朝日が昇る頃、村瀬仁はすでに鍬を握っていた。早朝の空気はひんやりとしていたが、日が昇るにつれ、じわじわと熱が肌を焼き始める。
初めて開墾作業をした日から数日が経ったが、慣れるどころか、疲労は蓄積する一方だった。鍬を振るうたびに、手のひらの皮が擦り切れ、痛みが走る。最初は小さな水ぶくれだったものが、次第に潰れ、赤黒い血が滲むようになった。手袋をもらえるわけでもなく、痛みをこらえながら鍬を振るうしかない。
「くそっ……進まねえ……」
目の前の土は固く、鍬を入れてもなかなか割れない。何度も何度も力を込めて振り下ろすが、すぐに腕が鉛のように重くなる。背中を汗が伝い、目に入った土埃が喉を焼く。振るうたびに背筋が軋み、腰に鈍い痛みが広がる。
他の外来人たちも同様だった。みな黙々と作業を続けているが、誰もが疲労困憊の表情を浮かべている。額に滲む汗を拭う余裕もなく、ただ黙々と鍬を振り続ける。休憩は短く、水も限られている。炎天下の中、まるで奴隷のように働かされる日々。
そこへ、突如として異様な咆哮が響き渡った。
「――ッ!? またかよ!」
振り向くと、森の影から毛むくじゃらの妖怪が飛び出してきた。鋭い牙を剥き、血走った目でこちらを見据えている。
「逃げろ!」
誰かが叫ぶと、皆が一斉に鍬を放り出して走り出した。だが、逃げ場は限られている。周囲は切り拓かれたばかりの土地で、隠れる場所もない。森へ向かえば妖怪の縄張りに飛び込むようなもの。かといって、里に戻るには距離がありすぎる。
「仁! こっちだ!」
人里に着いた初日に助けた中年の男、小木が叫んだ。その瞬間、獣が咆哮しながら飛びかかってくる。
「ちくしょう……!」
仁は躊躇なく地面に転がり、間一髪で妖怪の爪を避けた。土埃が舞い上がる。立ち上がる暇もなく、妖怪はすぐさま方向を変え、再び突進してくる。
「逃げろって言ってんだろ!」
小木が仁の腕を引っ張り、二人は必死に駆け出した。心臓が激しく脈打ち、呼吸が浅くなる。妖怪の咆哮が背後から迫る。振り返る余裕などない。ただひたすらに、死にたくない一心で走った。
どれほど走っただろうか。ようやく妖怪の気配が遠のき、二人は息を切らしながら足を止めた。
「……ふざけやがって……!」
膝に手をつき、肩で息をする。生き延びた安堵よりも、理不尽な環境への怒りがこみ上げてきた。
◆
開墾作業のほかにも、仁には様々な仕事が割り当てられた。
ある日は肉屋で解体作業をさせられた。大きな獣の死体が吊るされ、仁はナイフを握りしめる。毛皮を剥ぎ、内臓を取り出す作業は、想像以上に過酷だった。鼻を突く血の匂い、ぬめる臓物の感触、そして終わらない作業。手が血と脂にまみれ、洗っても完全には落ちない。
またある日は葬儀屋で火葬作業を手伝わされた。死者を荼毘に付すため、薪を組み、火をくべる。遺体が燃えていく様を見つめるうちに、胸の奥がざわついた。これが自分の未来かもしれない、と。
嫌な仕事ばかりだったが、選ぶ余地はない。生きるためにはやるしかないのだ。
◆
仕事へ向かう道中、近道をしようといつもと違う道を歩いていると里の子供たちが群がり、外来人をからかってきた。ついこの間小木が忠告してきたことを思い出す。
(「俺らの住む区画からなるべく出ないほうがいい。出るとしても人通りの少ないとこ歩け。色々とめんどくさいからな」 ……小木のおっさんが言ってたことはこういう事か。)
「外来人だ! また変なのが来たぞ!」
「どうせすぐ妖怪に食われるんだろ!」
子供たちは嘲笑しながら石を投げる。仁は無言でそれを避けたが、背中にじわじわと怒りが滲んでいく。
「やめなさい!」
厳しい声が響いた。子供たちがビクリと肩を震わせる。
「慧音先生……」
そこに立っていたのは、青い髪をなびかせた女性――上白沢慧音だった。彼女は険しい表情を浮かべ、子供たちを睨みつける。
「礼儀を知らぬ者は、里の者とは認められん。外来人であろうと、同じ人間だ。侮辱することは許されない。」
慧音の声には、厳しさと同時に、揺るぎない信念があった。子供たちはしゅんとし、バツの悪そうな顔で散っていく。
「お前、大丈夫か?」
慧音は仁に目を向けた。
「ああ、別に……」
「……そうか。だが、気にするなとは言えん。この里は、外来人に対して厳しい。それでも、お前のように生きようとする者を、私は尊重したいと思っている。」
真っ直ぐな視線が向けられる。仁は何も言わず、ただその言葉を噛みしめた。
「行くがいい。だが、くれぐれも無理はするな。」
そう言って、慧音は去っていった。
仁は静かに拳を握る。生き抜くしかない、この世界で。