【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず 作:鋼我77
何故こんなことになったのか。壮年の男は他者に聞かれないように隠れてため息をついた。ミスをした覚えはない。警察学校の教官として、日々の仕事に励んでいた。新たな警察官を、世に多く送り出した。それは自分の誇りである。
世のため人のため、職務に邁進していた。なのにこの状況になってしまった。世の中は理不尽で出来ている。この歳になるまで、散々学んだこと。今回もきっとそうなのだろう。ため息が出るくらい、許されて良いはずだ。
「それでは、現状の報告をしてくれ」
県の警察本部。そこの狭い一室にて、まるで被疑者のように聞き取りを受けている。相手は警視庁公安部の人間だ。自分より若い。まだ四十に届いていないだろう。しかし、顔にはしっかりと皺が刻まれている。苦労によるものだろう。
警察教官の自分が、彼らと仕事をしている。この事実だけで目眩を覚える。本当、どうしてこうなった。始まりを思い返す。
対ハンター用の訓練を始めると聞いて、いの一番に手を上げた。送り出した警察官達が、犯罪を犯したハンターに怪我をさせられている。逮捕できずに取り逃がすこともある。それを聞き憤りを覚え、何年も過ごしていた。生徒達に、ではない。自分にだ。
ハンターを捕まえる技術を教えられない。それでは法も警察官も守れない。それらが負けてしまったら、この国の平和は壊れてしまう。実際、一時期の東京は本当に酷いものだったと聞いている。今は小康状態らしいが、その理由も分からないのでは話にならない。
だからこそ、この計画の話が出たときは飛びついた。絶対に必要なものだからと、職場の仲間も送り出してくれた。民間が主導とか、やっぱり国がとか、彼の立場からすればどうでも良かったのだ。
しかし、蓋を開けてみればコレである。忘れもしない、あれは春先のこと。この建物の会議室で一通りの説明を受けた後、この部屋に放り込まれた。
『ここから説明することは、関係者以外口外禁止だ』
その手のルールは、警察内にいれば当然のこと。今更言われるまでもない。だというのに、わざわざ念を押してきた。この部屋に連れ込まれた時点で覚えていた嫌な予感がさらに膨らんだ。そしてそれは、差し出された分厚いファイルによって炸裂寸前の爆弾となった。
『これはアンタッチャブルファイル。あらゆる接触、関与が許されない危険人物が記載されている』
『……それは例えば、海外の圧力があるから?』
『そんな生易しいものじゃない。そっちは結局の所、人の世界だ。人がどうにか出来る。こっちはそうじゃない。どうしようもない化け物どもだよ』
化け物、という言葉は比喩だ思っていた。ページをめくるまでは。
『マリアンヌ・ヴァルニカ。今回の件には、この超大物が噛んでいる。我々は、細心の注意を払ってコレに対処しなければならない。さもなくば、大きな被害が出るのだから』
一ページ目には、少し古い写真が載っていた。外国の美人だ。映画やモデル雑誌でもお目にかからないレベルの。そして隣に写っている人物に驚きを覚える。これはたしか、三十年以上前の内閣総理大臣だったはずだ。
次のページを開くと、新たな写真が載っていた。今度はとても古い。酷くぼやけていて不鮮明。何より白黒だ。マリアンヌの着ている服も時代めいている。海外の歴史映画に出てくるようなものだった。そして、隣に書かれている文章を読んで目を疑う。
『年齢不明。その写真は十九世紀半ばに撮られたものだ。本人と思われる最古の映像資料。文章の方は十世紀の十字軍にまつわるものに記載があるとされている』
『……何かの冗談ですか?』
『そうならいいんだがな。何せ我々も予算を割いて調べたわけじゃない。海外から送られてきた資料をそのまま載せているだけだ』
あまりに現実的でない話に耳を疑う。しかし、よりにもよって公安がこんな嘘をでっち上げるとは到底思えない。そんな時間も予算も無いだろう。対面に座る男に促され、ページをめくる。
『彼女は
『なあ……!?』
十年前からの疑問に、唐突な解答がもたらされた。驚きの声が出ても仕方が無い。やはり政府はダンジョンをはじめから知っていたのだ。そうでなければ、あれほど早い対応など出来るはずもないのだ。
『……この、マリアンヌという女性はいったい何者なのですか』
『それが分かればどんなに良いか。情報を知る者の間では、魔女ということで通っている。ダンジョンが出来る前から、魔法を使えたらしい』
魔法。彼のような古い人間からすると、全く受け入れられない現実。空想の中の出来事が、現実に出てきてしまった。そう思っていたのに、実はそれは昔からあった?
頭を抱える彼に、公安の男は淡々と話を続ける。
『そしてその魔法こそが、彼女をアンタッチャブルというカテゴリーにしている原因でもある。彼女が使える魔法は様々あるらしいが、その中に安全保障を揺るがすものがある』
『……それは、いったい?』
『テレポート、で分かるか? 望んだところに、好きに出たり消えたりできるのだそうだ。窃盗に誘拐、暗殺もやりたい放題だ。問題だろう?』
公安の男は、苦みと諦めを限界まで煮詰めたような笑いを浮かべた。彼は絶望を覚えた。こんな物の存在を受け入れている。公共の安全を維持することを目的とする組織に所属する人間なのに。こんなファイルがある以上、それは組織全体の意思という意味になる。
『なんとか、ならないんですか』
到底受け入れられない。それ故、こんな言葉が漏れ出てしまう。公安の男は苦い笑みをそのままに答える。
『ページをめくりたまえ。……そうだとも。我々のような仕事に就いている者には、絶対に看過できない魔法だ。なにより技術であるというのがいただけない。こんなものが拡散してみろ。あらゆる安全が消失してしまう。故にこのマリアンヌという女を捕らえる試みは、遠い昔から行われていた。それこそ、十字軍の時代からだ』
ファイルに記録されていたのは、その失敗の歴史だった。発見、計画立案、準備、実行、そして失敗。千年近く前から、時の権力者たちはマリアンヌを捕まえようとした。しかし成功したという記録は一つも無い。
古いものはまばらだが、現代に近づくほど詳細な情報が現れる。一体彼女の捕縛にどれだけの人間と金銭、そして時間が費やされたのだろう。無駄となったそれらに思いをはせると背筋が寒くなる。その責任者の末路などを考えると特に。
『そもそも、移動が自由自在な女をまっとうな方法で捕らえようとすること自体が間違っている。昔の人間だってそれぐらいは気づく。ではどうするか。……まあ、人質だ。親しいと思われた、あるいはそうでないものであっても捕まえる。そして心身の安全を脅かし、脅迫する。人権など概念すらない時代では、それはもう息ををするように実行された。……そしてその報復は苛烈だった』
ページをめくる意思が揺らいだ。この先には、魔女の怒りが載っているのだ。しかし結局、彼はそれを読むことにした。恐怖よりも、未知の情報が放つ誘惑のほうが上回った。
『計画には計画を。金銭には金銭を。命には、やはり命を。害を与えられた分だけ、害を返した。結果時の政治は乱れ、経済は混乱し、血は流れた。魔女に触れたことで滅びの道をたどるハメになった組織も少なくないらしい』
そこに合ったのは破滅の歴史だった。歴史ある貴族。大商人。軍人。政治家。力あるものが魔女に手を伸ばし、滅びていったという記録。男の顔が引きつる。いくつか、歴史の授業で学んだものがそこにあった。これが事実であるというのなら、このマリアンヌという女が原因で時代が動いたと言うことになるのだ。
『最も詳細で、かつ苛烈な報復の記録は第二次世界大戦のものになる。……あの時代、ドイツがオカルトを注視していたという話を知っているか?』
『……与太話のレベルなら』
『一般人なら、それでも十分詳しい方か。実際はかなりのめり込んでいて、いくつか本物を手にしていたらしい。そしてその過程でマリアンヌの存在を知り、あらゆる手を使って魔女を捕まえようとした。どんな報復をされるか考えもしないでな』
新しいページには、黒いフィルムが貼られていた。その下には写真があるはずなのだが、何も見えない。公安の男を見やれば、首を横に振った。
『見る必要はない。事件のそれで過激なものは経験あるだろうが、その最上級のものが載っていると分かっていればいい。端的に言って、マリアンヌは容赦しなかった。人質を害した者の末路は悲惨の一言に尽きる。気がついたら、自らの手で己の家族の命を奪っていたそうだ。その上司もな』
『殺人教唆……!』
『他国の、しかも昔の話だ。我々の関与するところではない』
警察官として、凄惨な事件は多少なりとも触れてきた。それ以上の事件も、内部に居れば嫌でも耳に入る。しかし魔女の報復は、明らかにそれを上回っていた。どうやってそれを成したのか。結果どうなったのか。正気を失った当事者の叫び声が聞こえてくるかのようだった。
『この資料だが、複数の筋から無償で提供されたとのことだ。普通だったらあり得ない、というのは分かるよな?』
『外交のカードとして、使ってこなかったんですか』
『そうだ。どれだけ海外のトップが魔女を恐れているか、よく分かるよな。……故に我が国の被害は
言葉が出なかった。一体何が起きたのか。何をやらかしたのか。一つ分かることは、それによって日本は魔女の脅威を実感したのだろうと言うことだけだ。
『長々と説明したが、我々が君とその同僚に求めることは簡単だ。彼女を刺激するな。敵対するな。トラブルを起こすな。もし何かあったら、必ず上に報告し判断を仰げ。たとえ相手が目の前で犯罪を起こしても、だ。できない、というのはナシだ。我々がこんな説明を請け負った理由を察してくれ』
『そこまで、なんですか』
『そうだとも。だからこそのアンタッチャブルなんだ。地震や台風、追加で魔女。人の手ではどうしようもない。そういうものだと受け入れるんだ』
公安の男はそこまで説明し、大きく息を吐いた。彼自身、思うところは大いにあるのだろう。だがそれを飲み込んで仕事をしているのだ。