さて、ブラックマーケットを飛び出し、各地を放浪しながら悪徳の大人を潰す旅に出たリュウタロウが辿り着いたのは、ゲヘナ学園と呼ばれる学校の自治区であった。
ゲヘナ学園とは過去は二大校、現在は三大校と呼ばれるキヴォトス最大規模のマンモス校の一つで、その歴史は深い。
それ故に自治区は広大であり、生徒数もそれ相応に多く、間違いなくキヴォトスで最も強い力を持っている学校の一つであると言えるだろう。
そんなゲヘナの主だった特徴といえば、やはりその治安の悪さである。
どれほどかと言えば、誰も彼もゲヘナについて問われれば第一にそれを答えるレベルであり、実際各エリアで年間の事件数が100件を下回れば少ない方とか言うふざけた実情を持っていた。
まぁそれでも自治組織が一応機能しており、学校としての体裁は保てている分はブラックマーケットよりもマシであると言える。
それでも治安が最悪なことに変わりはないが。
さて、そんな治安がGTA並に最悪なゲヘナであるが、一般的な生徒がその空気に当てられてしまったのか、それとも元々そう奴らしか入学しないのか、どいつもこいつも血の気が盛んである。
目と目が合ったら銃撃戦……とまではいかないものの、軽く体がぶつかったり何か気に食わないことでも合ったりすれば即銃撃戦である。
リュウタロウがゲヘナに足を踏み入れて数時間で10度以上目撃し、2、3度は巻き込まれたのだから相当だ。
この辺に関してはブラックマーケット以上と言える。
大変不名誉なことであるので早急に改善してほしい。
いや本当に。冗談ではなく。
最近雷帝が失脚しただか何だか知らないがだいぶ改革の真っ只中にはあるようなので、新政権には是非とも何とかしてもらいたいものだ。
え? 新政権は今忙しくてそれどころじゃない?
知らん。やれ。
まぁとにかくそんな具合で実に滞在に難があるゲヘナなわけであるが、さらに面倒なのはどうやら犯罪王リュウタロウがかなり周知されている点である。
それも超凶悪犯としてではなく、超高額賞金首として。
そのため────
「見つけたぁ! 10億円!」
「10億円んんんん! 10億円が逃げる! 追え! 追ええええええええええええええ!!」
このように、賞金目当ての連中に数時間ほど追い回された。
呼び方が犯罪王とかリュウタロウではなく10億円である。いやまぁ確かに賞金額は10億円……最近はカイザーが追加で2億をかけて12億円であるが、流石に金額で呼ばれるとはリュウタロウも想定外であった。
何とか撒くことは出来たものの、これからは変装は必須であるとリュウタロウは痛感した。
なので、現在は白いマスクと黒いコート、黒い中折れ帽で正体を隠している。
勿論、どれも略奪品だ。安物をブランド品として売りつける悪徳ブティックがあってくれて助かった。
見た目としては不審者感満載であるが、似たような格好はそこかしこにちらほら見かけられるので問題はない。
流石は治安最悪の学区である。……勿論褒めてはいない。むしろ貶している。
ただこれが通用するのはゲヘナだけで、その他の学区では普通に通報されそうなので、新しい変装の方法は考えなければならないが。
「……ふぅ」
息を吐き、適当な公園のベンチに座る。
もはや疲れなどほとんど感じない体になったはずであったが、何だか精神的に疲れてしまった。
これが旅疲れと言うやつだろうか。それとも普通にゲヘナがヤバすぎるだけなのだろうか。
どちらにせよ、今のリュウタロウには休憩が必要であった。
中折れ帽で日差しを遮り、目を閉じる。
このような治安の場所で睡眠が取れるわけもないが、しかしそれでも心と体を休めるためには暗所が必要なのである。
「…………どうも」
と、そうしてしばらく休息を取っていると、1人の生徒が現れた。
蝋のように白い肌が美しく、後頭部から生えた黒い角と赤い目がどこか怖い印象を与える、全体的に線の細い少女だ。
「隣、いいですか」
「……構わない」
そう返事すれば、少女は俺の隣に腰掛ける。
距離が狭まり、彼女の聞いているだろう音楽がイヤホンから漏れて聞こえて来た。
どうやらロック系が好みであるらしい。
まぁ、うん。見た目の印象通りだ。
「…………それで、犯罪王様はこんなとこで何してるの」
出し抜けに、少女はそんな事を言う。
リュウタロウはひどく驚いた。
何故驚いたかと言えば、それは────
「お前は俺のことを10億円とは呼ばないのか」
「…………」
つまりそういう事であった。
こちらに来てから自らの事を10億円と呼ばない人間は、彼女が初めてだったのである。
ゲヘナにはもうそういう連中しか居ないのではないかと半ば諦めていたリュウタロウにとって、それはまさに青天の霹靂のようであった。
「……大変なんだ。犯罪王様も」
「そうだな。大変だ。まぁ、だからと言ってやめるつもりはないが」
今のリュウタロウにとって、犯罪王の称号はアイデンティティである。
みすみす手放してやるわけがない。
もしリュウタロウが犯罪王の冠を下す事があるのなら、それは犯罪王に代わる自らのアイデンティティを得た時か、元の世界へ帰る時である。
「しかし、どうして俺がそうだとわかった?」
「銃を持ってない生徒は元より、男子生徒なんてあなた以外に居ないし」
「……それもそうだな」
確かに言われてみれば今までに出会った生徒達は皆銃を所持しており、尚且つ女子だ。
例外なく、全員がそうであった。
と言うかなんならこちらに来てから人間の男というものを見ていない。
何だろう。男は女に淘汰されてしまったのだろうか。それとも男子という存在はこの世界には本来存在し得ない特異点なのだろうか。
まぁ、そんな事はリュウタロウの知ったことでは無いが。
リュウタロウとていきなり連れ去られた身である。
こちらが文句を言う筋合いならあるが、向こうがリュウタロウの存在に文句を言う筋合いはないと言うものである。
「で、お前は俺が犯罪王だとわかって俺の隣に座ったわけか」
「せっかく見かけたから、どんな人か気になった。それだけ」
「……危険だぞ」
「生徒相手には手を出さないって聞いたけど」
「…………まぁ」
確かにそういう事にはしているが、それでも警戒心が薄いというか何というか……
賞金稼ぎならともかく、凶悪犯罪者に好んで近づく奴など居ないだろうに。
「……一応聞いておくが、賞金稼ぎでは無いな?」
「違うよ」
違うらしい。
「それで、犯罪王様はいつまでここにいるつもりなの?」
「それがこのベンチという意味ならば直ぐに出るつもりだし、ゲヘナという意味なら長くて1週間だ」
リュウタロウの前回の失敗は、あまりにも長い間同じ場所に留まり続けてしまった事だ。
このような事をするのだから、やはり同じ場所にはとどまらず、移動し続ける事が重要なのだ。
「そう。じゃあ、頑張って」
「ああ、そのつもりだ」
ベンチから立ち上がり、中折れ帽を被り直す。
「ゲヘナには大企業があまりないけど、その分中小企業とか個人経営の小売店とか飲食店がいろいろやってるから」
「ほう」
「余計なお世話だったかも知れないけど」
「いや、感謝する。では、その方向でいこう」
コートの裾を翻し、リュウタロウはゲヘナの街を行く。
結局彼女が誰で何がしたかったのかはいかんせんよくわからないが、まぁ情報提供をしてくれたのでヨシ。
リュウタロウのゲヘナ生活、開始である。
見知らぬ少女からの情報提供を受け、中小企業や個人経営を主な対象に活動を開始したリュウタロウがまず第一に気付いたことは、ブラックマーケットのそれと比べて、悪徳具合があまりにも露骨であると言うことだ。
いや、本当に露骨なのだ。
何と言うのだろう。店構えから胡散臭さが滲み出ているとでも言えばいいのだろうか。
前面に押し出す情報を出来るだけ見栄え良くし、とにかく客を店内に引き込もうとする考えが透けて見えるようなのだ。
おかげで潰した悪徳店舗が百を超えたあたりで、リュウタロウは店構えを見るだけで悪徳か否かがわかるようになってしまった。
例えば飲食店。
早い、安い、美味いとか書いてあればその時点で悪徳である。
そう言う店に入ったとしても手抜き料理しか出てこないし値段もぼったくりだ。
メニュー表の料金自体は安いのだが、着席代とかテーブル代とかその辺で料金を釣り上げられる。普通に詐欺だ。破壊した。売上金も奪った。
そして奪った金は地上げを狙う悪徳業者に目をつけられ立ち退きを迫られる、学生向けの安い食事を提供していた店の店主に寄付した。
で、本当に早いし美味い店もあるが、そう言う店が出しているのは市販の冷凍食品だ。
そして値段は通常の販売価格のおよそ1.5倍から2倍。
飲食店を舐めてんじゃねぇぞと言う話である。
もちろん破壊した。売上金も奪った。
奪った売上金は冷凍食品メーカーに還元した。
あとはネットを見て評価が3以上であれば、その店も大概悪徳である。
と言うのも、ゲヘナの悪徳飲食業者たちは評価操作を当然の如く行なっており、自身の店には大量の高評価を、そして他社の店には大量の低評価を爆撃するのだ。
なので評価操作を行なっていない善良な飲食店は軒並み評価1近くであり、評価2や3になるのは一部の人気な店。
逆に言えばそうでない限り評価3を超えるのは評価操作を行なっている店は悪徳と言える。
当然の如く見つけ次第破壊した。売上金も奪った。
奪った売上金は真っ当な経営をしていた店に寄付した。
……とまぁ、例えとして飲食店を紹介したが、当然ながら飲食店以外にも悪徳店舗は幾らでもある。
この分であれば、彼女からもらった地図に記されている場所は殆どこのような悪徳店舗ばかりであろう。
そして現在リュウタロウが潰した店の数は、地図に記されている印の数の5分の1にも及ばない。
更には潰した店から発覚した悪徳フランチャイズ元や悪徳仕入れ先も破壊しなくてはならないのだから大変すぎる。
「何なのだこの場所は……」
流石のリュウタロウも、そうぼやかずにはいられないのであった。
今も恐らく悪徳飲食点であろう店の中にいるが、明らかに店員の対応がクソであるし店内の空気もどこか埃っぽい。
まぁ料理は手抜きと言うわけでもなさそうなので、もしかしたら見逃せる類の店かも知れないが……
「お会計3万8千円になりまァす」
「……間違いでは無いな?」
「えぇ、まぁハイ。ウチ、高級店ってことででやってるんで」
高級店とは。
あまりの滑稽さに思わず失笑が漏れてしまうと言うものである。
「店頭には安さを売りにしている宣伝文句が謳ってあったと思うのだが?」
「は? 何ですかお客さん。もしかして払わないつもりですか? 犯罪ですよ?」
……ふむ、成程成程。そう来るか。
不衛生な店内環境、店員の対応の悪さ、詐欺、恐喝。
まぁ、野球で評価するなら27アウトと言った所であろう。
つまりゲームセットだ。
「えっ……ぎゃあああああああああああああああああ!?」
こうしてまた、悪徳飲食店がゲヘナの自治区から一つ消えた。
「ああああああああああああああああ! もおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 何なんだよもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
一方その頃。
ゲヘナ学園風紀委員会情報部では、3年生である情報部長が頭を抱えていた。
理由は実に単純。ただでさえ政権交代だの何だのと色々とゴタゴタして忙しいのにも関わらず、犯罪王リュウタロウとか言うぽっと出の厄ネタが暴れ散らかしてくれたからである。
「何だよこの影響力! 何でゲヘナ中の不良どもが集団大移動起こしてやがるんだよ! そんで何でウチの上層部のアホどもはノリノリなんだよ! 今それどころじゃねぇってわかんねぇのかなああああああああああああ!?」
彼女の嘆く通り、リュウタロウは彼の預かり知らぬ所で、ゲヘナに甚大な影響を与えていた。
リュウタロウの賞金を目的とした不良たちの大移動はその最たる例であり、その他にも様々な影響がそこかしこで、良し悪しを問わず大量に発生していた。
例えば法外な値段で製品を販売していたメーカーの幾つかが緊急値下げを発表したのは良い影響であるが、幾つもの小売店が夜逃げをし始め、製品の供給に翳りが見えるようになったことは悪い影響である。
ただでさえ色々とやらかしてくれた雷帝の後始末で大変なのである。
風紀委員会としては出来る事ならば早急に犯罪王を逮捕……は、難しいにせよ何とかゲヘナ外に退去させ、事態を収集させたい所であったが、これに待ったをかけたのが上層部。
『キキキッ! 見ろ! あれこそが自由と混沌の具現! ゲヘナの在るべき姿だ! 彼の者の邪魔は何人たりとも許さん! 彼の者を讃えよ! 彼の者の銅像を用意するのだ! キキキキッ!』
とか言う訳のわからん事をほざきやがるドアホに何を思ったのか知らんが他の連中も賛同し出し、風紀委員会に犯罪王への干渉を禁ずるとか言う意味不明な命令を下してきたのである。
風紀委員会の血管は怒りで破裂寸前であった。
「何なんだよコイツぅうううううう! 本当に何なんだよコイツぅうううううう!! 無茶苦茶すぎて意味わかんねぇぞクソがぁあああああああああああ!!! 何でたった一人にこんな……うわ、うわぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」
情報部長ご乱心である。
しかし、情報部室に情報部長を止める者はいない。
皆、自分の仕事に精一杯だからである。
「……大変ね」
特徴的な白い長髪の少女が、コーヒーを啜りながらまるで他人事のように呟く。
とうとう頭のイカれた情報部長が彼女に命令を無視した出撃命令を下すのは、その次の日の話であった。
ゲヘナ生活7日目。
いよいよゲヘナでの生活も終わりである。
日を跨ぐごとに増える賞金目当ての少女たちとの追いかけっこもそろそろ終わりかと考えると、どこか感慨深い……なんて事はない。むしろ清々する。普通に迷惑だっただけである。
しかし終わりだからと言ってやる事は変わらない。
悪徳な大人たちを成敗するのだ。
「……さて、今日はどこに行くか」
そう呟くリュウタロウが跨るのは、見るからに厳つい改造の施されたバイクである。
4日目だか3日目だかに叩き潰した、客から修理を頼まれたバイクをビッ◯モーターする悪徳バイク店から有り難く頂戴したもので、500馬力2000ccとか言う化け物だが、リュウタロウにとってはこれぐらいが丁度いい。
そして勿論だが免許は無い。そしてヘルメットも無い。
無免許運転にしてノンヘル運転であるが、そこは犯罪王である。
むしろ犯罪王が有免許とかヘルメット付きとか、称号への冒涜であると言える。
悔い改めるように。
「……むぅ」
ゲヘナの街で賞金目当ての連中を軽くいなしながら、リュウタロウはバイクを乗り回す。
そうして風を感じながら、街並みを見渡し、悪徳な店を探していくが……
「……見当たらないな」
そう、リュウタロウはパッと見で分かる悪徳店を、この5日間のうちに全て叩き潰すか、そうでなければゲヘナの外へと追い出してしまったのである。
無論、全ての悪徳な店や企業がそうしたわけではなく、まだ幾つかは残っているのだろうが、しかしそれを調べるだけの時間も技術もリュウタロウは持ち合わせない。
そう、今のリュウタロウは自らの知覚できる悪にしか対応できないのだ。
「……これは、由々しき問題だ……!」
それを悟った瞬間、リュウタロウの体に電流が走るようであった。
真の悪は水面下で、誰にも気づかれないように動くもの。
それに対して今のリュウタロウのしている事は池の表層を泳ぐ小魚を掬い取っているだけ。
水底を蠢く真の巨悪を、そもそもリュウタロウは捕捉できないのである。
犯罪王の名折れだ。屈辱だ。そんな事は許されない。
「……協力者が必要だ」
そう、協力者だ。
例えばバットマンのアルフレッド・ペニーワースのような。
水面下に蠢く情報を拾い上げてくれるような、そんな協力者が必要だ。
しかしそんな人材が、容易く見つかるはずもない。
まぁ、根気強く探すしかないのだろうが……しかし、それまで水面下を蠢く巨悪どもに対抗出来ないのが何とももどかしい。
どうにかこうにか、上手くできないものだろうか。
「─────!!」
と、そんな風に考え事をしていると、目の前に一人の少女がこちらを向いて仁王立ちしていることに気が付いた。
リュウタロウは慌ててブレーキをかけつつハンドルを切り、少女を追い越しながら金田の如き3点ブレーキを決める。
……ちなみにこのブレーキ方法に意味は無い。やろうと思えば普通に止まれたのだが、やってみたくなったのでやってしまっただけである。
荒んでしまったリュウタロウの心の中にも、男心は未だ燻っていたのだ。
「……危ないな。車道の真ん中で仁王立ちとは」
「そうね。次からは気をつけるわ」
バイクから降りながら、目の前の少女を観察する。
白く、もこもことした特徴の長髪に、アメジストを思わせる紫色の瞳。
後頭部からは大きな角が生え、スカートの下からは蝙蝠の皮膜のような翼が広がっている。
そして他の生徒とは一線を画すような、明らかに巨大で物々しい光輪が目立つ、小柄な子だ。
肌は白く、線は細く、体格で判断するのならば見るからに弱々しいが、しかし彼女の佇まいと纏う雰囲気が、彼女が只者でない事を示していた。
リュウタロウの知る中では、美甘ネルのそれが最も近いだろう。
「それで、俺に用があったようだが」
リュウタロウが彼女の腕に視線を移す。
そこには、風紀と記された赤い腕章が付けられていた。
「ええ、そうね。あなたに用があるの」
ガチャリ、と。
少女が自身の背丈よりも大きい機関銃をどこからともなく取り出し、構えた。
紫色の淡い光を放ち、黒色の瘴気を滲ませるそれは、見るからにただの銃ではない。
「大人しく、捕まってくれないかしら」
紫の閃光が走る。
次の瞬間、殺到するのは卵大の大きさを持った紫紺の光弾の嵐。
音速にも近い速度で発射されたそれらが街路樹を薙ぎ倒し、道路を抉り、バイクを木っ端微塵に破壊し……そして、幾つもの光弾の連続攻撃がリュウタロウの体を吹き飛ばした。
「ぐっ」
ゴチン、と。派手な音を立てて後頭部から地面に叩きつけられる。
「……痛ぇ」
「…………本当に、滅茶苦茶な硬さね」
「まぁ、効きはしたがな。……一応、自己紹介をしておこう。瀬治山リュウタロウだ。知っての通り、犯罪王と呼ばれている」
「空崎ヒナ。一年生。情報部所属だけど、命令であなたを捕まえに来た」
瞬間。ヒナが翼をはためかせたかと思うと目にも留まらぬ速さでリュウタロウに肉薄し、リュウタロウの頭に銃口を突きつけてその引き金を引く。
実に容赦の無い、確実にリュウタロウを倒すための不意打ちに近い攻撃であったが、しかし人外のそれと化したリュウタロウの動体視力はその一連の動きを知覚し、銃を突きつけられるよりも先に回避行動を取っていた。
「!」
銃口から発射される弾丸が遥か空の彼方へと飛び去ってゆく。
そんな中、ヒナはすぐに反応してリュウタロウに蹴りを叩き込もうとするが、リュウタロウは脚に速度が乗る前に軽く手を添えることによって蹴りの動作そのものを防ぐ。
「ッ!」
ヒナはリュウタロウからの反撃を予測するが、しかしリュウタロウは動かない。
バッと、ヒナはリュウタロウから距離を取る。
「聞いていた通り、強いのね」
「身体能力だけだ。技は素人に毛が生えた程度でしかない」
事実、リュウタロウの戦闘はその圧倒的な身体能力にものを言わせた荒削りなものだ。
技のように見えるものも、あくまで強すぎる身体能力で以て無理やり成立させているだけに過ぎない。
「……理解できないわね。それだけの力を持つブラックマーケットの犯罪王がこんな所にまで来て、やる事が店を潰すだけだなんて」
「悪徳な大人を潰し、肥やした私腹を捌き、善良な大人と生徒たちを救う。あくまでそれが俺の目的で、たまたまゲヘナの悪徳な大人がそこらの店に多かっただけだ」
「…………まぁ、そうね。否定はできないかも」
実際ヒナにも心当たりはあったらしい。
「でも、それが目的だと言うのなら、やり方は他に幾らでもあった」
「だろうな。だがお前は知らないだろうが、俺にそんな選択肢は無かったのだ」
見知らぬ世界で、存在しないはずの人間が、法の庇護の無い犯罪都市で、たった一人。
それが、どうすれば真っ当な人生を送れただろうか。
どのような選択肢を取れば、リュウタロウは犯罪者にならずに済んだのだろうか。
あそこにずっと座り続ける、死人のような生者でいればよかったのだろうか。
教えてくれるのならば教えて欲しいものである。
「……私は知らない。あなたの事情を」
「だろうな。お前は俺の事情を知らない。幸せで真っ当だった俺も、理不尽に全てを失い、理不尽を得た俺の挫折も、お前は知らない。そして、俺もお前の事情を知らない。それだけだ」
突き放すように、リュウタロウは突き付ける。
「ではな。縁があったらまた会うこともあるだろう」
バッと。リュウタロウは踵を返して逃走を図る。
バイクは破壊されてしまったので、当然
「っ、逃がさない……!」
当然の如く、ヒナは逃げるリュウタロウを追う。
しかしリュウタロウは速い。
男と女では歩幅が違ければ脚力も違うのだ。
見る見るうちに、ぐんぐんとその距離を離される。
「………くっ!」
苦し紛れに銃撃を放つヒナであるが、まるで背中に目がついているかのようにリュウタロウはヒラヒラとその銃弾を避けてしまう。
「……これ以上は無理ね」
ヒナはもう豆粒のように小さくなったリュウタロウの背中を見つめ、呟く。
その心の中には、先程のリュウタロウの言葉が渦巻いていた。
「…………ふぅ」
数時間ほど走り続け、リュウタロウは相当田舎の方まで流れてきた。
もうここまで来れば大丈夫だろう。
追手も流石にここまでは追跡できないはずだ。
「…………」
さて、この後はどうしようか。
そう思ってリュウタロウはスマホを開き、現在地を確認してみれば、どうやらもうしばらく歩けばトリニティの自治区に辿り着くようだ。
となれば、もうトリニティに行くしかあるまい。
辺りはもうすっかりと暗くなってしまったが、どうせリュウタロウは疲れも眠気もほぼ感じない。
後少しなのだから、歩いて向かうことにしよう。
トリニティ総合学園。
ゲヘナと肩を並べる、深い歴史を持つ学校。
少なくとも治安はゲヘナよりもマシだろうが……どんな所なのだろうか。
まぁ、どうせやる事は変わらないが。