いつの間にか眠っていて、気が付いたら朝だった。
結局いいコードネームは思い付かなかったけど、まぁなんとかなるだろう。
昨夜と同じようにご飯を済ませて、森の中を進む。
「シャロン、少し寄り道をするぞ」
「うむ」
アエファニルが言うのなら、必要な事なのだろう。大人しくついていく。
「……この場所のようだ」
「ここは……?」
一見他と変わらない森の中だが、地面や近くの木に何かの呪文の痕跡がある。
よく見れば木には文字のようなものが刻まれていた。掠れて読めない。
「うぬの産まれた場所。そして、うぬの母が眠りについた場所である」
「ここが……」
ダウナーお姉様、普通に歩いて丸一日かかる所から私を連れ帰ってくれたのか。
……その距離は、「たった一日」と言い換える事もできる。
もう少し、せめてあと半分、河谷に近い場所だったのなら──
空想に浸りそうになる気持ちを振り払う。もしもの話なんて意味が無い。
「この付近に、かつて小さき集落が存在したそうだ」
「今はもう無いのか?」
「賊の襲撃に遭ったようだ。うぬの母は偶然姉上の進路上へ逃れたのだろう」
負傷して、大きなお腹を抱えて逃げ切れるはずが無い。きっと時間稼ぎをした誰かが居るはずだ。
その誰かは私の父なのかもしれない。でもそれだと、父も命を落としたのだろうか。
生きていたとして、会う事は無いだろう。
テラではきっと珍しくない話だ。
この大地のありきたりな悲劇の一員になるはずだった私を、姉妹の皆は受け入れて、愛してくれた。
出てきたばかりだけど、少し河谷へ帰りたくなった。
「アエファニル、感謝する。ここへ連れてきてくれた事……」
「うむ。向こうに花が咲いておるな、あれを手向けとするか」
二人で花を摘み、作った花冠を木の枝に掛けて、一緒に挽歌を歌う。
私が非感染者だとしたら、私は源石と繋がっていない。
テレジアの死を感じ取れなかったのも、そのせいかも。
私の歌はきっとサルカズの魂には届かない。
それでもいい。私の分までアエファニルが届けてくれる。
お母さん、素敵な名前をありがとう。
・
またロドスへ向けて移動して、昼食は恒例のスープ。
まだまだ歩いて日が傾いて、晩御飯はアエファニルが狩った羽獣の肉を焼く。
流石に今回は薪を集めて焚き火をしたが、着火はやはり『燃えよ』の一言だった。お手軽。
二人で石に座って、鍋の中の肉が焼けるのを待つ。
「この野草は肉と相性が良いぞ」
「それは楽しみだ」
アエファニルが焼き上がった一口大の肉を生の野草で包んで串に刺してくれる。
肉をキャベツと食べるみたいな感じかな? おいしそう。
熱々のうちにいただきます。
「どうだ?」
「美味である」
柔らかい部位をくれたのだろう。ほこほこの肉とシャキシャキの野草でいい感じだ。
ぺろりと一つ平らげて顔を上げると、アエファニルはじっと私を見詰めて、なんだか怖い顔をしていた。
「アエファニル?」
「……シャロン、我に嘘をついたな」
「嘘など……」
アエファニルがさっきの野草を一枚差し出してきた。
しかし受け取ろうとすると遠ざけられる。
「我がまだ野営に慣れぬ頃、最も苦痛を覚えたのは食事であった」
アエファニルは野草を小さく齧り──その辺にぺっと吐き出した。
「やはり不味い。この野草……そのままでは非常に苦いのだ」
「う、嘘をついたわけではないぞ? 食感が良かったゆえ……」
「味覚は? いつ失せた?」
バレてしまった。もう慣れたから、気にしてないのに。
つい顔ごと目を逸らしてしまうが、アエファニルが手を伸ばしてきて彼の方を向かされて、両手で頬を包むように頭を固定されてしまう。
「我が前に河谷へ帰った時はどうだ? ふむ、あの頃には既に……ならば我がカズデルへ向かった時は? ……まだ正常であったようだな」
「な、何故分かる……?」
「全て顔に出ておるぞ」
最初はおそらく、味を気に掛ける余裕が無いだけだった。状況によって感じ方にはムラがあった。
でも気が付いたら本当に味を殆ど感じなくなっていた。
それで構わなかった。
テレジアを死に追いやる私が、生きる事を楽しむ資格なんて無いと思ってたから。
「うぬは嘘が不得手であるな。さは言え、かつては騙されたが」
「……いつの話だ?」
「木の近くの部屋が良いと、我の隣の部屋に入るのを断ったであろう?」
「あっ」
「構わぬ、当時は我の配慮が欠けておった。王庭の主と同じ領域で暮らすなど、謙虚なうぬならば遠慮して当然よな」
アエファニルが呪文を唱えて、私の身体が座った姿勢のまま宙に浮く。
そのままゆっくり移動させられて、彼の膝に横向きに下ろされた。
彼の炎の色の瞳に焚き火が映り込み、静かに揺らめいている。
「……シャロン、一人旅が叶えば何処へ向かう心算であった?」
「極東にでも……」
「その後は?」
「観光……?」
「それを終えれば?」
嘘は通用しない。正直に言う気も無い。
だけど黙っていても気付かれてしまう。
「我の手の届かぬ地で死ぬつもりだったのだな」
声色は淡々としているのに、深い悲しみが滲み出ていた。
彼はそっと私を抱き締める。身動ぎするだけで抜け出せてしまいそうなほど、とびきり優しく。
「ならぬぞ」
てっきり説教してくるかと思っていた。でも、彼はそれきり何も言わない。
回された腕は抱擁でも拘束でもなく、懇願だ。
「……うむ」
私の方から強く抱き着いて、彼の耳元で了承の言葉を返す。
死にたかったわけじゃない。生き方が分からなくなっただけ。
君がダメだと言うなら、もうしないよ。
その夜は狭い毛皮のマントの上で無理矢理くっついて一緒に眠った。
オリジムシ人形を出していない事に気付いたのは、朝になってからだった。
・
まだまだロドスには着かない。
森を抜けると、今度は荒野に出た。視界が開けて、森の何倍も明るくなったような気がする。
「シャロン、眩しくはないか?」
「アエファニルのまばゆさほどではない」
「ならば良い」
広くて何も無い、乾いた地面と空ばかりが続く場所。
「テラの大地」と聞いて私が真っ先にイメージするのはこういう荒野だ。
原作の背景画像で見たような景色に、初めて来たのにどこか懐かしさを覚える。
アークナイツの世界。それはゲームの中の世界。
原作の通りにテレジアが死んだ一方で、原作に登場しない私が、原作の登場人物であるアエファニルの妹としてロドスへ向かっている。
原作にとって私は異物だ。不純物だ。
本当にこのまま一緒に行ってもいいのだろうか?
不安になって隣を見上げると、アエファニルが私を安心させるように微笑む。その口元には黒いマスク。……原作、既に改変しちゃってるんだった。
彼はゲームの中の人だと思っていた。だけど彼は画像とテキストとボイスで出来たロゴス先生じゃなくて、自分で動いて喋る、腹も減れば花も摘みに行く、人間のアエファニルだ。
なら、この場所だってそのはずだ。あちこちで使い回される一枚の背景画像じゃなくて、どこにでも有るようで此処にしか無い、名も無き荒野。
ゲームの中なら私は異物。でも、きっとここはゲームじゃないし、それなら私も異物じゃない。
この大地に生きている実感が……私自身のために生きていく覚悟が、ようやく芽生えたような気がした。
途中から通信圏内になったようで、アエファニルがロドスに連絡していた。
細かい会話までは分からないけど、なんか通信機の向こうがざわざわしてる。
「妹!?」「ロゴスの妹!?」「マジか!?」みたいな。複数人居る?
そしてアエファニル一人なら一日半の距離をゆっくりじっくり六日かけて、ようやくロドスの足元に辿り着いた。
大きいなロドス。これが陸を走るというのだから驚きだ。
……テレジアもこうやって、ロドスを見上げた事が有るだろうか?
思わず足が止まる。歩き続けるアエファニルとの距離が少し開いて、なんだかそこに深い溝が有るように思えた。
彼は気付いて振り返るけど、既にお互いが手を伸ばしても届かない。
「……シャロン。今一度伝えておくが、テレジア殿下の死はうぬが齎したものではない。殿下もうぬが自らを責める事は望まぬだろう」
テレジアが亡くなった場所を前にして尻込みする気持ちがバレている。
確かにテレジアは私を恨む事は無いだろう。そういう人だ。
「独りで殿下の死を想うのは、もうやめよ。我と共に、殿下の描いた未来へ歩むのだ」
アエファニルはそう言って私へ手を差し伸べた。
私はその手を取るべきだ。私が勝手に生み出した溝を、私自ら飛び越えるべきだ。
だけど何かが違う気がした。
彼に言われてから、迷っていた事が有る。
ロゴスと呼ぶか、兄と呼ぶかだ。
アエファニルはよくお兄ちゃんぶるけれど、私は人生二回目で、生きた年数で言えば私の方がお姉ちゃん。
そう思っていた。小さい頃は実際にそうだった。
でも、段々分かってきた。
例えば十五歳までを二回繰り返しても、あるいは十歳までを三回繰り返しても、三十歳の人間と同じ経験ができるわけじゃない。
正確な年齢は忘れたが、前世の私は未成年だったはずだ。
バンシーとしても未成年の私は、ただ子供時代を繰り返しただけで、大人になった事など無い。
単純な足し算で内心お姉ちゃんぶっていた私の方こそ、子供だった。
アエファニルは人生一回目だけど、私より先に大人になった。
そして前世の大人でも滅多にしない経験を沢山して、その全てを背負って立っていて……
一択ならばその通りに呼ぶだけだ。
なのに選択を委ねられたら、どうしたって意識してしまう。
私が彼を、どう呼びたいのか。
「 」
選び取ったそれは、掠れて声にならなかった。
マスク越しでは唇の動きも読めないだろう。
それでも彼の目元は緩み、どこか気遣わしげだった手は下ろされる。
「行くぞ、我が妹よ」
「……うむ!」
踏み出した先はただの地面。
もしも本当に溝が有るならば、過保護な彼が大きな橋を架けてくれるだろう。
差し伸べられた手を取るなんて、儀式めいた手順も必要無い。
呼ばれた私が近寄って、彼が私の手を捕まえる。あとは引かれるままに歩くだけ。
いつもと同じ。そしていつだって、彼の手が私より小さかった事は無い。