あの日   作:はまっち

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あの日(1)

199▮年2月26日、東京都霞が関

 

 

 東京の一等地、霞が関。

 皇居を目の前に広がる日比谷の大緑地にて、大量の警察官と刀を佩いた武人たちが倒れ伏す。

 ほんの数分前まで“真理教会霞が関騒乱対策本部”が置かれていた日比谷の前線司令部は、もはやその機能を完全に喪失していた。

 警察庁の特殊警備部隊(対凶悪犯特殊部隊)、警視庁公安部の最精鋭、明治の時代から続く霊体機能(ふつまじゅつ)捜査官――そうして、新たな結界理論を構築するに至った七人の天才の一人まで。

 

 そのすべてが、狩衣を纏ったほんの10数名の老若男女によって鏖殺されている。

 

「……国家警察に仇を為すなど――中臣孝生元官房長官の後ろ盾を失い、もはや完全に狂ったか!」

 両腕の関節と言う関節を一つずつ切り捨てられた警察官が、口角から血反吐を吹き出しながら猛る。公安警察の上層部であったというその男は、自らを守る機動隊員の骸に囲まれている。

 小刀の一つで数十人もの屈強な男たちの首と言う首、関節と言う関節を全て斬り伏せた黒髪の神官は、自らの顔を隠す雑面(ぞうめん)の下からわざとくぐもらせた声で以て反論した。

 

「……孝生殿は別だ。彼は尊くも、南郷の右大臣に大きな傷をつけていただいた」

「何が右大臣だ、密室政治の権化め……! 村山総理は黙っていても、時田が黙ってはいないぞ! あの執念を貴様らは知らないだろう……、何十年かかろうと――貴様ら神祇官は旧弊として捨て去られる未来が、必ず来」

「ほざけ、売国奴。いかようにも移り変わる権力の狗め」

 

 男の言葉を最後まで聞くこともなく、顎の関節が寸断される。血を吹き出しながら下あごと上あごとを綺麗に切り取られた警察官は、ばたばたと存在しない手足を暴れさせながら痛みに苦しみ――そうして、唐突に魂自体をかき消されたかの如く絶命した。

 来たか。

 雑面を被った女神官の前から、今しがた死に絶えた警察官の後ろから、同じく雑面で顔を隠した数人の男女が現れる。

 

唯祈(いのり)殿ぉ。前オススメしたゲンブン先生のマンガ読んでくれたんスね?」

 若く軟派な男の声で、薙刀を握りしめた雑面の神官が言う。

「……茅花様には黙っておいてくれよ。お前のようなミリタリーオタクの愛好家とみられるなど、世間体に悪い」

「はは。(みぎわ)殿が泣きますよ。アイツ、あんなトシしてレイアース見てときメモやってたんスから」

 今時軟派な男と言うのは珍しくないんだったか。ここ数年前から自動車やマンガなんかに現を抜かし始めた同胞の若い衆を頭に浮かべつつ、長く黒い髪を風に乗せた雑面の女が俯きがちに呟いた。

 そう言えば、茅花様もセーラームーンとか言うマンガを楽しんでいたか。

 “平河町”(じみんとう)が野党落ちし、ソ連は崩壊し、長いバブルは弾け飛んだ。急速に変わりつつある世間の中で、これからの未来ある――未来があった若者たちは、これまでの人間とは異なる人生を歩んでいく。

「……まあ、趣味があることは良いことだからな」

「なーんか渚殿にだけ甘くないスかぁ? ……もしかして“コレ”?」

 小指を上げた若い男の後頭部を殴りつけ、女は小刀を懐に収める。

「……虚保(うつほ)、お前そこまでして針を呑みたいらしいな。宴会芸にはちょうどいい」

「ひえぇ、エンガチョエンガチョ」

 ひとしきり小声で騒いだ後、コホン。咳払いの音。

「御前だ」

 口を慎め、とも放つことなく、ひときわ年老いた男のしわがれた声がする。それきり男女は背筋を伸ばし、地面に膝をついて顔を伏せる。

 日比谷の緑を押し分けて現れるは、彼らと同じような時代錯誤の風体だ。

 千差万別、老若男女。古めかしい武具と狩衣とに身を包んだ、素顔の明かされない神官たち。もはやだれでも無い神人(じにん)の群れ。

 その中の一人、雑面で顔を隠していない男の素顔が、月下、明かりに照らされた。

 

 黒い髪。黄色い瞳。大学で学問を学んでいそうな優男の顔立ちに、荒れ果てた無精髭と目の下の(くま)が不格好なアクセントをつける。

 地面に膝をついた神官の一人が押し殺した声で、ポツリと詠じる。

 

「――――鹿波様。中臣家お抱えの禰宜衆“間人(はしひと)”より、中臣理仁(りひと)以下、決死隊13名。只今参集しました」

 

 太刀を佩いた大柄な老人。雑面に顔を隠してもなお伝わる歴戦の神祇官の風格というものを明らかに露出させつつ、続ける。

 

「既に赤坂署、麹町署、丸の内署、および神田署。完全に制圧済みです。道は開かせていただきました。

 爾後、四班に別れ警察及び自衛隊中枢の祓魔師どもを制圧します。鹿波様は妹君の……茅花様の元へ」

 

 滔々と流れるように言い切った男に向けて、鹿波(かなみ)と呼ばれた男は静かに、一切の感情を出し疲れたといった表情で呟いた。

「絶縁状を」

「ここに」

 示し合わせたかのように、13通。そのすべてが“中臣”の姓から始まる人名を以て、“中臣”の家と関連する一切の組織からの離脱を一方的に告げるもの。

 それを受け取り、鹿波は無精ひげだらけの口を開いた。

 

「――これより、僕たちはもはや中臣に類する人間ではない」

「死して、まともな葬式を受けられると思うな。生きて、まともな世間に溶け込めると思うな」

「骸は空にほどけ、血肉は遊離し、為すことは全てありもしないものとなる。――それでも」

 

「それでも、我々は茅花様を取り戻します」

 

 冷たく、固い意志。

 血をにじませた言葉尻に、鹿波は一つ打ち頷いた。

 

「…………お前たち13名の後生の後、僕が貰い受ける」

「光栄です! 中臣家次期当主、中臣鹿波様!!」

 

 

 

 

 神祇庁。明治の初めまで日枝山王神社の門前に所在したこの府庁は、戦後東京の復興に合わせて画一的な合同庁舎に纏められることとなっている。

 日枝神社、総理官邸、衆参両院議員会館。日本の中枢に最も近い宗教行政の総本山。

 

 日本で最も謎に包まれた古い官庁の上層階で、質素な執務室で、数名の武装した男女が一人の神官を前に言葉の限りを尽くしている。

 

「白虹神祇官。“鮫島”の位置がどこであるか。ご存じですね」

 

 白虹硨磲(しゃこ)。仏典にもある白珊瑚の名を冠する老獪な――そうしてこれからの神祇庁を取り仕切るであろう神祇官は、その名にふさわしく純白の光彩を見開き目の前の雑面の神官を見る。

 

「……鮫島。静岡県富士市の地名だ」

「国土地理院で地図帳を買えばわかることを、なぜ態々貴方に尋ねる必要があると思っているのですか」

 

 中臣鹿波は、白虹神祇官に向けて静かに言い放つ。

 殺気立つ背後の部下たちを抑えながら、自らも深く沈み込むような殺意を抑えつけて口を開く。

 

「旧日本軍時代の通称号“鮫島”独立混成衛戍旅団、GHQの資料にある“サメジマプリズン”、自衛隊における中田屋機関……N班と、それに対を為すとされる“S班”。警察庁広域重要事件“サ-01事件”……そのすべては、ただ一つ東京都内のとある地名から始まる」

「……東京都23区内に鮫島という地名はない。23区の外においても」

「佃がかつて石川島だった話をしますか。それとも、品川区鮫洲の地名の由来でも」

「……お前は、こんなところにいなければ立派な歴史の先生になれただろうな」

 

 やれやれと首を振り、白く濁った瞳を中臣鹿波に向けた。

 

「……同僚として、一つ言っておくぞ。中臣神祇官。そこに触れるのはやめろ」

 

 何故。言葉を紡ぐ前に、念を押す。

「国立研究開発法人境界異常・幽世事象蒐集研究所(F E A T O)が関与している」

「例のあの、超法規的蒐集機関か」

「そうだ。戦前から――或いは国際連合創設時から続く祓魔の闇に消されかねん」

国際連合極東境界異常・幽世監視団(U N - F E A T O)は与太話でしょう。スヴェルドロフスク、旧八咫ノ川禁域、ユーゴスラビア……至る所に奴らの活動が散見されるとはいえ」

「やめろ」

 ぽつり、呟く。なおも抗弁を続ける中臣鹿波の言葉を封じるように。

 

「“鮫島”は、調べるな。比礼市、増人市の二つと共に。誰も知ってはならない領域だ」

「…………だが。貴方はそこを垣間見、そこに飛べるのでしょう。白虹神祇官」

 

 そうして中臣鹿波は、本題を切り出す。

 白虹神祇官家――天眼通(リモートビューイング)神足通(テレポート)、二つの超能力にも近い祓魔術を用いることで定評のある古い神祇官家を継ぐもの。

 その血に刻まれた家伝式法によって誰もが大なり小なりその異能を持ち合わせる祓魔の大家を前に、同じく祓魔を担って来た中臣神祇官は自らの目的の為、ただ一つの要求を。

 その言葉を予想しきっていたかのように、白虹硨磲は白い眼を閉じて小さく鼻を鳴らす。

「……どいつもこいつも。俺を便利なタクシー(アッシーくん)と勘違いしてはいないか」

「…………これ以外にやり方があれば、こうはなっていないんですが」

 それもそうだ。

 ふっと笑い、中臣鹿波の後ろに控える完全武装の神祇官たちを眺める。

 中臣家はもとより、“縁を切る神の加護”という名の家伝式法を誰もが持つ伊勢派屈指の武闘派連中。その中でも最精鋭にして最前衛である“間人”を飛び出して、なおこんなこと(・・・・・)を試みる大バカ者の狂人たち。

 あの禰雅を打破した時にも、同時多発的巨大界異出現の際にも活躍した中臣家の武人たちを相手にすれば、元より戦闘向きの術者ではない白虹硨磲など、ものの障害にもならない。無理矢理深海数千メートルの海中はおろか、マヨヒガのど真ん中や幽世の奥底、はては星の光すら届かぬ宇宙空間にテレポートさせたところで、その類まれな儀術と“加護”によって再びこの地表を踏むことだろう。

 

 即ち、今の会話は全て、ただの脅しだ。

 名だたる呪詛犯罪者も、自衛隊や警察の祓魔兵士(ミリティカル祓魔師)も。況や未だに黎明期のタクティカル祓魔師などでは、この人型の化け物たちを相手には一切の役に立たない。……少なくとも、今はまだ。

 ――事実、そうしてこの場まで踏み込んできたのだろうから。

 

 白虹神祇官は灰白に濁り切った瞳孔で冷静に状況を把握すると、あくまで公人としてきっぱりと口にする。

 

「中臣神祇官。残念だが俺はお前に協力は出来ない。……当然、神祇庁に所属するすべてのものが、お前たち14人を死んでも追い続けることだろう」

「陰陽寮とも折り合いが悪い以上、当然のことです。我々はどこにも逃げるところなどない」

「大方、伊勢派どころか藤之慎翁の掌握も出来てないんだろ。……出来てりゃ、古式祭具(伝統的祭具)じゃなくて呪具の一つや二つ、どころか全身それに身を固めてやってくるはずだ」

 たぐいまれな修練の末、霊力をも見ることができる白い眼。白虹神祇官の目には、中臣鹿波の背後に控える者たちがあくまで“祭具”の括りである――単純に霊力だけで構築された、呪具と呼ばれるように特異な能力を持つ武具を一切持たない者であることを知っている。

 あくまで八雲大社の構成員たちが振るうような、強力ではあるが必殺の武具ではない事を知っている。

 中臣鹿波は、小さく肩をすくめて平坦な声色のまま呟いた。

「……良く見えますね。昔からずっと不思議だったんですよ」

「黙れ。これでは捨て鉢だ。妹可愛さに、今後の事務次官――果ては神祇庁長官のポストまで全部ほっぽりだしちまうつもりか」

「家督は弟の伊楔(いぐさ)が継ぐでしょう。そもそも、僕はまだ次期当主……内定している程度で、内定辞退はいつでもできる」

「そういうことじゃねえって言ってるだろうが!!」

 

 一瞬拳を握り締め、白い視界の端で揺れる神官たちを見据え。「クソが」と吐き捨て、溜息をつく。

「お前は神祇庁を、祓魔師というものを、なんだと思ってやがるんだ。陰に日向に、大衆を守るものじゃねえのか!」

「その大衆に、僕の妹は含まれていないと言うのか」

「たった一人の為に大衆を皆殺しにして――今までで既に173名、特に罪のない警察官を皆殺しにしておいて!」

「なら、妹の罪は何だ。生まれてきたことか」

「罪を裁くのはお前じゃない。法だ、公だ。……そう信じていかないと、公務員なんてやれないだろうが」

 

 悪かったな。ぽつりと鹿波の口から零れた言葉を、白虹神祇官は「信じられなかったことが、か」と続けた。

 勝手知ったる友に見透かされたかのように押し黙る中臣鹿波へ向け、男は静かに、灰色の目を瞑る。

 

「だが……理解も共感もできる。俺にも、子供が2人いる」

 

 なにも見ないように瞑った瞳で、瞼越しに、同年代くらいの男を見つめる。

 

「瑠璃ちゃんと玻璃くん、ですね。覚えていますとも」

「ああ。……そのどちらかを失ったとしたら、俺は法を遵守する余裕すらなくなるだろうな。……お前にも、早く身を固めろと言ってたんだが」

「…………難しいですね。もはや」

 

 ふっと息を零した白虹硨磲は、目を瞑り、目を背けたまま、誰に語るでもなく零す。

 

「……これは独り言だが――――突き当りの研究室。そこに八重菊三十二振りが一本、『たんぽぽ』がある。どうせ現状誰も適合は出来まいが…………たまたま、俺が『たんぽぽ』のポテンシャルを活かしたまま人員の大規模輸送を可能とする儀式陣を監修していてな。

 鮫島という地名がどこなのか、そこに何処の誰がいるのか……俺は全く知らないが」

 

「…………感謝します、白虹神祇官」

「最期くらい、タメで話せよ。同期だったろ」

 

 もはや、違う。

 これからの神祇庁を――境界対策課を率いていく者と、国家に仇なして呪詛犯罪者に堕ち、未来を棄てた者と。

 踵を返した中臣鹿波は、配下の神官を先んじて部屋から出しつつ、呟いた。

 

「神祇庁を裏切り国家に牙をむいた呪詛犯罪者“中臣鹿波”と、当然ながら縁のないお前は……ここで誰とも会わず、何も無かった。それで終わりだ」

 

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