存在と虚無の彼方に響く歌   作:のうち

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第7話 かけがえのないものが、少しずつ消えていく

静かすぎる教室に、わずかな筆記音だけが響いている。

 

 テスト用紙の上を鉛筆が走る。けれど、文字が霞んで見えた。

 頭の奥が、重たい。

 

 “視界に薄いノイズが入っている”。

 最近、そんな感覚が増えてきた。

 

 私は、自分の指を見つめる。

 

 皮膚の内側が、淡く光っていた。

 薄い銀の粒子が毛細血管のように浮かび、時おり脈打つように光る。

 

 同化現象――

 

 言葉を口にすることはなかったが、理解はしていた。

 

 

 帰宅後。私は部屋の隅で体育座りをしていた。

 

 気づけば、右足の甲の感覚が鈍くなっていた。

 指の動きも微妙に違う。まるで自分の身体ではないような感触。

 

 「……もう、始まってるんだね」

 

 誰にでもなく呟いた言葉に、応える声があった。

 

 『うん……ごめんね。止められなかった』

 

 乙姫の声が、すぐそばに感じられた。

 

 私は目を閉じる。

 

 「これって、どうなるの?」

 

 『フェストゥム因子が、あなたの染色体に干渉してる。

 “あなた”という情報そのものが、変わっていくの』

 

 「変わるって、どういう……」

 

 『人間じゃなくなる。

 いずれは“世界と一つになる”。その過程が――同化現象』

 

 

 乙姫は静かに説明してくれた。

 

 これはすぐに“いなくなる”ような急激な症状ではない。

 少しずつ、確実に身体の構造と精神の情報が変化していくプロセス。

 

 脳の活動パターン、感覚の共有領域、言語と感情の齟齬。

 日常の中で、“少しずつ人間性が溶けていく”。

 

 「……いつか、私じゃなくなるんだね」

 

 『そう。でも――あなたが“あなたでいよう”とする限り、それは抗える』

 

 私はふっと笑う。

 

 「どこまでも、私ってわがままだね。壊れるって分かってても、力を手放したくないって思ってる」

 

 『それでも、私はあなたの側にいる。……覚えていて』

 

 

 一方で、乙姫自身にも異変が起きていた。

 

 “クロッシング”の深度が増すたびに、彼女の意識はこの世界に強く引き寄せられていた。

 本来、マークザインの“中”に還っていたはずの意識が、形を持とうとしている。

 

 “私が存在するせいで、弓美の負担が増えている”

 

 そう思いながらも、彼女は離れられなかった。

 

 弓美が“消えていく”痛みに、乙姫は誰よりも敏感に気づいていた。

 自分がかつて、存在と虚無の狭間で見てきた風景と、弓美の今が重なる。

 

 ……これは、拒絶ではなく“再構築”なのかもしれない。

 

 乙姫はそう思いかけていた。

 

 

 その夜、弓美は眠れぬまま、街の明かりを見下ろしていた。

 

 冷えた手のひらが、わずかに震える。

 

 「乙姫。私がいなくなったら、あなたも……?」

 

 『私は、あなたと一緒にいられたから、それでいい』

 

 その言葉が、少しだけ胸にしみた。

 

 「……やっぱり、ズルいよね、私」

 

 私は笑った。

 泣いている自覚があるのに、笑っていた。

この主人公にヒロインはいる?

  • 乙姫
  • いらない
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