昭和のいつか。どこかにある高校。季節は冬。
前回のあらすじ。
自室で明日の予習をしながら、つい今日まで目を逸らしていたことを考えてしまう。
あれは異界から帰ってきた翌日。
河野のお母さんである柚木さんに言われたこと。
『あのね、霧丘君。文香の細胞を君に移植した影響が思った以上に……霧丘君、あなたは文香に好意を覚えてないかしら?』
『それで気になって来てもらったんだけど、君の体内を調べたら同化率が半分以上で……その』
『同化率ですか?』
『ええ。文香の細胞が増殖して君の体を作り変えてて』
『霧丘君、あなたの外側も内側も見かけ上は変化しません。ただ……』
『ただ?』
『遺伝子的に見て“人間”ではなくなります』
体育の授業でのこと、自分でもおかしいと感じてた。
バレーボール。
そして今日の持久走。
前向きに考えるなら運動神経が良くなったわけだから、困るどころかありがたい。
だけど。
日に日に河野に対する好意がもう誤魔化せないレベルまできている。
どうしたものか。
中学の時みたいな思いをするのは嫌だ。
あんな辛いこと、一生のうち一度だけでいい。
それと。
河野は今頃どこで何してるんだろうか。
危険な目にあってないだろうな。
あーだめだ!
全く手につかない。
英語。まぁいいや。もし当てられたらアドリブで答えるしかない。
数学は問題外。どうせ予習も無駄だ。
日本史は……どうにかなるだろ。
集中力がさっぱりなのでベッドに寝転がる。
もう寝よう。
次の日。
教室へ入るなり、またも河野(影武者)がにこやかに手を振りながら『霧丘君、おはよう』なんて言ってきた。
「……おはよう」
「はい、これ」
そしてまた笑顔で弁当を渡してくる。抗議の意思を込めて睨むけど、まさに暖簾に腕押し。
もう諦めた。
きゃーと端の方で女子が盛り上がっている声を聞きながら席へと座る。
もうどうにでもなれ、だ。
英語だと“let it be”。
ま、おそらくそのうち飽きるさ。ワイドショー見ている主婦達と同じで次のネタがあればそっちへ行くだろう。
「おはよう、霧丘君」
今度は木暮めぐみが俺の席までやってきた。なんだ?
「何か用か?」
「霧丘君、顔が怖いよ」
「悪かったな。これは生まれつきだ」
「おーこわ」
おどけた態度と裏腹に、木暮が僕の机の中に何かを入れた。
「読んでね」
そう小さく言うと彼女は自分の席へと戻っていった。
そっと出してみると封筒が見えたので、慌てて机の中に戻す。
薄い緑の封筒。
なんだこれ。
一限目が始まってすぐ、教科書に重ねた封筒を開封した。
同じ色、薄い緑の便箋にいかにも女子ですって字が並んでる。
内容は
いわゆる“恋文”だった。
丁寧に僕に対する想いが綴られていたけど、それだけだった。
付き合ってほしいという主旨は書いていなかった。
さらに差出人不明。
一番に思ったのが『誰?』ってこと。
木暮が持ってきたから彼女の友人だろうけど。
嬉しいような困ったような。
今もどこかで僕を見ている?
わかんない。
放課後自転車置き場で河野(影武者)が待っていた。
「木暮さんから手紙もらってたよね?」
「う……お見通し?」
「それはそうよ。アレらが背後にいるかもだし」
「そんなことっ。あ……」
河野の正体を知ったあの夜。
異界から来た北尾は河野を手紙で呼び出していた。自らの手駒とするために。
「君を守る立場の私からすると、それは見逃せないかな」
「差出人は書いてなくて内容はラブレターですよ」
「そう。心当たりある?」
「全く」
「見せてくれる?」
「え……」
「読むんじゃないわよ。封筒を見せてくれるだけでいいの」
「ああ。それなら」
カバンから取り出した薄緑色の封筒を渡すと河野(影武者)は指で表面をなぞった。
「普通の便箋だね。もしも何か動きがあったら教えてくれるかな。それと一人で出かけないこと」
「はい」
いつにも増して河野(影武者)の威圧感が強く、僕は素直に返事するしかなかった。
「文香はまだ戻れないから。あ、心配はいらないからね?」
「はぁ」
「そうそう。弁当箱」
河野(影武者)が手を差し出す。
「わざわざ洗って返さなくていいよ」
「それは……気が引けるというか」
「霧丘君は良い子だね。でもそこまで気を遣わなくていいから。ほら」
彼女の勢いに押され、弁当箱を差し出す。
「これ、本当にいいですから。クラスの、特に女子が見てるから」
「君が強くそう望むなら今日でおしまいにするわ。ひとつの目的は果たしたし」
「目的?」
彼女は妖しく笑う。こんな笑い方、河野は決して見せない。
「君に対する態度をチェックする為にわざと皆の前で渡したの」
「は?」
「忘れないで。クラス全員が人間とは限らないから」
「!」
そんなこと考えたこともなかった僕は自分が呑気に構えていたと気付かされる。
保健室で白い薔薇へと姿を変えた女子はなんて言った?
『ここ、向上館高校ってね、知能がそこそこの若い人間が集まってくるから同胞を増やすのに最適なのよ』
僕のクラス、二年一組だって例外じゃないんだ。
「まだこちらにはアレらを察知することはできないから、行動や態度で探っていくしかないの」
「怪しい奴がいたんですか?」
「ううん。特に。完璧な演技していたらわからないけど」
そうして今度は申し訳なさそうな顔をして僕に謝ってきた。
「ごめんね。巻き込んで」
「あ、いえ」
「本当ならこんなこと知らずに普通に暮らして普通に恋をして」
「あ、あの。僕はそのことは何とも思ってないんで」
今更だ。僕も関係者。
「へぇ。君、肝が座ってるね」
そこへかけられる声。
「霧丘君」
見るとこっちにやってきてたのは木暮だった。
「あ! おじゃま?」
「いやそれはない」
「ほんと? よかった」
「霧丘君、それじゃ」
河野(影武者)は自転車にまたがり去っていく。
その後ろ姿を見つめる木暮がほんの一瞬だけ、目を細めたのを僕は見てしまった。
「読んでくれたかな?」
笑顔で振り向くと首を傾けて聞いてくる木暮に僕はそっけなく返す。
「名前が書いてない」
「だよね。書いちゃえば? って私も言ったんだけどね。ほら霧丘君と河野さん、良い雰囲気でしょ? だから彼女も萎縮しちゃって」
「河野とはそんなんじゃないって山本の家で言ったろ?」
「お弁当を作ってもらって? それは無理があるよ」
「ぐ、あ、あれは河野が勝手に」
「じゃあ少なくとも河野さんは君に好意を寄せてるよね」
「……」
まいった。否定できる根拠がない。
「いつの間に急接近したのかなぁ。三学期が始まってからだよね? 冬休みに何かあった? 霧丘君、雰囲気少し変わったし」
「べ、別に何もないよ。雰囲気? それも知らない」
「怪しいなぁ。まっ彼女にもチャンスあるってことかな」
「僕、そういう気はないから。それにどこの誰かもわからないし」
こんな話はしたくない。早くこの場から逃れたい。
「そっか。反応は上々ってとこね。じゃあね」
何か悪だくみを企んでるような顔になった木暮は、足早に去っていく。彼女の背中を見ながら僕は面倒なことになったと思った。
夜。
山本に借りた本のページをめくるけど、内容が頭に入らない。
とにかくどこかで僕を見つめている女子がいるのはわかった。
でも相手が誰だかわからないから、今まで通りだ。
むしろ僕は狙われてもおかしくない立場だから遠ざけた方がいいだろう。これ以上あいつらの犠牲者を増やすわけにはいかない。
ただその理由を言えないからな。向こうが今後どんなアプローチしてくるのかわからないけど、ストレートに“その気はない”ことを態度で示しておくとしよう。
僕は好意を寄せてくる異性に対して煮え切らない態度をとることに嫌悪する。
だって飼い殺しみたいじゃないか。
その気もないのに『断って傷つけたら悪いし』みたいな綺麗ごとを抜かして、どっちつかず。
恋愛なんてクジみたいなもの。ハズレが出たら次だ。イエス、ノーをはっきり言うことが誠意だと思ってる。
布団に入ってからもこんなことが頭の中をぐるぐると巡り、なかなか寝付けなかった。
一週間後。
それは起こった。