無意識に放っているせいか余計な要素が混ざりまくりらしい私の精神感応アーツは、Pithであっても具体的な効果の予測が難しく、〝当たった本人にアンケートを取る〟〝当たった相手の様子を観察する〟という原始的な検証しかできていなかった。Pithはアーツの専門家であって、精神の専門家ではないのだ。
……が、考えてみれば、アーツオタクの彼女がそれで満足するわけが無かった。
「それは……意識的に極東語で行使すれば、より安定する可能性が有るという事か?」
「そうだ。お前のアーツを紐解くのは骨が折れた……絡まった糸玉のようだったぞ」
ぞっとする。私は今までずっと、何語で思考していた?
歌に限らず、言葉で刻む呪術の全てが同じ条件だとしたら──
「『浮遊せよ』!」
掌に骨筆を一本乗せ、極東語──より正確に言うならば、日本語で唱える。
ロドスで語学を学んだ経験か、バンシーの特性か、それとも私がいまだに日本人だからなのか。転生してから初めて発した日本語なのに、それは奇妙なほどにはっきりと発音できた。
叫んだり、歌ったりしてようやく機能するはずの私の呪文。少し力が入ったとはいえ、たった一言では効くはずが無い。
浮かないで欲しい。どこかでそう思ってしまった。
忙しいPithが、合間を縫って調査してくれたのだろうに……それが無駄であって欲しいと願ってしまった。
──そんな私を嘲笑うように、骨筆はあっさりと私の手から離れて、その場に留まる。
理解した気がする。どうして私の呪文がイマイチだったのか。
特別な魔法の呪文のように思っていたからだ。
普段から話してる言葉として、普段と同じように……たとえば「醤油取って」とか、そのくらいの自然さで唱える事こそが、呪文の本質なんじゃないか?
世界の法則を捻じ曲げるのではなく、これが当然だと世界の方を錯覚させる──そういった力なんじゃないか?
おそらく術者本人が言語と認識しているならば、あらゆる音や、独自の文字ですら呪文として成立する。
私は既にその実例を知っている。
原作で、ナスティが工事の騒音に呪文を込めていた。彼女にとってそれが、最も身近な言語だから。
上達のヒントを得た喜びなんて無い。
もっと早く。私が真っ先に気付けたはずの、単純なこと。
もっと多くの人を助けられたかもしれないのに。
〝コロンブスの卵〟なんて前世の言葉が頭の中をよぎって、日本語が染み付いている事を思い知らされて、それでまた悔しくなる。
もしも前世の記憶が無かったら、もっとちゃんと、サルカズ語で呪術を使えたのかな?
だけどそれだと、Scout達を助けに行く事もできなかった。
過ぎ去ってしまった時間と失われた命を思うのは、今日が初めてではない。
だけど今日が一番苦しい。もしも私を転生させた神が居るのなら恨みたい。
神なんて居ない。だからこの感情は行き場が無い。
この感情に意味は無い。……前ならそうして見ないふりをした。
「シャロン」
見上げるよりも先に、アエファニルが私を抱き締めてくれる。
私はどこまで行っても日本人の転生者で──だけどどこまでも行っても、彼が妹で居させてくれる。私の全部を受け止めてくれる。
抱き着いてこの無力感ごとぐりぐり頭を押し付けると、いつもより少し優しく撫でられた。
何度撫でられても、悔しさは拭えない。
それでも水面に映る景色を掻き混ぜるみたいに、ほんの一時、その輪郭が曖昧になる。
「すまぬ。我はうぬの兄でありながら、うぬを導いてやれなんだ」
「違う、わらわが……わらわが己で気付けたはずであった! わらわは常に極東語で思考しておるのだ! されど試そうとも思わず……!」
歌とか刺繍とか、血を使うとか、形態に囚われていた。
そうじゃなかった。本当に必要だったのは、言葉を言葉として扱う──ただそれだけのこと。
余計な翻訳をかけているような状態では、繊細な語意を取りこぼす。そんな単純なこと。
アエファニルが気付けないのは当然だ。河谷の外を知らない私が他の言語で思考してるなんて、夢にも思わないだろう。
「……否。我はかつてうぬの夢に立ち入り、うぬの旧き記憶を視た。その際、極東語に類似した言語を耳にしたのだ。なれど我はそれを過去の残滓に過ぎぬと判断し、捨て置いた」
──ん? なんて?
なんか、私が転生者だと知ってるように聞こえるんだけど……気のせい?
駄目だ上手く頭が回らない。旧き記憶ってどれ?
「Pithよ、我が妹には時が必要だ。この件については然る後に語り合おう」
「構わない」
よく分からないけど、一旦後回しにして良さそうだ。
お兄ちゃんから離れて、滲んだ視界のまま、浮かせた骨筆を捕まえる。
この数日間、泣いてばっかりだ。でも、今日で終わりにする。
アーツで涙を飛ばす。髪を乾かせるのなら、涙を乾かすのだってできる。そんな事にも、今ようやく気が付いた。
今の私のままでも、きっと他にもできる事がある。
そうして顔を上げた私の前にPithが仁王立ちした。ひぃっ!
「それで、何人が私を理由にした?」
明確でないはずの質問だが、完全に理解してしまった。
ヴェールで見えないというのに目が泳ぎまくる。
「……TouchとOutcastが……」
「つまり私は当初の想定の三倍お前を叱り付ける権利が有るな」
離れたばっかりだけどアエファニルにしがみつく。
抱っこ! お兄ちゃん今こそ抱っこ! ダメ!?
「まずは成すべき事を成せ。説教はその後だ」
身構える私を置いて、Pithは背を向けてスタスタと部屋を出ていく。
扉が閉まって、気が緩んで……アエファニルにまた頭を撫でられた時、悔しさが幾分か吹き飛んでいる事に気が付いた。
──彼女なりに、喝を入れてくれたのだ。
・
今日の流れの最終確認を済ませて、久しぶりにお兄ちゃんと食堂で朝ごはん。
Scoutとは一旦別れてまた後で合流する事になった。兄妹水入らずでって事だろう。
食欲は無いけど口に入れたら食べれる。いつものやつ。今日は戦場に出るから、ちゃんと食べて気合いを入れないと。
お兄ちゃんがデザートにミニケーキを食べさせようとしてくるが、流石に食堂ではダメだ。周囲の視線が痛すぎる。
差し出されるフォークを回避して皿の方を引き寄せて……
「兄上も食すがよい。はんぶんこである」
「はんぶんこ」
半分にして更にミニになったミニミニケーキをアエファニルの前に戻す。
よし、食べ始めてくれた。回避完了。
……ケーキのように切り分けてしまうのは簡単だ。敵か味方か、感染者か非感染者か。あるいは、ロドスかレユニオンか。
だけどロドスの理想は、そういった分断を取り払った先に有るはず。
スカルシュレッダーはその境遇から偏った思想を持っていて、怒りに支配されていて、原作では倒すしか無くて──そんな誰にも救えなかった感染者にこそ、手を差し伸べなくてはならない。
場合によっては敵は味方になり得るし、逆もまた然り。
非感染者だっていつ感染するか分からない。感染する前に死んだ人だけが、揺るぎない非感染者でいられる。
先にロドスに出会えていたらレユニオンには入らなかった人も、その逆も居るだろう。
誰もが自分と誰かの間に線引きをしたがって、その実その境界は曖昧だ。
私は〝転生者〟だ。でも、きっと〝テラ人〟にもなれる。私はアエファニルの妹だから。
きっと彼らだって変われるはず。
食事を終えたらScoutの所へ向かう……のだが、その前に。
「忘れ物をした」
「何を忘れた? 手巾か? 塵紙か?」
「上着である」
アエファニルが自分のポケットを探るのをやめさせて、一緒に私の部屋へ行く。
クローゼットをオープン。全然着てないロドスの制服のジャケットを取り出す。
ドレスやヴェールにはちょっと合わないけど、今回はロドスだけじゃなくて龍門勢も居るはずだし、一目で所属が分かる方がいいだろう。
「似合うか?」
羽織って、くるりと回ってみる。自分で鏡を見る限りではやはりイマイチだ。
「……うぬまで背負う必要は無いのだぞ」
「然り。ゆえにこれは、純然たるわらわの意志で着用するのだ」
お兄ちゃんが迷うように目を伏せて──けれど、次に目を開いた時は真っ直ぐに私を見据えていた。
知らない表情だ。でもなんだか、今までで一番原作を思い出す。
アエファニルでも、お兄ちゃんでもない、ロゴスの顔。
エリートオペレーターとしての顔を、初めて私に見せてくれたんだ。
ぽんと私の頭に手が置かれる。心の棚に、新しい箱を置くみたいに。
それはきっと、黒と青の二色の箱で、塔のマークが入っている。
「似合う。その姿を損なわず、無事で帰るのだ」
「うむ!」
今、私の心の棚はお兄ちゃんへの愛で溢れている。新装開店である。
皆と一緒に戦いたい。その〝皆〟の中の一番は、私をとびきり大事にしてくれるアエファニルなのだ。
同じ戦場じゃなくてもいい。同じ大地で、同じ理想を追い掛けていたいんだ。
・
今日の荒野の風は少し強い。試しに日本語で「無風」と唱えてみたら、私達の近くだけ静かになった。少し前方では僅かな草が変わらず揺れている。
「温風」と唱えてみたら、少しあったかくなった。熱風……は怖いからやめておこう。温度がどのくらいになるのか分からない。
これ、例えば「一千四百度の熱風」とか唱えたら、その通りになるんだろうか? 今度アエファニルに手伝ってもらって色々検証しなければ。
他にも日本語呪文を試していると、龍門の方向を見ていたScoutが立ち上がった。
「出て来た。赤髪のサンクタに黒髪のループスだ」
「さあらば移動を開始するか」
「ループスは鼻が良い。この距離を保つぞ」
龍門から出るスカルシュレッダーの動きは既に捉えていたが、私とScoutはそのまま龍門の近くで待機していた。
やろうと思えばアーミヤ達を待たずに歌いに行く事はできる。
でもそれで上手く行かなかった場合、私とScoutだけでその場のレユニオン全員に対処する事になる。危険すぎるから許可が下りなかった。
もどかしいけど、今回こそは全面的にScoutの判断に従う約束だ。
原作ではペンギン急便の二人がスカルシュレッダーの居場所を見付けていた。
彼女達の行くルートをなぞればひとまず安全だろうという事で、隠形しつつ後を追う。
……ん? そういえばあの二人って偵察だけじゃなくて、先にレユニオンと戦闘始めるんだっけ?
極力殺さないようにお願いできないかな。Scoutに相談してみた。
「……確かに、刺激したらそのまま引っ込みがつかなくなりそうだな。上手いこと見張りを無力化して、アーミヤを敵本陣に近付け、戦闘になる前にあんたが歌う。それが良さそうだ」
というわけで隠形を解き、エクシアとテキサスに近付く。手をブンブン。
特に警戒されたりはしてなさそうで、エクシアが手を振り返してくれる。
本艦から増援を出すという部分だけは既にアーミヤに話が通ってるから、アーミヤ経由でこの二人にも伝わってるんだろう。
「やっほー! ロドスの増援の人?」
「ああ、あんた達がペンギン急便だな? 俺はエリートオペレーターのScout、彼女は隊員のチュロスだ。本艦の判断で、この後に発生するであろう戦いのサポートに来た」
「……そちらは戦士ではないようだが」
エクシアはちぐはぐなコーデの私に興味津々な顔をしているが、テキサスからは困惑の視線を感じる。
うん、今の私、どういう温度感で接すればいいか迷う出で立ちだと思う……なんかごめん。
「然り、わらわは戦闘員にあらず。アーミヤはレユニオンとの和解を望んでおるゆえ、交渉の補佐をすべく参った」
「こっ、古風! なんかカッコいい!」
エクシアのテンションが謎に上がっている。
そういえば私もアエファニルも、どの言語でも古風な口調になってるらしいんだけど、他の人と同じように学んだはずなのになんでだろうね。不思議。
「すまぬが、わらわが動いておる事はアーミヤには伏せておいてくれぬか。要らぬ心配を掛けたくないのでな」
「りょうか~い!」
軽っ!? 詳しい理由とか聞かなくていいんだ!? まあ話が早いのはありがたい。
ここで一旦Scoutがアーミヤに連絡を入れる。ペンギン急便と合流したよーっていう話。
あとは移動しながらこの後の細かい動きを決めていこう。
余談だが、私は圧倒的テキソラ派である。
リアルテキサスカッコいい。ソラちゃんと並んでるところ、見たかったなぁ……