【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず 作:鋼我77
「不味いッ!」
「シャチョー!?」
思わず、バス目がけて走り出す。あの速度なら、ギリギリ鼻先を掠められる。接触はないだろう。だけど、奴には飛び道具がある。バリケードを吹き飛ばした咆哮。ノーマル個体ですらあの威力。ボスのそれが直撃したら、大型車両とて無事では済まないはずだ。
腕力でどうにかする能力はない。技術もない。プラーナだって全然で、魔法など欠片もわからない。完全に勘と他人に頼った行動。それでも何もしないよりは、後で後悔するよりはよっぽどマシ。
走って、走って、まともに呼吸できないほど走って。たどり着いたのは、加速を続けるバスの後方。そして、ハウルボアの鼻先。今まさに、口を開いて吠えようとする寸前。
「やらせるかぁぁぁぁぁぁっ!」
願った通り、魔女の剣が手の中に現れる。俺の思考を読み取ってくれた剣は、一瞬で光り輝く大盾に変わってくれた。大きさは、俺を覆い隠すほど。
「ブオォォォォォォォォォォォォォッ!!!」
そこに、大音量が浴びせられた。身体を揺さぶるような衝撃。耳が可笑しくなる。しかし、それだけだ。バリケードを吹き飛ばしたあの威力は、まったくない。やっぱり、咆哮は魔法の類だったのだ。
ただの咆哮が、車を吹き飛ばすなんてありえない。何かしらの不思議があるに違いないという決めつけで動いたが、勘は当たった。
大音量のおかげで音がほぼ聞こえないが、それでもバスが遠ざかっていくのは分かる。無事守りきれたのだ。それは、いい。大成功だ。いいのだが。
「これから、どうしよう」
盾を消す。すると目の前にいるのは、巨大な猪。息が荒く、目は血走っている。そして、目の前の小さな獲物をしっかりと認識している。つまり俺である。
「ブゴオオオオオオオオオオッ!!!」
咆哮が空気を震わせる。音は聞こえないが、吠えているのは身体で感じられる。大質量が、突撃を開始した。
「おおおっ!?」
咄嗟に横っ飛び。大きいからこそ、初速は遅い。だからこそ避けられたのだろう。さっきまで俺がいた場所に、肉と毛皮の塊が突っ込んでいく。
離れたい。逃げたい。俺に対抗手段はない。魔女の剣は物理に無力。こいつをどうにかするすべはない。いや、ワンチャン切りつけたら何かあるかもしれない。この巨体、物理で成立するには無理があるんじゃないか?
クジラも、陸に打ち上がると自重で内臓が潰れると聞く。同じことが起きる可能性は、あると思う。思うが……厳しい。
「ブゴオオオオオオオオオオッ!!!」
「ひぃあっ!」
ハウルボアが首を振った。巨大な牙に引っかけられそうになる。それも何とか避ける。今俺は、回避に専念している。下手に離れず、近寄らず。ハウルボアの右側に陣取っている。
大概の獣は前進か後退しかできない。多少横移動できたとしても、その動きは鈍くなる。それを見越してのこの位置取りだ。先ほどのような首振りアタックがあるから、必ずしも安全な場所とは言い難い。それでも、他の位置よりはマシなはず。
正面は論外。背面も、勢いよく後ろに飛び跳ねないという保証はない。ケツに潰されて死ぬとか最悪だろう。
走って逃げることはできない。絶対に、こいつの方が早い。何か障害物があればいいが、残念なことに周囲は田んぼだ。遮るものが全くない。だからこそこいつはバスに近づけたし、俺も発見できたのだが。
夏の熱さ、走った運動量、現状の緊張。汗が滝のように流れていく。最後に水を飲んだのは老人ホーム。身体を動かしていたから喉を湿らせる程度だけ。
俺の体力は、一般人のそれより上だと思う。鍛えてきたのだから、それ位の自負はある。だが、モンスター駆除やら避難手伝い。そしてここでの猛ダッシュ。流石に体が悲鳴を上げている。
このコンディションで、攻撃は本当にイチかバチかの勝負になる。そして、当たったとしてもそれで倒せる保証などない。弾丸サンマが魔法の力を失えば、きっと無力化するだろう。丘に上がった魚が生きていられるはずがない。
だが、猪は陸の生物。不思議な力を失っても、根性で生きるかも。ちょっと、賭けをするには分が悪すぎる。
さりとて、このまま逃げ続けても先はない。体力が尽きたらジ・エンド。そしてそれは目の前に迫っている。
さあ、どうする。分の悪い賭けをするか。何かが起きるのを待つか。どっちも、かなりの運任せ。実力もないのに格好をつけた罰か。後悔はないが、社員への責任を果たせないのは不味い。
何度目かの回避行動。気が付けば、身体中が痛い。無理に力を込めて避けているから、反動で痛みが来ている。
もはやこれまで。一か八か。幸運を待つより、賭けに出る方がマシと腹を決めた……が、少し遅かった。
上空を、いくつかの影が通過した。何かが、空から落ちてくる。その中の一つが、俺のすぐ近くへ。気づいたが反応などできず、気が付けば血が飛び散っていた。
「ブォォォォォォッ!?」
ハウルボアの悲鳴が轟く。やっと耳が聞こえるようになってきた。空に響くのは、ヘリのローター音。そして目の前にいるのは、一人の女性。
手にはダンジョンより入手したと伝え聞くグレートソード。レオタードじみた機動性重視の衣装。ポニーテールが風になびく。
「断神様……ッ!」
『断神』
「どこのどなたか存じませんが、お逃げなさい」
彼女はそう告げて、剣を背負うように構えた。……戦いの邪魔になっては不味い。不甲斐ないが、距離を取らせてもらおう。
「ブギィィィィィィィィィ!!!」
ハウルボアが、吠えた。攻撃用でも、威嚇用でもない、遠くまで響く声。今までとは違うと、肌で感じた。そして、それはすぐに結果をもたらした。
地響き。四方から次々現れるハウルボア。空から、ケイブチキンと弾丸サンマ。わらわらと、ビッグアントまで集まってくる。ボスが、配下を呼び集めた。よくわからない魔法じみた何かで、別種族すら支配している。
参った。ここにきて、逃走経路がウルトラハードコースとなった。というか、何処に逃げれば安全なのかもわからない。
「どうしたもんかな、これ……」
「困りました、ねっ!」
激しい金属音が響く。剣で、牙を打ち据えたのだ。ハウルボアが悲鳴を上げる。……猪の首回りは、筋肉でムキムキだ。ハウルボアもそれは同じ。そんな、彼女一人分よりもありそうな筋肉に、剣の一振りで相打ちに持ち込んだのか。これもプラーナかアビリティの恩恵、のはずだ。
そんなことをしていると、凄まじい勢いでビッグアントが這い寄ってくる。それも複数。が、幾ら疲れ切っていようとも、アリに殺されてやるわけにはいかない。タイミングを合わせて、踏む、蹴る、また踏む。
空から急襲してくる、ケイブチキンと弾丸サンマ。前に飛び込めば避けられる。当たる奴は魔法の剣で切り捨てる。殺せはしないが、飛べなくなる。今はそれで十分だ。
全身が熱い。燃え尽きそうだ。視界もぼやけてきた。だからと言ってモンスターの襲撃が止む事もなく、生き残るためにはただがむしゃらになるしかない。
周囲で、誰かが戦っている。目にもとまらぬ速さで刀を振るう青年。断神がいることから、チームメイトである彼もいておかしくない。『剣聖』
となれば、何処からともなく聞こえてくる声の持ち主は、『女帝』
しかし、俺が助かるかどうかはまた別の話。
「ブゴゴゴッ!」
ぼやけた視野の中、その姿がやけにクリアに見えた。一匹のハウルボアが、俺を狙っている。全力で突っ込んでくると、確信できた。周囲にモンスターの姿あり。避けられるスペースなし。
背後にボス猪。逃げ場なし……いや。いやいや。ある。まだあるぞ。どうせこのままなら死ぬだけだ。やるだけやって、損はない。
身を翻して、駆け出す。悲しくなるほど、速度が出ない。転がるモンスターの死骸が邪魔くさい。そして、背後から迫る地響き。あれに引っかけられたらお終い。ミンチ肉になって路上に転がる。
今まで倒してきたモンスターのように。ああ、因果応報。報いはいつか必ずやってくる。でも、まだあきらめられない。
目の前に、ボス猪の側面。断神様の姿は見えない。残念無念、でも邪魔されないのは助かる。こっちが邪魔になるのもなさそうだ。
さあ、ショウダウン。
「おっしゃあああっ!」
気合一発。俺は、猪の足元へと飛び込んだ。なにせ、路線バス級にデカい猪だ。体格から見れば短い脚だが、それでもそれなりに隙間がある。ヘッドスライディングの要領で飛び込めば、滑り込む空間は確かにある。
もちろん、ここは道路の上。グラウンドのように滑り込めば、摩擦で酷いことになるのは先刻承知。流石にそれは避けたい。
「ほっ、だっ、よっ!」
受け身のように、あるいは跳び箱のように。両手で地面の上を跳ねる。足も使う。推進力は飛び込んだ時の勢い。後は腕のバネ。衝撃をある程度殺せば、残りは転がって通り抜けられる。
「ブゴオオオオオオ!?」
そして、ボス猪が吠える。俺を追いかけてきたハウルボアがその脇腹に突撃したのだ。さぞかしの痛撃だっただろう。これなら、ワンチャンこの場から逃げ出せる。
そう思って空を見上げる。ボス猪の足元から抜け出して、最初に見えたのはグレートソードを振りかぶる『断神』観月の姿。
「「あ」」
なんてことだ。ボス猪の身体のせいで、彼女が見えなかった。渾身の一刀を振り下ろさんとしている。その刃の先に、俺が飛び込んでしまった。
止められる速度ではない。回避も間に合わない。なんたる間抜け。加害者となる彼女がむしろ被害者。これでお終い。実にお似合い。ああ、でも。
まだ未練がある。諦められない。
「あ゛あ゛あ゛ッ!」
全力で、右腕を振った。とてつもない衝撃。転がっているだけの俺が踏ん張れるものではなかった。さらに転がる。風に吹かれた空き缶のように。途中でいくつかのモンスターの死骸にぶつかり、血まみれ肉まみれ。夏の日差しに熱せられ、極めて不愉快。悪臭も酷い。
でも、生きている。腕がモゲたように痛い。だけど繋がっている。死んだと思った。確実に切られていた。だけど、振り下ろされるグレートソードをぶっ叩くことに成功した。その衝撃で逃げられた。間違いなく、二度とできない。
「ブオォォォォォッ!!!」
ボス猪が、お怒りだ。部下の突撃が、さぞかし痛かったのだろう。とはいえ、俺はもう動けない。なんかこう、今まで体に詰まっていた力をあの一瞬で使い切ってしまった。立ち上がる気力もない。
巻き込まれたら死ぬ。他のモンスターにたかられても死ぬ。ピンチ継続。ああ、もう。
「誰か、助けてくれ……」
「「せん、ぱいっ!」」
嵐と雷がやってきた。それぞれ、旋風と迅雷を纏った御影兄妹が到着したのだ。その戦いぶりは、鬼神のよう。唸る風がモンスターの動きを遮り、轟く雷光が的確に打ち抜いていく。
後先考えない暴れっぷり。あれではきっと長持ちしない。ええい、人の事は全く言えないが、世話が焼ける。それじゃあきっとボス猪には勝てない。どうする? 何ができる? ……うん。やってみるか。最後の体力を振り絞り、魔法の剣を左手に呼び出す。軽いのだから、きっと投げられる。そう信じる。
「頼む……っ」
剣に、魔女に、仲間に願う。放り投げた剣は、届かない。倒れた状態では、まともに勢いを与えられない。ハウルボアに刺さるなんて夢のまた夢……であったが、やはり魔女の剣は素晴らしいものだった。
地面に触れる寸前、ピタリと止まったと思いきや勢いよく宙を舞った。唐突な高速縦回転を見せた魔法の剣は、ボス猪の脇腹に突き刺さる。
「ピギィィィィィ」
ほんの数センチ刺さっただけなのに、子豚のような泣き声を上げる。そこに、風と雷が襲い掛かった。
「サイクロンエッジ!」
「サンダーランスッ!」
渦巻く風が、分厚い肉を切り刻む。稲妻の槍が、脳天から尻まで走り抜ける。致命的な一撃が入ったのを確認して、俺は意識を手放した。