【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず   作:鋼我77

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第39話 社会人としての対応

 床屋に行った。ワイシャツにはしっかりアイロンをかけた。ネクタイも締めて準備完了。アポイントも取った。というわけでデパートの一件より数日後。俺はリーダーの男が勤める会社へ正式に訪問した。隣には同じくきっちり夏の社会人正装を決め込んだ流を伴っている。

 連中の仕事先は、ご友人ネットワークがしっかりと調べ上げてくれた。恐るべし地元ネットワーク。まあ、やつらが流の同級生だったというのも一つの要因だろう。あと、友人にひどい目を遭わせた相手を許さぬという怒りもあったと思う。

 件のグループは、流の世代では有名人だった。高校時代はずいぶんと人様に迷惑をかけていたようだ。いつだか彼が言っていた、高校時代のイジメグループというのはこいつらの事。取り巻きの中に、家電屋勤めの人物が居たそうな。

 さて、リーダーの勤め先は車の整備工場だった。創業は昭和で、現在は三代目の社長が継いでいる。オブラートに包んで言うが、大変年期を感じさせる佇まいだった。

 応接に通されて少し待つと、上司らしき男性に伴われてリーダーの男が入ってきた。上司はクールビズのノーネクタイ。リーダーは工業用油の臭いが染みついたつなぎ姿だった。

 名刺交換の後、壮年の上司は汗をハンカチで拭いつつ話し出した。

 

「お待たせして申し訳ありません。今回は、弊社の東松がご迷惑をおかけしたと伺っておりますが」

 

 東松、というのが件のリーダーの苗字である。東松(とうまつ)英人(ひでと)がフルネームだとか。

 

「ええ。公衆の面前で、我が社の社員二名を土下座させまして。あげく私にまでそれを強要してきました。社会人としてのモラルを疑う行為に対して、強く抗議させていただきます」

 

 挨拶もそこそこに、用件を切り出す。上司の顔色は悪くなり、リーダーは逆に赤くなる。

 

「部長、こいつらは嘘をついています! 俺はそんなことをしていません!」

 

 ……想定していてよかった。不意打ちだったら、噴き出していたかもしれない。そして、予想していた中で一番の反応をしてくれた。これでほぼ勝ち確である。

 

「これは、また酷いことをおっしゃる。つい先日の事なのに、もうお忘れですか? 私や彼の顔も?」

「あんたの顔なんて知らねーな! でも、黄田の魂胆は分かってる。学生時代の仕返しだよな? 俺らが昔ちょっとからかったから、その仕返しだよな? あ?」

 

 ふーむ……これは、考えていたな? 偽の話で誤魔化すにも、それなりに説得力が欲しいものな。アポを取ってからここまで、半日近くあった。考える時間があれば、多少は思いつくか。

 しかしそのおかげで、こっちの手札がどんどん増えて行っているのだが。

 

「黄田。学生時代、彼から嫌がらせを受けたというのは本当か?」

「……中学時代から、暴れてましたからね。正直、就職できたのが不思議なくらいで」

「てめぇ、黄田ぁ!」

「止めなさい東松! お客様の前だぞ!」

「だけど部長!」

「礼儀を弁えろ! 恥をさらすな!」

 

 上司からきつく言われ、浮いていた腰を下ろす。しかし睨みつける表情はそのままだ。

 

「……入川さん。弊社の東松はこのように言っているのですが」

「残念です。全く反省の意思がないとは。弊社としては、真摯に謝罪してくだされば穏便に済ますつもりだったのですが」

「ただの言いがかりに、どうして謝らきゃいけねーんだよ! むしろ、そっちが謝れよ! それこそ地面に額をこすりつけてよぉ!」

「東松!」

 

 うーん。上司さんの苦労がしのばれる。それにしても、土下座がそんなに好きか。それとも何かトラウマでもあるのか? まあ、いいや。さて、ここまでの問答で十分だ。そろそろ罠にかかかった獣を仕留めよう。

 

「そこまでおっしゃるなら仕方がありません。本当はここまでするつもりはなかったのですが」

 

 などと、まっとうな社会人のふりをしつつスマホを取り出す。そして用意していた動画を再生する。もちろんこれは、勝則に撮影してもらった例のアレだ。音量を大きめにして、良く聞こえるようにしてやる。

 動画は俺が彼らの前に出た所からスタートしている。画面には、土下座させられている黄田母子と頭を下げる俺。そしてへらへらと笑う東松と友人達が映っている。

 

「な、あ?」

「これは……」

 

 一方的に罵倒する彼。誠実に対応する俺。変化していく人垣の表情。この動画の為に、俺はあの時大人しくしていたのだ。ここで必殺の武器とするために。

 動画はしっかりと彼と友人たちを映している。顔もはっきり、時にはアップにまでなる豪華仕様だ。

 そして致命的なシーンが表示される。

 

『だったらよお! お前も土下座しろや! なあ!』

「私とはあった事がない。言いがかり、でしたか? では、この動画は何でしょう? 説明していただけますか?」

 

 東松は、しばし金魚のように口を開け閉めしていた。何か言いたくても、言葉が思い浮かばないのだろう。赤かった顔は青へ。そしてちょっとしてからまた赤く染まっていく。血管に悪そうだな、とそんな無駄なことが脳裏によぎった。

 

「ひ、卑怯じゃねえか! こんな動画、持ってるなら最初から出してればよ!」

「先ほど申し上げた通り。最初から素直に認め、謝罪してくれれば穏便に済ますつもりでいました。こんな証拠を見せなくても、そうしてくれるのであれば誠意があると信じられたのです。残念です」

 

 腹の中でゲラゲラ笑いながら、すました顔でそう告げる。正直大分辛い。わなわなと震える東松を見ていると噴き出しそうになる。神妙なふりをして視線を下げてみたりする。

 

「で、デタラメだ! AIとかに作らせた偽動画だ! 信じないでください、部長!」

 

 形勢不利をやっと理解して、今度は証拠の否定に走り出した。うーん、泥縄。上司も思いっきり呆れている。

 さっき認めたじゃないか、という当然のツッコミは今回飲み込む。どうせ否定するのが目に見えている。なので、もっと正面から切り込む。回避不能攻撃。

 

「では、専門家に解析を依頼しましょうか。依頼料は一旦こちらで持ちましょう。疑われても面倒ですし、専門家はそちらで選んでください。もちろん、看板がしっかりした所に限りますが。ああ、それで解析結果に嘘がなかった場合は、料金請求するのでよろしく」

「ふざけんな、どうして俺が……」

「こっちの証拠にケチをつけたのはお前だろうが! だったら責任取れるよなあ!」

「う、ぐ……」

「入川さん、どうか落ち着いて……お気持ちはよく分かります。東松、見苦しい真似をするんじゃない!」

 

 上司に窘められ、チンピラも流石に黙る。だが当然、納得も諦めもしていない。何とか窮地を脱しようとしている。止めを刺す。

 

「さて、事ここに至ってはもはや穏便に済ますというのは無理になりました。彼には相応の責任を取っていただきたいと思います」

「入川さん、そこを、どうにか! 東松、謝罪しろ! ほら、頭を下げろ!」

 

 無理やり頭を押さえつけ、下げさせる上司さん。そして自分も必死で下げてくる。この人も運が悪い。こんなのの上司とか、さぞかし胃が痛いだろう。

 

「部長さん、申し訳ありませんがもうその程度で済ませられなくなっているんですよ。今回、彼らの勤め先を調べるために方々に聞いて回りました。当然、何故と聞かれたので事のあらましを説明しています。頭下げた程度では、この話は終わらないのです」

「そんな!? 穏便に済ませるというさっきのお話は!?」

「済ませるつもりでしたとも。あの時、あのデパートで事の成り行きを見ていた方は沢山いたのです。少しでも事情を知る者がいれば、悪評は瞬く間に拡散する。いや、きっともうしている。しかし話し合いをして、誠意ある謝罪を受けました……と、協力者に伝えれば少しはマシになるはずです。少なくとも、今よりは」

「あ、ああ……なんてことだ……」

 

 がっくりと肩を落とす部長さん。自社の悪評が拡散されたと知れば当然の反応だろう。さて、まだ理解できていない東松に止めを刺そう。そろそろこいつには舞台から降りてもらう。

 

「東松さん。貴方のことは黄田の同級生から聞きだしました。今頃、ご近所でもこの話は出回っているでしょう。親不孝な事ですね」

「てめぇぇぇぇ!」

 

 目論見通り、我慢の限界がきたようだ。チンピラが飛び掛かってくる。その胸倉をつかむ右腕あり。流のものだ。相手の勢いをそのまま利用して、壁に放り投げる。ダンジョン食材と労働、筋トレの力はいかんなく発揮された。大人一人が宙を舞う。

 

「ぐぶっ!? ……な、あ」

 

 自分の身に起きたことが信じられぬと、東松は呆然とする。その前に、悠然と流が立つ。

 

「怒るなよ、ちょっと押しただけじゃねえか……だったっけ? 無理あるよなーこれ」

「黄田ぁ……てめえ、誰に何したか、分かってんのか?」

「会社の看板に泥塗った、どうしようもないチンピラを……」

「このっ、がぁ!?」

 

 再び飛び掛かる東松。蹴り飛ばして撃墜する流。

 

「……大人しくさせているだけだけど? ああ、ええっと……悪いな、足が長くて引っかけちまった、だっけ? これも無理あるよなあ。長くねえもん、お前の足」

 

 そんなやり取りをする二人を眺めつつ、部長さんに一言。

 

「警察呼んでもよろしいですか?」

「ま、待ってください! おい! だれか、工場から人を呼べ! 東松が暴れている! 押さえつけろ! あと、社長も呼んでくれ!」

 

 しばらく、具体的には十分少々の後。古びた応接室には人が増えていた。椅子に座るのは、おそらく60歳を超えているであろうこの会社の社長。となりにさっきの部長さん。

 床には三人がかりで押さえつけられている東松の姿。俺たちはそのまま。さて、この時点でやり返しはほぼ完了している。このままいけば東松は首になってお終いだろう。

 それではつまらないし、困るし、利益にもならない。つまらない、というのは御仕置が足りないということ。

 今回の一件で地域に悪評が広まった。こいつはもうまともに外を歩けない。流たちとだいたい同じ立場だが、まだ足りない。もっと苦しんでもらおうと思う。

 困る、というのは単純に野放しになったら何しでかすかわからんということ。ウチに復讐するか、ご近所に迷惑をかけるか、犯罪グループに入るか。大体そんなところで、どれも迷惑である。なのでどうにかしなければならない。

 最後に利益。今回の件、俺は我が社の労働力とコネクションを使用した。社員たちやご友人達に骨を折ってもらったわけである。ただやり返してきました、では足りないのだ。働いた分は、利益を得ねば。そしてそれは、金銭という形でなくてもいい。

 

「この度は、本当に申し訳なく……」

「社長。御社はBCPを作られましたか?」

 

 とりあえず、この事態をどう収束させるかでお悩み中の社長に奇襲を仕掛ける。

 

「は? BCP……ああ、事業継続なんたらかんたらの……」

「はい。ビジネス・コンティニュイティ・プラン。事業継続計画というやつです。地震、台風、大規模な感染症。災害などが起きて業務が行えなくなった場合への備え。どうやって仕事を再開していくかの計画書。……ここ十年でこれに、ダンジョンへの対応も盛られましたよね?」

「ああ……でも、あればっかりは正直、厳しすぎるものがありますな。他の災害は、終わりがある。でも、ダンジョンは一度できたら、消えてくれない」

「会社を移転しなくてはいけないから、これまでの設備が使えなくなる。土地、建物、機械類……敷地内、または近隣へのダンジョン発生は事業継続を困難にする。実質的には、廃業せざるを得ない。……この問題と、彼の振る舞い。縁遠く見えて、根っこで繋がっているのです」

「……どういうことですかの?」

 

 首をかしげる社長さん。我ながら突飛な話をしている自覚はある。だけど、今回の目的を達成するには、これを繋げなくてはいけないのだ。

 

「そもそも。何故人々はダンジョンから離れるのか。理由は単純で、モンスターが溢れてくると危ないから。コンクリをかみ砕くアリに、頭上から襲ってくるニワトリとサンマの群れ。極めつけはドラゴンです。一般人では太刀打ちできない」

 

 反応を見る。何を言い出しているのか、と疑問に思いつつも聞く姿勢はそのまま。東松を押さえつけている人々もそう。構わず続行。

 

「では何故ダンジョンからモンスターが溢れるのか。管理しきれないからです。今なお、ダンジョンの数は増え続けている。国では管理しきれず、土地の所有者がそれをする義務が定められた。しかしモンスター退治には危険が伴い、怪我では済まない場合がある。結果、耐えられなくなった者が管理を放棄する。放棄ダンジョンの管理は市が請け負いますが、数が増えれば手が回らなくなる。結果ダンジョンブレイクに繋がる、とされています。が、実際はこれとは別の要因でそれが起きているのです」

「……別の要因、とは?」

「未確認ダンジョンです。誰にも発見されなかったダンジョンから、モンスターがあふれ出てくる。何故発見されていないのか。そこが私有地だから。そう、周囲にダンジョンが発生して、逃げ出した人々の自宅。そこに新しくできたのです」

「聞いた事が、あります。最近は特に多いと」

 

 社長さんがやりきれないと呻く。他の反応も似たり寄ったりだ。ニュースで流れてくるダンジョンブレイク。最近の原因はだいたいこんなものだ。分かっていれば対処ができる。分からないからこうなる。

 

「ダンジョン近隣の土地なんてまず売れない。だから土地の所有者はそのまま。ダンジョン管理義務違反が適応されて、警察のご厄介になる。……ダンジョンから逃げても、安全とは限らないという話ですね。で、話を彼の振る舞いに戻します」

「え、あ、はい」

 

 唐突に本題に戻されて、慌てる社長さん。すまないが、イニシアチブは引き続き握らせてもらう。

 

「彼が何故、うちの社員を土下座させたのか。半分は本人の性根と認識によるものでしょう。弱いものいじめは楽しいですからね。地域に迷惑をかけた犯罪者。好きなだけ殴れるサンドバッグとでも思ったのでしょう」

 

 背後が騒がしくなったが、無視。

 

「そして、もう半分にしてこの問題の最大のポイント。それは、当事者としての認識を欠いているということです」

「当事者。この場合は……お話から察するに、ダンジョンについてですか」

「はい。ダンジョン発生の法則が未だ分からない以上、絶対安全な場所というものはない。誰も彼もが、ダンジョンからは逃げられない。それが今の現実です。もし、自分の周囲にダンジョンが発生したら。仕事場や家に発生したら。皆さんどうしますか?」

 

 俺の問いかけに、答えられる者はいない。誰もが顔をしかめている。

 

「逃げた先に、ダンジョンが発生しない保証はない。自分の所有していた物件に、それが出るかもしれない。他所から流れてきてトラブルを起こす。あるいは自分がトラブルとなる。そもそも、生活や仕事が上手くいくかもわからない。少し考えていただければ、どれだけ困難が待っているかご理解いただけるかと思います」

「じゃあ、なんだテメエ。その場に残ってダンジョンに入れとでもいうのかよ」

「おい、黙れ東松!」

「いえ。大丈夫です。そのままどうぞ」

 

 押さえつけられたまま、東出東松が口を開いてきた。正直ありがたい。評価点1追加、である。

 

「お前は特別かもしれねぇけどなあ、普通は無理なんだよ! モンスターはやべえ。でも報酬はガキの小遣いより低い! 飯も食っていけねえのに、やってられねえんだよ!」

 

 うん。一般常識くらいはあったか。評価点さらに追加。そして、聞き覚えのある話に隣を見る。流は苦笑いを浮かべていた。

 

「……俺と同じこと言ってら」

「ああ!?」

「つまりお前も、ダンジョンから逃げるって言ってんだよ。俺と同じだからな!」

「黄田ぁ!?」

「二人とも、そこまで」

 

 気持ちは分かるが話が進まない。今大事な場面なので、ケンカは止める。でも発言は助かった。流れが続く。

 

「今、彼が言ってくれた通りダンジョン管理者は過酷な作業を強いられます。危険もあるし報酬は少ない。世間からの目は厳しく、場合によっては家族からも縁を切られる。……で、ちょっとこの動画を見ていただきたい」

 

 取り出したるは、新聞紙棒を使ったビッグアント駆除方法。手近な道具で、簡単に危険生物を倒している。社長、部長、取り押さえている作業員。全員に見せる。短い動画だしね。

 

「こんなに、簡単に……?」

 

 信じられない、という反応。世の中、モンスター退治動画は溢れている。探せば、俺と同じ結論に至った人間もそれなりにいるだろう。なのに知られていない。誰も知ろうと思わない。自分の番が来たら、とは思わない。

 怖いから。自分の未来が真っ黒に閉ざされる覚悟を決めるのは難しい。自らの死を直視するのと同等だと俺は思う。

 

「地下一階のモンスターであれば、素人でも倒せます。地下二階も、人手と道具があれば不可能ではありません。ダンジョンは管理できます。しかしそれは、多くの人の手助けがあればです。地域の人々が逃げ出さず、助け合えば可能なのです。しかしそうはなっていない。皆、当事者としての認識がないから」

 

 一拍おいて、一呼吸。話を求めていた地点に到達させる。

 

「なので彼、東松くんを我が社に一か月出向させていただきたい」

「はぁ!?」

「んん!? ……すみません、それはどういう」

「彼に、当事者となってもらおうかと。ダンジョンがどういう場所で、モンスターがどういうものなのか。どうすれば金になって、生活していけるのか。彼だけでなく、今回のメンバー全員も同じように対応してもらうつもりです」

「ふざけんな! どうして俺がそんな事しなきゃいけないんだよ!」

「悪評対策」

 

 取り押さえる人々を振り払いそうになりながら吠える東松に、ぴしゃりと言い放つ。

 

「反省を示すために、相手の会社で働く。しかもその先はダンジョンとくる。土下座させた相手と同じ職場だ。これは中々の話題性がある。……うちと和解したということになるので、御社にも悪い話ではないと思うのですが?」

「なる、ほど……。たしかに、それならば」

「そんな、社長! 勘弁してくださいよ!」

「喧しい! お前は黙っていろと何度言ったら分かるんだ!」

 

 ここで、社長さんが爆発した。取り押さえられた東松に、激怒の表情で詰め寄る。

 

「お前は! 会社に迷惑をかけているんだ! そもそも、他人に土下座を強要させるのは犯罪なんだ! そんな奴、本当ならば即刻クビにしている!」

「そ、そんな……」

 

 社長さんの言うことは間違っていないが、それを罪として成立させるにはちょっと手間がかかる。具体的には土下座をしないと、生命、財産、その他に損害を与えると脅していた場合に罪となる。

 今回のケースは、残念ながらこれに当てはまらないのだ。まあ、実際そこまで行かなくてよかったのかもしれない。挽回の仕様が無くなるものな。

 とはいえ、本人の納得は必要だ。たとえどれほど屈辱的であっても。

 

「嫌だというなら仕方がない。無理やり強要させられた、などと言われるのはこちらとしても心外だ。この話は無しとさせていただこう。黄田、お暇しよう」

「はい、社長」

 

 まるで敏腕な腹心のように振舞って見せる流。今日は思いっきり恰好つけろと言い含めておいてよかった。

 

「待ってください入川社長!」

「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。私としても、この状況を改善しようと考えたのですが、無駄だったようです。こうなってしまっては致し方ありません。人の噂も七十五日と申します。しばし御堪忍願います。東松くん、君も家に帰って親御さんにそう伝えるといい」

「お、親は関係ないだろうが!」

 

 キレた。

 

「他人の親を土下座させておいて、どの口で言いやがるクソ野郎! 公衆の面前で地べたに這いつくばる屈辱が分かるか、ああ!?」

 

 ぶわり、と身体から何かが噴き出るような感覚。怒りで脳内物質でも分泌されたか。まあ、どうでもいい話。

 

「今度はお前の番だ! 方々に頭を下げる羽目になるだろうよ、せいぜい楽しみにしているがいい! そして後悔しろ。挽回のチャンスを自分で捨てたことをな!」

 

 大きく、一呼吸。興奮を吐き出し、冷静さを取り戻す。

 

「……見苦しい所をお見せしました。それでは、失礼いたします」

 

 この場でやるべきことは終わった。あとは本人次第。なので退室しようと踵を返す。

 

「待て! ……待って、ください」

 

 が、ドアに手をかけたその時に、東松がそう呼び止めてきた。なので一応、振り向いてみる。これで文句が出てくるようだったら問答無用で帰るつもりだが。

 

「……やります。俺、やりますから」

「そうですか。では、詳細は後日またということで。社長、またご連絡させていただきますがよろしいですか?」

「あ、ああ。もちろん、もちろんだとも。この度は、本当に申し訳なかった」

 

 短く挨拶して、部屋を出る。社員たちから半分腫れ物扱いで見送られ、車に乗り込む。エンジンをかけて、発進。

 

「……あのチンピラ、なんでこんなに早く心変わりしたんだ?」

 

 あの後ほかの社員や上司から説得されて渋々、というのを予測していたのだけど。

 

「え。シャチョー、気づいてなかったんすか? アイツにブチ切れた時、なんかぶわっと出てましたよ。見えないやつ。俺ですら鳥肌立ちましたもん」

「何それ怖い。え、マジでわからん……もしかしたら、プラーナか?」

 

 最近、一樹さんからトレーニングを受けているあれ。コントロールはおろか、自力で発生させるのも難しいパワー。あれが発せられたと? ああ、でも心で動かすものだと教えられたし、感情の爆発で動いても不思議はない、のか? 今度聞いてみよう。

 

「まあ、いい。ともかく次だ。最初の一人で時間を食いすぎた。説明、もっと簡単にしないとな」

「ほかの連中は、素直に応じますかねー?」

「どうかなあ。ツッパるかもしれんな」

 

 他人から強要されて、素直に頷くなんてまずない。だからあえて梯子を外す形で席を立つなんてパフォーマンスをしたんだ。まあ、予想外の流れになったけど。

 

「あ、そーだ。シャチョー、怒ってくれてありがとうございました。嬉しかったっす」

「いや。忘れてくれ。他の社員には言わんでくれ。社長として失格の振る舞いだった。よそ様の社内でブチギレはアウトだわ」

「だいじょーぶっすよ。ノーカンノーカン」

「アカンて」

 

 そんな話をしながら車を進める。今日はまだ始まったばかりである。

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