【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず   作:鋼我77

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第133話 断神

 心配する田中さんに他言無用を言い含め、帰宅してもらった。装備ロッカーから重装防具の『大魔神マーク3』と大盾『獅子の咆哮』を取り出す。一人で身につけるのは大変だった。いつもは人に手伝ってもらってるからな。

 最後にはちょっとプラーナ任せの怪力で、どうにか重い装甲を身に纏った。ここまでですでに汗が酷いことになっている。こんなことならケチらずクーラー使えば良かった。

 社屋を出て、ダンジョンへ。階段を降りれば、夏の湿気とさようなら。身にまとわりついた熱も、どんどん消えていく。ああ、涼しい。これで安全なら最高なのに、と何度思ったことか。多分これからもそうだろう。……今日、うっかり死ななければ。

 階段を降りて、直ぐ近くにある部屋。仕事ではすっかり見慣れたその場所に、グレートソードを携えた里奈さんの姿があった。

 ……正直なところ、彼女がつい先ほどまでと同じ人物に思えない。いつもの、万人を引きつける魅力あふれる彼女ではない。日本を守り続けた英雄、ドゥームブレイカーズの中心人物としての彼女でもない。

 己の意思のまま、万物を切り捨てる断神。ただ刃としての里奈さんがそこに居た。

 

「お待たせしました」

 

 彼女の前に立ち、そう声をかけると断神は薄く笑った。

 

「はい。待ちました。ずっとずっと、待っていました。私の剣を防いだあの日から、ずっとずっと。今日この時を待ちわびていました」

 

 そう言って彼女は、グレートソードを大上段に構えた。同じだ。あのときの恐怖が蘇る。ハウルボアボスとの戦いの最後、うっかり斬り殺されかけたあの瞬間を。

 

「約束、果たして見せなさい」

「本望。……原始の大君(プライマル・タイクーン)

 

 アビリティを、発動させる。自分だけなら、五分は持つ。いや、プラーナを消耗すれば時間は削れる。良いところ、三分か。

 意識を集中……するまでもなく、アビリティが激しく警告する。死が来るぞ。

 

「やぁぁぁぁぁッ!」

 

 ただの振り下ろし、ではない。早く、鋭く、正確。アビリティこそ使用していないが、それでも彼女の本気が込められている。凡人が防ぐなど、夢のまた夢。奇跡が起きないと不可能な領域。……あのとき俺が、なぜこれをしのげたのか。多分一生かかっても理屈の通った答えは出ないだろう。本当にただの偶然、奇跡だったのだ。

 しかし、今は違う。はっきりと、刃の動きが見えている。感じ取れている。そしてそれへ、身体が付いてくる。盾を斜めにかまえ、横に振って外へと弾く。狙いは先端。

 いかに彼女が優れていてもアビリティを使っていない以上、物理法則からは逃れられない。剣の軌道は、大きくぶれる。俺には当たらず、ダンジョンの床を叩いた。

 

「……防ぎましたね、私の剣を」

「ああ、今回は、偶然じゃない」

 

 原始の大君(プライマル・タイクーン)の与えてくれる直感。これは山河盾法を極めるに当たって俺に足りなかったものを埋めてくれる。かの武功書にはこのような文章があった。

 

『盾で攻撃を受けるは三流のやり方である。刃、矢、槍。どれであっても傷つき、壊れる。次に身を守る手段が失われる。しかし凡人でも可能である事は間違いない』

 

 盾は無敵の防御手段ではない。どうしても、受けた分だけ壊れてしまう。里奈さんの大上段からの一撃を真っ正面から受けた日には、そのままバッサリ。真っ二つになるのは間違いない。

 

『盾で攻撃を捌くのは二流のやり方である。盾の消耗を抑え、敵の攻勢を崩すことも期待できる。しかしそれには、技と目が無くば不可能である』

 

 技は、練習を続ければ身についた。しかし目下、コレが問題だった。捌き、あるいはパリィ。これを成功させるためには、正確に相手の攻撃にこちらの盾を合わせなければならない。達人の振り回す剣の動きは、まさしく文字通り目にもとまらぬ早さだ。

 これに盾を合わせる。ただ単に剣の動きを見ていたのでは間に合わない。もっと前、身体の動きから察して先んじて動かなくてはいけない。コレが出来なかった。何をどうすれば、相手の目や身体の動きから次の攻撃が読めるというのか。

 道明さんや勝則はこれが出来るという。何度も教えを受けたがさっぱり身につかず、山河盾法の学びも進まない。里奈さんとの約束も果たせないとずっと悩み続けていた。そんな俺の気持ちを、アビリティは『汲んで』くれたらしい。

 直感を得た今の俺なら、相手の動きからどんな攻撃が来るのか分かる。もっと言うと、理解する前に身体が動く。早ければその分、身体に負荷がかかるが強化された筋力と持久力がそれを補ってくれる。

 最初に原始人(プライマル)を発動させた時、これが可能であると悟った。だからこそ、今日のこれがある。躊躇いは自分の額をぶん殴って引っ込めた。一年も待たせたのだ。今更怖じけずいては男が廃る。

 

「……では、次です」

 

 断神が笑う。戦意が膨れ上がる。身体を巡る濃密なプラーナが、肌より浮き上がって見えてくる。本来は見えないはずなのに。これが彼女の本気、その一端。

 来る。

 

「はっ!」

「っしゃあ!」

 

 横一文字。バットを振るかのような、身体のひねりを加えた渾身の一撃。まともに受けては耐えられない。なので大きく一歩、踏み込んだ。

 剣であれ槍であれ棒であれ、一番威力があるのは先端部分である。では逆に、弱い部分はどこか。それはもちろん、本人の身体に近い場所。極論を言ってしまえば、手元である。たとえ大リーガーでも、腕を振る場所に邪魔な物があったらホームランは打てない。

 

「ふっ!」

「ぐっ!?」

 

 しかしさすがはベテラン戦士。間合いを詰められすぎた場合であっても直ぐに対応してくる。こちらの盾の縁を蹴り飛ばして距離を開ける。パリィの時、剣の先端を弾いたのと同じだ。盾も縁を叩かれると持ち手に伝わる。場合によってはこっちの体勢が崩されることもあるほどだ。

 読めてはいたのだ。しかし避けきれなかった。直感は万能ではない。相手が早ければ、対応しきれない。そしてそれを、断神はひと蹴りで理解した。

 彼女の左手が強いプラーナを宿す。そしてそのままグレートソードの刃、その半ばを握りしめた。当然、血は出ない。そんな間抜けはしないだろう。

 

「ハーフソード……」

 

 俺が呻くと、彼女は艶やかに笑った。長い武器は、利点と欠点がある。短い武器より相手に届きやすい。重いから威力がある。これが利点。欠点は取り回しが難しく、行動が単調になること。

 彼女はアビリティのおかげで、本来なら持ち上げることも難しいはずのグレートソードを木剣のように軽々操っている。しかしそれにも限界があり、どうしてもその動きは斬る、突く、振り上げ、振り下ろすなど簡単な物になる。

 だが、ハーフソードなら別である。短くなった分だけ威力は下がるが、取り回しやすさは全く違う。繰り出される技も、別次元だ。

 何故それを知っているか? 決まっている。散々実験台として付き合っているからだよ! そのたびにコレやられたら死ぬ、って身に刻み込まれている。李飛龍氏への対策だったはずなんだけどな、コレ。

 

「ふっ」

 

 ロケットのような、とんでもない突進力による突き。それだけでも脅威なのだが。

 

「ぐ、ああっ」

 

 寸でのところで横にずれてしのぐ。だけどそれで終わっていないことを、直感が激しく警告してくる。膝から力を抜けば、その上を刃が通っていった。これがハーフソードの怖いところ。剣を振らなくても、刃が動く。左右の手どちらでも、押し引きすればそうなるのだ。いくら重鎧で身を固めていても、隙間を狙われば重傷確実。

 グレートソードが、蛇のようにうねる。盾と鎧の表面を、刃が削っていく。直感は常に新しい危険を告げてきて、こっちは対応で手一杯。精神、体力、プラーナが、凄まじい勢い出消耗していく。

 このままでは負けて死ぬ。ならばさらなる一歩を踏み出すしかない。

 

『一流の防御とは何か。それは相手に攻撃をさせぬ事である。剣も槍も弓も、正しく使わねばただの道具である。武器にはなり得ない。盾をもって、相手の陣地を制圧する。己の命を守りたくば、攻めるべし』

 

 狙いは一つ、刃をささえる左手。そこにめがけて、盾の縁をたたき込んだ。

 

「くっ!?」

 

 プラーナに守られて、痛手にはなっていない。それでも勢いを止めることが出来た。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 息が切れている。汗が止まらない。身体が燃え上がるように暑い。脳も茹だっている。限界は近い。

 

「ふぅぅぅ……」

 

 逆に、断神はまだまだ余裕だ。当然の話。下駄履いてギリギリ肩を並べている俺とは、自力が違うのだから。

 

「そろそろ、限界のようですね」

「申し訳ないが、その通り」

「それでは、次の一撃をもって判断しましょう。貴方が、断神の前に立つにふさわしいかどうかを」

 

 再び、グレートソードが大上段に構えられる。次の一撃は、最初のそれとは全く違う。剣が、プラーナによって煌々と輝きを放ち始めた。この間、スペクターの群れをなぎ払ったあれに違いない。

 直感が悲鳴を上げている。死ぬと。あれは受けきれるものではないと。百も承知。斬断に関わることに関しては、まさしく神のごとし。どうしてお山の大将ごときが対抗できるだろうか。方向性も、自力も、立っている場所も違う。

 俺のやれることは一つだ。今一度、最初の気持ちを思い出す。辛いものは俺が背負う。みんなはドンと前へ行け。

 

断神(リーパー)!」

原始の大君(プライマル・タイクーン)!」

 

 振り下ろされるそれめがけて、俺は前へ出た。残ったプラーナのほとんどを、足に注ぎ込んだ。砲弾のように飛び出て、盾は笠のように掲げた。刃に触れる前に、それは紙のように吹き飛んだ。

 だが、一瞬だけの守りを得た。十分だった。兜も、留め具を引きちぎって吹き飛ぶ。死が頭上に迫っていた。だがそれが届く前に俺は、彼女の胸に飛び込んだ。ほぼ体当たり。大剣は彼女の手から離れすっ飛んでいく。

 俺は最後の力を振り絞り、彼女を抱いたまま身体をひねった。どうにか、俺が下になって地面に落ちることが出来た。流石にこの重量で押しつぶしたら、怪我をさせてしまう。

 

「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ」

 

 酸素が足りない。目の前が暗くなっている。ついでに言えばプラーナは空っぽ。アビリティを動かすなんてとてもできない。全身はガタガタ、明日は間違いなく筋肉痛だ。まあそれでも、大怪我せず乗り切れたのだから褒められてもいいはずだ。

 

「里奈さん、ご無事で……」

 

 唇が、重なった。首の後ろに手を回され、情熱的に。驚いたが、最高に嬉しそうな表情でそうしてきたならば、受け入れるのが男だろう。数秒そのままだったが、やがてゆっくりと離れた。そしてそのまま、胸に顔を押しつけてきた。鎧着てるから堅いだろうに。

 

「まさかあんな方法で止められるなんて、思いませんでした」

「相手が里奈さんだからこそ、でしたね」

 

 俺はあの時、最後の力を振り絞り()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()。俺の力を、仲間に与える力。その中でも直感こそが、重要だった。それを与えられた彼女は明確に理解したのだ。このまま振り下ろせば、俺は死ぬと言う事実を。

 敵であれば、何のためらいもなくそうしただろう。しかし彼女は、断神はそうではない。たとえ斬る事に心を支配されていても、里奈さんなのである。彼女を信じるからこその一手は、見事にこの結末に至らせてくれた。

 

「最初は、ただ気になっただけなんです。私の剣を受けた人は、どんな人なんだろう。もう一度、できる人なのかって」

 

 黙って彼女の独白を聞く。それが必要だと思ったから。

 

「偶然だって言われて。実際そうだなって私も分かっていたんだけど、どうしても気になって。色々無理を言ったら、受け止められるようになるなんて無茶な約束をしてくれて」

 

 ふたたび、彼女の顔が目の前に来た。真っ直ぐに、俺の目を見てくる。そらすことなんて、できなかった。綺麗だと、思った。

 

「そして本当にしてくれた。私に、断神に向き合ってくれた。怖くて、迷惑なはずなのに」

「前にもお伝えしたでしょう。人間は助け合って生きていくものなんです。そりゃあ確かに、断神はおっかないほど強いです。でもそれがダンジョンでは最高に頼れる。断神も里奈さんも、俺たちには必要なんですよ。気にしないでください」

 

 もう一回キスを貰った。今度は俺からも抱きしめた。この際なので、離れた彼女に本音を語る。誤魔化してはいけない大事な話を。

 

「里奈さん。キスまでしておいて本当最低なんですけど……俺、マリアンヌさんが好きなんですよ」

「知ってますよ。私も好きですし」

 

 あっけらかんと、そう返してくる。嫉妬の色が全く見えない。彼女はいかなる判断基準で、恋愛を考えているのだろうか。

 

「でもって、さらに最低なこと言うんですけど……里奈さんも好きなんですよ」

「私も好き」

 

 もし他人がこれ言ってるの聞いたら、間違いなく盾の角を頭にぶち込むようなセリフを吐いた。そしてそれに対して、真っ直ぐ好意を返してくれる。一生頭が上がらないな。

 

「普通じゃ無いんですよね。世間一般からしたら」

「そーかもしれません。でも、私普通じゃないですし。普通だと、誰も好きになれないですし。普通の人は、断神と向き合ってくれませんし」

 

 彼女は、ふたたび真っ直ぐ俺の目を見て答えてくれた。

 

「私は春夫さんが好き。私は春夫さんがほしい。私は春夫さんじゃなきゃいやだ。それでいいんです」

 

 ああ、まったく。酷いことをしている。……ならせめて、彼女を幸せにすることが俺の義務だ。

 

「あと、もしその世間一般が春夫さんをいじめるなら、私がぶった切っちゃえばいいんじゃないですかね!」

「それはしなくていいですから」

 

 あと、止めるのも。……とりあえずそろそろ起きようと思った時、視界の端にこけ玉を見た。そうだった、ここはダンジョン。油断してはいけない。急ぎ身体を起こそうとしたら、その緑の玉が横から伸びてきたブーツに蹴り飛ばされた。

 

「お迎えに上がりました、春夫様、里奈様」

「……猫さん、なんで?」

 

 そこに立っていたのは、メイド服の彼女。いつの間にやら壁に転移のアーチが発生していた。向こう側は屋敷に繋がっているようだ。見慣れた廊下がそこにある。

 

「里奈様がお迎えに行くと仰っていたのですが、待てど暮らせどお二人ともお戻りにならず。主が魔剣に意識を飛ばしてみれば、ダンジョンでバトルしているではありませんか。我々がどれほど驚いたか、おわかりでしょうか」

「あー……」

 

 そういえば里奈さん、マリアンヌさんが待ってるとか言ってたっけ。それなのに約束で頭がいっぱいだった俺が無理矢理……うん。

 

「俺が悪い。ごめんなさい」

「ごめんなさい。忘れてましたー」

「ええ。私は構いません。でも、主はそうではありません」

「……怒ってる?」

「いえ、限界です」

 

 限界とはなんぞや、と問う前にアーチから次々と屋敷の者達が現れた。具体的に言うとカラスさんとラットマン達だ。

 きれい好きでオシャレさんな使用人たちは、あれよあれよという間に俺たちを担ぎ上げてしまう。俺は疲れて抵抗できないし、里奈さんは……楽しそう。うん、彼女はそういう人である。

 

「バトルでハラハラさせられたあげく、ちゅっちゅちゅっちゅしているのを見せられて、魔女が正気を保てると思いますか?」

「……怒ってらっしゃる?」

「それではお風呂へ直行いたします。前進開始」

「「「ヂュ!」」」

 

 神輿のように担がれて、アーチに向けて運搬されていく。

 

「待って! 風呂ってどういうこと? あと、俺社屋の戸締まりが!」

「そちらは私の方で行います。お風呂の理由は……お察しください」

 

 そこで俺は気づいた。正確には考えないようにしていたそれが、目の前にやってきたとも言う。どうやら、ついに健全なお付き合いが終了するらしい。普通、もっとロマンチックなものなんじゃないの? まるで厨房に運ばれる食材みたいな扱いなのは何故?

 

「里奈さん、離脱するんだったら今だぞ……これから、ええと、広義の意味で魔女にお召し上がりされてしまう流れだこれ」

「ドキドキですね!」

「どきどきじゃなくて。里奈さん本当に分かってるの!?」

「分かってますよー私も大人ですしー。ちょっと味見されたこともあるしー」

「待ってそれ聞いてない」

 

 ラットマンたちは元気に屋敷の廊下を進む。これでいいのか? という思いは多々あるが、残念ながらもう選択肢はない。これをゲームオーバーと言うべきかハッピーエンドと言うべきか。それは、後の俺が決めてくれるだろう……。

 

「いや、やっぱこの流れでいっちゃうのは流石に情けなさ過ぎる! 猶予を! もうちょっと雰囲気とかそういうのを!」

「やはりこうなりましたか。出会え、出会え。春夫様ご乱心、ご乱心!」

 

 猫さんの呼び声に応え、次々と現れる美女だち。マリアンヌさんの使い魔が、四方八方から抱きついて俺の動きを止めてくる。暴れると彼女たちを怪我させるから、とてもできない。おのれ! 完全に俺を理解していらっしゃる!

 

「離してくれー! 勘弁してくれー! 嫌じゃないけど、もうちょっと格好つけさせてくれー!」

 

 俺の嘆願は聞き入られず。かくして、魔女の屋敷の奥深くへと飲み込まれていくのだった。

 

/*/

 

 土日を挟んで月曜日。俺は……会社に休暇届を出した。猫さんを代理に立てて。うん、ちょっと表に出るの無理。足腰立たない。太陽が黄色い。ハレルヤ。

 

「春夫さん、デザートはいかがですか?」

「だいじょうぶです。ありがとうございます。だいすき」

「はあい、私もですよ」

 

 朝食後、リビングでくつろいでいる。それしかできないとも言う。隣に居るマリアンヌさんがかいがいしく世話を焼いてくれている。ほっぺにチューもしてくれる。

 

「ふにゃー……」

「里奈ちゃん、デザートは?」

「ふあー」

「はい、あーん」

 

 里奈さんの理性はいまだ戻らないようだ。よく分かる。正直俺も半分何かが飛んでいる。完全に三大欲求が満たされ、あるいは一滴残らず搾り取られた。我に欲なし。では残ったものはなんだろう? ……マリアンヌさんが好き。里奈さんが好き。おお、愛がある。ハレルヤ。

 ぼんやりと意味の無いことを脳に思い浮かべていると、扉がノックされた。

 

「失礼します。お客様です」

「ああ……どうぞ」

 

 うむ? マリアンヌさんが苦笑を浮かべている。何だろう?

 

「失礼します……うわあ、干からびている!」

 

 入ってきてそうそう、小百合が俺を見て叫んだ。何が干からびているだ。健康だぞ。

 

()()! 目に光がありませんよ! しっかりしてください!」

 

 あげく、懐かしい呼び方をしながら胸ぐら掴んで揺さぶってくる。いかんいかん、服が伸びるじゃないか。最近の俺の服は猫さんたちが用意してくれたものなんだぞ。きっとお高いんだ。俺には分かるんだ。あるいは、ラットマンさんたちが生地から縫ってくれているかもしれん。そういう部屋があるんだ、このお屋敷には。

 

「猫さん、なんなんですかこの有様は! 社長も里奈さんも、ぐだぐだじゃないですか!」

「申し訳ありません。うちの主が辛抱たまらんって感じで襲いかかりましてこの状態です。全てはスケベな主のせいです。私悪くないにゃん」

「にゃんて、そんな取って付けたような語尾を! そんなことなら、サンマの量減らしますからね!」

「そんなご無体な! 猫頑張ってますにゃん! 悪いのは全く止めないカラスですにゃん」

「ここぞとばかりに私に押しつけてくるな、駄猫!」

 

 ぎゃあぎゃあと、目の前で騒ぎが起きている。俺たちはそれをぼんやりと眺めているだけだ。マリアンヌさんは苦笑を継続しているが。

 

「……おはようサッチー。それで、何の用だ?」

「あ、正気に戻りましたか社長。正直お説教したい気分ですが後にします」

「説教はするのね」

「あたりまえです。盛りの付いた十代じゃあるまいし、体調不良になるまでハッスルするとかバカですか。立場考えてください恥ずかしい」

「返す言葉もございません」

 

 思わず頭を下げる。言われてやっと感情が追いついてきた。うん、こんなので休みを取るとか本当恥ずかしい。明日どの面さげて出社すりゃいいんだ。

 

「まあ、皆の理解はありますからせいぜい恥をかく程度で済むでしょう。それは明日ご自分で味わってください。それより、これだけは今日中に目を通して判子ください」

 

 そう言って彼女が差し出してきたのは、何枚も紙が挟まったバインダー。内容は、何度か目を通したものだった。

 

蛮族の楽園(サベージ・パラダイス)偵察計画。準備と根回しと調整、全部終わりました。近日中に、実行できますよ」

「ついに、ですか」

「へぇー……」

 

 のんびりとしていた魔女と断神の気配が変わる。会社的にも個人的にも大騒動があったばかりなのに、これである。どうやら盆休みが取れるのは、まだ先のようだ。

 

/*/

 

 時間は少しだけ遡る。スペクター討伐の完了が確認された日、竜宮(たつみや)結衣(ゆい)の元に連絡が入った。本来ならゆっくり帰るはずだったが、予定が変わった。なんとか手に入れたチケットで、彼女はその日のうちに福岡へ戻ることとなった。

 空港に到着した頃には日も暮れていた。迎えに来た車に飛び乗って、自社ビルへと向かわせる。本来なら労いの挨拶もあって当然なのだが、今日ばかりは事情が違う。誰も彼もが口を開かない。

 街灯に照らされた道を急ぎ、本社ビルへとたどり着く。迎える社員達におざなりに返事をし、開けられていたエレベーターに飛び乗る。普段は早く感じるエレベーターの上昇も、今日ばかりは遅い。やきもきしながら扉が開くのをじっと待ち、到着と同時に飛び出す。

 そして向かった先は、非常階段。さらに上へ、屋上へ。普段は閉められているその扉の先に、人の気配が沢山ある。迷わず飛び込んだ。

 

「……そぉれでは、御大将のご到着を祝いましてぇ……かぁんぱい!」

「「「かぁんぱぁぁい!」」」

 

 大男達がヤケクソ気味に叫び、手に持った器を干していく。飲み終えたがふらつくもの、そのまま倒れるもの。酒盛り、その末期の有様だった。見れば、床には男どもが転がっている。皆体格のいい、ハンター達だ。

 つまり一般人よりも遙かにアルコールに耐性がある。それがこのザマだ。さらに見れば、大量の酒瓶が転がっている。片付けても追いつかないと、おそらく関係の無い部署の社員までかり出されて状況に対応している。

 

「ただいま帰りました、お爺さま!」

 

 その混沌とした場に、結衣は挨拶を叩き込んだ。泥酔したハンター達の視線が彼女に集まる。アルコールで鈍りきった頭でも、己達のボスは理解できた。

 

「「「お帰りなさいませ、お嬢!」」」

 

 気合いで立ち上がり、頭を下げる一同。その後少なくない数がその場で倒れ込むが叱責など無かった。それどころではないのだ。

 屋上に運び込まれた一番大きなテーブル。その中央に、一人の老人の姿があった。色々特徴的な男だった。まず、身体が大きい。二メートルはある。そして、年齢を全く感じさせない肌つやと筋肉。衣服が夏らしいアロハシャツというのが、余計にそれをわかりやすくさせている。

 頭の上にはサングラスを引っかけ、手には酒の入ったグラス。そんな老人が、結衣を見て片手をあげた。

 

「おう。よう帰ったな、結衣よ。早かったのう。帰るのは明日じゃと聞いておったが」

「お爺さまがいらしたと聞いて、急いで戻って参りました」

「なんじゃ、そりゃ悪かったのう。ゆっくり帰ってこい言えば良かったわい」

 

 この人物を待たせる。そんな危険なことは絶対にできない、とは口にできなかった。それはこの場にいるほぼ全ての人間の総意である。どれだけアルコールを入れても、最後の一線までは酔えない。正気を失うことを許されない。この老人がいるということは、そう言うことだった。

 

「ワシは、のーんびりさせて貰ったぞ。酒は美味い。肴も美味い。なにより、これじゃよ」

 

 老人は天を指さした。街の明かりが強いため、星はあまり見えない。しかし月はハッキリと輝いていた。

 

「美しく、そして広い。ワシは長く生きて、色々足を運んでおるんじゃが。やはり天というのは素晴らしい。加えてこの夜景じゃ」

 

 今度は街並みを指さす。街灯、ビル明かり、そしてイルミネーション。輝きが満ちていた。

 

「これを、人の手で作ったと聞いた。天晴れ、本当に天晴れじゃ。認めよう、ワシにはできん。何千年掛けても無理じゃ。学ぶ以前の問題じゃ。見事の一言に尽きる」

 

 心の底からの感心を込めて、老人が語る。一同はそれを、静かに聴くことしかできなかった。この老人の思いを図ることなど誰にもできないのだから。

 

「昼間も良かったのう。空の輝きが最高に心地よかったわい。ありゃ寿命が百年延びたな。……ワシらが老衰で死んだって話、一度も聞いたことないんじゃけどな。ま、それはええわい。結衣よ、例の話はどうなっとる? 暴走卿(ロード・スタンピード)じゃ」

 

 その名前を出した途端、空気が変わった。酒のせいで意識が朦朧としていた連中はそのまま気絶し、そうでないもの達は顔を青ざめさせる。ここに居る者達の大半は、一般人では無い。現役のハンター、あるいは元ヤクザである。

 修羅場の経験は一度や二度ではない。そんな者達が、心底怯えている。耐えられているのは、結衣とその護衛である虎井(とらい)辰郎(たつろう)だけだ。

 

「これまでの情報と、現場での実力。二つを照らし合わせて、一人の人物に絞り込みました。しかしまだ、確認には至っていません」

「うむ。まかりなりにも相手は新たな覇王。半端に手を出してはいかん。それで良い。となれば後は確認じゃが……ワシに考えがある」

「……お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 老人は、いたずら小僧のような笑みを浮かべてこう言い放った。

 

「奴の居城に挨拶に行くんじゃよ。クロック・ブラックが根城にしとった都市、愚者楽土へのう」

 

六章 了

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