ロスモンティスとの面会、六回目。いつもと違う事が有った。
チュロスを食べ終わり、私が片付けようとした空袋をロスモンティスが指差す。
「その袋、欲しい。貰っていい?」
「構わぬぞ。兄上、清めてくれ」
「任せよ」
呪文で綺麗にした袋を渡すと、ロスモンティスは大事そうにローテーブルの上でシワを伸ばす。
「ありがとう。これが有れば、忘れても思い出せるかも」
そういえば、尖ったものは危ないという事で、この部屋には筆記用具が無い。私もペン類の持ち込みは禁止されている。
端末もまだ持ってないみたいだし、今のこの子には自分の経験を記録するすべが無いのか。
……ん? 端末?
「子猫よ、共に写真を撮らぬか?」
「写真? いいよ。私が忘れてたら見せてね」
「勿論だ。兄上もそちらへ座するのだ」
「う、うむ」
アエファニルが何か言いたそう。写真に残す事で、他の人に私の素顔を見せる事になるんじゃないかと気にしてるんだろう。
でも今はロスモンティスが最優先。黙っていられて偉いぞお兄ちゃん。
チュロスの袋を胸元に掲げるロスモンティスを真ん中にして、三人でソファに座ってピース! よし、上手く撮れた!
「子猫よ。うぬが今着用しておる衣服や、この長椅子や人形はチュロスが選んだのだ」
おや、ロスモンティスの様子がいつもと違うからか、前回までは私のサポートに徹していたアエファニルも自分から話を振っている。
ロスモンティスは嬉しそうに私を見上げた。
「このソファも、この子も、この服も、好き。ありがとう、チュロス」
「うむ、そなたに似合っておるぞ。選んだ甲斐が有った」
今日はすごろくとカードを掛け合わせたゲームを作って持ってきたので、それで遊ぶ。
カードをシャッフルして並べたものをすごろくマップにする事で何回でも遊べる。そして最初に配られたり道中で入手したりする手札でマスをスキップしたり、出目をプラスしたり、敵に必殺技を出したり。
ロスモンティスも楽しんでくれてたけど、なんかアエファニルが一番熱中してた気がする。かつてバトル鉛筆TRPGで遊びまくった事を思い出す。
「今日のこと、忘れたくないよ……」
楽しそうにしていたロスモンティスだが、私達が帰る頃になるとそう言って俯いてしまった。
私は少し迷ってから、表紙に『子猫日記』と書いたノートをトートバッグから出す。
「実はそなたと会った日の事を記録しておるのだ。読んでみるか?」
「……うん」
これを読んでしまったら、彼女は自分が忘れた事の多さに傷付くかもしれない。
でもそんなこと言ってたら、忘れたままの事がどんどん増えるばかりだ。結局はどこかで向き合わないといけないだろう。
今なら大丈夫だろうか? それともまだ早い? 未来を知っていても、そこへどう辿り着くのかは私も知らない。このノートがこの子にどんな影響を与えるかは、見せてみなければ分からない。
いくらでも湧いてくる不安に蓋をしてノートを渡すと、ロスモンティスはぱらぱらと捲って顔を曇らせた。
「……チュロス、ごめん。読めないよ」
よ、読めない?
何を言われたのか理解できなくて思考停止してしまう。
しかし横から覗き込んだアエファニルは納得の声を上げた。
「サルカズ語か。これは子猫には解せぬだろう」
そうだ! クルビアのフェリーンの子供がサルカズ語なんて知ってるわけがない。
最初は自分用のメモのつもりで人に読ませる予定が無かったから、一番馴染み深い言語で書いちゃってた……
ゲームはちゃんとクルビア語で作ってきたのに、肝心な所で言語の壁を忘れている……
「す……すまぬ! そなたも読めるようクルビア語で書き直そう」
「ううん、このままでいいよ」
矛盾してる気がするけど、ロスモンティスは安心で頬が緩むのと、不安で泣きだしそうなのが半々になったような表情をした。
「読めないだけ。消えたわけじゃないから。今日起きた時と同じ……」
ロスモンティスは未知の文字にじっと視線を落としている。
ああ、読めないノートは、この子の記憶と感情の関係に似てるんだ。
確か原作では、忘れてしまった後に残った感情の理由が分からなくて振り回されていた。その困惑を物理的に手にしたようなものなのかもしれない。
そして読めなくても、受け止めようとしている。
やがて彼女はノートを閉じると表紙をそっと撫でて、私に手渡す。
「今日の事も書いてね。さっきの写真も貼ってほしいの」
「うむ、記しておこう。約束だ」
ノートを仕舞っていると、一瞬揺れたような感覚が有った。
ローテーブルの上の紙コップが転がり、箱ティッシュがへこみ、ペットボトルが倒れる。
地震? ロドスが悪路に入った? いや、それにしては──
顔を上げると、アエファニルは既に骨筆を宙に走らせて呪術を展開していた。
「忘れたくない……忘れたくないのに……うう……」
ロスモンティスが頭を抱えて蹲る。
こんなに静かに始まるものだとは、思っていなかった。
もっと暴力的で、滅茶苦茶で、我を失うような姿を想像をしてた。
だけど今の彼女は、ただ感情に心が追い付いていないだけの、普通の子供じゃないか。
これが……暴走?
「妹よ、うぬは念のため我の背後へ」
アエファニルはソファから立ち上がり、骨筆を構えたまま私の方へ回り込んで、優しく肩を引いてくる。
何もできない私はアエファニルに従って退避するべきだ。
でも、なんでだろう。すごく嫌だ。
ロスモンティスが苦しんで泣いている。私の目の前、私の手の届く距離で。
このままこの子を置いて、アエファニルの背中に隠れるの?
逃げるみたいに。見捨てるみたいに。
「──嫌だ!」
ロスモンティスを抱き締める。耳が驚いたように一瞬立って、でも抵抗はされない。ただただ震えている。
「シャロン、離れよ。うぬに何か有れば傷付くのは子猫だ」
「この子は! 今まさに傷付いておるのだ!」
力は暴走しているのかもしれない。でも、この子自身はただ苦悩してるだけ。
この子は忘れた記憶に振り回される事の無い、ただのフェリーンでいたかっただけなんだ。
私も反対で同じ。前世の記憶なんて忘れてしまいたかった。何も知らない、ただのバンシーとして生きたかった。
今手を離したら、私自身の事も手放してしまう気がした。
「……むべなり。さあらば我は両者を守り通して見せよう」
アエファニルが私の肩から手を離す。
私はロスモンティスを抱き締めて、頭を撫でる。私が河谷で沢山してもらった事。彼女が家族にしてもらうはずだった事。
腕が震える。彼女が震えているのか、私が震えているのか、もう分からない。
やがて強張っていたロスモンティスの体から力が抜けて、アエファニルも骨筆を下ろす。
どうやら落ち着いたようだ。
「あ……う……ごめんなさい、私……」
私はハンカチを出して、ロスモンティスの濡れた頬を拭った。
青褪めて冷え切った肌。拭って、掌で暖める。
「問題無い。わらわもそなたも、兄上も怪我は無かろう?」
「然り」
「でも……」
ロスモンティスは散らかってしまったものを見るが、アエファニルが呪術でサクッと片付けた。流石だお兄ちゃん。さり気なく箱ティッシュを近くに置いてくれたのもナイス。
まだ止まらないロスモンティスの涙を拭っていると、何故か私も涙がぽろぽろ溢れてきた。
「チュロスも泣いてるの?」
ロスモンティスがティッシュで拭ってくれる。
それが嬉しくて、気付けば自然に口を開いていた。
「正直に申せば、そなたに忘却されてしまう事は悲しい」
なんともないと思ってた。思おうとしてた。
本当はなんでもないふりに慣れてるだけ。自分の気持ちを知らんぷりしてるだけ。
寂しい、悔しい、悲しい。繰り返すほどに辛くなる。
「……ごめんなさい」
「良いのだ。謝罪すべきは、わらわの方だ。そなたの事情を存じておるのに、覚えていて欲しいなど自分勝手な我儘だ……すまぬ」
「違う、違うよ……私も、忘れたくないの……」
アエファニルがソファに戻ってきて、私とロスモンティスをまとめて抱き締める。
「うぬらは同じ事を願っておるのだな」
ロスモンティスがハッとしたように顔を上げた。
「そうだよ! 忘れたくないの。これは悪いこと?」
「そんなはずは無い! そなたがそう思うのは当然の事だ」
「うん。私に覚えててって思うのも、一緒だよ。普通のこと、悪くない。だから謝らないで」
そうか。一人で嘆くのでも、一方的に憐れむのでもない。一緒に悲しめば良かったんだ。
もう一度抱き締めれば、細い腕が私の腰にしがみついてくる。
「悲しいな」
「うん。悲しいね」
何度も初対面を繰り返した。だけど私達はきっと、今日、初めて友達になった。
・
ロスモンティスとバイバイして、待機所へ戻ってTouchに報告。その後はTouch率いる医療チームがロスモンティスの検査に向かって、アエファニルと二人きりになった。
「シャロンよ、そこへ座するのだ」
「む?」
もう用も無いし帰ろうかと思ったら、アエファニルがそっと腕を掴んで引き留めてくる。言われるままにパイプ椅子に座ると、後ろに回り込んできて……
「みゃぎゅおあ!?」
羽の付け根を掴まれた!! き、気持ち悪い!!
人体から出たとは思えない声が喉から飛び出した。
しかもそのなんかさすさすするやつやめ、やめ……あー!!
頭蓋骨から背骨にかけて直接触られてるような気持ち悪さ!! ダメ!! これやだ!!
「此度は幸いにも良い結果となった。されどそれはそれとして、我の指示に逆らいしうぬには仕置きが必要である」
「あううう……!」
「一つ違えば、うぬは致命傷を負っていたやもしれぬ。この程度の苦痛では済まぬぞ」
「すま……すまにゅ……あにうえ……」
「まだ終わらぬぞ。それ」
「あああああ!?」
しばらく羽を弄られて完全に力が抜けてしまったので、お兄ちゃんに抱っこされて帰る。すれ違う人達の視線が痛いけどもう抵抗する気力も無い。ぐったり。
自分にこんな弱点が有ったとは……知らなかった……
いっそ羽を切除したい……アイマスク代わりにする以外役に立たないし無い方がいいよこの羽……
・
ロスモンティスとの面会、七回目。
「ロゴスと、チュロス?」
お、覚えてる!?
ぱっと嬉しそうな顔になったロスモンティスがソファから立ち上がり、短い距離を駆けてくる。
「うむ。我はロゴスだ」
「わらわはチュロスだ」
「うん。会ったことある。覚えてないけど、分かるよ」
ロスモンティスに手を引かれてソファに着席。
ローテーブルの上にはチュロスの袋を入れたクリアファイルがある。収納用に用意して貰ったようだ。
「この袋に、チュロスって書いてあるの。あなたと同じ名前」
「おお、それは先日共に食したチュロスの袋だ。いつもの味は品切れゆえ、今日はイチゴ味だ」
いつも通りチュロスを食べて、イチゴ味の袋も欲しいようなので綺麗にして渡した。
そして『子猫日記』を取り出す。
「
忘れた事を意識させる言葉は、極力使わないようにしていた。
だけど覚えてなくていい。悲しんでいい。無かった事のように扱ってしまうのは、一緒に過ごした時間を否定するようなものだ。
「チュロスは私に読ませてもいいって思ったから、そのノートを出したんでしょ? 大丈夫だよ」
差し出された小さな手にノートを乗せる。
迷いも、心配も不安も有る。それごと全部手渡した。
・
ロスモンティスは落ち着いてきて、よく接する人の事は少しずつ記憶できるようになってきた。力を暴走させてしまう事も前より減ったらしい。
できるだけ一人にさせないように、色んな人が呼ばれるようになった。私も最近はアーミヤと一緒に通っている。
ロスモンティスはチュロス袋を全種コンプリートして、ファイリングしたものをアーミヤに見せていた。アーミヤと一緒に原材料の表示を比較したりしている。
仲良くする白猫と黒うさぎ、かわいい。
他の人とも廊下ですれ違ったり、待機所で一緒になったりする。
それでちょこちょこ遭遇していたウィーディと仲良くなった。元々購買部で私が「ありがとうございました」と言うと「こちらこそありがとう」って返してくれてて、何故か最初から好感度が高い感触が有ったんだけど、どうやら私が手が空く度にマメにレジ付近を掃除したりアルコールジェルで手を清めてるのが好印象だったらしい。
コロナ禍で衛生を刷り込まれたからね……現金は特に気になるんだよね……
今では食堂で会えば一緒にご飯を食べる仲だ。
ブレイズとも挨拶した。本当に挨拶だけ。私のバックに居る(物理的に)アエファニルに対して恐縮してるのか、随分と大人しい。
あんまり気にしたこと無かったけど、アエファニルって一般オペレーターからしたらロドスの重鎮の有能エリート上司だったね。
ロスモンティスに会う時はドレスじゃないから、私の見た目のせいではないはず。多分。
頻度は減ったとはいえ、ロスモンティスはやはり時々力が暴走してしまうようだ。アエファニルが抑えたり、アーミヤが宥めたりしている。
私自身はそういう能力は無いし、歌も禁止されてるので、ただ傍に居るだけである。私も何か有れば良かったのにな。
いずれケルシーがロスモンティスをオペレーターにして、アーツの制御を実戦で学ばせる。今すぐ私がそれを提案する事もできる。だけど何事も、早回しにすればいいというものじゃない。
皆それぞれにロスモンティスに対して感情を抱き、思考し、行動する。その機会を奪ってしまったら、皆のロスモンティスへの愛着は育たない。他人との関わりが減れば、ただでさえ狭いあの子の世界はますます小さくなる。
既に介入してしまったからこそ、慎重に見極めないと。
そんなこんなでしばらく経って、年も明けた。
そういえば甲板で落としたチュロスを取りに行った事、もしかしたら監視カメラに映ってて怒られるかと思ったんだけど、今の所特に何も無いな。
バレてる上でお兄ちゃんに報告が行ってないのか、お兄ちゃんが知った上でスルーしてるのか、それとも本当に誰にも見られてないのか謎だ。
ロスモンティスの事で有耶無耶になったという線は流石に無いと思うけど……
有耶無耶と言えば、アーミヤの誕生日プレゼントに服を作ってたのに、時間が足りなくて間に合わなかった。無念。
代わりにアーミヤと一緒に育てている花と同じ物を使った、リラックス効果のある香油をあげた。
香油は意中の相手に……っていうあれは河谷のローカルルールだから。外だと香油は香油でしかないから。セーフ!
アエファニルが「我はまだ贈られた事が無いのに」みたいな顔してたけど、セーフ!
服はまた別の機会に贈ろう。お揃いでロスモンティスの分も作ろうかな。
・
ある日、久しぶりにアエファニルと二人だけでロスモンティスの所へ行った。何やらロスモンティスから話したい事が有るらしい。
アエファニルは既に知ってる……というか、決めた側なのだろう。部屋に入るなり私から離れて、壁際で見守る姿勢だ。
「チュロス、聞いて。私、オペレーターの訓練を受ける事になったよ。コードネームも貰ったの」
初めて会った頃はぼんやりしていたロスモンティスは、今日はちょっとだけ凛々しく見えた。
「ロスモンティス。私は、ロスモンティスだよ」
「うむ。良き名だ、ロスモンティス」
私はその夜、サルカズ語で『子猫日記』と書いてあるノートの表紙に、クルビア語で『ロスモンティス日記』と書き足した。
二つの言語の、二つのタイトル。元の表紙と比べると不格好になったけど、これでいい。こうやって積み重ねていくんだ。