻き付けた。

「奴らはどんな生き物にも変身できる」

「どんな生き物にも……何にでもなれますのね?」

「ああ。Cオルより高度なBオルは飲み食いはしないけど、

 体温を作り出して自分の正体を隠す事ができるのと同じように、

 飲み食いするふりをする事ができる。

 でも、どのオルにも、心臓の部分に影の大王の印があるから、

 どんな姿であっても、その印は身体のどこかにある」

「双子――僕達が倒したオル――の左頬骨にそれぞれ印があったんだ。あれは――?」

 デインは頷いた。

「だが、いつもそう簡単に上手くいくとは思わない方がいい。Bオルはいつも印を隠している」

「つまり、Bオルを見分けるのは無理か?」

 デインは僅かに微笑んだ。

「いや……奴らは丸三日以上、同じ姿を保つ事はできない。

 Bオルを観察し、決して目を離さなければ、やがて形が変わり、揺れ始める瞬間が来る。

 ボク達はこの瞬間を『ゆらぎの時』と呼ぶ。

 それは長くは続かない。数秒でオルは元通りに変身する。

 だが、その時までに、それが何なのかが分かる」

 デインは疲れ果て、痛みに苛まれているかのように、健全な腕で胸を抱きしめていた。

「デルトラには『ゆらぎの時』を待たなくても済む人もいる。

 奴らはオルに対する感覚が優れている。少なくともジョーカーはそう言っていた。

 オルを感知するとジョーカーはすぐに攻撃する。ジョーカーが間違った事をした事はない」

「あなた、よく知ってますのね。まるで本……」

「……いや、ただ疑うだけで倒すのは危険だ」

 デインは頷いた。

 今度はより大きく、より真摯な笑みを浮かべた。

「もちろん。疑いは攻撃じゃなくて、逃げる合図になるんだ」

「逃げる?」

 ジャスミンは激しく問いただした。

 彼女の軽蔑の声に彼は顔を赤らめ、笑みが消えた。

「ジャスミン、その考えは気に入らないようだね。キミとジョーカーは同じ考えだ。

 だが、無実の者を殺すよりは逃げる方がましだ」

「あるいは。もし君の疑惑が正しければ、オルが隙あらば監視するか、思いがけない時に殺す。

 あの冷たい指が首に絡めば……。ジャスミン、俺の言葉を信じてくれ」

 デインは自分の傷ついた喉に優しく触れた。

 ジャスミンは頑固に顎を上げ、再びデインの方を向いた。

「CオルとBオルの話をしたけど、他にも位はあるの?」

「……ああ、他にもいるとジョーカーは言ってた。

 数は少ないけど、影の大王が邪悪を込めて作った上級のオル、それがAオルだ。

 奴らは生物であろうと無生物であろうと、何にでも限界なく変身できる。

 あまりにも精巧にできているから、誰もAオルの正体を見抜けない。ジョーカーまでもね」

「でも、どうしてジョーカーはオルを知ってるの?」

 リーフは、デインの瞼が垂れ下がり、唇を噛むのを見つめていた。

 ヴァージニアは徐々に、デインが何者なのか、何となくだが感づいた。

 ジャスミンは躊躇いに気づき、飛びついた。

「それで?」

 ジャスミンが問いただすと、デインは唾を飲み込んだ。

「ジョーカーは言っていた――影の王国で知ったらしい」

 リーフの胃がひっくり返った。

 突然、パズルのピースがはまり始めたかのようだった。

 突然、生い茂った小川のほとりに墓石が立っているのが見えた。

 突然、恐怖の山の洞窟に戻り、血で殴り書きされた文字を見つめていた。

 

「ジョーカーは影の王国に行った事があると言ったんだ。信じないのか、デイン?」

 リーフが尋ねると、デインは困惑した目で顔を上げた。

「どうして?」

「影の王国から逃げられる者はいない。なのに、ジョーカーは絶対に嘘をつかない。絶対に!」

「名前を偽るのよ!」

「どういう意味だ?」

 デインの顔は真っ青だった。

 疲れ切ったように見えた。

 繊細な顔には汗が玉のように流れ、深い影がかかっていた。

 デインはよろめいた。

 リーフは倒れそうになったデインを支えた。

 バルダはデインが持っていた瓶を見つけ、閉じた唇の間にスプーン一杯の蜂蜜を押し込んだ。

 すぐにデインの顔に少し血色が戻った。

 リーフはデインをそっと地面に降ろし、毛布をかけた。

「心配するな、デイン。ジョーカーの本名が何であれ、ジョーカーは君に嘘をついていない。

 ジョーカーは影の王国にいた。そして、どういうわけか、逃げ出した。

 君は信じないかもしれないが、僕は信じる」

 リーフはデインの瞼が震えるのを見た。

 デインの口は、まるで何かを言おうとするかのように開いた。

「この件についてはジョーカー本人と改めて話し合おう。今は休んでくれ。明日は全力で歩こう」

「……」

 

 長く厳しい二日間が続いた。

 リーフはデインへの尊敬の念を、ヴァージニアはデインへの疑念を募らせる日々だった。

 転んだせいで腕を捻挫しただけでなく、肋骨も何本か骨折していた。

 二日目には、岩だらけの丘を登っていた。

 一歩一歩が痛みを伴っていたに違いないが、デインは文句を言わなかった。

 デインの苦しみは、目だけが物語っていた。

 

 今や川は見えなくなっていた。

 遠くに、黒く恐ろしい恐怖の山が聳え立っていた。

 リーフは二度振り返ると、巨大で不格好なアクババの姿が、

 下を旅する者の気配を探して、その周りを旋回しているのが見えた。

 多くの点で、これは歓迎すべき兆候だった。

 それは、影の大王が、その強大な力にもかかわらず、

 ヴァージニア達が既に山の宝石を取り戻した事に気づいていない事を意味していた。

 しかし、遠くにいてもアクババの存在は、身を隠して移動する必要性をさらに高めた。

 地形が荒れ、緑豊かな木々が茂り、雑木林や巨石に取って代わられるにつれ、

 五人は身を屈め、一列になってよろよろと歩かざるを得なくなった。

 

「ねえデイン、どうしましたの?」

 ヴァージニアはデインにそう言うが、デインは数時間も口を利かなかった。

 歩き続けるだけで全力を尽くしているようだった。

 リーフは、前にいるよろめきながら浅く苦しそうな呼吸をするデインを見ながら、思った。

「デインは休んだ方がいいと思う」

 リーフは低い声で呼びかけた。

 ヴァージニア、バルダ、ジャスミンはすぐに立ち止まったが、

 デインは小さく振り返り、首を振った。

「安全な場所に行かなきゃいけない。そうすれば休める。もうすぐだ」

 デインは傷ついていない方の腕で脇腹を押さえながら、息を切らして言った。

「すぐ上……岩の裂け目。

 それから、三本の茂みが一列に並んでいて、石で封印した洞窟の入り口。合言葉は……」

 デインの声は途切れた。

 そして、何の前触れもなく、デインは地面にどさりと倒れた。

 ヴァージニア達がデインの上に覆いかぶさり、名前を呼んだが、デインは目を覚まさなかった。

 最後の蜂蜜を飲んでも、デインは目覚めなかった。

 

「ちょっとわたくしが治しますわ」

 ヴァージニアがデインに手をかざした瞬間、ヴァージニアの手がデインを弾いた。

「なんで……?」

 もう一度手をかざしても、やはりヴァージニアの手はデインを拒んだ。

「おかしいですわ……。わたくしの奇跡を拒むなんて……」

 ヴァージニアは信じたくなかった。

 自分の奇跡は、邪悪なもの以外には効果を発揮するはずなのに。

 だが、いくら手をかざしても、ヴァージニアの手はデインを拒絶した。

 

「まさか、デインは……オルとでも言いたいんですの……?」

 ヴァージニアの声がデインに聞こえたかどうかは、まだ、分からなかった。




デインの口調はほんの少しだけアレンジしました。
オルのような変身怪物は得てしてスパイにうってつけですよね。
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