「ん……。どこだここ。」
ぼやけた視界が徐々に開け、うっそうとした森の中で仰向けに倒れていることに気づいた。耳鳴りがひどい。全身が鉛のように重い。頭がズキズキと痛むせいか、倒れる前の記憶がはっきりしない。
周囲を見渡してみる。見たこともないような大木が幾本もそびえ立ち、その隙間から薄暗い光が差し込んでいる。植物の背丈が異様に高い。低い雑草ですら膝の位置まである。まるで異世界だ。
「でっけぇ……。何だこの木。」
聞き覚えのない鳥の鳴き声が頭上から響き、ふと周囲を見回すと、どこか違和感を覚えた。風の流れが妙に生暖かく、肌に纏わりつく。湿度が異常に高い。それだけではない。息をするたびに喉の奥にざらつくような不快感が走る。鼻をつくのは湿った土の匂い……いや、それだけじゃない。腐葉土に混じって、どこか甘ったるい異臭がする。
「……とにかく、人がいる場所を探さねぇと。ここが何県かもわかんねぇし、今が昼か夜かすら怪しい。」
木々が生い茂りすぎていて、空がまともに見えない。時間の感覚すら狂いそうだ。
そのとき、視界の端に人の足のようなものが映った。
「……ッ!」
思わず駆け寄る。しかし、近づいた瞬間、足が止まった。
「なんだこれ……。」
倒れていたのは、もはや“人”とは呼べないものだった。
顔中にキノコがびっしりと生えている。目も鼻も、輪郭すらもわからないほどに覆い尽くされていた。黄色と黒のまだら模様をした奇妙なキノコ。こんな色のキノコ、見たことがない。
ゾワリ、と背筋が粟立った。
恐る恐る辺りを見渡せば、さっきは気づかなかったが、同じキノコが森の至るところに群生していた。中には自分の身長ほどもあるものまである。
「……ヤバいな、ここ。」
胸の奥がザワつく。キノコに侵された“それ”が、まるで自分の未来を暗示しているようで。
そのとき、急激な寒気に襲われた。
「クソ……頭痛と耳鳴りがひでぇ……ッ。」
足元がふらつく。関節が鉛のように重い。息がうまく吸えない。頭の奥で警鐘が鳴る。
このままじゃ、ヤバい。
適当に方向を決め、走り出す。しかし、足がもつれる。視界がぐらつく。
何かがおかしい。キノコか? 瘴気……?
死にたくねぇ。
意識が遠のいていく。
◆
二度目の目覚め。
今度は森の中ではなく、ベッドの上だった。
天井を見上げる。木造の天井板。空気が澄んでいて、先ほどまでの不快感はない。何より、体調が全快していた。
「……ここは……?」
ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡す。室内には整然と並べられた人形たち。ガラス玉のような瞳が一斉にこちらを見つめているようで、少し気味が悪い。
そのとき、扉がガチャリと開いた。
そこに立っていたのは、金髪の女性だった。
青いワンピースに白いケープを羽織り、その背後には、部屋の人形とは異なる精巧な人形が浮かんでいる。お盆の上にティーカップを乗せ、器用に運んでいた。
「目が覚めた?」
「あんたが……助けてくれたのか?」
「アリス・マーガトロイドよ。感謝してよね。たまたま通りかかってなかったら、貴方、あのままキノコに侵されて死んでたわよ。」
「……そうか。ありがとな、マーガトロイドさん。」
「アリスでいいわ。」
そう言うと、アリスは紅茶を差し出した。
「飲める?」
「ああ、ありがたく。」
口をつけると、芳醇な香りと心地よい温かさが喉を通り抜けた。やたらとうまい。気づけば、緊張していた肩の力が抜けていた。
「そういえば、貴方……外来人ね?」
「ガイライジン?」
「ここに普通の人間が来ることはないもの。服装も、見たことないし。」
「……なぁ、アリスさん。俺、聞きたいことが山ほどあるんだ。あのキノコは何だ? この森は? そもそも、ここは一体どこなんだ?」
「落ち着いて。全部、答えてあげるわ。」
アリスは淡々と語り始めた。
ここが“幻想郷”であること。外の世界とは完全に隔絶されていること。今いるのは“魔法の森”で、人間には危険な瘴気が漂っていること。そして、元の世界に戻る方法は簡単には見つからないということ。
「結界に妖怪……? 吸血鬼に妖精だって……? 世界観が分かんねぇ。それに自力で元の世界に帰れない……? 冗談だろ。」
「本当のことよ。」
「……」
「まあ、信じるかどうかは貴方次第だけど……。」
現実感が薄れていく。まるで夢の中に迷い込んだかのような気分だった。
「まあ、とにかく明日、人里に連れて行ってあげるわ。外来人なら、あそこに行けば情報も手に入るでしょうし。」
「……そうか。」
「あら、魔理沙の言ってた通り最近の外来人は理解が早くて助かるわね。昔はもっとパニックを起こしたものだけど。」
「そりゃまぁ……俺も色々あったしな。」
「今夜はしっかり休みなさい。明日は早いわよ?」
アリスはそう言い残し、部屋を出ていった。
残された静寂の中、俺は改めて、ここがどこなのかを実感し始めていた。
幻想郷か。
ここでどう生きるか——
それを、考えなきゃならねぇらしい。