【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず   作:鋼我77

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第105話 幕間 社員風景

 塩村(しおむら)由佳(ゆか)は最近、不幸というものを深く考える機会を得た。例えば、生まれ育った場所のすぐ近くにダンジョンができたこと。安全のため、親や兄弟と一緒に引っ越しすることになった。しかし茶農家をやっている祖父母と家を継いだ長男家族はそうも行かず、今もその土地に残ってお茶を育てている。シーズンになると、両親は必ず手伝いに行っている。高校に入ってからは自分もだ。今年もそろそろだろう。

 ダンジョンにまつわる出来事を幸運とは言わないだろう。だが、ほかよりもマシなことがある。市と県が茶産業の保全を重要視して、アサナギとかいう有名な企業に管理委託をしたという。おかげでほかよりもダンジョンブレイクの可能性は低いらしい。自分たちが手伝いに行けるのもそういう理由だ。

 次の話。奨学金の審査に落ちた。これは自分の努力が足りていたとは言えないので、判断が難しいところだ。少しでもいい企業、いい環境で働くために大学受験は当たり前のこと。そしてそれを求める学生もまた多い。由佳はこの競争に敗北した。運が良ければ、もしかしたらと思うことはあった。今となっては今更だ。

 就職先が、入社直前に倒産した。これは間違いなく不幸だ。紹介した学校側が、相手の内情をこれっぽっちも把握していなかった。信頼関係と言えば聞こえはいいが、生徒の人生に関わる大事な情報。それを蔑ろにしていいのか。憤ったが、取り合ってはもらえなかった。

 慌てて探したが、ろくな会社が無かった。大抵が、給料が安く拘束時間が長く休みが少ない。ハローワークの職員さんに言わせれば、正直に書いてあるだけ良心的らしい。何の慰めにもならない。そういった会社に入るのは、流石に躊躇われた。

 そして、次からは判断に迷う話。学校の教師から就職の話が舞い込んだ。卒業生の繋がりで、とある企業が人員募集していると言う。詳しい求人内容を見てみると、なんとも判断に困る代物だった。

 給料、労働時間、休日、福利厚生。どれも今まで見たことがないほど良い。特に給料などは、大卒のそれと間違っているのではないかと思うほど。これだけなら、できの悪い詐欺だと決めつけていた。そうでは無いという最大の理由は、このミナカタという会社がダンジョンカンパニーだということ。

 なるほど。ダンジョンカンパニーは儲かっていると学校で教えられている。マジックアイテムが高額で売れるのだと。ならばこの給料も納得できる。

 だけど、ここで働くのはあり得ない。ダンジョン。モンスターの徘徊する、危険な場所。自分から働きに行くなんて選択、誰がするものか。ここに入るくらいなら、環境が悪くてもほかに行く方がマシだと一度はそう思った。

 しかし、話を持ってきた教師が待ったをかけた。なんとその教師は、わざわざミナカタへ足を運んで自分の目で見てきたという。倒産企業を紹介した負い目もあったのだろう。教師は熱弁した。建ったばかりの社屋。鍛えられたハンター。労働時間は常識の範囲内で、働いた分だけ必ず給料が出る。こんなまっとうな会社、ここ最近では久しぶりに見たと。

 気になってまともで無い職場風景とは何か聞いてみた。教師はしばし逡巡し、学生には言ってくれるなよと前置きしてから答えた。曰く、みんな死にそうな顔をしていると。朝から晩まで働き、ろくに休めず、給料は雀の涙。新しい職場を探そうにも、良いところなどありはしない。

 ダンジョンは命の危険があるという。今の職場の大半は、まともに生きられない場所だと教師は語る。悪いことは言わないから、ここにしろと。

 そこまで言われてしまうと、流石に由佳も考えざるを得ない。危険な職場か、生きられない職場か。悩みに悩んでいると、あっという間に面接の申込期限が近づいてくる。受けると決めた理由は極めて消極的なものだった。断って新しく探す。その労力を惜しんだのだ。悩み疲れたとも言う。

 驚きと戸惑いだらけの面接を終え、流れのまま入社。そして現在に至る。教師の言うとおり、労働環境はとても良いものだった。何を置いても、新人教育がしっかりしている。即座に仕事場に放り込まれたと嘆く友人知人の悲痛な声が聞こえているだけに、自分の恵まれた状況がよく分かる。

 これまで挙げた要素だけでも十分過ぎるほど恵まれているが、まだあるのだ。例えば、同期の同僚について。由佳を含めて合計四名の社員が入社した。そのうちの二名、男性二人に迷惑を掛けられた覚えは今のところない。それどころか、大変紳士的だ。例えば今朝、早朝のトレーニングの時のことだ。

 

「おはようございます、塩村さん。調子はどうですか?」

「おはようございます、近衛さん。今日も身体がガクガクいってます」

 

 同期の近衛(このえ)(たくみ)。自分と同じく普通の学校を卒業して、就職しようとしたら会社が倒産したという青年。第一印象は、普通だった。同世代を十人集めれば二人は似たような人間が見つかる。そんなレベルの普通。だがここしばらく一緒に仕事をしていると、彼の色というのが見えてきた。

 

「しっかり準備運動すれば、多少はマシになりますよ。さあ、今日も頑張りましょう。一日でも早くプラーナやマナを手に入れるために!」

 

 彼はダンジョンオタクだった。それもかなり熱心な。近場のダンジョンカンパニーのほとんどが面接条件に経験者であることを挙げている。そうで無ければ始めからハンターになることを考えていたという話をするレベル。

 何故自分から危険に飛びこもうとするのか。思わずそう由佳はたずねた。ダンジョンにはロマンがあるから、と彼は答えた。魔法やマジックアイテムにファンタジーを感じる気持ちは分かる。しかしソレのために命を危険にさらすのはどうかしている、というのが由佳の正直な感想だった。もちろん口には出していない。

 しかしそれ以外では、至ってまっとうな同僚だった。仕事のことを学ぶ努力を怠らず、出来ることは率先して動き、ルールとマナーを守る。先輩達からの覚えも良い。だから彼は良い同僚だ。モチベーションに関して、意見を合わせられそうに無いという一点以外は。

 もう一人、男性の同僚がいる。彼に関しては匠以上に理解が出来ない。

 

「うっす」

「おはよう、京介(きょうすけ)

「おはようございます、新保(にいほ)さん」

「はえーな、お前ら」

 

 金髪でぶっきらぼう。不良、チンピラというレッテルそのままの風貌の新保京介。意外なことに、彼もまた真面目に仕事を続けていた。てっきり初日で居なくなるものと由佳は思っていたのだがそんなことは無く。今日も真面目に早朝トレーニングに参加している。

 彼も匠と負けず劣らず、ダンジョンへ意欲的だ。特にモンスターとの戦いなどは、好戦的に見える先輩方に負けず劣らずと言った勢いだ。由佳としてはその分戦わなくて済んでいるので、助かっている。回数が減っているだけで、戦闘の機会自体は普通にあるのだが。

 正直、彼が何故ここまで仕事にやる気を見せているかさっぱり分からない。自分のことを語る人間ではないし、そもそも話しかけるのも正直怖い。普通に接していれば害は無い。最悪何かあっても、先輩方に言えばなんとかなる。と言うわけで若干不安はあるが、それでも彼は良い同僚の部類に入れていいだろう。

 問題は最後の一人だ。

 

「皆さん、おはようございます」

「おはよーみんなー」

「おはようございます。御影(みかげ)先輩、乙川(おとがわ)先輩」

 

 女性社員で、ハンター。そのツートップが彼女たち。御影(みかげ)小百合(さゆり)乙川(おとがわ)とわ。二人のみならず、ダンジョンで働く女性達はファンタジーの存在だと由佳は思っている。あまりにも常識外れだ。

 まず強さがおかしい。息も切らせずケイブチキンをなぎ倒す。飛び跳ね、走る姿はオリンピック選手すら超えている。地下三階、四階に潜っては自分より大きな怪物を倒してくる。

 加えて、皆が例外なく美人だ。容姿が優れていると言うだけでは無い。髪や肌のつやが違う。手足の長さ、腰の位置が違う。もし平和な時代だったら、こんなところで無くトップモデルとしてやっていける人たちだ。

 特に目の前の二人は顕著だ。ダンジョンなどにこだわらず、セレブの男性を捕まえれば人生クリアーだろうにと思う。彼女たちもまた、由佳には理解の及ばぬ人間だった。

 そして、そんな彼女たちの後ろから問題児が背を押されてやってくる。

 

「ねむーい。さむーい。だるーい」

「さー頑張ろうねー身体を動かせばなんとかなるよー」

 

 だらしなさが極まった顔でふらふらやってくるのは最後の同期、福与(ふくよ)和美(かずみ)。典型的なギャルであり、およそ真面目という言葉とは無縁の娘。その背を嫌な顔一つせず押すのが先輩の戸島(とじま)綾乃(あやの)だ。

 正直、由佳は彼女と京介はさっさと辞めてしまうものだと思っていた。しかし京介はご覧の通り。そして和美も続いている。彼女に関しては、先輩達が本当に上手に操っていた。

 

「だるいよう、走りたくないよう」

「大丈夫大丈夫。小百合の魔法があるから大丈夫」

「新魔法、マッサージサンダー」

「ぴりぴりくるぅ」

 

 小百合が気の抜けた声で宣言するとその指から細い電気の光が一本、和美に向けて飛んで行く。なんでも、電気マッサージを再現したとのことでアレ受けると疲れが取れる……気がする。由佳自身も受けたが、痛みはほとんど無い。効果もそれなりだ。

 先輩達は徹底的に和美をケアしていた。イケメンの男、甘い物、ショッピング、たわいの無い会話。猫よりも気まぐれな彼女を、あの手この手で仕事へ戻す。いくら面倒を見ると言っても限度があると思う。それを逸脱しているように見えるが、先輩達は手を抜かない。

 その究極が、彼女だ。

 

「あら、おはようございます福与さん。今日も頑張ってくださいね」

「はーい、あざーす秘書さん」

 

 社長の秘書、マリアンヌ。由佳としては彼女が一番怖かった。優しく、美しく、完璧。聞けば魔法も使えるとのこと。それこそ漫画の中でしか存在が許されないような人。先輩達のケアがあっても、和美がかんしゃくを起こすことが時折あった。そうすると必ず、彼女が姿を現すのだ。ダンジョンの中でも、である。そして耳元で何かしらをささやくと、もう止めると叫んでいた娘がすっかり大人しくなる。

 初めて見たときはぞっとした。一体何をしたのだ。魔法でもかけたのだろうか。人の心を操る魔法、なんてのは噂の中にしか存在しない。教本には載ってないと、勉強をしている人から教えて貰ったことがある。

 失礼の無いようにはしているが(なにせ社長の秘書だ)、近くに居るだけで気まずい。出来れば視界に入りたくないとすら思っている。

 

「塩村さんは、秘書が苦手ですか」

「へえ!?」

 

 後ろから、ぼそりと声をかけられた。振り返れば、何を考えているか分からない表情で小百合が立っている。顔に出ていたか、ととりあえずごまかそうとする。

 

「い、いえ。全然そんなこと……」

「危険に対する感覚が優れていますね、いいことです。その感覚を忘れないように」

「え……?」

 

 てっきり叱られると思ったら、その逆だった。状況を理解できない由佳に、同い年にしか見えない先輩が続ける。

 

「我が社のハンターは、腕の良いものがそろっています。業界では一流とカウントされるような人材が。そんな中で、ほかと隔絶した実力の持ち主が二人居ます。一人が藤ヶ谷(ふじがや)一樹(かずき)。分かりますか?」

「ええと、はい。先輩達を指導されている方ですよね。既婚者の」

 

 和美が逆ナンを仕掛けて、そう断られていたのを覚えている。全く懲りずに声かけを続けたが、いつの間にか止めていた。……あれだけしつこく、周りが止めても続けていたのに。そこまで思い返して、再び由佳の背筋にうすら寒いものが走る。

 

「うん、やはりいいセンスをもっていますね。過度に恐れる必要はありませんが、節度は守るように。そうすれば害はありませんから」

「御影先輩? あの、藤ヶ谷さんと秘書さんは……」

「我が社のツートップ。先ほど言ったとおり、私たちはあの二人の足下にも及ばない。とは言えこちらから悪さをしなければめったなことは起きません。……ですが、何かあったら言うように」

「……なんとかなるんですか? そんなに強いのに」

「なんとかするよう、社長に言います。あの二人を雇ったのは社長なので。それぐらいの徳は重ねているはずです」

 

 そう言い終わると、彼女も準備運動を始めてしまった。それに続きながら、改めて由佳は考える。今の状況は不幸か、それとも違うのか。学生時代は、世の中をシンプルに考えていた。成績、教師の評価、友人関係、親。そういった物が良ければ、上手くやっていけるのだと。

 実際は違った。世の中には自分の行動ではどうにもならない事柄があり、抗うことも出来ず流されてしまうものだと。その上で、行動を選択していかなければならない。正解は分からず、誰にも教えてもらえない。

 命の危険がある職場が、良いものであるとはやはり認めがたい。しかしそれ以外は本当に恵まれている。だがその恵まれた環境の中にも不安はある。幸福なのか、不幸なのか。彼女には判別が付かない。もっと経験を積めば分かるのだろうか。そんなことを考えつつ、トレーニングを励む。

 社員なのだから、仕事は真面目にこなすべきだ。今までの人生が、由佳にそうあれと示していた。

 

/*/

 

 ダンジョン地下四階に、ハウルボアの悲鳴が響き渡る。

 

「だっしゃらーちくしょうめー!」

 

 怒りと、やるせなさと、ひがみと、うっぷん、その他諸々の負の感情。まとめてマナに込めて、芦名(あしな)宏明(ひろあき)は超能力を発動させる。愛用の武器、棘の生えた三つの鉄球ナイトスターはそれを余さず吸い上げ中を舞う。風を裂いて廊下の端まで飛び停止。

 十分な加速距離を得て三つの鉄球が飛翔、ハウルボアの牙に命中した。

 

「ブギイイイイイイイイイイ!?」

 

 無傷の個体だった。身体に蓄えたマナも満タン。なのでその攻撃には耐えたが、代償は大きかった。衝撃と苦痛に耐えるために、溜め込んだそれを大量に消費する羽目になったのだ。

 

「ふむ、いわゆるクリティカルヒット。今までで一番の威力だと思うんだが芦名」

「うれしかねーや! 社長のバッキャロー!」

 

 同僚にして友人の森沢(もりざわ)(あゆむ)から賞賛をもらっても、彼の心は晴れない。負の感情は無限に湧き上がり、それに呼応して超能力の威力は激しさを増す。

 

「ブルルルルル!」

「やかましい! 何がブルルじゃい! 喰らえ新技、テレパシー・コンフュージョン!」

「ブギュウウ!?」

 

 激情の中で生まれた新たなひらめきを、そのままの勢いで叩きつける。先ほどの攻撃で保有マナを大きく減衰したハウルボアにこれは抗えなかった。精神を大きくかき乱され、まるで酔っ払ったように千鳥足となる。

 宏明は全く気づいていないが彼はたった今、大きな進歩を得た。精神に干渉する魔法は表に出ていない。マリアンヌ達が意図して隠したからだ。もし得ようと思ったら勝則達のように論理魔術基礎知識を完全に読み解き、一から作るしか無い。

 しかし超能力は使用者の発想によって新たな道を見つける。能力と意思があれば、今の宏明のように新たな力を発現するのだ。良くも悪くも、これが超能力の特徴だった。本人次第でいくらでも伸びるし、歯止めがきかない。その結果、世界各地で悪名が広がることになったのだが。

 今も動きが大きく鈍ったの好機と見て、仲間達が止めを刺しに行く。使い道はかなりある。しかし当人はやはりそれに気づいていなかった。

 

「うごごご。社長め、社長め。美女を両手に花とかうらやましい、ねたましい。だがそれ以上に許せんことがある! 分かるか森沢!」

「どうでもいい」

「辛辣! 社長、あの人あの状況なのに手ぇ出して無いぞ絶対! 童貞臭さそのままじゃねーか!」

「言ってやるな。あと、言葉に気をつけろセクハラになるぞ」

 

 歩とて男子である。美女二人を己が手中に収めた同性に思うところはある。しかしそれ以上に、創作者としては良い資料だと喜んでいる。リアルでハーレムつくれる者がいたとは。しかも金による繋がりでなく恋愛と人徳で。大変なレアケースだ。取材して自作品の肥やしにせねば。

 

「アレ絶対、理性じゃねえぞ! 相手が美人過ぎて腰が引けてるんだ。俺には分かる!」

「それも言ってやるな。というか社長がいないからって言いたい放題だな」

「これは全男性社員の総意! 言葉にして何が悪い! だからチクらないでね!」

 

 最後の一言はこの場にいるほかの者へ向けたもの。仲間達ははいはい、わかったわかったと手を振って関わらないよとアピールした。

 

「おお、おお。俺があの立場だったら、だったのなら!」

「手、出せる?」

「無理。っていうかあの立場になった時点で胃が死ぬ。なんだよ、世界を守ってる魔女と断神って。いくら美人だっていっても肩書きヤバすぎて近づけもせんわ」

 

 だよな、と全員が頷いた。春夫は善人で凡人でお人好しだが、同時に一般人の枠を超えた器の大きさがある。長く付き合っている社員は皆それを感じていた。

 宏明は溜め込んだ不満を大きなため息で吐き出した。

 

「まあ、いい。百歩譲って、社長がモテているのはいいとしよう。その分苦労がワンセットだからな。……何故、俺が、モテない!?」

 

 そして本音を爆発させた。結局の所はこれだった。歩は同僚へ極めて残念なものを見る目を向ける。いつも通り過ぎて、新鮮さがまるで無かった。

 

「それはまあ、君が全く変わっていないからじゃ無いかな」

「止めて! 真実は人を傷つけるの! あと、変わってないはずが無い! 超能力のレパートリーは増えてるし、給料だって上がってる!」

「人間性と芸風が」

「クリティカル!」

 

 胸を押さえる宏明。なお、こんな馬鹿話をしているがここがダンジョンであることは忘れていない。今もナイトスターを操ってハウルボアへけん制を入れている。歩も同じで、的確に魔法のナイフを投げ込んでいた。

 

「知ってるか、森沢。なんか最近、リュー君ってば若い子と仲いいんだよ?」

「ああ。新人の福与さん。あれは単純に、ノリが近いだけだと思うけどな」

「そうであっても! 何故俺では無いのか!」

「ノリと雰囲気と超能力のせいじゃないかな」

「ストライク!」

 

 心底悲しいと、深いため息をつく。その肩をやや強めに叩く者がいた。乙川とわだ。

 

「無駄話はそこまでにしてください。仕留めるんで、さっきのフラフラにするやつお願いします」

「はーい。スー、ハー……ふんぬっ!」

「ブヒイイイン」

 

 宏明が再びハウルボアの精神をかき乱す。タイミングを見計らっていたハガクレ組が、致命の一撃を差し込んでいく。全てが綺麗にきまり、獣は巨体を横たえた。

 

「新技、便利なんじゃないかこれ」

「そーかもしんない。俺だけじゃ生かせないけど、他の人と一緒ならはかどりそうだな」

「芦名さーん、おねがいしまーす」

「はいはーい」

 

 とわに呼ばれて移動していく友人の背を眺めながら、歩は思うところを口にする。

 

「幸せの青い鳥、灯台もと暗し、知らぬは本人ばかりなり。……まだ時間がかかるだろうな。二人とも全然気づいていない」

 

 彼女が宏明をライバルとして見ているのは周知の事実である。本人がそのように吹聴しているのだから。しかし最近、それだけでは無いという見方がされるようになった。主に女性陣から。曰く、他の女性を見ているととわが不機嫌になる。ナンパに繰り出そうとすると邪魔をする。そんな動きをしていると、密やかに噂になっているのだ。

 最近偶然、それを耳にした歩も注意深く二人を見守っている。なるほど、言われてみればそのような行動が散見されるではいか。

 

「リアルボーイミーツガール……というにはいささか両者、歳を重ねているけど。発展具合を見ていられるのは、ありがたい」

 

 この会社に入って、多くの物に触れられている。得がたい経験だな、と思いつつ歩もハウルボアの処理を手伝うことにした。

 それからしばし後。崑崙マーケットでの仕事を終えた一同は、ダンジョンから戻ってきた。道具を片付け、シャワーを浴びて一段落。あとは食堂で夕食をいただくだけ。スマホでウェブ小説を眺めつつ、歩は一休みをしていた。彼の座る席、その正面に新たな人物が音もなく現れた。

 

「お疲れ様でした森沢さん。こちらよろしいですか?」

「……ええ、はい。どうぞ」

 

 そう言って座る女性を見て、歩は気持ちを引き締めた。戸島綾乃。ハガクレの一員で、後輩。その身軽さを生かして大物の釣り役などを担当する腕利きだ。

 そして最近、歩は彼女とよく話をしていた。

 

「そうだ。この間教えて貰ったアニメ、面白かったです。絵もすごかったですし」

「それは、よかった。あそこのスタジオは映像に力を入れていますからね」

 

 話の内容は、趣味に関すること。元々は、小百合が彼の所に連れてきたのが始まり。曰く、今まで生活に余裕がなく、趣味など持てなかった。何か始めてみたいのだが、良いものはないかという相談だった。

 この相談は彼女だけでなく、ハガクレのそれなりの人々が同じ思いだった。自分の知識が役に立つならば、と歩も快諾。それぞれにあったものが何か、話し合った。結果的に、釣りやキャンプなどアウトドア、車やバイク、園芸やDIYなどそれぞれ様々なものにチャレンジし始めた。

 そして、綾乃が選んだのがアニメや漫画だった。この時点から、彼の苦悩は始まった。一口に漫画アニメといっても、ジャンルは様々だ。アクション、恋愛、勧善懲悪、ピカレスク……。年齢、今までの経験、思想に嗜好。人によって楽しめるジャンルは様々だ。

 だからこそ、何を薦めるかを悩みに悩んだ。せっかくなのだから、楽しんでほしい。そして出来ることなら、自分の好きなものを薦めたい。しかしそれが彼女の嗜好に合わなかったら? つまらないと言われたら? 己のメンタルに深いダメージを負うことになる。だから綾乃との会話は気が抜けない。しっかり感想を聞き、作品選びのヒントを得なければならないから。

 しばらく、作品の感想に耳を傾ける。映像のすごさばかりが多く語られ、話やキャラクターについてはあまり多くなかった。前回薦めた作品は、少々話の流れが難解なものだった。そういう物は苦手か、と心のメモ帳に記載する。

 

「そういえば、森沢さんはどのような作品が好きなんですか?」

 

 すると唐突に、このような質問をされた。されてしまった。歩の緊張が一段階上昇する。オタク人生、これほど難しい質問は無い。漫画アニメを知らない人には、適当に有名なタイトルを語ればいい。相手はソレで満足する。そもそも目的は別出あることが多いし。

 しかし、彼女のような場合だと回答には慎重にならざるを得ない。単純に好きな作品を答えるのは論外。相手の趣味を考えて、かつ楽しんでもらえる、自分名好きな作品。歩は、僅かに嗜好した。こんなこともあろうかと、すでに答えはいくつも用意している。

 その中で、最も彼女が楽しめそうな作品は……。

 

「あ。私の趣味とか考えないでくださいね?」

 

 だが口に出す寸前で、この一言が放り込まれた。

 

「それは、どうして」

「森沢さん、今までずっと私が楽しめるかどうかで作品選んでくださったでしょう? それ本当に嬉しかったですけど、申し訳ないとも思ってて。なにせ教えて貰ってばかりですし。出来れば私からも、これから先におすすめに作品とか紹介できたらなって」

 

 歩は自分の胸に浮かんだ感情を、正しく認識できなかった。嬉しさと恥ずかしさとそれ以外の色々が混ざっていた。創作者としては、残念だ。これを完全に把握できたら、良いものが作れるだろうにと思う。

 そしてそういうことであれば、あれこれ考えるのは止めよう。歩はただただ、自分が単純に好きな作品を挙げることにした。

 

「……そういうことであれば。日本のライトノベル、そのマイルストーンと言うべき一作品を上げさせていただきたい」

「わあ。有名な作品なんですね。それは?」

「ゼロの使い魔」

 

 歩は布教を開始した。……余談だが。この二人のやりとりを遠くから見ていた宏明が、また嫉妬の炎を燃やしていた。

 

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