古びた紙の匂いが立ち込める図書館。天井まで届く書架が無数に並び、その間を静寂が支配する。その薄暗い図書館の奥で、パチュリー・ノーレッジは分厚い書物をめくりながら、ため息をついた。
「また面倒ごとに巻き込まれたわね……」
ことの発端は、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットの何気ない一言だった。
「ねぇパチェ。もしも、どんな願いも叶えられるとしたら、あなたなら何を願うかしら?」
この紅魔館の主様が、意味深なことを言い出す時は決まっている。おそらく、マイブームの話か、マイブームにしたいなにかを話したいのだろう。
「……はぁ。そうねぇ、新たな魔術の発見。とかかしら」
願いを叶える代償はあるのか、本当に本人の意図通りに叶えられるのか、そんな前提を確認したいところだが、無粋なので言わないでおく。
「ちょっと思い出したのよ。外の世界にいた頃に耳にした噂話。極東で行われる聖杯戦争って儀式があって、どんな願いでも叶うらしいのよ。……面白そうじゃない?」
ティーカップを置く所作は優雅なままに、されど声の端々には隠し切れない興奮が滲んでいる。対してパチュリーは引き攣った表情を誤魔化せなかった。レミリアのことだから、「同じ極東ならできるんじゃない?」くらいの軽い気持ちで言っているのだろう。
「幻想郷で出来ないかしら?」
そんな荒唐無稽な相談を、レミリアは気軽な誘いのように持ちかけてきた。断る理由は山ほどあるが、レミリアが一度興味を持ったことを簡単に諦めるとは思えない。
聖杯戦争――名称から察するに“聖杯”が関わるのだろうか。極東の魔術儀式がどのようなものかは分からないが、「どんな願いも叶える」などという代物が碌でもないものになりそうなことは、魔術師でなくとも想像に難くない。
探すだけ探して、「幻想郷の法則上、再現は不可能」もしくは「莫大なリスクが伴う」と結論づければ、レミリアも諦めるだろう。
かくして、パチュリー・ノーレッジはいつも通り図書館にこもり、紅魔館が独自に収集した外の世界の書物をいつも通り読み漁ることになった。
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静寂の中で書物を繰る音だけが響く。積み重ねた本の山が机の上を埋め尽くし、淡い魔法の灯りがページを照らす。パチュリーは外の世界から集められた資料、とりわけ聖杯や極東の儀式術などに焦点を当てられたものに目を通していた。
「……なるほどね」
幸運にも、"聖杯戦争"について記された書物をいくつか発見でき、その概要を把握することができた。
どうやら、この儀式は“聖杯”と呼ばれる存在を核とし、そこから得られる膨大な魔力を利用し、人類史に記録されている英雄を魔術的に再現した、英霊という存在を召喚し戦わせるものらしい。
幻想郷でこれを再現するとなると、聖杯を新たに作る必要があるだろう。完全な聖杯を用意するのは困難だが、幻想郷に存在するであろう龍脈を魔力源とし、代替の器を用いれば、似たようなシステムは構築できるかもしれない。
文献を読み進めて机の上に本の山が積み上がっていく。そして、その山の高さが増すほどに、彼女の確信もまた揺るぎないものになっていった。
聖杯戦争を完全に再現するのは不可能でも、幻想郷の法則を応用すれば、疑似的なものを作ることはできる。と。
例えば、英霊の召喚。
幻想郷には既に“亡霊”や“妖怪”といった、死後の存在でありながら活動する者たちが多数存在する。それらの特性を利用すれば、英霊の召喚に近い現象を再現できるのではないか?
幻想郷には、八雲紫や摩多羅隠岐奈のように境界や異界の法則に干渉できる存在がいる。加えて、月の頭脳と称される八意永琳、冥界の管理者である西行寺幽々子。さらには、八坂神奈子や洩矢諏訪子などの神々も、弱体化しているとはいえ存在している。
彼女たちに興味を持たせることができれば、幻想郷における聖杯戦争の実現も夢ではない。
問題は“聖杯”の代用品だが……これは、永琳や紫たちと相談するしかないが。
パチュリーは書物を閉じ、深く息をついた。
「……面倒だけど、やるしかないわね」
まずは紫や隠岐奈たちへの提案だ。この計画には幻想郷の基盤そのものに関わるかもしれない程大規模な魔力操作が必要だろう。最悪の場合、幻想郷全体に修復不可能な悪影響を及ぼす可能性すらある。しかし、数々の異変を引き起こしてきた面々だ。向こう十年は退屈を吹き飛ばすことができそうな出来事に乗らないわけがない。
いつの間にか、彼女の胸にほんの少しの高揚感が灯っていた。未知の魔術体系を解析し、それを幻想郷の法則に組み込む。まだ見ぬ魔術の可能性を見られるかもしれないのだ。
机に積まれた書物を見つめながら、小さく息をつく。
「……聖杯戦争、ね。確かに――面白いかもしれないわね」