「お大事に」
「うむ……」
ケルシーに促され、持たされたダンボール箱と共に部屋に入る。外から扉がロックされた。
河谷では散々アエファニルの部屋に出入りしてたけど、ロドスでは入るのは初めてだ。
部屋は片付いている。本棚、戸棚、クローゼット、机、丸テーブルにスツール二脚、キューブ型の冷蔵庫に、大きなベッド。
壁には私が贈ったタペストリーが額に入れて飾ってあった。あの、それ直接壁にかける想定のやつ……しかもサイズ感ピッタリだから特注疑惑が……
机の上には私があげたマグカップ。こっちもケース入り。タペストリーの後だとインパクトが薄いのが怖い。
机の正面の壁にも色々飾ってある。私があげたフォトフレームも──
あっ、なんか見覚え有るものが! これは……呪文マスクの図解説明書!?
仲間たちと一緒に写ってる写真も色々有るけど、明らかに説明書と私のフォトフレームがメインの配置になっている。しかもフォトフレーム自体もケース入りである。
スツールが二脚有るという事は、この過剰ガードを目撃したお客さんが居るかもしれないんだよな……やめて恥ずかしい。
次はさっきから視界の端で存在感を放っている、大きなベッドに視線を移す。
うん、前に添い寝持ち掛けられた時に本人が言ってたからね。「我の寝床は広い」って。
まあ普通に広いのが好きなだけで、添い寝はついでな可能性も有る。いや無いな。なんか枕二つ有るし。
私がかつて売り捌いたふわふわ枕のようだ。
ベッドから目を逸らして、持たされた箱を確認する。
すぐ食べられる食料と飲み物と箱ティッシュと歯磨きセットと下着と除菌シートと大小のタオルとビニール袋。
冷蔵庫の前に屈み込み、電源を入れて、飲み物やゼリーを仕舞っておく。
冷蔵庫の扉を閉めて──そのまま立てなくなってしまった。
ぼろぼろと落ちる涙を放置して、その場にじっと蹲る事しかできない。
訳が分からない。さっきまでなんともなかったのに。
写真の中にAceを見付けたから? ケルグ達が買ってくれたのと同じ枕だったから?
動き始めた冷蔵庫の音が耳鳴りのように頭を支配する。
なんだかずっと前からこうしていたような気がする。これからもずっとここでこうしている気がする。
不意にひょいと持ち上げられて、運ばれる。
驚いたけど、今ここに私以外の誰かが居るとしたら、彼女だけだ。
「一度寝てしまえ。ロゴスが来るまではここに居る」
ベッドに転がされて、顔にタオルを被せられる。
ふかふかのマットレスにふわふわ枕。清潔なタオルの匂いに混ざって、懐かしい香りがする。
帰ってきた。帰ってきてしまった。
ドクター救出作戦が終わってしまった。
醜い嗚咽が漏れる。
沢山の人が呼吸を止めたのに、私の喉はまだ絞まっていない。
・
ふと目が覚める。頭がガンガンする。
でも温もりに包まれている。
くっついてみると、安心する匂いがする。あったかくてぬくぬく。
お兄ちゃんだ。お兄ちゃんが帰ってきたんだ。
久しぶりの添い寝。なんだかんだ落ち着く。暑いけど離れたくない。
「……シャロン?」
あ、起こしちゃったかな。
お兄ちゃんの声好き。大好き。安心する。
「あ」
なんか声がガビガビ! 喉痛い! でも負けない!
「にうえ……」
「無理に発声するでない、喉を痛める」
色々痛いし、寒いのに暑くて汗かくし、だるいし目は霞むし鼻がズビズビ。風邪引いた?
ぐーんと上体を抱き起こされる。ストロー付きのコップを差し出されて、受け取ろうとしたら遠ざけられる。
大人しく口を開けて飲ませてもらう。滅茶苦茶喉乾いてる。ずずずずず。飲んだそばから水分が目から逃げていく。
「う、あ」
喉が勝手にしゃくり上げて、呼吸が乱れて、泣きたくないのに涙が溢れる。
アエファニルにしがみつくと、ぎゅっと抱き締めてくれる。
チェルノボーグで見たものが頭の中を駆け巡る。
爆発した車。焼け焦げた広場。突き立つ工具。斬り落とされた首。倒れたビル。事切れた女性。白い服に散る赤。
死という言葉は一つだけど、それぞれの人間に訪れる死は異なるもので、それが沢山の人に一斉に降りかかって──
「あに、あにう、え」
「シャロン、心を落ち着けよ。我の歌に集中するのだ」
アエファニルが、私の背中を優しくとんとん叩きながら子守唄を歌ってくれる。お姉様やお兄ちゃんが、小さな私のために何度も歌ってくれた曲。懐かしい曲。
私はここに帰って来れた。怪我も無くって、感染もしてなくて、怒ってるはずのアエファニルもここに居てくれて、何も失ってない。
でも、そうじゃない人が沢山生まれた。
悔しい、苦しい、悲しい。
もう過ぎてしまった事だ。今更感情を揺らしても意味は無い。
でも、いつなら意味が有るんだろう?
私よりも辛い思いをしてる人が沢山居る。私の感情は取るに足らない。
でも、誰の感情なら価値が有るのだろう? 私以外の全員? それとも一番悲しい人だけが、悲しむ権利を持っている? そんなわけない。
私もみんなも、それぞれが抱く感情に意味が有る。
もしも意味が無かったとしても、私の感情をお兄ちゃんにさらけ出す事には意味が有る。
「あ、あにうえ、わらわは、くやしい」
子守唄は終わったけど、返事は無い。代わりのように頭を撫でられる。
それじゃ足りなくて、膝の上に乗り上げて、もうこれ以上くっつけないという所まで真正面からしがみつく。
お兄ちゃんは、全部全部、受け止めてくれる。
「あに、あにうえ、は……斯様な、たたかいを、つづけて、きたのだな……」
私の全部はアエファニルが受け止めてくれる。でも、アエファニルが辛い時は、誰がそうしてくれるんだろう?
手を伸ばして、アエファニルの頭を撫でてみる。いつも彼がしてくれるように。
アエファニルが抱き締めてくる力が強くなって、少し痛いけど、今はそれが嬉しい。
「我は構わぬ、覚悟の上だ。されど、うぬには苦患であろう」
「わらわは、苦しい。あにうえも、苦しかろう」
「我はうぬさえおれば、如何なる辛苦にも耐えられる。我のシャロンよ。我を案ずるならば、二度と此度のような真似はしてくれるな」
ますますぎゅっとされて、ぺしゃんこになりそうだ。だから私も力いっぱい抱き着いた。
「あにうえ……すまぬ、心配をかけた……」
「否」
急にぐわんってなって、背中がぼふんって当たる。
お兄ちゃんが身を離す。私はまだくっついていたくて必死にお兄ちゃんの服を掴んだけど、腕を掴まれて剥がされてしまった。
「うぬは心配すら、させてくれなかったではないか」
頼りない常夜灯と霞む目では、私を見下ろすお兄ちゃんの表情は分からない。
聞いたことの無い声色なのも相まって、一瞬、知らない人みたいな心地がした。
「可憐な衣装だ。うぬに似合う。されど我がうぬにミシンと作業室を贈ったのは、冒険をさせるためにあらず」
少し乱暴にドレスを掴まれる。ぷちっとどこかが千切れる音がする。
怒ってる。当然だ。お兄ちゃんがくれたミシンと作業室で、お兄ちゃんを裏切る事をしてしまった。
「呪術も上達したな。呪文を関数化したか」
ドレスの胸元から下腹までを、手のひらですーっと撫でられる。
その下のインナー用ワンピースの前面には、呪文の関数群が仕込んである。
お兄ちゃん、直接見なくても分かるんだ。
「悪くはない。安全な場であれば、な。『裂けよ』」
ドレスの下からぷちぷちと糸が切れる音がする。インナーの刺繍が千切れていって、呪文は意味を成さなくなる。
関数本体が機能停止した今、それを呼び出すための呪文リボンもただの飾りになってしまった。
チェルノボーグでこうなっていたら、きっと帰って来れなかった。知っていたはずなのに、実際に呪文が失われた今、その心細さにぞっとする。
それで……ぞっとして、やっと、お兄ちゃんの怒りの本質を掴んだ気がした。
「……わらわは、あにうえの大事なわらわを、二度もあにうえから奪おうとしたのだな」
アエファニルが動きを止める。
そして少しの沈黙の後にゆっくり両手が伸びてきて、私の頭を包み込むような形で羽の付け根に指を這わされる。背中がぞわぞわする。
「然り。此度で二度目だ」
一度目は、一人で河谷を出ようとした時。
私の中では別の種類の出来事だけど、お兄ちゃんからしたらどっちも自殺行為だ。それもお兄ちゃんが知らない間に始まって、知らない間に終わっている。
知らない間に、無事で戻ってきた。でも、もしも知らない間に死んでいたら──お兄ちゃんはどれだけ悲しむだろう?
「あにうえ、すまぬ……もう勝手に去るような真似はせぬ」
「誓うか?」
返事をしたいのに、羽の付け根をくすぐられて力が抜ける。無意識に振り払おうと頭を動かしそうになったけど、咎めるようにキュッと掴まれて動けなくなる。
「あうう……」
「誓うか? シャロン」
「ちか、ち……うう」
「シャロン? 答えよ」
指の腹でさすさすされるどぞぞぞってして力が入らないし、指先でカリカリされるとびくってなって上手く喋れない。
繰り返されると、熱が有るのも相まって頭がぼーっとしてくる。
「や、やめ……」
「誓うか?」
涙で全然見えないけど、アエファニルがぐっと顔を覗き込んでくる気配がした。
羽を弄る手の動きは止まっている。今! 今を逃したら負ける! 何にかはわかんないけど負ける!
「ち、ちかう! けるちーせんしぇいからも罰をうけた! にどとすまい!」
あっ、口外禁止なんだった。まあお兄ちゃんなら大丈夫だろう。多分。
お兄ちゃんは名残惜しげに私の羽をそっと包みこんでから手を離していく。
「……はぁ。色々と申したい事は有るが、一旦良しとしよう」
アエファニルは不満げな溜息を吐いたけど、また私を抱き起こしてぎゅっとしてくれた。
お兄ちゃんの溜息、珍しいな。ちょっと怖いけど、お兄ちゃんのほんとの気持ちが籠もったものだから、嫌じゃない。
「我のシャロン、我の宝。よくぞ無事で戻った……」
お兄ちゃんが柔らかいタオルで顔を拭ってくれる。呪文を使わないってことは、手作業でやりたいんだろう。大人しく身を任せる。
「此度は幸運に恵まれたに過ぎぬ。うぬの実力と思うでないぞ」
「うむ……わらわは、己の未熟さを痛感した……」
「さはいえ、うぬがあやつらを連れ帰ったのも事実。……よくぞ我が友を救ってくれた」
「あにうえ……」
抱き締められて、撫で撫でされて嬉しい。安心でまた涙が出てくる。
私ばっかり幸せで、罪悪感でもっと泣けてくる。
「シャロン、飲むのだ。うぬの瞳が枯れてしまう」
お兄ちゃんが呪文で飲み物を用意して、また最初みたいに差し出してきた。受け取ろうとしてもやっぱり遠ざけられたから、大人しく飲ませてもらう。ずずずずず。
「食欲は有るか?」
「ない……」
「僅かでも構わぬ。食せ」
今度はお兄ちゃんの膝の上でフルーツゼリーを食べさせてもらう。食欲は無いけど口に入れたら食べれる。
食べ終わって落ち着いたらトイレに行きたくなってきた。
「花をつみに行く……」
下りようとしたら普通に膝から下ろしてくれた。抵抗されるかと思ってた。
いつの間にかドレスの背中の紐が解かれてたから、脱いで丸めてスツールに乗せて、壁伝いに洗面所の扉へ向かう。
「ふらついておるではないか。手を貸すぞ」
「いらぬ……わらわは幼少のみぎりより、厠で仕損じたことは一度たりとない……」
「我がうぬの
「現在は無用だ……」
お兄ちゃんは洗面所までついてきた。ここ、トイレとは別にお風呂場まであるっぽい。流石エリオペの部屋、豪華だ。
トイレを済ませて、手を洗うついでに顔も洗う。横から差し出されたタオルを受け取ってその場で拭いて、終わると抱っこされてベッドへ戻される。
ふわふわ枕に頭をふわーんと乗せられた。意識もふわふわしてくる。
「シャロン」
撫で撫でされて気持ちいい。そのまま前髪をかき上げられて、額に口付けが降ってくる。希望+8。
心はまだちくちくするけれど、お兄ちゃんはそれごと私を愛してくれる。
「あにうえ……」
「シャロン?」
手探りで捕まえたお兄ちゃんの手を握る。
ねむい。やっと本物の眠りが来る。
私はオリジムシ人形かお兄ちゃんが居ないと、安心して寝れないのだ。