挽歌の後は晩御飯   作:シカルニ

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X-XX 虹の上にあるもの

 針と糸を操って、取れてしまったボタンを付け直す。

 裁縫は好き。でも、ボタン付けだけはちょっと嫌い。

 

「██、バイトはどうだ? 変な客に絡まれたりしてないか? 困った事が有ったら言うんだぞ」

 

 変なのはお客さんじゃなくて先輩だった。

 顔を近付けてきたり、ベタベタ触ってくるのが嫌だった。

 でも叔父さんには言いたくなかった。

 叔父さんが騒ぎだしたら、また叔母さんが嫌な顔をする。

 取れてしまったボタンを付け直す。叔父さんのシャツのボタン。

 

「██は姉さんに似て裁縫が上手いな」

 

 叔父さんが大事なのは私じゃなくて、私の死んだ母親だ。

 ボタンを付け直す。綺麗にできた。だけどよく見たらボタンが取れている。

 取れてしまったボタンを付け直す。付け直して、また取れている。また付け直す。

 付け直す、付け直す、付け直す。終わらない。終わらなくていい。

 

「██っていいお嫁さんになりそうだよな」

 

 ボタンを付けただけ。先輩のシャツのボタン。

 いきなり呼び捨てにしてきて、肩に触れてきて、頭を撫でてくるようになって。

 もう限界だったからバイトを辞めた。

 ボタンがひとりでにぽろぽろ取れる。これでいい。付け直す。

 付け直してる間は進まない。いっそ時間が戻ればいいのに。

 

「裁縫得意なんだっけ? 今道具持ってる? ボタン取れちゃったから付けてくんない?」

 

 あの時断れば良かった。押し付けられたシャツなんて、押し付け返せば良かった。

 裁縫ができたらいいお嫁さんって、価値観古くない? 違う時代から来た人なの?

 可愛い小物をこっそり作りたかっただけ。あなたのお嫁さんになるためじゃない。

 ボタンを付け直す。ボタンを付け直す。ボタンがひとりでにぽろぽろ取れていく。

 

「へー、家事できるんだ。俺家庭的な子って好みだわ」

 

 遊びに誘われたけど、行きたくなかった。家事が有るって断った。 

 後をつけられてる気がして、あちこちぐるぐる回って帰るようになった。

 どうせ夏休みの間だけだし、すぐ辞めたら迷惑だと思って我慢した。

 

「どの辺に住んでんの? 学校どこ?」

 

 秘密にしてもしつこいから、知らない地域の有名な学校を答えた。

 可愛いものは高いから、叔母さんが嫌な顔をする。

 好きだとバレると叔父さんが買い与えようとするから、こっそり作る。

 材料費が欲しかった。だからバイト先に変な人が居ても我慢した。

 

「超可愛いじゃん! よろしく!」

 

 思えば初対面から嫌だった。平凡な私をやたら持ち上げてきて気味が悪かった。

 シャツにボタンを付け直す。ぽろぽろ取れる。噴水みたいにぽろぽろぽろ。

 

「お姉ちゃん」

 

 ボタンが溢れる手元から顔を上げると、幼い頃の従妹が私を見上げていた。

 私は覚えていないけど、私の両親が死んだ頃、この子は叔母さんのお腹に居たはずだ。

 私のせいで、彼女の両親は不仲になった。もしもあの時妊娠していなかったら、叔母さんは離婚を選んだのかもしれない。

 シャツとボタンの海に、従妹と私だけ。

 

「お姉ちゃんなんて嫌い」

「あたしのパパを取らないで」

「お姉ちゃんさえ居なければ」

「どうして生きてるの?」

「お姉ちゃんのせいでいっつもママがイライラしてる」

「なんでちゃんと本当の家族と一緒に死ななかったの?」

「お姉ちゃんが殺されて良かった!」

「アーミヤからテレジアを奪っておいて、何お姉さんぶってるの?」

 

 違う。

 私さえ居なければと、思っているのは私の方だ。

 これは夢だ。

 次の瞬間には、従妹は中学生になっていた。セーラー服には付け直すボタンが無い。

 

「お姉ちゃん、何か嫌な事有った?」

 

 この子だけが気付いてくれた。心配してくれた。

 私のせいで沢山悲しい思いをしたはずなのに、「お姉ちゃん」って慕ってくれた。

 叔父さんはこの子のどこが不満だったんだろう。

 

「ちょっと疲れただけ。大丈夫だよ」

 

 あの時、本当の事を言えてたら……私は殺されずに済んだだろうか?

 

「お姉ちゃん──」

「すまぬな。彼女は既に我の妹なのだ」

 

 いつの間にか私の隣にロゴスが居て、従妹と見つめ合っている。

 

 バイトを辞めて、いつも通り家事をして、夏休みが終わって、しばらくして14章が実装された。

 家事は好きだった。パズルみたいな所が有って、効率の良いやり方を考えるのが楽しかった。

 アークナイツが好きだった。パズルみたいな所が有って、効率の良い攻略を考えるのが楽しかった。

 厳しい世界で前を向いて生きるキャラクター達が好きだった。

 私と同じ年頃なのにロドスを率いてるアーミヤがかっこよかった。

 アーミヤを大事にするテレジアが眩しかった。テレジアに愛されるアーミヤが羨ましかった。

 テレジアの事が大好きなWも好きだった。

 ウィシャデルが欲しかった。ロゴスがいっぱい出た。

 バイト代はまだ取ってあった。学校帰りにコンビニに寄って、ついでに従妹にお菓子も買って帰ろう。

 

 黄昏に染まる川にボタンが落ちた。拾って付け直さないと。だけどここは私が死んだあの橋だ。

 欄干に何か刻まれている。ボタンに埋もれて上手く読めない。

 

「██!」

 

 あの人の怒声が聴こえる。もう会う事は無いと思ってたのに。

 また裏切ったとか許さないとか、勝手な事を言って首を絞めてくるんだろう。

 欄干に鱗のように張り付くボタンを払い除ける。死ぬ前に、ここに刻まれている文字を読んでみたかった。

 ボタンが手にべたべたくっついてくる。針はどこへやったっけ?

 

シャロン

 

 懐かしい声がした。

 美少女みたいな少年が私の肩をそっと引き寄せて、大橋の欄干から遠ざける。

 溢れるボタンは彼の触れた所からさらさらと灰になって、河谷を吹き抜ける風に攫われて消えていく。

 

「顔色が悪いぞ」

 

 両手で頬を包まれて、炎の色の瞳が私を見る。顔を覗き込まれても怖くない。

 このひとは大丈夫。このひとは怖くない。ここに怖いものは何も無い。

 

「こわかった」

 

 誰にも言えなかった本音が、最後のボタンと一緒に零れ落ちる。

 それは彼の手の中に落ちて、花びらのように燃え尽きた。

 小さな王子様が私を抱き上げて、窓辺へ行く。木の枝で羽を休める羽獣が見えた。

 

「██!」

 

 背後から怒声が聴こえる。私が死んだあの橋の上で、あの時のように足音が迫っていた。

 王子様が私を抱えたまま、踊るようにくるりと半回転する。

 誰も居ない。だけど足音がしていたあたりの地面に、ひとつボタンの取れたシャツが落ちている。

 怖い。あのシャツがとても怖い。

 

「我のシャロンだ。うぬのものにあらず」

 

 心地のいい声に誘われて顔を上げると、王子様はロゴスになっていた。

 違う、ロゴス先生じゃない。私のお兄ちゃんだ。お兄ちゃんが私を抱っこして、守ってくれている。

 

「お兄ちゃん、あいつ怖い。やっつけて」

 

 もう間に合わない。既に私は死んだ。

 そうだ、これは夢だ。

 あいつを倒しても現実は変わらない。

 だけど私の感情をお兄ちゃんに差し出す事には意味が有る。

 

「我に任せよ」

 

 お兄ちゃんが骨筆を振るうと、あのシャツがほどけて糸になっていく。

 体が引っ張られる感覚がした。知らないうちに私に糸が絡み付いている。

 

 音がする。

 カラカラと音がする。ぬいぐるみの駄獣が小さな台車を引いている。その上には木の剣。

 私の背後から誰かの手が伸びて、宙に呪文を書いて剣を浮かせる。

 受け取って振り抜くと、糸が何の抵抗も無く切れていく。

 だけどまだ何本も巻き付いて、私の首を絞めようとしている。

 

 コロコロと音がする。ぬいぐるみの鼷獣が六角柱を転がしている。

 カサカサと音がする。ぬいぐるみの跳獣が紙を咥えている。

 受け取ってみると、六角柱には各面に番号が振られ、紙にも一から六までの番号が並んでいる。

 私の背後から誰かの手が伸びて、紙に何か書き足す。六つ並んだ「最強古代巫術」。

 サイコロを振る。最強で古代の巫術なら、多分確定ダメージかな。

 私の頭には触覚付きの花冠が乗っている。これを文明の存続って事にして、与えるダメージを+150%しちゃおう。

 糸の多くは黒く染まって千切れたけれど、まだ僅かに残っていて、私の首を絞めている。

 

 どこからか現れた小さな王子様が跳ね回る。その手にはぬいぐるみの羽獣。

 彼は私の前に舞い降りて、羽獣の柔らかい嘴を最後の糸に当てた。

 糸がぷつりと切れる。未練がましく私に縋り付こうとするその糸を、飛び立った羽獣が羽ばたいて吹き飛ばす。

 

 全ての糸はボタンごと絡み合い、搾り上げられるような動きで黄昏の空へと昇る。

 高く高く。うねりながら、まだ高く。

 お兄ちゃんごと私を丸呑みできそうな、糸の大蛇が飛んでいく。

 

「『燃え尽きよ』」

 

 炎が大蛇の尾から駆け上がる。ボタンの鱗を焼きながら、すぐに頭のてっぺんまで燃え広がる。

 舞い散る火の粉が金色に煌めいて、河谷の木漏れ日を思い出す。

 そしてただの空が残った。

 

 お兄ちゃんが挽歌を歌う。だから私も一緒に歌う。

 どんどん空の色が移り変わって、一番星が瞬いた。

 挽歌が終われば晩御飯の時間が来る。あの日辿り着けなかった夜が来る。

 

「うぬにはこちらの方が似合う」

 

 お姫様みたいな男の子が柵越しに現れて、星よりも輝く赤い石のペンダントを私の首にかけてくれた。

 あれ、柵に何か書いてある。もっとよく見たいけどまだ立てない。

 

「我を杖にするが良い」

 

 伸ばされた手にしがみつき、よたよたと立ち上がって、欄干に手を付いた。

 ここは私が死んだあの橋だ。

 あれ? あの言葉が刻まれてるのって、ここだっけ?

 

 川の音がする。違う、麦茶のボトルに水が溜まっていく音だ。

 カウンターの向こうのキッチンを見ると、叔母さんが麦茶を作っている。ああ、私がしなきゃいけなかったのに。

 

「できるだけ遠くの大学に行って、一人暮らししなさい。お金は出したげるから」

 

 叔母さんは背を向けたままそう言った。やった、一人暮らしさせてもらえる。

 ミシンが欲しいな。服とかカーテンとか、自分で作ってみたい。バイトしてお金貯めなきゃ。

 

「バイトはならぬ。購買部が良い」

 

 購買部もバイトだよ。

 

「便宜上そうしておるに過ぎぬ。クロージャはいずれ、うぬを幹部に据える心算であるぞ」

 

 そうなの? 私なんかにできるかな?

 

シャロン、卑下するでない。それはうぬを信頼するクロージャを軽んじておる」

 

 そっか、そうだよね、ごめんなさい。でも、不安なのは本当だよ。

 

「それで良い。自尊心は力となるが、過ぎれば思慮を欠く。うぬならば不安を払拭すべく、金銭や物資の動きを念入りに確認するであろう。購買部を預かる者として、必要な資質だと思わぬか?」

 

 水が止まる。麦茶のボトルに蓋をはめる音がした。

 叔母さんが振り返る。黒いヴェールとドレスを纏った彼女が、私とお兄ちゃんの手を取って重ねる。

 

シャロンよ、そなたは遠くより来たのだな。されどそなたは一人にあらず。二人でともがらのもとへ行くがよい」

 

 ラケラマリン様が額にキスしてくれる。希望+8。お姉様達が手を振っていた。

 黒いドレスの中に、一人だけセーラー服。ブンブン手を振り返す。

 さようなら、私の妹。どうかあなたが幸せでありますように。

 河谷の外へ繋がる長い石橋を、アエファニルと手を繋いで渡る。霧の中で真っ白だ。

 

「お兄ちゃん、私ミシンが欲しい」

「我が贈ろう」

「だめだよ。お金貯めて自分で買わなきゃ」

「離れておる間、何も与えてやれなんだ。贈らせてくれ」

 

 ふと、自分の体を見下ろしてみる。お姉様達が用意してくれた黒いドレス。

 片腕にはオリジムシ人形。

 誕生日にアエファニルから貰った、赤い石のペンダントが胸元で揺れていた。

 

シャロン

 

 呼ばれて顔を上げる。お兄ちゃんが隣に居る。

 思い出した。シャロン、それが私の名前。鈴の音みたいで気に入ってる。

 

「兄上、ミシンのみでは無意味だ。布がたんと欲しい」

「ほう、何を作るのだ?」

「アーミヤとロスモンティスに服を。それと他の子供らにも何か贈りたい。全員の分を一から作るのは難しいゆえ、市販のものに手を加えようかと考えておる」

「さあらば筆入れが良かろう。機能は量産品で十分、されどそれでは他者の物と区別がつかぬ」

「それは良い。各々の好みに合わせた装飾を加え、唯一無二のものとしよう」

「シャロンの手掛けたものとなれば、あの子らの勉学への意欲も増すやもしれぬな」

 

 手を引かれながら、朝日を纏った霧の中で振り返る。アエファニルがぶち生やしたあの大橋が、虹の如く天に煌めいていた。

 背を向けて前へ進む。もう欄干の文字を読む必要は無い。

 そこに刻まれている愛は、ずっと私の隣にある。

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