連邦生徒会の犯罪王リュウタロウに対する完全敗北。
そのニュースは瞬く間にキヴォトス全土に広まり、そしてキヴォトス全体を揺るがした。
いじめの犯人を擁護するかの如き動きを見せたことで、ただでさえ不信感を抱かれていた連邦生徒会の信頼は低迷し、逆に犯罪王リュウタロウの名声は高まるばかり。
いよいよメディアまでもがリュウタロウを英雄視しするような記事や番組を流し出し、連邦生徒会はキヴォトス全学校の代表たる行政機関として早急な信頼回復とリュウタロウへの対応を求められたが、しかし遂に目前に控えた卒業式のための準備に追われ、思うような行動が取れない。
唯一救いと言えるのは、連邦生徒会、ひいてはヴァルキューレやSRTの信頼が失墜してなお犯罪件数が増加せず、むしろ事件前と比べて明確に減少したことで、卒業式の準備が例年よりも圧倒的にスムーズに進んでいることだ。
ただ残念なのは、これが完全に犯罪王リュウタロウによる影響であったことだ。
リュウタロウは連邦生徒会を打ち負かした後も一週間ほどD.U.に留まり、その間に起こった事件を次々と解決せしめたのである。
例えば不良生徒による地下鉄のジャック。これをリュウタロウは走り続ける電車に直接乗り込み、車掌室の前に陣取った。
それにより停車を防ぐことができなくなった不良生徒達はあえなく次の停車駅で捕まり、矯正局送りとなった。
無論リュウタロウは余裕で逃げ去った。
怪我人は不良生徒がリュウタロウの到着前に発砲した数名を除けば、ゼロであった。
例えばヘルメット団による立てこもり事件。
数名の人質がおり、ヴァルキューレも突入を躊躇っているところにリュウタロウが到着。
圧倒的すぎる速度で人質を全員救出し、また即座に戦線を離脱した。
その後すぐに突入したヴァルキューレによってヘルメット団は全員が捕えられたが、大衆はこれを完全にリュウタロウの手柄とした。
例えば連邦生徒会に対する複数の企業の連合による挙兵。
多数の傭兵を雇った企業連合はリュウタロウを正義とし、それを敵対視する連邦生徒会を悪としたが、リュウタロウは企業連合こそが悪と断じた。
その結果どうなったかは語るまでもない。
────とまぁ、この通りだ。
これらの一連の事件によって犯罪王の名声は更に高まり、また同時並行して行われた悪徳企業への粛清もそれを助けた。
メディアが大々的に、かつ率先して報じたのも大きい。
『あらゆる悪徳と悪辣を働けば、漏れなく犯罪王の粛清の対象となる』
大人から生徒まで、キヴォトス中の人間がそのことを理解させられた。
こうして犯罪王の名は、名実共に悪への抑止力と化したのである。
…………とは言え、あらゆる悪徳と悪辣が無くなったわけではない。
目立つような小悪党が少なくなっただけで、水面下では無数の巨悪が蠢いているのだ。
更にリュウタロウの場合は一度に複数箇所の事件に対応できないと言う欠点も抱えていた。
当然、このままにしておくわけにもいかない。
リュウタロウにも、犯罪王として一歩上のレベルに上がることが求められていた。
そして例の事件から一ヶ月後。
卒業式が終わり、春休みを迎え、新たな年度が始まりゆく中。
リュウタロウはと言うと、自らの始まりの場所であるブラックマーケットに戻って来ていた。
以前にしこたま煮湯を飲ませてやった悪徳どもがその熱さを忘れていないかの確認のためでもあり、犯罪王として一歩上のレベルに上がる準備のためでもあった。
そして、案の定と言うべきかブラックマーケットの小悪党どもは熱さを忘れていた。
盗品オークションに悪質キャッチセールスに詐欺にと、リュウタロウが本格的に活動を始めた頃と比べればやはり規模こそ縮小しているものの、悪徳は悪徳。
取り敢えず目についたものは片っ端から叩き潰してゆく。
「は、犯罪王だ! 犯罪王が帰って来たぞぉ!?」
「クソッ、もうしばらくは帰って来ねぇだろうと思ってたのに!」
するとすぐにブラックマーケットは蜂の巣を突いたような騒ぎになり、数十秒もすればリュウタロウの目の前からあらゆる人影が消えた。
つまるところ、それだけ自分が粛清対象であると言う自覚のある連中が多いのだろう。
「……どうするかな、これは」
リュウタロウとて無法市の存在意義は理解している。
ここは無法であるからこそどこからも爪弾き者として扱われて来た者達の受け皿であり、法で規制された商品を購入できる唯一の場所であるのだ。
また、この場所にキヴォトス中の悪徳を集約する事で、その他の地域で悪徳がのさばる可能性を減らす、いわば掃き溜めのような役割も果たしているとも言える。
ブラックマーケットとは今のキヴォトスにとって、あって欲しくはないが、しかしあってくれると何かと便利な場所なのである。
そして、ブラックマーケットがブラックマーケットたるその特性故に悪徳がのさばるのは仕方がない事だと言えるが、やはりどうしても悪徳は許し難い。
「秩序さえあれば良いのだが」
悪徳である事と違法である事は必ずしもイコールではない。
たとえ無法であっても秩序を敷き、悪徳を無くすことはできる。
『ブラックマーケットで悪徳を働いてはならない』
そう言ったマナー、或いは不文律、或いは礼儀が広まり、浸透さえすれば、ブラックマーケットの良い特性を維持しながらも、悪徳を無くすことができるはずだ。
……できるはずだが、それは机上の空論ですらないリュウタロウの構想の話。
実現させようと動いたところで、今のリュウタロウの実力では最終的にリュウタロウの恐怖政治になるか、或いはブラックマーケットそのものが消滅すること請け合いだ。
「……あー……協力者が欲しい」
リュウタロウは切実に、心の底からそう願った。
頭のいい協力者が欲しい。知略に優れ、思い通りに人を動かす力があれば最高だ。
他にはリュウタロウの思想を理解してくれて、尚且つある程度の力を持つ、リュウタロウの指先となってくれるような協力者も欲しい。
あと天才凄腕ハッカーも欲しい。一箇所に留まりながらキヴォトス全土の情報を深部まで探れるような、そんな天才凄腕ハッカーの協力者も欲しい。
だがしかし、そんな人材がそう上手く見つかれば誰も苦労しないというもの。
この世界はそんなに甘くできていないのである。
「……はぁ」
とは言えそう言った協力者が見つけられなければ、リュウタロウが犯罪王としてより上のレベルに上がれないのもまた事実。
新学期が始まる前には、1人か2人ほど、良さげな人物を見繕っておきたかった。
リュウタロウの思想が理解でき、実力が十分で、なおかつ臨機応変な対応ができる者であれば最高だ。
「その点、ネルなんかは理想的なのだがなぁ……」
「おう、あたしがどうしたって?」
「む」
背後からの声に振り返る。
するとリュウタロウの視界を埋め尽くすのは二つのサブマシンガンから連射された弾幕。
流石にこの状況から避ける術はリュウタロウも持ち合わせない。
リュウタロウはその全てを顔面で受け止めることになった。
「……痛い」
握り込まれた砂を顔面に叩きつけられた気分である。
幸いにも銃弾は目の中や鼻の中、口の中には入らなかったが、顔中が痛い。
「これだけやってようやく痛いの一言かよ。本当にふざけた硬さしてやがるな」
「俺とてなりたくなってなったわけではない」
今となっては有難いと感じるようにもなってしまったこの頑丈さであるが、最初の頃はこの頑丈さにリュウタロウがどれだけ苦しめられたことか。
棒立ちの状態で自動車にぶつけられても子供にタックルされたくらいの衝撃しか感じず、逆に車が吹き飛んで行った時など、いよいよリュウタロウは自身の異常性に恐怖を覚えたものだ。
「しかし、久々だな、ネル。変わりないようで安心した」
「おう。本当に久しぶりだ。2ヶ月ぶりくらいじゃねーの? まぁその間にお前の方は随分と有名になったみてーだが」
実際、2ヶ月ぶりになるのだろうか。
ゲヘナとトリニティ合わせて2週間と少し、そこからD.U.で1週間近く過ごして、そこからまた2、3週間ほど別の場所を回っていたわけであるから、確かに2ヶ月ぶりだ。
「んで? さっきあたしの事を言ってたみたいだが、あたしがどうしたってんだ?」
「あー……まぁ、そうだな。立ち話もなんだ。座って話そう」
「いいぜ。ちょうどあたしもどっかに座りたかったところだ」
と、そうしてそこらを探索していると、喫茶店のバルコニーあたりにでも置いてありそうな、洒落た机と椅子が道端に置いてあった。
一体何故こんなところにと、それの置いてあった店の看板を読めば、どうやら金属製のものを買い取る換金屋のようだった。
恐らくこの椅子と机は本当にどこかの喫茶店のものであり、誰かがこれを盗んでここに持ち込んだのだろう。
悪徳の所業には違いないが、しかしまぁ、今はちょうどいい。
椅子の数も二つだったので、遠慮なく座らせてもらう。
「んで? あたしが何だって?」
「いや何、最近、自分一人での活動に限界を感じていてな」
椅子に座るや否や彼女はこちらに質問を投げかけて来るので、こちらも早速本題を話す。
彼女との会話で気楽なところは、辺な気遣いをしなくてもいいところだった。
「特に調査力の無さと、同時に複数箇所で活動できないのが致命的だ。犯罪王としてああも名を上げてしまった以上、弱点をそのままにして舐められることは避けたい」
「あー、成程な。んで、あたしみたいな人材が欲しいって事かよ。言っとくがあたしは無理だぞ。アスナも無理だ」
「知っているとも。ただ、お前があまりにも俺にとって理想的だったと言うだけだ」
リュウタロウの思想をある程度理解してくれていて、実力は確実に十分以上。
更には豊富な経験に基づいて、不測の事態にも機転を効かせる事が出来る。
リュウタロウの指先として、これ以上の人材はそうそういないだろう。
「バッ、いきなり何言って……あーもう、何だってリオといい言葉が足りやがらねぇ……アレだろ? あたしがお前の協力者として理想的だって話だろ?」
「そう言ってるが」
「…………あぁ、おう。そーだな」
ネルの咎めるような視線が刺さる。
何か変なことをしてしまっただろうか、とリュウタロウは不安になった。
「……はぁ、それで? あたしみたいなのが欲しいのは分かったが、他にはどんなのが欲しいんだ?」
「俺の思想を理解してくれるのは前提として、大局を思い通りに動かすことの出来るほどに知略に優れた者と、一箇所にとどまりながらキヴォトス中の情報を深部まで探れる天才凄腕ハッカーだ」
「マジかよ。お前、そりゃあ……」
「高望みしすぎているのは自覚するところだ」
ただ、これはあくまでも『こんな人材がいたらいいな』と言うリュウタロウの理想である。
絶対にどこかで妥協が必要になるだろう事は、リュウタロウも理解していた。
「いや、もしかしたらその条件に合う奴を一人、紹介できるかもしれねぇ」
「何だと?」
しかし、ネルの口から飛び出したのは意外も意外な発言。
まさかそのような人間が本当に存在するなどとは思っていなかったリュウタロウにとって、それはまさに奇跡と言って差し支えなかった。
当然、このような機会を逃す手は存在しない。
「頼む。その人物を紹介してくれ。その見返りは必ずする!」
「心配しなくても元からそのつもりだっての! ……まぁただ、アイツがお前に協力してくれるかはわかんねぇし、そもそもお前がアイツを気にいるかもわかんねぇぞ」
そう告げるネルの表情は、何だか浮かないものだ。
リュウタロウは、そんなネルを見て一抹の不安を感じずにはいられない。
「その人物に何かあるのか?」
「……実力は確かなんだが、その分リオに……うちの次期会長に警戒されててな。まずお前に協力できるかわからんし、何より本人の性格がな……」
非常に難アリ。
言葉にはしていないが、ネルの表情は確かにそう語っていた。
ネルがそう表現するということは、それだけヤバい人物なのだろう。
リュウタロウは紹介してもらうのをキャンセルしようかとも一瞬だけ思ったが、しかし、背に腹は変えられない。
「……まぁ、天才とは得てしてそういうものだ。ある程度我慢さえすれば心強い協力者が得られるのなら、俺は我慢してみせよう」
「そりゃあそうなんだが…………あぁもう、面倒くせぇ!」
突然、ネルが大声を上げて立ち上がる。
「お前そのスマホ、ぶっ壊れても大丈夫なヤツだよな!?」
「ん? まぁ、元より地図と検索機能くらいしか使っていないし、代わりはいくらでも利くが」
「ちょっとそれ貸せ!」
ネルの要求に応え、リュウタロウがロックを外してスマホを差し出すと、ネルはそれを即座に奪い取り、何やら乱雑に操作し始める。
その顔はリンゴのように真っ赤であり、冷静でない事は明らかであった。
「ホラ!」
もしや本当にぶっ壊されるのではないかと途中から不安に思っていたリュウタロウであったが、しかし意外にもあっさりとスマホは返って来たし、動作もちゃんとした。
ならば何をしていたのだろうと調べてみれば、モモトークのトーク欄にネルの名前が追加されているのを発見する。
……いや、これとスマホが壊れる云々の話にどう繋がりがあるんだ?
「これであたしがアイツに話をつければ、アイツの方からお前に接触して来るはずだ」
「……モモトークでか?」
「それだったらいいんだが、アイツの場合初手でハッキングかまして来るかも知れねぇ。そのスマホが二度と使えなくなる事は覚悟しておけよ」
「……ああ、わかった」
「分かったんならいい、じゃあな! 元気でやれよ!」
「お、おう……」
そう言って真っ赤な顔のまま、ネルは凄まじい速度で走り去ってしまった。
……何か気に食わない事でもしてしまっただろうか、とリュウタロウは不安になる。
せっかくキヴォトスの地で出来た貴重な友人の一人なのだ。決して失いたくはない。
もし本当に機嫌を損ねていたのならば、今度会った時にきちんと謝らねば。
「……ああ、いや」
そういえば今はモモトークが繋がっているのだったとリュウタロウは思い出す。
取り敢えず、『何か気に障った事があるのなら謝罪する。申し訳ない』とでも打っておこう。
……しかし、ネルの紹介してくれる人物は一体どんな人物なのだろうか。
楽しみではあるが、同時に恐ろしくもある。
何にせよ、味方には引き入れたいところだ。
さて、そんなわけで、幸運にも一応凄腕のハッカーにアポイントメントらしきものを取り付けることのできたらしいリュウタロウ。
持つべきものは友であるとはよく言われるが、正しくその通りであろう。
ネル曰く向こうから接触が来るということでリュウタロウはそれを待つとして、リュウタロウが次に行ったのは自らの装備の調達であった。
それは自らの銃という話であったし、また、自らの服という話でもあった。
まず銃に関してであるが、ゲヘナで出会った少女に曰く、キヴォトスで銃を持っていない事は異端のそれであるらしい。
なので一応リュウタロウも変装の一環として適当な小銃を購入してはいたものの、しかし自らに合ったものであるかと問われれば確実にそうではなかった。
見た目だけの安物なので当然といえば当然であったのだが、それにしてもリュウタロウにとってその銃はあまりにも軽すぎたのだ。
更にはキヴォトスでは所持している銃の質がそのままステータスに直結するらしい。
なので人々は銃にこそ金をかけ、装飾したり手入れしたりするのだとか。
そうであるのなら、手入れもされていない安物の銃一つというのは、犯罪王のイメージにはあまりにもそぐわなかった。
折角ならば実用性もあり、手入れのしがいもある銃が欲しい。
そこでリュウタロウが欲したのはHELLSINGのアーカードの持っていたウォルター製のパーフェクトな銃、ジャッカルであった。
流石に純銀製マケドニウム加工弾殻だの法儀式済み純銀弾頭だのを使ったものでは無いにせよ、しかしとにかく重い拳銃をリュウタロウは欲した。
とはいえそんなものがそこらのガンショップに売っているはずもなく、確実にオーダーメイドが必要であった。
そこでリュウタロウが訪れたのはブラックマーケット随一と謳われる銃の工房。
法外な値段を要求されるが、望んだものを作ってもらえるという、いわば裏社会の重鎮達が自らの格を高めるために利用するような場所であった。
「……犯罪王か。とうとう儂を粛清に来たな?」
「そういうわけではない。俺はただ依頼に来ただけだし、そもそもここは粛清対象になっていない」
実際、この銃工房は黒か白かと問われれば間違いなく白。
裏社会からの依頼を多く受け取っており、法外な値段を要求しているものの、元より店側に客は選べず、また優れた技術には相応の価値があるものである。
犯罪者とてコンビニは利用するものであるし、そうでなければ高級時計なんてビジネスも通用しないのだ。
本人が悪徳を働いているわけではない以上、犯罪王の粛清対象にはならない。
まぁ、生徒の娘がやらかしたとかであればその限りでは無いが、少なくともこの職人にそのような話は聞かない。
「何じゃと?」
「拳銃だ。拳銃を依頼する。とにかくデカくて重いものだ。理想は39cm16kg」
ドン、と。金の入ったアタッシュケースを置く。
二億円程度であろうか。
「……良かろう。客なら、作ってやる」
と、そうしてリュウタロウ専用の銃の製作は始まった。
で、その完成を待っている間にリュウタロウが訪れたのは仕立て屋である。
リュウタロウは今までに幾度もなくその体に銃弾や爆弾を受けており、体は無事であってもその度に服がボロボロになっていた。
今まではその都度新しいものを略奪したり購入したりを繰り返していたものの、ずっとそれを続けるとなるとあまりにも面倒すぎた。
そこでリュウタロウは、もういっそのこと絶対に破れないし燃えない服を特注で作ってしまえばいいという結論に至ったのだ。
しかし、普通の仕立て屋に行こうにもリュウタロウはあまりにも有名になり過ぎてしまった。
なので絶対に客を選ばないであろうブラックマーケットの仕立て屋に頼むことにしたのである。
頼むのは先程の銃工房と同じような、腕は確かでクリーンだが値段だけが法外に高い店だ。
「もうこの際金属繊維でも何でもいい。重くても通気性が悪くても何でも構わん。破けなくて燃えない服を何着か作ってくれ。金に糸目はつけん」
「えっ、ああ、まぁ、はい。分かりました。折角の犯罪王様の頼みです、完璧に仕上げて見せましょう」
そんな具合で、店主が犯罪王のファンと言うこともあり、服の方もすぐに作ってもらえることになった。
銃も服も、3日以内には出来るそうだ。
楽しみである。
そうして銃と服の完成と、ついでに凄腕ハッカーからの連絡を待ちつつブラックマーケットの悪徳どもを粛清していた、その最中の事であった。
「どうも」
「…………どうも」
リュウタロウの目の前に、明らかに今まで出会ってきた存在と異なる、黒い人形の化け物が佇んでいた。
首から上や袖から覗く肌は黒人どころではなく真っ黒であり、マネキンのような髪のなくのっぺりした顔はひび割れ、そこから溢れる白い光が顔のような紋様を作り上げていた。
また、その格好は黒いスーツに黒いネクタイ、黒いズボン、黒い靴と上から下まで徹底して黒に覆われており、ただスーツから覗くシャツとハンカチだけが白かった。
「少々、お時間よろしいでしょうか。決して損はさせません」
「……内容による」
「
「………………いいだろう」
私は、と。自分一人だけであることを強調していることにリュウタロウは若干の意図を感じたものの、しかし話を聞かずに立ち去るのも違う。
死ぬほど怪しいが、取り敢えずリュウタロウは話だけは聞くことにした。
「こちらに」
そうしてリュウタロウが通されたのは、会社の応接室を思わせるような空間だった。
いや、事実としてここは応接室なのだろう。
「どうぞ、おかけ下さい」
「…………ああ」
黒い人形が指し示したソファに、リュウタロウは腰掛ける。
それが質の良い上等なソファである事は、座った感覚で理解できた。
そうしてリュウタロウがソファに座ると、その対面に黒い異形も腰掛ける。
「……まず、はっきりさせておきますが、我々に……いえ、私に、あなたと敵対する意思はありません。本当にあなたとは協力関係を結びたいと思っています」
「……その前に、自己紹介をするべきだと思うが」
「おっと、申し訳ありません。私は、キヴォトスの外から来た者。現在は『ゲマトリア』という名で活動する組織の、黒服と呼ばれている者です。この名は真名といわけではありませんが、元より私には名前の概念が薄く、そしてこれこそが最も気に入っている名前なので、そう名乗っています」
どうやら目の前の存在は、リュウタロウの常識の埒外の存在であるらしい。
そもそもこのキヴォトスやリュウタロウの現状も、リュウタロウにとっては常識の埒外ではあるのだが、目の前のそれはその更に大きく外に在った。
「犯罪王、瀬治山リュウタロウだ」
一応、名乗り返しておく。
「……さて、再び明言しますが、私にあなたと敵対する気はありません。本当に協力関係を結びたいと思っています。これは対等でなくとも構いません。あなたが望むのであれば、私はあなたの小間使いのような役割すら果たしましょう」
「……分からんな。何故そこまでして俺と協力関係を結びたがる。あからさまに裏がありますと言っているようなものだぞ」
ほんの一瞬だけ、リュウタロウは目の前のそれが自分のファンである可能性を考えたが、しかしそれはすぐに棄却された。
あまりにも目の前の存在が胡散臭すぎたからである。
目の前のそれが、キヴォトスの最深部かその近くに位置する存在であることを、リュウタロウは直感で理解していたのだ。
「ええ、裏はあります」
「……ほう?」
「私はただ、
「………………………」
その言葉に何か裏の意味がある事は、リュウタロウでも即座に察せられた。
「……それはお前の悪行を見逃せ、ということか?」
「いえ、それは違います。そんな事をすれば、あなたの粛清対象となってしまう」
「それはそうだが、であれば何だというのだ」
「深い意味は無いのですよ。ただ、
「……………要領を得ん」
リュウタロウは己の愚かさを呪った。
目の前の存在の意図を一切汲み取れない己の愚かさを。
「ただそれだけの、表面的な意味で受け取ってください。まぁ、こんな事を話すよりも、具体的な協力の内容について説明いたしましょう」
そう言って黒服が取り出したのは、一つの装置のようなものだった。
サイズはスマホほど。形状としては、握って使うもののようであった。
「……それは?」
「私の開発したものです。どうぞ手に取ってみてください」
「……」
言われるがままに手に取ってみる。
重さはそれほどでは無い。
「……?」
しばらく観察してみるが、何の仕掛けも見当たらない。
一体どんな用途に使うのか、想像もできなかった。
「これは何だ」
「神秘に対する防御手段であり、同時に反転を抑制するストッパー……まぁ、後者の方は気休めですが……有り体に言ってしまえばバリアですね」
「……ふむ」
試しに脳内でバリア出ろと念じてみる。
本当に出た。
触ってみる。
触れた。
全力で殴ってみる。
ヒビが入った。
本当にバリアらしい。
「……これを、俺にどうしろと?」
「差し上げます。どうかお役に立ててください……ああ、誓ってその装置にあなたの不利益になるような細工は施していません。本当です」
「……お前は俺に何を望んでいる?」
「いいえ、何も。ただ、私自身が善くありたいだけなのです」
「…………………」
本当に要領を得ない。
だが、『善く』ありたい……つまり、犯罪王であるリュウタロウと敵対関係にはなりたくないという望みは本物らしい。
「……貰えるというのなら貰っていこう。ただ覚えておくといい。俺はお前が悪徳を働いたのならば、容赦なくお前を粛清すると」
「ええ、それで構いません」
「………………ではな」
結局、リュウタロウは最後の最後まで黒服の真の望みを暴く事はできなかった。
外に戻り、外界の空気を吸って、リュウタロウはもう一度己の愚かさを呪ってから、再び無法市を歩き出した。