静かすぎる教室に、わずかな筆記音だけが響いている。
テスト用紙の上を鉛筆が走る。けれど、文字が霞んで見えた。
頭の奥が、重たい。
“視界に薄いノイズが入っている”。
最近、そんな感覚が増えてきた。
私は、自分の指を見つめる。
皮膚の内側が、淡く光っていた。
薄い銀の粒子が毛細血管のように浮かび、時おり脈打つように光る。
同化現象――
言葉を口にすることはなかったが、理解はしていた。
⸻
帰宅後。私は部屋の隅で体育座りをしていた。
気づけば、右足の甲の感覚が鈍くなっていた。
指の動きも微妙に違う。まるで自分の身体ではないような感触。
「……もう、始まってるんだね」
誰にでもなく呟いた言葉に、応える声があった。
『うん……ごめんね。止められなかった』
乙姫の声が、すぐそばに感じられた。
私は目を閉じる。
「これって、どうなるの?」
『フェストゥム因子が、あなたの染色体に干渉してる。
“あなた”という情報そのものが、変わっていくの』
「変わるって、どういう……」
『人間じゃなくなる。
いずれは“世界と一つになる”。その過程が――同化現象』
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乙姫は静かに説明してくれた。
これはすぐに“いなくなる”ような急激な症状ではない。
少しずつ、確実に身体の構造と精神の情報が変化していくプロセス。
脳の活動パターン、感覚の共有領域、言語と感情の齟齬。
日常の中で、“少しずつ人間性が溶けていく”。
「……いつか、私じゃなくなるんだね」
『そう。でも――あなたが“あなたでいよう”とする限り、それは抗える』
私はふっと笑う。
「どこまでも、私ってわがままだね。壊れるって分かってても、力を手放したくないって思ってる」
『それでも、私はあなたの側にいる。……覚えていて』
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一方で、乙姫自身にも異変が起きていた。
“クロッシング”の深度が増すたびに、彼女の意識はこの世界に強く引き寄せられていた。
本来、マークザインの“中”に還っていたはずの意識が、形を持とうとしている。
“私が存在するせいで、弓美の負担が増えている”
そう思いながらも、彼女は離れられなかった。
弓美が“消えていく”痛みに、乙姫は誰よりも敏感に気づいていた。
自分がかつて、存在と虚無の狭間で見てきた風景と、弓美の今が重なる。
……これは、拒絶ではなく“再構築”なのかもしれない。
乙姫はそう思いかけていた。
⸻
その夜、弓美は眠れぬまま、街の明かりを見下ろしていた。
冷えた手のひらが、わずかに震える。
「乙姫。私がいなくなったら、あなたも……?」
『私は、あなたと一緒にいられたから、それでいい』
その言葉が、少しだけ胸にしみた。
「……やっぱり、ズルいよね、私」
私は笑った。
泣いている自覚があるのに、笑っていた。
この主人公にヒロインはいる?
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乙姫
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響
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いらない