【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず 作:鋼我77
「よし、いったん下がろう! いいですよね?」
「もちろんです。こちらへ」
自衛隊員に案内され、近場の児童公園に避難する。全員、汗だくだった。まるで雨でも降ったかのように、服が濡れている。定期的に水を摂取していたが、それでも辛い。
「よかった、水道がある。皆、飲み過ぎるなよ」
水筒の水も限りがあるので、節約できるならそれに越したことはない。トイレもあったのは助かった。全部汗で流れ出るわけでもないので、済ませておく。
給水を済ませ、塩飴を舐めながらわずかにある日陰に避難する。……疲れた。酷暑の中の戦闘が、ここまで体に厳しいとは。
体が熱を持つし、汗で下着が張り付く。全体的に動きが鈍く緩慢になる。集中力だって切れるし、やる気だって削がれる。ダンジョンがこんな暑さだったら、絶対に身体を壊していた。
「これが終わったら、休みを入れよう。盆休みとか作るべきだった。迂闊だった」
せっかくの社長業。別に経営が厳しいというわけでもないのだから、2,3日ぐらい休みを作ってもいいじゃないか。そんな風に思う。
そんなことをボヤくと、宏明がタオルで汗をぬぐいつつ話に乗ってくる。
「お盆に休んだの、歩だけだったものな」
「イベント休み、許可していただきありがとうございました」
当人は、神妙な顔で礼を言い出した。なんでも同人誌の大きな即売会なるものがあり、親が参加したから売り子として手伝うとかなんとか。そんな話だった。正直若干理解できていない部分がある。まあ、親子の仲が良いのはいい事だ。
「しかし社長。まだ市からの依頼が残っているのでは?」
勝則からの指摘に我に返る。しまった、それがあった。
「そうだった……でもあれももう少しだしな。それが終わったら休みだ休み」
「あの、社長。ちょっとよろしいですか?」
「何かな、サッチー」
「それって、この間おっしゃっていた死亡フラグなる縁起でもないジンクスなのではと……」
間が開く。蝉の声が喧しい。発砲音が変わらず聞こえる。
「しまった。またやっちまった」
「社長、なんということを……あと、またとはどういうことですか」
「いや、この間ちょっとダンジョンでな。まいったな、またへし折らないと。ウォーカー、死亡フラグ折りになんかネタないか」
「ご安心ください、このやり取りで陳腐化しています。……というか、二度ネタの時点でもうナンセンスです。物語だったら、ですが」
「そういうものか。流石だな」
サブカルチャーの専門家、か。もしかしたら、これからも歩の知識に頼ることがあるかもしれない。なんといっても、ダンジョンはよくわからん所だ。それでいて、地球の動物がモンスターとして出てくるからな。
『緊急! 応援もとむ! 老人ホームでの救出作業中、ハウルボアの群れが襲来! 戦力足りず! 至急応援もとむ!』
唐突に、自衛隊員のもっていた無線機が吠える。聞こえた言葉を理解すれば、暑さによるものとは別の汗が噴き出した。
全員を見回す。是非を問う暇はない。目だけで意思を確認する。驚きはある。恐怖もある。迷いもある。よし。
「かっつん、サッチー、フジくん、行けるか?」
「お任せを」
「もちろんです!」
「ここが働きどころかと」
魔法使いたちが立ち上がる。俺は驚いてこちらを見ている案内役に決断的に告げた。
「自分たちは行けます。参加の許可をください」
「いけません、危険です。ハウルボアには銃すら決定打にはならないのに」
「だからこそ、魔法使いが必要でしょう? うちの三名は、まだまだ元気です。きっと、お役に立てられます。上に掛け合ってください」
判断を求められても、彼ではできないだろう。言い方は悪いが、しょせん案内役にすぎないのだから。なので、上司に聞いてもらう。サラリーマンの常識は、こんな所でも役に立つ。
彼はしばし葛藤したようだが、結局無線機を使用してくれた。幾度か、やり取りがされる。それを待ちながら、流に話を振る。
「俺は行く。リュー、お前は他の連中と車の方に戻れ」
ダンジョンに慣れたし、ここまで付いてきた。だが、本来のこいつの気性からして危険に近寄りたいなど思わないだろう。東松達も、十分働いた。面目も立ったと言っていいだろう。そして宏明と歩。ハウルボアとの戦いでは戦力外だ。纏まって動けば、帰り道も何とかなるだろう。
そう思ったのだが……流は首を横に振ったのだ。
「何言ってるんすか。俺は残るっすよ!」
「……いやでも、ヤベーぞ? 危ねーぞ?」
「でも、フジくんや勝則っちいるし。あと、老人ホームらしいじゃないっすか。力仕事なら俺もできるし」
「いや、それでも……」
「シャチョー」
流が俺を見る。今まで一度たりとも見たことのない、まっすぐで真剣なまなざしだった。
「俺は、もう逃げないっすよ」
……参った。人は簡単には変わらない。しかし、環境に影響されない者もいない。ダンジョンで働くようになった日々が、こいつを変えていた。成長していた。
何が、流を知っている、だ。まったく、度し難いぞ入川春夫。
「森沢さん、どーするよ?」
「どうするもこうするもない。社長たちに何かあったら比較的ホワイト労働環境を失う。できる限りやるしかないだろう。で、芦名さんは?」
「切ないけど、異議なし。もう、一日を一袋の安売りパンで凌ぐ生活に戻りたくないです」
宏明と歩の社員コンビも戻る気はないようだ。まあ、彼らの言うことに間違いはない。我が社の収益は個人能力に支えられているからなあ。一人でも欠けると明確に差が出る。今後対応しなければいけない問題だが、どうすればいいやら。
「よし、この流れなら俺らも参加できるな」
「いや、東松くん。君らこそ帰ってほしいんだが。出向社員が行くような場所じゃないでしょ」
「でも、俺らだけだと駐車場もどれないっすよ」
にやりと笑う彼と友人達。ぐうの音も出ない。
「……いや、それこそ流達について行ってもらって戻るという選択肢もあるが」
「いらないっす。あと、爺さん婆さんほったらかして逃げるのはダサいし、ダメでしょ」
そうだそうだと同意する彼ら。意思は固いようだ。ここまで言われては、了承するしかない。責任を感じる。ずっしりと、重く。これが社長、組織のトップか……。
そして、死亡フラグ云々というのがとんでもない失言だったのではと今更ながら思えてきた。ええい、後悔しても遅い。するなら反省だ。もうしない、そして働きで挽回する。
「……上からの許可、出ました。本当に、よろしいんですね?」
タイミングよく、自衛隊員がそう告げてくる。俺は頷いた。
「大丈夫です。行きましょう」
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問題の老人ホームは、未発見ダンジョンの近隣にあった。本来ならばほぼ無人の地域、ダンジョン近郊である。しかしこの老人ホーム、体の不自由な方が入居しているタイプ。いわゆる特別養護老人ホームだ。
おそらく、移転先を用意することなどできなかったのだろう。ダンジョン発生後も、その場に残り続けた。そしてこの騒ぎである。周囲に人がいないから助けを求めることができない。
加えて、入居者も簡単に移動できない人たちばかり。結果的に、今の今まで逃げ出せないでいた。そういう話らしい。
正直な話、よくも今まで無事だったと思う。最初に襲われていても不思議じゃない。救助が間に合っただけでも奇跡だ。……あれだけ派手に音を立てていた理由、これか? わざとモンスターたちを集めて、誘導した? ありそうだ。まあ、真偽は後で確認すればいい。
俺たちは駆け足で現場へと向かった。といっても、速度は遅いジョギング程度のスピードだ。流石にフル装備で全力疾走する体力などないし、訓練もしていない。加えてこの悪環境。現場について疲れ切り、何もできないでは本末転倒である。
近づくほどに、戦闘音は激しくなる。気が逸って速度を出す者もいたが、ペースを守らせた。忍耐力が紙やすりで削られるかのような気分。
そして、現場に到着した。端的に表現すると、街が戦場になっていた。どこからか調達された乗用車数台が、二列に並べられてバリケードにされている。それを壁にして、自衛隊が攻撃を加えていた。
しかし、相手もまた巨体。車を軽々なぎ倒す、巨大な猪ハウルボア。それが、吠える。
「プゴォォォォォォォ!!!」
乗用車の壁が、吹き飛んだ。名前の由来となった、衝撃波を伴う鳴き声。それがバリケードに衝突した。車体はたちまちひしゃげ、舞い上がる。鋼の重さなど意に介さぬとばかりに、吹き飛ばされる。
防衛線が、たった一発の咆哮で崩壊した。向こう側が見える。ハウルボアが、こちら側を睨んでいる。
「フジくん、頼む!」
迷うことなく、切り札を投入する。この状況をどうにかできるのは、きっと彼しかいない。丸投げ極まる指示に、ベテランハンターは動じることなく応えた。
「黒き腕に無念を込めろ。無数の手に怒りを込めろ。曲がった爪に恨みを込めろ。掌握せよ、グラッジバインド!」
彼の影が、伸びた。影より現れる無数の手が、猪の身体に食い込む。分厚い毛皮などお構いなしだ。血が噴き出る。肉と皮が裂ける。筋肉の塊である巨体が、拘束される。
「「「ブギィィィィィ!?」」」
苦痛に吠えるハウルボア。……複数聞こえた? あいつ一匹じゃないのか。そして、それらもまとめて捕まえてくれたのか。
「社長、自分は連中を縫い止めます。今のうちに、避難の補助を」
「わかった! かっつん、サッチー! フジ君のサポート! 他は俺と一緒にこい!」
号令をかけて走る。潰れたバリケード前は、酷い状態だった。戦っていた自衛隊員たちが倒れている。死んではいないようだが、怪我人が多い。車や装備によって動けなくなった人たちもいる。
「リュー! ヒロっち達とここの手助け! できるか!?」
「うっす!」
任せて次へ。老人ホームの入り口に走りこむ。そこでは、入居者の避難が行われていた。大型バスが何台も並び、乗車を待っている。バスの乗車口や建物出入り口には何人も人がいて、手間取っているのが一目でわかった。
「手助けに来ました!」
「頼む!」
細かい説明など不要だった。一分一秒を争う事態だ。装備を邪魔にならない場所へ放り出した俺たちは、手の足りない所へ駆け寄る。しばらくそうしていると、老人ホーム内にて避難に大きな後れを出している場所を見つけた。
階層移動だ。エレベーターで移動できる人数には限りがある。かといって、まともに歩けない高齢者を抱えて階段で降りるのは非常に大変だ。人手が、足りていない。職員も自衛隊員もいる。しかし、一人運搬するのに数人の補助が必要となっている。
そんな状態なので、備え付けられている避難用滑り台も機能していない。使えば事故が起きる確率が高い。まず間違いなく、高齢者が怪我をするだろう。使うのは本当に最後の手段となるだろう。
そんなわけで、階段を使うなら背負うしかないのだがこれもまた問題がある。大人しく運ばれてくれるなら良いのだ。だが、入居者は現実との境が曖昧になっている人が多い。状況を理解できず、自分の意思とは反する移動に拒否を示す者がそれなりにいた。
なだめるにはどうしても職員の力が必要で、それで労働力を取られている。そこを変わることは難しい。代わりにできることは力仕事。階段での運搬だ。
上階で受け取って下り、一階で待っている人に任せる。中には色々器具を体に取りつけている人もいる。ボンベやら点滴やらだ。二人一組で当たれば問題ない。一人は本人、一人は装備だ。
本人が嫌がっている場合は、職員についてきてもらう。それでどうにか、移動ができた。中には、機嫌がよく(?)俺たちに話しかけてくる人もいる。
「今日は、お出かけかい? 暑いのはやだよ」
「そうっすねー。暑いっすねー」
「平太。汗臭い。汗臭いよ」
「すんませんねー。外暑いからー」
「花火が見たいんだ。外でやってただろう?」
「あー、パチパチ音鳴ってましたね」
高齢者の言葉は曖昧だ。ほとんどの人が俺たちをまともに認識していなかった。それが歳をとるという事だ。俺たちもいつかはこうなる。
そして、僅かながらおぼろげに状況を理解している人もいた。
「ごめんねえ。ありがとうねえ」
「……うっす!」
東松が、感極まったように返事をしていた。頬を流れれるものは、汗ではなかったと思う。
順調とは言い難い有様だったが、作業が止る事はなかった。一人一人、確実に運んでいく。急いで怪我をさせては元も子もないから、慎重に。最初は不慣れだったが、そこは職員がサポートしてくれた。流石本職だ。
「この人が最後です!」
職員さんのサポートを受けて、おばあさんを背負う。
「ようし! すみません、ちょっと我慢してくださいねー」
「孫がねえ、埼玉に住んでるのよ」
「そうっすか、遠いっすねー」
「昨日ね、魚を食べたの」
「いいっすねー」
正直自分でもよくわからないのだが、彼ら彼女らと会話していると何故か笑顔になる。話は突飛であっちこっち脱線するのに。逆にそれが刺激的なのかもしれない。
階段を下り切り、一階にたどり着く。職員にバトンタッチ。作業終了だ。
「はい、おつかれさまでしたー」
「明日は雨よ」
「だといいすねー……はあ」
流石にキツイ。何度上り下りした事だろうか。十回以上はやったはず。ダンジョンで鍛えていて、これに関しては専門であると言ってもいい。だが、やはりどうしても疲労はたまる。しかも今回は、運搬対象が人間だ。神経を使うという点では過去一番だったと思う。
だが、休んでいられない。外の状況が心配だ。再び、炎天下へと飛び出す。
「撤退します! 職員さんもバスに乗ってください!」
自衛隊員が促している。バスは残り一台になっていた。
「見回ってきました! もう建物には誰もいません!」
「よし、乗るぞ! 貴方たちも早く!」
職員さんがそう言ってくれるが、俺は首を横に振った。
「皆さんは先に行ってください。あっちでまだうちの社員が戦っているんで、俺らは残ります。お気をつけて!」
クォータースタッフをひっつかみ、敷地の外へと向かう。背後にありがとう、気を付けてという言葉を受けながら。
バリケード前は、濃い血臭が漂っていた。どういうことかと周囲を見やれば、倒れているのはハウルボアだった。巨体が血の海に沈んでいる。
「何があったんだ、これ……」
「お疲れっした、シャチョー! バスがバンバン出ていくの、見てましたよ!」
駆け寄ってきたのは流。宏明と歩の姿もあった。
「御影兄妹、マジですごいのね。フジくんが掴まえてるハウルボア、ざっくざっく仕留めて行ってましたよ。首をバッサリ、または目にサンダー」
言われてよく観察すれば、確かにその通りの痕跡が残っている。目や口元はあからさまに焦げ付いていた。そして首の下あたりには、深い切断跡もある。出血はここからか。
「おかげで、自衛隊員の救出は邪魔されることもなく行えました。……その分、三人の負担は大きかったと思います。他のモンスターも寄ってきてましたから」
「そうか、分かった。とりあえず合流を……」
という会話をしていたら、最後のバスが出発しようとしていた。あれが行けば、俺たちも下がることができる……と思っていたのだが。
「プゴォォォォォォォォォォォォ!!!」
ここで聞いたどの咆哮よりも大きい、腹に響くような低音が聞こえてきた。それも、遠くない場所から。首を巡らせればバスの向かう方向、その左側にハウルボアの姿があった。
そこいらに転がっている同種よりも、一回り大きい。体毛の量も、牙の大きさも違う。ボスだ。群れのボスが現れた。