【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず 作:鋼我77
数秒無言でいたが、やがてまた口を開いた。今度は少しだけ、口調が柔らかかった。
『ああ……せっかくこの機密に触れたんだ。おまけも持って行くといい。さっき、魔女がダンジョンについて知らせたと言ったな? あれは我が国だけでなく、世界中のほぼ全ての国にもたらされた。小さすぎて対応出来ないような所は例外とされたらしいが、まあそれは余談だ』
男はファイルを指で叩きながら、少しだけ笑った。
『さて、問題だ。海外も、そして我が国も。どうして魔法だのダンジョンだのと言った荒唐無稽極まる話を受け入れたと思う? ヒントはまさに、このファイルだ』
言われて、少しだけ考える。衝撃を受けすぎて疲れた脳は、動きが鈍かった。それでもどうにか、その簡単な答えに行き着くことができた。
『マリアンヌの、魔法』
『その通りだ。歴史上数多くの権力者が手を伸ばし、大きな犠牲を払っても触れることができなかった神秘。限定的、初歩のものであってもそれが供与されるというのであれば飛びつくだろう。話の真偽はどうでも良かったのさ。受け入れた当時はな』
『もらえるものは貰う、ですか』
『実際、魔女は見事に己の目的を果たしたよ。世界はダンジョン発生という未曾有の事態に対応できた。何も知らずにいたら、被害は一体どれだけ膨らんでいたのだろうな』
そして再度、大きく息を吐いた。呻くように言葉を絞り出す。
『……技術供与を受けて十年。我が国は、いまだ先人の影に触れることすらできていない。千年の技術格差はあまりにも遠い。平安時代と現代の差なのだから、当然だ。……ああ、十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない、だったか。なんとなく、似たものを感じるな』
いつの間にかうつむいていた公安の男は、顔を上げた。見たことのある表情だった。八方塞がりで抗うことすらできない、ただ絶望に沈むことしかできない者の顔。
『魔女が何かしても、我々は対処できない。穏便に済ませる努力がせいぜいだ。くれぐれも、それを頭に刻み込んで事に当たってくれ。死にたくないし、殺したくもないだろう?』
そんな真っ暗闇に沈むような日からあっという間に時が過ぎた。今はミナカタ社と共に訓練計画のためのデータ取りを行っている訳なのだが。
「詳細はいつも通りこちらに。……上での会議に、貴方が出てくれれば一番いいのだが」
「私もできればそうしたい。しかし計画に参加していない部署のものが、堂々と関わると耳目を集める。警察内だけならいいが、どこから枝が伸びているか分かったものじゃないからな。……それで、トラブルがあったと聞いているが」
流石に耳が早い、という言葉を教官は飲み込んだ。世辞や冗談を言い合うような間柄では無いのだ。彼は冷静に、訓練生にまつわる事件について説明をする。公安の男は静かに聞き続け、終わった後に一つ頷いた。
「分かった。それではこちらの方で手を回そう。数日で、その訓練生は計画から外れることになる。もちろん、正規の手続きでだ」
「……魔女を刺激しないだろうか」
「計画の障害を排除するんだ。ミナカタの社長もそれを望んでいるのだろう?」
「ああ。それは間違いない」
「ならば問題ないだろう。何なら、月曜日に彼に予定として伝えてくれ。それでだいぶ違うはずだ」
「それから……笠間の父親の件なんだが、そちらについては」
「それこそ何の問題も無い。地方の県議会議員がこの計画に手出しできるわけが無い。警察予算へのサボタージュ? 所属している党の本部からクレームを入れさせれば終わるさ。我々は民主主義国家に所属しているんだぞ?」
ほんの一分程度で、一人の青年の進路が確定した。教官としては複雑なものがあった。あの後も個別に呼び出して話をしたが、全く意思が相手に通じなかった。逆にこちらの説得を問題として訴えるぞと言ってくる始末だ。残念ながら、手に負えない。
「至ってまっとうに異動させるだけだ。彼の出世コースは大きな軌道修正になるが、本人の行動の結果なのだ。気に病む必要はない。むしろあの場に残しておく方が危険だ」
「ああ……魔女の機嫌を損ねたらと思うと、ぞっとする。まあ、訓練所には全く顔を出さないのだがな。挨拶の時に一度だけだ」
「その方が平和でいい……が、猫や烏は居るのだろう?」
「不自然なほど、必ずどちらかがいるな。敷地内に」
説明を受けていなければ、不気味に感じて排除していたことだろう。それがどんな結果を招くかも分からずに。
「魔女は動物をドローンのような情報収集端末にするそうだ。全く、たまったものじゃない。いつか君は、生徒に『周囲の動物にも気を配れ』と教える日がくるぞ」
「そんな日がくる前に、定年を迎えたいな」
「私もだ。猫相手に『パスポートをお持ちですか?』と聞く日が来ないといいが」
公安の男は失笑する。日は昇る。仕事は今日もある。絶望に落ちている暇などどこにもないのだ。我々は社会人なのだから。
「ああ、そうだ。近々ミナカタに大きな仕事が振られる。多分、受けることになるだろう。かの社長の性格を考えればな」
「大きな仕事?」
「年に一、二回ほどあるダンジョンのトラブルだ。ドゥームブレイカーズも動いているから、まあ問題はあるまい。手間はかかるかもしれないが」
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革張りの椅子が音を立てて軋む。老境に入ろうとする男の身体には、みっちりと肉が付いている。健康には気を付けているが、ちょっとやそっとの運動でこれは離れてくれない。男はとっくの昔に諦めていた。それに、これはこれで役に立つ。貫禄というのは彼の仕事にとって必要なツールだった。
「そうか。やっと機会が巡ってきたわけか」
「はい、先生。報告によれば、近年でもまれに見る酷い状態であると」
「呼びつけるには十分、か。不幸中の幸い、といっていいのか……ともあれ、動くときは今か。君、手はずを整えてくれ」
十回以上の当選回数を持つ与党議員、
「その……先生。本当によろしいのですか? あまりにもいつもの先生らしくない……」
「私とて、こんなことはしたくないよ。顔を合わせて話をして、というのが我々の全てだ。有権者から代表者として選んで貰ったのだからね。しかし……相手が怪物では、言葉はあまりに無力だ。ましてや、私の十倍以上生きているらしい魔女ではね」
同前は懐から電子タバコを取り出して……この部屋が禁煙だったのに気づき、ポケットに戻した。代わりに大きく息を吐き、話を続ける。
「危険は手元に置いて管理するもの、とは言うがね。管理の手段がないし、手元どころかどこに行くのかも分からない。制御方法すらないとあっては、どうしようもないよ。できることはせめて、ババを我が国ではないだれかに引かせることくらいさ」
「だから……民間人に危害を加えると」
「半グレに袋叩きにされた程度で折れてくれれば良かったんだが……思いのほか、精神が頑丈だったようだ。普通だったら、暴力にさらされれば心穏やかで居られないはずなんだが。やはり、ダンジョンに入るような者は一般人にカテゴリーできんな」
先頃失敗した一手を思い返す。間違っても自分へたどり着かないよう、念を入れて行ったアクション。おかげで実行役を選ぶ余裕は無かった。本当にどうしようもない底辺者で、交渉などのぞむべくもない。
犯罪者ということもあり、使用後はそのまま警察に捕まえさせるつもりでそれは望み通りとなった。懸念していたこちらとの繋がりも無事に切れた。しかし望みであった、ダンジョンカンパニーの解散は果たされなかった。
「魔女の関心はかの会社とその社長に寄せられている。解散してそれが消えてくれれば、日本から出て行ってくれるのでは無いか。……これくらいしかできないのが、なんとももどかしい。とはいえ、リスクが大きすぎるからな」
下手な行動は身を滅ぼす。自分だけならいいが家族や秘書、支援者や他の議員にまで波及しては目も当てられない。だからこそ、念を入れて工作を行ったのだが。
「確実な排除には、もう少し危険に近づかねばならないようだよ。だから君、頼むよ。コマを動かしてくれ。真っ黒なのは私もよく分かっている。だが日本の安全がかかっているんだ」
「……かしこまりました。細心の注意を払います」
「うん、頼むよ」
秘書が出て行くのを確認して、同前も席を立った。無性にタバコが吸いたい。
「私とて、危険は重々承知だとも。しかし、こうも無造作に国の仕事に触れられては、こちらも反応せざるを得ない。恨むのは筋違いだぞ、社長さん。君のパトロンが危険すぎるのがいけないのだ」
ふう、と僅かにたばこの臭いが混じったため息を吐く。
「必要な犠牲、という言葉を平然と使うようになったらお終いだな……」
小さくそう呟いて、重い足を前へと動かした。