夢は天下無敵の大将軍 作:金匙
───あり得ない、とオロチは目の前の光景に戦慄する。
カン十郎の忠義の果てに、ついに目の上の瘤だったおでんとその家臣たちを捕らえ処刑を言い渡したオロチは、人生でも一、二を争うほどの歓喜の絶頂の只中だった。
ワノ国の大半をカイドウと共に手中に収めた今、唯一の障害にしてこの盤上をひっくり返せる存在が光月おでんのみだった以上、この処刑を終えればついにワノ国が自分のものとなり復讐の本懐を果たすことが出来る、と。
処刑当日にチャンスが欲しい、などと宣ったおでんの言葉を許可したカイドウには思わず目を見張ってしまったが、それでもカイドウが提示した一時間という風呂でものぼせ上がるような時間を聞いて胸を撫で下ろした。七百度を超える煮えたぎった油の中を一時間も耐え切ることなど不可能だ、とほくそ笑んで。
「あり得ねェだろうが……ッ」
それから既に、四十分が経過していた。
眼下の先には橋板に乗った家臣たちを担ぎながらただ一人釜茹でを耐え続けるおでんの姿があり、立ち昇る煙だけで喉がむせ返りそうになるほどの灼熱地獄の中心にいながら、それでもおでんは微動だにすらしていなかった。
本当に人間なのか!? とオロチがその姿を見て打ち震えるのは当然で、その脳裏には釜茹でを乗り越えるおでんと家臣たちという前代未聞の光景が強く駆け巡っていた。
「おでん様〜!」
「負けないで、おでん様!」
「バカ殿なんて言って悪かった〜!!」
加えて、元お庭番衆のしのぶが
「ウォロロロ……くるしうねェぞ、おでん」
頼みのカイドウは何が楽しいのか、そんなおでんを肴に浴びるように酒を呑み始める始末。
その姿を見てまだ二十分も時間が余っているという余裕ではなく、もう二十分しか残っていないと変換されたオロチの思考が焦りの色に染まっていく。
「おでん〜〜〜ッ」
お前が死ねばそれで終わるのに、どこまでお前はおれの邪魔をすれば気が済むんだ、とオロチが真っ赤に染まった思考のままに部下たちへ命令を告げようとした、その時だ。
「なあ、オロチ」
「ひっ!?」
充血するほど見開かれたカイドウの眼差しが、その行動を咎めるようにオロチを射抜く。
「一度目は許した、二度目はバカの命で手を打った───三度目は何だ?」
怒りのままに解き放たれた覇王色がオロチに叩きつけられ、巻き込まれた周囲の部下たちが次々とその威圧に充てられ気絶していく。
この国で最も怒らせてはならない人物の不興を買いオロチの顔が真っ青に染まる中、憤怒の形相と化したカイドウが金棒を取り出しオロチの眼前に突きつける。
「お前を生かしてるのは悪政の才能があるからだが……それは殺さない理由にはならねェぞ?」
本当はカン十郎の裏切りが発覚した時点で殺す手筈だった。
しかしおでんたちとの戦いで想像以上の深手を負い、半数以上の戦力も欠いてしまったカイドウには戦後処理をしている余裕はなかった。
その点ではオロチは適役だ、とカイドウは部下からの提案を渋々呑み今の今まで生かしておいたが───それでも三度目はない。
「死にてェなら言え、オロチ」
「わ、わ、悪かったカイドウ! 何もしねェからその金棒を下ろしてくれ!」
「……おい、もっと酒持ってこい」
不愉快そうに舌打ちを溢し得物をしまったカイドウが、部下に持って来させた酒を浴びるように食らっていく。
オロチは矛を収めたカイドウに安堵しつつ、冷や汗を拭ってまだ時間はあるから冷静になれと思考を落ち着かせるが……それでもその焦りは消えることなくじわじわと体を蝕んでいった。
「聞こえるか、お前たち」
「「「おでん様……?」」」
そんなオロチを他所に、おでんは橋板の上で心配そうに自身を見つめる錦えもんたちへ声を掛ける。
「この釜茹でを耐え切っても……おれの体は、もう二度と刀を振るうことは出来ないだろう」
「そんな……!」
沸き立つ油の中で、おでんは既に下半身の感覚が無くなっていることを自覚している。
錦えもんたちを担いでいる両腕だってそうだ。
両腕は神経が千切れるような嫌な音を幾度も響かせており、こんな腕では刀を振るどころか手に持つことさえ出来ないだろう。
そんな状態で、踏ん張りも効かず些細な衝撃で滑り落ちそうな橋板をそれでもおでんが支え続けられているのは、単に生命力を振り絞って気合いで耐え続けているからに他ならない。
菊の丞はそんなおでんの姿を見て受け入れられないと言わんばかりに首を振るが、おでんはこの釜茹での果てに、自分の体が歩くことすらままならない悲惨なものになると確信していた。
「おれがいても、足手纏いなのは明白……だから本当は、お前たちだけでも、この処刑から逃がしてやる、つもりだったんだが」
最後の力を振り絞れば橋板ごと家臣たちを放り投げ、彼らが逃げる切っ掛けを作れると考えていた。
しかし───九里で待ってます、と言ったモモの助の姿が脳裏を過ぎり頭を振る。
「モモが、こんなおれでも……生きろと言うんだ」
ワノ国の開国という、自身の夢を託した息子と交わした約束をおでんは思い返す。
手のかからないまま成長した息子が打ち明けた……最初で最後の我儘を。
「だから恥を承知で頼む」
ロジャーのようにはいかねェな、と内心で嘆息しつつ、おでんもまたトキのように己の信念を曲げて家臣たちに告げる。
「おれを、九里まで連れてってくれ」
もう一度、家族に会わせてくれ───と。
答えなど決まっているのに、それでもその言葉を待ち続け必死に唇を引き結んでいた錦えもんたちは、切実なまでの主君の願いを受け雄叫びを上げるように言い放った。
「「「当たり前だ!!!」」」
カン十郎の裏切りに沈んでいた錦えもんたちの胸に新たな火が灯る。
それは今までのどの火よりも強く大きい、絶対に消してはならないワノ国の夜明けに繋がる火種だった。
「だったらアンタ」
「そんな釜茹でなんかに」
「絶対負けんじゃねェぞ!?」
「わははは! ……頼んだぞ」
───約束の時間まで、残り十分。
◇◇◇
「すごい……本当に、耐え続けてる……」
隣に置いた映像電伝虫が牢の壁に出力した映像を見て、ヤマトは組織の長の娘という立場でありながら感嘆の言葉を抑えることが出来なかった。
視線の先には、見ているだけでも汗が垂れてくる釜茹での中で、父と交わした一時間を乗り切ろうとする偉大な侍の姿。
主君でありながら家臣たちを担ぎ、誰一人として失うことなく耐え続けるその侍に、ヤマトは心からの称賛と憧憬を抱いた。
「光月おでん……」
先日満身創痍の状態で帰ってきた父に目を見張ったヤマトは、かの侍こそが父をあそこまで追い詰めたと聞かされ希望を抱いた直後に、三日後に処刑が決まっていると知り絶望の底に叩き落とされた。
光月おでんはワノ国で最も強い侍、そんな侍が勝てないのならばもうワノ国を救う手段はないじゃないか、と。
しかしただ処刑を待つだけなんてヤマトには出来なくて、せめて一目でいいから光月おでんがどんな侍なのか見てみたいと願ったヤマトは、当日花の都に向かうという看守の一人に頼み込み映像を届けてもらうに至った。
そしてその結末は、誰もが諦めていた光月おでんの生存という奇跡のような光景に変貌しようとしている。
一秒と過ぎる度に喜びと期待に湧く民衆の気持ちがヤマトには痛いほど伝わってきて、まだワノ国は終わっていないんだと希望の火が胸に灯ったのを感じた。
「そうだ、諦めてなんかやるもんか……!」
自身に付けられた手錠を見て、ヤマトは恐怖に震える心を叱咤し拳を握る。
「僕にだって出来ることはある、僕にだって……信じてくれる人はいる!」
おでんの釜茹でに比べたら自分が受けた仕打ちなんて屁でもない。
心を燃やして奮起したヤマトの脳裏に、再会を約束した名も知らぬ少年の姿が過ぎ去っていく。
「頑張れおでん! お父さんなんかに負けるなー!!」
例え言葉は届かなくても今の自分に出来る精一杯を果たすように、ヤマトの声援が鬼ヶ島に響き渡った。
◇◇◇
そして、約束の時は訪れた。
「───おい、釜から引き上げてやれ」
「はぁ!? 何言ってんだカイドウ!?」
大歓声に包まれた花の都の中心で、カイドウの言葉にオロチだけではなくその部下たちまでも瞠目した。
本当にあんな口約束を守るつもりなのか、と。
「何してんだ? おれは引き上げろ、と命じたぞ」
「は、はいっ、ただちに!」
有無を言わさぬカイドウの眼力に怯み、控えていた部下たちが家臣たちの乗る橋板と地上までの道を繋いでいく。
錦えもんたちをして素直に自分たちを解放するその判断には疑いを隠せなかったが、それでも今は主君の身が第一と火傷するのも構わずに全員でおでんを引き上げ地上に降り立った。
「カイドウ!?」
「一時間だ」
問い詰めるオロチを無視して、カイドウは部下に命じて回収していた錦えもんたちの刀を彼らの眼前に投げ捨てる。
同時にどういうつもりだ? と言葉なき視線をおでんから受け、カイドウは機嫌良さそうに笑って返答する。
「約束通り解放はしてやる。ただし、一時間だけだ」
その後、おれは九里を滅ぼしに行く。
告げられたその言葉に指先一つ動かせないおでんが目を見開く。
九里には自分の帰りを待つ家族がいる、カイドウはそれを分かった上でその言葉を吐いたのだろう。
処刑は我々だけの筈だろう!? と錦えもんたちから抗議の声が上がるが、関係ないと言わんばかりにカイドウは嗤った。
「ウォロロロ! だったら守ってみせろ、そのための一時間だ」
カイドウとしては今すぐに九里に向かっても良かったが、それでも一時間という時間を態々彼らに与えたのは、釜茹でを耐え切ったおでんへのカイドウからのある種の敬意の表れでもあった。
同時に、守れないならそれまでだ、という最後通告でもあったが。
「ふざけんじゃねェぞ、カイドウ! そんな面倒なことしなくても今ここで───」
「ああ、それと」
「───は?」
ドボン、と傍らで煩わしかったオロチを、カイドウは躊躇いもなく煮え滾る釜の中へ放り込んだ。
「ギィヤアアアアアアアア!!?」
「「「なっ!?」」」
誰もが目を疑うようなその光景は───紛れもなく、将軍オロチが釜茹での中で熱せられるという衝撃の光景だった。
自分たちを散々虐げてきた圧政者の最期に、しかし民衆の表情に喜びの色はない。
何故、どうして、と疑問を浮かべる彼らを他所に、カイドウは同じように驚愕するおでんたちへ言葉を続ける。
「
一瞬言葉の意味が分からなかったおでんだったが、二十年以上自分を欺き続けていた家臣の姿が脳裏を過ぎり納得と同時に嘆息した。
「真面目な奴だ……オロチが死ねば、困るのはお前たちだぞ」
「ウォロロロ……遅かれ早かれ殺すつもりだった、それが今になっただけだろう?」
余裕を崩さないカイドウだが、兵力差が未だに歴然なことを考えればむしろ妥当というものだろう。
ヒョウ五郎ら主要な勢力を既に捕らえていることもさることながら、各地に武器工場を建設し大元を抑えるカイドウたちに武器の消耗はなく、更に幹部たちも健在とあらば各郷の大名たちも満足に動けないのは火を見るより明らかだ。
しかし、それでもとおでんは考える。
この短期間で自分たちとの戦いで失った兵力を補填出来ている筈がないし、オロチを失ったことでオロチが抱えていたお庭番衆や侍たちの統率が乱れるのは必定、その好機を頭のキレる康イエら大名たちが見す見す逃すとは思えない。
何より───
「おれの息子を舐めるなよ、カイドウ」
「……何?」
九里には光月モモの助がいる。
一時間ではとても九里に帰ることは出来ないが、それでもおでんの胸中に九里が滅ぼされる危機感は微塵もなかった。
「おれはもう戦えねェが……おれに代わってモモの助が、必ずお前の首を獲る」
その確信に満ちた眼差しを受け、思わずカイドウは押し黙る。
光月おでんの息子、それはカイドウの耳にもオロチを経由して幾度か報告として届いていた。
曰く───おでんの息子に相応しい怪物だと。
オロチの刺客や自分の部下たちを何度も追い返したその実力は、既におでんの家臣たちに勝るとも劣らないとも。
しかし、所詮は年端も行かないガキだとカイドウ自身気にも留めていなかったが……自分の力をよく知るおでんをしてそこまで言わしめる存在に、カイドウが興味を惹かれたのは確かだった。
「ウォロロロ! いいだろう……九里を滅ぼす前に、まずお前の息子から殺してやる!」
いい楽しみが出来た、とおでんの言葉に一頻り笑って、カイドウは竜の形態に変化しオロチ亡き城へと引き返していった。
一時間───その間に少しでも早く九里に戻れるよう思案しようとして……おでんは全身に激痛が走り今の今まで自分が生死の境を彷徨っていたことを思い返し、叫ぶ家臣たちの声を遠くに感じながらその意識を闇に落とすのだった。
◇◇◇
「ウォロロロ……小僧、お前の名は?」
「光月モモの助───お前を討つ男の名だ、カイドウ」
長きに渡る因縁の幕開けを示すように、月明かりの下でついに光月モモの助と百獣のカイドウが相対した。
Q:モモの助はしのぶの力で成長しないの?
A:原作で20年前に使っていた描写が見当たらなかったため、本作のしのぶは無能力者という扱いです。(アニメは詳しくないのでそちらの方で出てたらごめんなさい)
なので次話はモモの助(8歳)vsカイドウ(デバフ塗れ)となりますので、ご理解いただけますと幸いです。