夢は天下無敵の大将軍 作:金匙
視界を遮るほどの白銀の嵐の中、ミニオン島の雪原は死の静寂に包まれていたはずだった。
オペオペの実を奪取した挙句、海軍に計画の全容を明かしファミリーを壊滅に追い込もうとしていた裏切り者に、長であり実兄でもある自分がケジメとしてその命を容赦なく絶つ───それこそが当初思い描いていたドフラミンゴのシナリオである。
しかし今、目の前には世界を揺るがすかのような圧倒的なまでの存在感を放つ一つの『個』がそのシナリオを阻むように立ち塞がっており、己を侍だと名乗ったその青年───光月モモの助の姿を、ドンキホーテ・ドフラミンゴはサングラスの奥で猛禽類のような鋭い眼光をもって観察していた。
後頭部で無造作にまとめられた黒曜石のごとき総髪。
自身には及ばないまでも、それに比類するほどの筋骨逞しい
そして何より特徴的なのは、その腰に携えられた───鞘に収まってなお、宿主の敵を斬り伏せんと静かな覇気を立ち昇らせる、鋭利かつ禍々しい殺気を放つ二振りの刀であった。
「(間違いない、話に聞くワノ国の侍だ……それも、ただの端くれじゃねェ)」
ドフラミンゴの脳裏に、現在進行形で協定を結んでいる最強生物たるカイドウの体に刻まれた痛々しい傷跡がよぎる。
それはかつてワノ国を支配せんとしたカイドウが、一時は敗北の淵まで追い詰められたという伝説の侍たちを相手にした際に負ったもの。
目の前の青年がまとう凛とした佇まいは、その伝説の系譜に連なるワノ国の正統な侍であることを如実に物語っており……酒の席だったために話半分に聞き流していたドフラミンゴも、流石に現物を前にしてはその認識を改めざるを得なかった。
「フッフッフッ。まさかこんな
自分たちがいるこのミニオン島は偉大なる航路から遠く離れた北の海。
またカイドウの一件で侍たちが海賊にいい印象を抱いているとは考えられなかったので、なおのこと何も事情を知らない目の前の侍が態々
「おいおい……どこの誰だか知らねェが、若の邪魔をするってのか?」
ドフラミンゴの不敵な笑いに呼応するように、周囲に展開していたドンキホーテファミリーの面々が獲物を囲む猟犬のごとく武器を構え、じりじりとモモの助との距離を詰めていく。
「派手に着飾っちゃって。その刀、換金すれば億は下らないんじゃない?」
ベビー5が、変形させた銃口をモモの助の眉間に寸分の狂いなく固定する。
セニョールやグラディウスら幹部たちもまた、余裕を崩さぬままこの場違いな闖入者を排除せんと各々殺気を研ぎ澄ませている。
彼らにとっては相手が侍であれ何であれ、ドフラミンゴという絶対的な王の前に立ちはだかる者は等しく路傍の石に等しい存在でしかなかった。
「おい、お前たち───」
「理由なら色々あるが……。生憎と、無駄話をしている暇はなさそうでな」
明確にその脅威を認識していたドフラミンゴとは裏腹に、まるで戦意を感じさせない植物の様な佇まいのモモの助を前に、あからさまに油断している家族たちへ気を抜くな、とその慢心をドフラミンゴが咎めようとするも……。静かに、だが肺の最奥まで冷涼な酸素を吸い込んだモモの助がドフラミンゴの言葉を遮る。
そうして、一転して張り詰め出した空気の中で───直後、世界からあらゆる音が消失したと思ったのも束の間、物理的な質量を伴った絶望が、重力そのものを書き換えたかのようにミニオン島全域を圧殺した。
「な……ッ!? こ、これはァ……!?」
真っ先にその現象に気づいた最高幹部のトレーボルが、粘りつくような嫌な汗を全身から噴き出しながら杖を支えに必死に踏みとどまらんとする。
そして、それを合図にドフラミンゴの背後に控えていた部下たちの顔からは一斉に血の気が一引いていき、代わりとばかりにその顔には死相がありありと浮かび上がっていく。
それは立っていることさえ不敬であり、この青年の前では呼吸をすることさえ罪であると魂の根源に刻み込まれるほどの───彼らが崇拝するドフラミンゴと同種の、圧倒的なまでの
次の瞬間、モモの助の赫灼の双眸から放たれた黒い閃光───『覇王色の覇気』が、目に見える嵐となって雪原をなぎ払った。
「嘘だろ、こりゃ……ッ」
「息が……上手く、吸えな……」
ドサリ、ドサリと、糸の切れた人形のようにドフラミンゴの部下たちが次々と雪の中に沈んでいく。意識を保とうと奥歯が砕けるほど歯を食いしばったセニョールも、虚空を掴むように手を伸ばしたベビー5も白目を剥いてその場に崩れ落ち、最後に残った最高幹部のトレーボルでさえ、己の主が対峙している男の正体に戦慄しながら意識を闇の底へと引きずり込まれていった。
「てめェ……ッ!!」
静寂に包まれたその戦場で、一人踏み止まったドフラミンゴの額にドス黒い青筋が浮かび上がる。
自身の誇る家族がたった一睨みで抗う間もなく全滅させられた。その事実が、初めてドフラミンゴの薄ら笑いに明確なまでの亀裂を入れていた。
「死にてェようだな! 侍!!」
「立ちはだかるなら、斬るのみだ」
モモの助の言葉が終わるか否か、ドフラミンゴが全能力をもって戦闘態勢へと移行する。
後の海軍との衝突も考えれば力は温存しておくに越したことはなかったのだが、しかしそんな甘い考えが罷り通る相手ではないと、その激情とは裏腹にもはや生存本能が無意識にその決断を下しており……目の前の男は、語るまでもなく自分を殺し得る怪物であると魂が理解していた。
「
悪魔の実の能力を『覚醒』段階にまで鍛え上げたドフラミンゴが、雪原一帯を数万、数億にも及ぶ白糸へと変容させる。
大地は消え、世界が白一色の糸の海へと成り果てたこの光景こそ、ドフラミンゴにとって鳥カゴに並ぶもう一つの切り札。
「
常人であれば立つことすらままならない波打ち立つ不安定な足場の中、
「───
さらにその頭上からは、ドフラミンゴの掌から生み出された軍艦をも熔断する高熱の極太鞭が、並みの覇気使いの武装硬化では受け太刀すらままならないことを証明するかのように空間を焼き焦がしながら迫り来る。
「コラソン共々、これで終いだァ!!」
ドフラミンゴの怨念が雄叫びを上げ、背後のロシナンテ諸共、その因縁に引導を渡さんと必殺の一撃が振り下ろされる。
物理法則を無視した全方位殺戮の檻に閉じ込められ、瞬きの後には全身に風穴が開き体が縦に引き裂かれることとなる破滅の未来は、常人であればその圧に晒されるだけで精神が崩壊するほどの暴威。
しかし、人の理を外れた侍には、その暴威すらも春のそよ風に等しく───
「───起きろ、閻魔」
静寂。
モモの助の右手が、腰にある妖刀の柄に触れる。
刹那、鞘の隙間から禍々しい黒紅の炎が爆発的に噴き出して、待ち侘びたと言わんばかりに立ち昇った妖気が咆哮を轟かす。
それは、モモの助が練り上げた膨大な覇王色の覇気を、閻魔が文字通り喰らうことで生じた超常現象。あまりのエネルギーの奔流に、周囲の雪は一瞬で蒸発して霧散し、空間そのものが耐えきれずに悲鳴を上げて軋み出す。
抜刀。
放たれた一太刀は、ドフラミンゴが全霊を賭した『超過鞭糸』の熱線をまるで豆腐でも切るかのように容易く断ち切り、その余波で全方位から迫る硬化した白糸の群れをただの塵へと変えた。
「なにィ……ッ!?」
掌から、全身から伝わる能力の糸が根こそぎ刈り取られたかのような感覚がドフラミンゴを襲う。
それを成したのは、己の武装硬化を軽々と突破して、覚醒によって変容した地形を元の雪原に帰してしまうほどの圧倒的なまでの覇気の暴風。そんな芸当が可能なのは、この侍を除けばドフラミンゴの脳裏には
「光月一刀流 奥義」
瞠目するドフラミンゴに、しかし立ち止まる時間は一秒たりとも与えられない。
既にその判決は下ったが故に、赤炎と黒い稲妻を纏って、冥府の王のごとき威圧を放つ閻魔がその眼前にまで迫り来る。
「十王判決───」
モモの助の身体が極限まで練り上げられた覇気によって陽炎のように揺らいで、その手に握られた閻魔の刃が描く軌跡は剣技という範疇を遥かに超え、もはや天が下す審判そのものと化していた。
「幽冥裁断」
閃光が視界いっぱいを包み込み、気づけば血しぶきと共に宙を舞っていたドフラミンゴが最後に目にしたものは───天をも割る紅色の剣閃と、地獄の業火によって焼け崩れていく鳥カゴの姿であった。
轟音が止み、ミニオン島には再び静謐な雪が降り始める。
一刀の下に両断された『鳥カゴ』が、主の敗北を告げる地響きを立てて崩落していく中、その中心地でドフラミンゴは胸を袈裟斬りに深く切り裂かれ、糸の切れた操り人形のように仰向けに倒れ伏していた。
その姿を見送ったモモの助は役目を終えた閻魔を静かに鞘へ収めると、背後で僅かに頭を上げ呆然と横たわっていた───否、死を覚悟しながらも薄く目を開け、事の成り行きを最後まで見守っていたロシナンテの方へゆっくりと振り返る。
「……約束は果たしたぞ、少年」
モモの助の声は、先ほどまでの破壊的な覇気が嘘のように穏やかで、慈愛に満ちていた。
その視線はロシナンテのさらに後方───目を覚ますと同時、居ても立っても居られず駆け付けて来たのか、ベポに抱えられ、涙を流しながら言葉にならない声を漏らし続けるローへと向けられる。
ロシナンテもまた、その視線に導かれるようにローの姿を捉えると、なんで戻って来たんだと言わんばかりに驚愕で目を見開くが、ギリギリ致命傷を免れたとは言え何発もの銃弾を浴びた重傷の身では、その想いを言葉として紡ぐことは終始叶わなかった。
「コラさんは、嘘つきだ……ッ」
だからこそ、絞り出すようなローの慟哭は至極当然なものであり。
必ず生きて戻るという約束や海兵としての身分、そして悪魔の実の能力者であることや長年の潜入調査など、数えきれないほどの嘘を重ねてきた自覚があるだけに、ロシナンテはローの言葉を否定することも肯定することもできず、ただその悲痛な叫びを全身で受け止めるつもりであったのだが───
「おれ……まだあんたに、何も恩返しできてねェんだ……。それなのに、勝手に一人で死のうとするんじゃねェよ……ッ!!」
「ッ……!!」
しかし、ボロボロと涙を溢れさせたローの本心からのそんな言葉を受けてしまえば、今まで自分勝手な独りよがりだと思っていたそのお節介が、ちゃんと愛する誰かの力になっていたのだと確かに報われたような気持ちになって……ロシナンテもまた、気づけば溢れる涙を抑えきれなくて言葉の代わりにただただ頷きを返すだけで精一杯だった。
「…………さて、と」
島を覆っていた鳥カゴが、主の意識喪失と共に完全に光の粒となって空へと溶けていく。
二人の再会をどこか物思いに耽るように見守っていたモモの助は、天を仰いで雪の冷たさを肌に受けると、この極寒の中でいつまでも血を流し体温を奪われ続けていては治る傷も治らないと、躊躇いなく自身の羽織を脱ぎ捨てると二人の間に割り込んで血濡れのロシナンテの体に止血も兼ねて脱いだ羽織をキツく巻き付けていく。
「ここじゃ応急処置も出来ないからな。積もる話は後にして、今は急いで船に戻ろう」
それでいいか? と事の発端となったローに問いを投げれば、自分もまた傷ついた身でありながら弾かれるような強い頷きが返ってきた。
自身の覇気によって珀鉛病の侵食と傷の悪化は一時的に抑えられていると言っても激しく動けばその加護も解けてしまうため、あまり無理をするな、と思わず苦笑するモモの助だったが、必死にコラソンの裾を掴む少年にその言葉がどこまで届いているのやら。
「ひとまず、二人は俺の背中に……ベポ、お前は腕の中だ」
そうして、動けないロシナンテとローを背負い、残ったベポを腕に抱えることで揺れを最小限に抑えるよう努めつつ、モモの助は海兵に見つからないよう最大限気配と足音を抑えながら無事ミニオン島を後にしていく。
「(ああ……本当に、あったけェ……)」
大樹のように広く、頼もしいその背中。
ロシナンテと共にその温もりへ体重を預けるローは、そこに、いつか失った懐かしい家族の面影を重ねる。今はもう過ぎ去り、二度と戻ることのない……あの木漏れ日の中を歩くような穏やかな日常の一幕を。
もちろん目の前の侍がその代替になれるわけではないし、これで胸を焦がす痛みがすべて消え去ったわけでもないだろう。
けれど血の匂いと硝煙にまみれたあの場所で、一人震えながら絶望の朝を迎えることはもう二度とない。
そう確信したからこそ、もはや一つの不安も一つの後悔もなく───今度こそ、ローは深い安らぎに満ちた微睡みの中へ、その意識を沈めていくのだった。