夢は天下無敵の大将軍 作:金匙
ミニオン島を包囲する海軍艦隊の旗艦。
その甲板に立つ『大参謀』つるの眉間に、深い皺が刻まれていた。
それはつい先刻まで島を覆い尽くしていた『鳥カゴ』が、主の意識喪失と共に光の粒となって霧散して、まるで最初から存在しなかったかのように北の海の寒空へと溶けて消えて行った光景を目の当たりにしたからであり、その後に残された耳が痛くなるほどの異質な静寂故でもあった。
「何だったんだい、あの覇気は……」
つるが小さく独白した視線の先───ミニオン島の中央では、先ほどまで世界を圧殺せんばかりの暴威が吹き荒れていた。それは物理的な質量を伴って大気を震わせ、天を割り、島そのものを跪かせるような巨大な覇気……数百万人の中から一人しか持ち得ぬとされる、生まれながらの王の証たる覇王色の奔流。
見聞色の覇気を研ぎ澄ませていたつるの網膜には、未だに島を焦がした漆黒の稲妻の残像が焼き付いて離れない。それがどれほど異常な光景であるかは、一人残らず甲板で白目を剥いて倒れた若い海兵たちと、手塩にかけて育てた直属の部下たちが己の喉元に直撃した格の違いに顔を蒼白にさせ、今も意識を手放して船の手摺りに寄りかかっている姿を前にすれば一目瞭然だろう。
「……ドフラミンゴじゃない、あの小僧にはこれほどの地響きは鳴らせやしないよ」
つるの脳裏に、かつてこの海を恐怖で支配した怪物たちの残影が過ぎる。白ひげ、カイドウ、ビッグ・マム……そして、今は亡き海賊王の姿までもが。
しかし、今なお戦場を支配している覇気の残響はそれら怪物たちの暴虐の如き覇気とは似て非なる清冽な激しさを帯びており、それは不条理を許さぬ厳格な裁きのようであり、光を以て全てを照らし出すような───あまりに真っ直ぐで、あまりに苛烈な正道の顕現だった。
ふと、つるの鋭い眼光が、降雪に紛れながら移動する影を捉える。
「ありゃあ……人間かい?」
双眼鏡で覗くまでもなく見聞色の気配を辿った先にいたのは、政府関係者が用いる『六式』と呼ばれる体技の一つである『月歩』を遥かに凌駕する練度で、悠然と空を駆けて行く一人の青年の姿だった。
北の海の寒空の下、場違いなほどに鮮やかな着流しを翻し、腰には二振りの業物を携えながら───結い上げられた独特の総髪が風に揺れる様を見た瞬間、つるの背筋に戦慄が走る。
「ワノ国の侍……! 鎖国国家の人間が、どうしてこんな北の海の最果てに?」
世界政府ですら容易に手出しが出来ぬと言われる黄金と武力の国───そこで独自の文化を築き上げる『侍』という強力無比な『個』の集団の武勇は、もはや伝説に近い。
つるの見聞色が捉える島の惨状は凄絶を極めており、一度として他者に譲ることのなかった天の座から叩き落とされたドフラミンゴと、彼を若と仰ぎ狂信的な忠誠を誓っていた幹部たちまでもが等しく雪原に転がっている光景を思えば、ワノ国から零れ出したその一滴の波紋がこの惨劇の主であることは明白だった。
同時に、大海賊時代以前より数多の伝説的強者を相手取ってきたつるの直感が、その侍を前にかつてない規模の特大の警鐘を響かせていた。あの侍が内包している力は、この世界の均衡を保つ三大勢力と言うパワーバランスすらも、その根底から覆しかねない常軌を逸したものであると。
「……時代が動くね。それも、
その瞳に宿ったのは海兵としての最大級の警戒か、あるいは一人の人間としての、どこまでもまっすぐな覇気に対する抗いがたい敬意か……。すべてを薙ぎ倒し、静かに水平線へと消えていく若き侍の背中を見送りながら、つるは次なる激動の予感に静かに身を震わせるのだった。
◇
15年目:夏
少年とその恩人を連れて船に戻ると、ベポ共々しのぶにめちゃくちゃ怒られた。
ベポはまぁ語るまでもなく当然なのだが、何でおれまで……とゲンナリしていると、ヤマトから元々一人でミニオン島に行かせることをしのぶは猛烈に反対していたことを聞かされ納得した。
そりゃ自分の意見を待たずして主君が勝手に飛び出して行ってしまったから渋々と引き下がったと言うのに、いざその帰りを待っていれば鳥カゴが展開されて侵入出来なくなるわ、帰って来たと思えばベポだけじゃなく病に侵された見知らぬ子供と血濡れの大男を運んできた経緯を考えれば残当というものだろう。
あわや吊り下ろしの刑から解放されたネコに代わって俺にその刑が執行されるところだったが、その前に面倒を引き受けたからには子供とその恩人の治療が最優先と言うことで、ひとまずは平身低頭の謝罪と精一杯のご機嫌取りの末に見逃してもらうことが出来たので良しとしよう。
少年───ローの病は、何でも珀鉛病という本来なら救いようのない難病とのことだったが、ロー自身が医療に造詣が深かったことと『改造自在人間』と呼ばれるオペオペの実の能力者だったということもあり、『透き通る世界』を使える俺が補助に付くことで珀鉛病の元となる毒素を内臓ごと分解して直接取り除くことで事なきを得て、今は諸々の疲労を鑑みて客室のベッドで寝かしつけている。
問題はローにとって恩人の男───ロシナンテの方なのだが、こちらは医学云々の前に全身に浴びた無数の銃弾による出血が酷すぎて、正直生きていることが奇跡と言えるほどの惨状だった。
幸い俺の覇気を流し続けて体を無理やり活性化させることで何とか一命を取り留めることが出来たものの、それでも依然として予断を許さない危険な状態であることには変わりないので、こればかりは時間がその傷を癒してくれるのを待つばかりだ。
一応ミニオン島での顛末は全員に伝えてあるが、二人が元は海賊ということもあってしのぶや乗組員たちからの反応はあまり芳しくない。
ヤマトやイヌネコのように、共に戦い背中を預けるに足る納得のいく事情があるのなら話は別なのだが……如何せん俺やベポですら二人のことはまだ何も知らない身の上で、二人を助けた理由も俺自身の我が儘に近いものなので、別段これに関しては皆を無理に説得しようとは思っていない。
だから目覚めてから事情を話すも話さないも二人の自由だし、しのぶたちの同意なく俺が勝手に二人をこの船に連れて来た以上は、二人にどんな事情があれど最後まで俺が面倒を見るつもりである。
とりあえず海軍の包囲網からは無事抜け出すことが出来たので、これからは二人の容態が快復に向かって行くことを祈るばかりだ。
15年目:夏part2
意識を取り戻したローとロシナンテから、これまでの経緯を一から聞かされたのだが……その内容は、俺たちの想像を遥かに絶する凄惨なものであった。
曰く、ローは白い町と呼ばれる今は滅亡してしまったフレバンス王国の生き残りだと言い、世界政府が富のために黙認した産業が生んだ珀鉛病によって、家族も友も、故郷のすべてを失って自暴自棄になり死に場所を求めたその末路こそが……ロシナンテが所属していたドンキホーテ
一方のロシナンテはそんなファミリーに潜入していた海兵であり、長にして実兄であるドフラミンゴの狂気を止めるべく活動していた折にファミリーに加入したローと出会い、その境遇に若き日の自分を重ねたことで、彼を救うために海軍を、そして恩父とも呼べる人物をも裏切りあの島で命を捨てる覚悟だったとその胸の内を語ってくれた。
ならば、生き延びた今は海軍に保護を求めるのだろうか? そんな疑問をロシナンテに問いかけてみれば、しかし返って来たのは明確なまでの拒絶の意思。
何でもオペオペの実の取引には世界政府が深く関わっており、ローを連れて海軍に戻ればその末路がどのようなものであるかなど考えるまでもなく、加えてその人生を世界政府に滅茶苦茶にされたローにとっては、正義の軍隊と言っても政府直下の組織である海軍の世話になるなど死んでもごめんだと言う。
そしてその言葉は、オロチを通じてワノ国へ土足で踏み込んできた政府の役人たちの厚顔無恥さを思えば、俺だけではなくこの場にいる全員がロシナンテとローのその拒絶には痛いほどの納得しかなかった。
しかし、話はそれだけで終わらない。
今回の一件には、政府だけでなくあのカイドウも深く関わっているとロシナンテから聞かされた時は、予想外に過ぎるその名前に俺自身驚愕を隠すことが出来なかった。
なぜカイドウがオペオペの実を欲しているのか、その詳細はロシナンテにも分からないとのことだが、知らぬ存ぜぬとは言え取引を壊しドフラミンゴを斬り伏せた以上、奴の逆鱗に触れたことは疑いようもない事実であることは明白。
当然ではあるが、ローとロシナンテの二人がカイドウとワノ国の間に生まれた血塗られた因縁のことなど知る由もない。
しかし、この広い海で、共通の敵を持つ者同士があの雪原で邂逅を果たしたことに、俺は震えるような運命を感じずにはいられなかった。
そして予想外の言葉に驚愕に沈む俺たちを他所に、何を思ったのか今まで沈黙していたローが覚悟を決めた眼差しで俺たちに───正確には俺に土下座する勢いでその頭を下げて来たことで、この出会いは運命だったのだと確信した。
『あんたみたいに強くなりたい……! もう、守られるだけなんておれはごめんだ!!』
その叫びは、喉からではなく魂から絞り出された言葉だった。
己の無力さを呪い、大切な者を守るための力を心底から渇望するその姿は───かつて父の処刑を前にして、己の小ささに涙したあの日の自分と余りにも瓜二つのように思えて……。その覚悟を、そこに至るまでの道行を、あの雪の島で目の当たりにしていた俺がどうして踏みにじることができようか。
ワノ国の夜明けを賭けたカイドウとの決戦は、もはや避けては通れない宿命だ。
ならばこそ、同じ因縁を背負い共に戦いたいと願うこの二人を新たな同志として迎え入れぬ道理はなかった。
そしてしのぶたちからも異論がないことを確認した俺は、その言葉に精一杯の歓迎の意を伝えて……改めて深々と頭を下げるローと安堵に涙ぐむロシナンテを見送りながら、こうして予期せぬ出会いの果てにしかし必然の仲間を加えた俺たちの船は、次なる目的地へと帆を上げる。
ああ、何だか無性に、また父上の日誌が読みたくなってきたな……。
波間に揺れる月を見上げながらふとそんなことを思う、静かな夜のことであった。
◇
不意に、胸の古傷が疼いた。
忘れるはずもない。どれほどの時が流れようとも決して色褪せることのない、あの透明だった世界が熱を帯びて色付いていく感覚。かつて支配下に置いていた侍の国で、この身に消えない傷を刻んだ男と対峙した時の、あの魂の震えが再燃する。
気配の所在は赤い土の大陸を挟んだ反対側───ジョーカーが熱を上げて取引を行っていたはずの、北の海の果て。
『覚醒』の域に至り常軌を逸した精度で世界を俯瞰するカイドウの見聞色が、天をも揺らすその覇気を、他でもない己自身が見逃すことなど到底あり得ないことで……込み上げてくる心臓の熱に釣られるように、その口角から不敵な笑みが零れ落ちた。
「ウォロロロ……昔を思い出すじゃねェか───なァ、シキ」
「あァ!? いきなり襲撃かましてきて何を寝惚けたこと言ってやがる、このクソガキ!!」
ロックスの船に乗っていた若き日を追想しながら機嫌良げに細められた視線の先───そこには肩を上下させ地に片膝を突きながらも、一切怯むことなく殺意に満ちた眼光を突き返してくる旧知の男が一人。
それはインペルダウン脱獄以来、ぷっつりと消息を絶っていた自身と同じ四皇が一角『金獅子のシキ』。
まさか自分と同じく空を拠点とし水面下でその牙を研ぎ続けていたとは思いもしなかったが、鬼ヶ島がその空路に割り込む形でシキの拠点と激突したのは、カイドウも意図していない文字通り天の差配による偶然の産物であった。
しかし、寄る年波に加え、脱獄の際に自ら両足を斬り落とした代償は小さくなかったようで……軽い腕試しではあったものの、全盛期のキレを知るカイドウからすれば白ひげ以外の元ロックス海賊団の面々と同様、今のシキはその胸の渇きを完全に満たせる相手とは言い難く、息を荒げながら頭を垂れるシキとかすり傷一つ負っていないカイドウこそがその証明。
偶然とはいえこうしてぶつかり合った以上、昔馴染みとは言えカイドウがシキを逃す道理はなかったのだが……全盛期とは比べ物にならないほどに衰えたその力を加味しても、金獅子のシキという男の持つ能力と狂気はこの新時代を蹂躙するために有用であることは疑いようがなく、ここで朽ちさせるにはあまりに惜しい人材であることも確かだった。
故にこそ───来たるべき光月モモの助との決戦に備え、百獣のカイドウはかつての立場を逆転させるような不遜な態度で、その巨大な掌をシキへ差し伸べる。
「ビジネスの話をしようぜ、金獅子のシキ。なに、お前にとってもそう悪い話じゃねェはずだ」
「ビジネス……だと……?」
あの暴力の化身であるカイドウの口からまさか交渉の言葉が出るとは、と……怪訝そうに目を細めるシキを、しかしカイドウは一切の曇りない眼で見据え傲然と言い放つ。
「ロジャーのバカが開いた、この温い『大海賊時代』を終わらせる」
かつての伝説たちを越えるべく、この世界を地獄の炎で焼き尽くす。
昔みたいに仲良くやろうぜ、と続けざまに提示された世界を根底から覆すための凄絶な策。それを聞いたシキは思わずと驚愕に目を見開くが……その直後にこの上なく愉快そうに口角を吊り上げると、怪訝そうな眼差しから一転してその表情を破顔させた。
「ジハハハハ! 面白い……! 面白すぎるじゃねェか、カイドウ……ッ!!」
天空を漂う二つの巨悪が手を取った瞬間、世界の天秤が大きくそして残酷に傾き始めたことを───この時はまだ、誰一人として知る由もなかった。