インフィニット・ストラトス ─蒼狼と黒鉄の霞─ 作:ダブスタ親父
最後のピース
ラスティが「二人から近距離戦を学べ」と告げたその日から、セシリアの生活は一変した。
彼の背中を見送った瞬間に胸に芽生えた悔しさと焦燥は、夜を越えても消えなかった。
誇りも努力も無残に打ち砕かれた──だが、その程度の事で立ち止まれるほど、彼女のプライドは脆くない。
故に二人に縋った。今までの自分では信じられない事だったと思う。頭を下げ、教えを乞う。箒と一夏はその覚悟を理解している。だからこそ返答は容赦が無かった。
『本気なら泣き言は許さない。血反吐を吐いてでも喰らい付いてこい』
その言葉の通り、想像すらしなかった苛烈な日々が始まった。
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放課後の武道場──窓から差し込む夕陽が床を朱に染める。
床板に滴る汗は幾筋もの跡を残し、湿った空気が喉を刺す。
道着は肌に張り付き、乱れた金髪が額から頬へと貼りついていた。震える手で木刀を握り、肩で息を吐くセシリア。
対するは息一つ荒らげずに竹刀を構えた箒。背筋は伸び、瞳には鋭い光。そこに友愛はない。あるのは“鍛える者”としての冷徹な覚悟だった。
「腕が伸び切っている! 腰を引くな! そんな間合いでは直ぐに懐に入られるぞ!」
怒号と同時に箒の竹刀が唸り、セシリアの木刀は無様に弾き飛ばされる。彼女の剣幕に圧され、尻餅を付いてその場に座り込んでしまう。
気圧され、呆然としている彼女に追撃のような声が浴びせられた。
「呆けている暇はない! 立てッ!」
箒の視線は鋭利な刃のようだった。逃げ場など無い。逃げる事も許されない。胸の奥が焼けるほど痛み、口内は血の味がする。足は鉛のように重い。それでも──彼女は木刀を拾い上げる。
「もう一本! お願いします!」
声は掠れ、呼吸は乱れていた。だが、その青い瞳だけは折れていなかった。
特訓終了後の夜。自室のベランダで夜風に当たりながら風呂上がりの湯気立つ手を眺める。傷だらけの手にはテーピングが巻かれ、今までの丹念に手入れをしていた手とは程遠い姿となっていた。
手を数度開いて閉じてを繰り返し、自分の実力を痛感する。自分の弱さと、臆病さも感じていた。もう痛みは感じない。けれど、それが今までの自分との訣別であるという事を無意識的に感じ取り、恐怖を抱いた。
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更に別の日のアリーナ。《ブルー・ティアーズ》を纏うセシリアの手にあるのは一本のブレードのみ。
彼女にとっては心許ない装備だった。遠距離戦を支配するビットも、安心を与えてくれる射撃武器もない。
ただ、己の腕と脚、そして覚悟だけが頼りだった。
対する一夏も同じ条件で立つ。無邪気な笑みは消え、真剣な眼差しで構えに集中していた。
「行くぞ、セシリア!」
「来なさい!」
刃と刃が雷鳴のようにぶつかり合う。金属音がアリーナに反響し、震動が全身を貫いた。
受け止めた衝撃に体が揺れ、足が止まる。間髪入れず二撃目、三撃目。
容赦のない連撃が襲い、それだけを防ぐ事に手一杯となっている。そんな彼女へ一夏の膝が脇腹を抉る。
「実戦で相手が武器だけ使うと思うな! 隙を見せれば、蹴りでも拳でも飛んでくるぞ!」
地に伏す視界の中、一夏は構えを解かない。その立ち姿は、同年代の少年であるはずなのに、大人の戦士のように揺るぎなかった。悔しさに歯を食い縛る。
BT兵器さえあれば、射程が取れれば、普段通りの戦いが出来れば──。
そう逃げ道を探しかけた瞬間、脳裏に響いたのは
『逃げているだけだ』
奥歯を噛み締め、痺れる脚を押し上げて立ち上がる。
泥臭くても構わない。ただ前へ進む。
「はああっ!」
叫びと共に、セシリアは再び踏み込んだ。
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数日が過ぎ、確実に彼女は成長していた。
木刀の握りに無駄がなくなり、踏み込みの一歩に力が宿る。肩の動きと腰の回転が合致し、斬撃の軌跡が初めて「刃」としての迫力を帯びた。
さらには呼吸を“見る”視線が芽生え、相手の吸気と共に動き出すことも出来るようになっていた。
箒とも数合は打ち合えるまでに至り、初めて竹刀と木刀の音が拮抗する。
「ふむ......悪くない」
竹刀を受け止めたセシリアに箒が短く言葉を与えた。その声音に含まれた僅かな温度を、セシリアは敏感に感じ取る。
一夏も頷き、笑みを浮かべた。
「やっと戦ってるって感じだ」
肩で息をしながらも、胸の奥には確かな手応えがあった。──自分は変わり始めている、と。
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やがて迎えた対抗戦前日。
淡い照明の下、アリーナにはセシリアと一夏・箒がラスティの到着を待っていた。待ち時間の最中、箒がセシリアに問う。
「セシリア、お前はあの男に認められたいのか、それとも超えたいのか。どっちなんだ?」
「両方ですわ。今は私が変わったという事を認めてもらいたい、いずれはあの人の背中を超えたい。そう思っています」
セシリアの答えと同時にラスティがやって来る。まるでその言葉が聞きたかったと言わんばかりのタイミングの良さだ。
「すまない、遅くなった。早速始めようか」
《ブルー・ティアーズ》を纏うセシリア。その姿勢に迷いはなく、鋼の決意だけが瞳に宿っていた。
対するは《スティール・ヘイズ》のラスティ。両手に実体剣を提げ、圧倒的な威圧感を放つ。
「......準備はいいか」
「ええ。必ずや証明してみせますわ」
床が砕ける轟音と共に、巨躯が一直線に迫る。
以前なら距離を取って逃げ腰になっていたセシリアは、ビットを盾のように配置して正面から受け止めた。衝撃に全身が痺れる。それでも崩れない。
続く横薙ぎ。今度は低く沈み、逆に踏み込む。
ゼロ距離からブレードの斬り上げ。ラスティは首を引き、返す刃で受け止める。
火花が散り、刃と刃がせめぎ合った。
「......ほう」
短く漏れる声。そこには確かな成長への感心があった。
「私はもう逃げません。死んでも勝ちにいきます!」
粗削りではある。だが、後退のための防御でも、戦術を言い訳にした退避でもない。
勝利を掴むための前進。恐怖の影は消え去っていた。
十分ほど経ち、ラスティは不意に剣を止め、額へ軽く突きを放つ。
反応は遅れたが、辛うじて腕で受け止める。
「......ここまでだ」
剣を下げるラスティ。膝を付きそうになりながらも、セシリアは最後まで立ち続けていた。
「よくここまで磨き上げた。......よくやったな、オルコット」
「っ!」
驚愕に瞳を見開くセシリア。耳にしたのは、彼からの初めての明確な称賛だった。
「相変わらず未熟だ。だが──確かに前を向いた」
ラスティは彼女の背を軽く叩き、踵を返す。
「本番で示せ。君が“変わった”証を」
残されたセシリアの胸に、熱いものが込み上げる。
彼女は拳を握りしめ、強く誓った。
───────必ず、勝ってみせますわ。
その夜、彼女は久しぶりに夢を見た。
燃え上がる空の下、誰かの背中を追いかける夢を。
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