【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず 作:鋼我77
未だ酷暑が続く八月末。いつものホームセンターにて。
「逃げ出してきたんですか」
「違うんです」
店員のふりをする魔女、マリアンヌは暗い顔の青年を迎えていた。
「フジくん……うちのベテランハンター、訓練が厳しいというかそういうレベルじゃなくて」
「具体的には?」
「筋トレ、組手、武器訓練。この辺はいいんですよ。すごく勉強になるし、鍛えられている感じがあって」
「ふむ」
「ダンジョン内ランニングを始めたあたりから、怪しくなってきたんですよ。地下一階はまだよかった。うちのダンジョン、アリの数は適正ぐらいなのでそんなに遭遇しないし。しても何とかなるんで」
「それはなにより」
「地下二階を走れって言いだして。いやまあ、走ればなんとかなるんですよケイブチキン。あいつら上から飛び降りてくるから、その場に居なければ避けられるんで。でもだからって、群れに向かって走れとか言います? 普通」
「普通を知らないので何とも」
「笑い事じゃないんですよ」
泣きべそでも浮かべそうな表情でしょげる春夫。マリアンヌは顔に笑みが浮かぶのを止められない。
彼女の目には、春夫の状態がはっきりと見えていた。確かに、肉体も精神も追い込まれている。特にプラーナだ。過酷な状況での追い込みは、プラーナの生産及び保有量を上げようという魂胆なのだろうと容易に分かる。
『呪術だけでなく、プラーナの訓練まで詳しいとは。あの小僧、やはり専門の知識を仕入れている。呪術と言えばあの娘だが、系統が違う。何よりプラーナは専門外のはず……』
マリアンヌの脳裏には、当代一の呪術師が浮かんでいた。悪辣極まる性格で、法など悪事の為の道具としか思っていないが腕と知識は確か。一樹の技量からして、彼女以外考えられないのだが、うまく繋がらない。
何より関係性が不透明だ。世界の裏側に巣くう呪術師と、日本のいちハンターがどう繋がるのか。やはり無理がある、と結論付ける。
改めて春夫を観察する。プラーナに関しては全くの素人、素質なし。そんな状態からスタートだったことを考えれば、十分良いペースで成長していると言える。世のハンターたちと比べると、十分早い。
まあこれは、指導者の有無にも影響されているのだが。
「フジくん、すんげー笑顔と誉め言葉で追い込んでくるんですよ。罵倒されるよりキツイ……あと怖い」
とはいえ、相手は素人の一般人。肉体の限界についてはしっかり見極めているようだが、メンタルは違う。自分に泣き言を吐きに来ている時点でいっぱいいっぱいなのだろう。マリアンヌはそう理解した。
せっかく良い成長をしているダンジョン管理者だ。ここで潰してしまうのは惜しい。また少しぐらい、構ってやるのもいいだろう。
「まあ私の所に居れば、とりあえず隠れられはしますね」
「しばし、半日とは言いません。数時間ぐらいなんとか……疲れがある程度取れるぐらいに……」
「それは構わないのだけど。ただ、ここにいると間違いなくバレますね。何せほら、あの小僧……そちらのハンター殿。彼の術を誤魔化せる者なんて、ここいらには私しかいないのですから」
「うわあ、消去法で一発アウトぉ」
「というわけで、お隣に避難しましょう」
彼女の指さす先は、先日騒ぎを起こしたデパートがある。それを思い出し、春夫の頬が引きつった。
「いやあ。あっちはその、ちょっと今は行きづらいなと。もう少しほとぼりが冷めてから……」
「そこはそれ、私がどうにでもできるから。さあ、それじゃあ行ってみましょう」
春夫の腕を胸に抱え、さっそく歩き出す。あからさまに動揺する様がなんとも楽しい。こんな気分はいつぶりだろうか。胸と気分を弾ませながら、マリアンヌは店内を進んだ。
隣のデパートは、今日もにぎわっていた。涼を求めて、様々な人々がつめかけている。特に目に映るのは家族、子供連れだ。娯楽と買い物、両方兼ねられて良いのだろう。連れている両親の顔には疲れも見えるが。
「確かに、誰もこっちを見ないなあ……」
周囲を見回しながら、春夫がつぶやく。行き交う人々は二人を見ず、しかしぶつかる事もない。玄妙なるマリアンヌの結界術、その効果だった。まあ、彼女からしたら極めて軽い
「あら。もしかしたら貴方を知らないだけかもしれませんよ?」
などと、混ぜっ返してみるが青年は首をふる。
「マリアンヌさん。普通ですね、貴女のような方が釣り合わない男を連れているだけで注目されるんですよ。俺が、何だこいつという視線で刺されるのです」
「ああ……そういうのもありましたねえ」
懐かしい、と魔女は遠い昔を思い出す。どこの社交界でも、そういうものはあった。まあ、あの頃は後援者を引っかけるために色んな男を隣に立たせたものだ。ちょっと便利な薬を作るだけで、いくらでも金を寄こしてくれた。
大抵、教会や魔女狩りが嗅ぎ付けてくるからごっそりいただいて次に移るのだ。屋根から屋根へ飛び移ったあの夜を今でも思い出せる。
「でも、今の社長さんならそこまで不躾な視線はこないと思いますよ? ……もうちょっと身なりを気を付ければ」
この数か月で、春夫の体格は見違えるほど変わった。背丈は成長期を過ぎているのでそのままだが、筋肉が違う。特に今は夏場で、薄着だ。首、肩、腕、胸が鍛え上がっているのがはっきりわかる。
今では彼が睨むと、それなりの迫力も出るほどだ。それを体感したのが、ほかでもないあの東松青年。後々になって打ち解けた後、初対面の時を振り返ってこう語った。なんかヤベエの出てきちまったぞ、と。友人達が居なかったら逃げていたとも。
「最近、周りからも同じこと言われるんですよねえ。社長らしい服装をしろって。そんなこと言われても、どうすりゃいいんだか」
「ある程度は品質の良いものを選んでは?」
「ここいらで売ってるものじゃ五十歩百歩。一般人向け量産品。もっと大きな街に行かないとそういうのないでしょうねえ。時間見つけて出かけないとだめですかね」
などと、何気なく会話をしているが春夫の気はそぞろだ。なんといっても、彼の右腕にはマリアンヌが絡んでいる。職場に女性はいても、みな恋愛対象ではない。なので、まるで十代のように緊張している。
魔女としてはそれが楽しくて仕方がない。ついついサービスの一つもしてしまうというものだ。
「……あー、マリアンヌさん。何か適当に見に行きましょうよ、ええ」
なのでその誘惑から逃れるべく、春夫もアクションを起こす。何とも初々しく面白い。エスコートの作法は全くなっていないが、紳士の気障ぶりも慣れれば飽きる。こういうのもいいものだ。
「ふふ、ええ。そうしましょう」
ふらふらと、足の向くまま立ち寄ったのは調理器具売り場。フライパン、鍋、包丁と見慣れたものが並んでいる。形は違えど、こういったものは時代が変わっても変化がない。魔女はかつてもそれを思い出しながらそう考えていた。
が、何気なく説明文を読んで考えを改める。
「焦げ付き防止ハイブリッド加工……お手入れ簡単、耐久力保持……たかがフライパンにここまでするの。今の鍛冶屋は」
関心から一歩はみだし、若干引く。現代人の何がここまでさせるのだろうか。彼女の知人友人同業者には凝り性な者が多々いるが、ここまでのヤツはそういない。幾人か思い出せる錬金術師たちも、ここまでではないはずだ。少なくとも、フライパンにこの性能は求めない。
「まー、新しいものを作らないと売れませんしねー。あ、IH対応だ」
「あいえいち?」
「インダクションヒーティング……だったかな? まあ、ガスじゃなくて電気で加熱する調理器具です。日本じゃこれが増えてるんですよ」
ガスからさらにランクアップしたのか……と、魔女は衝撃を受ける。ガス自体も、知った時は驚いた。薪や炭に比べて利点のなんと多い事か。冬に備えて薪を積み上げるのがどこの家庭でも当たり前。そんな世界を知るマリアンヌにとっては特にそうだった。
「何か、買っていきます?」
「いえ、大丈夫です……女へのプレゼントが調理器具って、婚約している間柄みたいですね」
話をそらすために、軽くからかってみる。思惑通り春夫は当初慌てふためいたが、何故か顔が切なげに歪んだ。
「……婚約にも、色々ありますよね」
「んん?」
彼が眺める先を追ってみる。そこには、一組の男女がいた。男は大量の荷物を持たされている。女はそれに対して怒っている。
「もう、ぐずぐずしないでよ! 本当ドン臭い!」
「悪かったよ……」
「しっかりしてよ! ああもう、イライラする!」
周囲を気にすることなく、相方に当たり散らす女性。はあ、と春夫はため息をつく。
「あれは、幸せとは程遠いよなあ……」
「……へたっぴ」
「え?」
下手すぎる。長く男女を手玉に取ってきた魔女として、あれはあまりにも見逃せない。音もなく近寄り、女の耳元に囁く。
「良い男は察しがいい、などという幻想は捨てろ。皆似たり寄ったりだ」
「……そう、かしら」
女はぼんやりと言葉を返す。男の方にも、目の前で指を回してやる。あっさりと、惑わせることに成功する。
「鞭ばかりでは男という馬は走らない。しっかり餌を与えてろ。餌9、鞭1だ」
「……それじゃあ、調子に乗らないかしら」
「油断しきっているからこそ、一発の鞭が響くのだ」
「……なるほど」
魔女の言葉に、女は深く頷いた。今度は男の番だ。
「騙された、こんなはずじゃなかったと思っているのであろう?」
「……がんばってがんばって、告白してOKしてもらったんだ。幸せになれると思ってたんだ」
「よく話し合え。しかし女は気持ちの動物だ。そこを理解しろ」
「……俺だって腹が立つって事を、いっていいんですかね」
「そうだ。しかし怒りをぶつけるな。その感情であることを伝えるのだ。あとは褒めろ。注意深く、良い点を探せ。お前にはできるはずだ」
しばし男女はぼんやりとするが、やがてふらふらとしながら歩み去った。
「これでよし」
やり遂げた、と魔女は満足する。
「あれで、何とかなるんです?」
「多少は。私の暗示でどうにもならないなら、元からパートナーになるべき間柄じゃなかったとしか」
「魔法は万能にあらず、と」
「その通り」
春夫は人ごみに消えていくカップルの姿を、目を眇めて見送った。マリアンヌに再び腕を取られても、渋い表情を崩さない。
「……何か、嫌な思い出でも?」
「いやあ、何と言いますか。幸せなカップルが、良い家庭を作るとは限らないよな、と」
「あらまあ、ずいぶんと悲観的な」
「家の親がそうでしたからね。うっかり見目と頭の回転のいい娘が出来たばっかりに、それで思いっきりしくじった……愚痴、失礼しました」
「いいえ。お気になさらず」
大いにわだかまりがあるようだが、ここで聞きだす事でもない。それより、気分転換をさせた方がいい。魔女は男の腕を引く。
「せっかくなのですから、色々見て回りましょう。知っている物が色々変わってて新鮮だわ」
「……それは、なにより」
ただ商品が陳列された場所も、二人であれば楽しみが生まれる。家具、おもちゃ、本、食品、日用品……ただ歩き、会話を交わすだけでいい。先ほどまでの不機嫌も、忘却の彼方だ。
そうして歩き回って、衣服コーナーへとたどり着く。夏物がセールされているのを覗き、似合うかどうかで笑い合う。
そして唐突に、ある場所で春夫が目を逸らした。何かと思い見てみれば、そこは女性の下着を扱う一角だった。
マリアンヌは猫のように微笑む。
「次は、あちらですね」
「いやいや、あそこは男が近づいたらダメな場所ですから」
「大丈夫大丈夫。私が一緒なら気づかれませんから」
「そーいう問題じゃ、あー、引っ張らないでー」
胸を押し付ければ、青年をいくらでも動かせる。押して押して、下着コーナーに追い込んだ。
さて、そうやって足を運んだ下着コーナー。残念なことに、マリアンヌの求める水準ではなかった。確かに、性能そのものは高いのだろう。付け心地、形の維持、素材など。多くの技術が使用されているとの説明文が掲げられている。
しかし、しょせんは田舎町のデパートである。まず、種類が足りない。メーカーという面では複数存在する。しかし、あくまで服の下に身に着ける下着でしかない。魔女として求める、蠱惑的な代物がほとんどない。
色合いも、地味である。これはいけない、と彼女は考える。やはり女の最後の武装であるのだから、艶やかな色が望ましい。赤、黒、紫などなど。そういうのが好みなのだが、残念ながら白だのベージュだの薄い青だのと落ち着いた色合いばかりだ。
そして最後。これがどうしようもなく致命的だった。
「サイズの合うものが、見つかりませんねえ」
「……左様で」
魔女といえど体作りは基本である。それは女としても魔導士としても必須。必要な時に備えて、髪の毛一本からつま先まで磨き上げるもの。スタイルの向上、ボディラインの維持などやって当然のこと。
男女問わず視線を集める胸などは最たるもの。大きさ、張り、形、肌の状態まで。常に最上の状態を保っている。当然、そのサイズは平均のそれを大きく上回る。結果、一般販売される下着では合わなくなるのも致し方がないことではある。
「いいものがあれば、実際に身に着けて比べてみたりもしたかったのですけど」
「……結構なことで」
「どっちがいいかしら、って感想を言ってもらうこともできたのに。本当残念」
「俺は、この売り場が一般人向けであることを店に感謝しますよ」
春夫はひたすら周囲から視線を外している。売り場を見ない。下着も見ない。流し目をしてくるマリアンヌも見ない。天井を見る。あ、LEDだ……。
「はい、こちらに注目」
しかし容赦なく、両手で顔の向きを変えられる。マリアンヌの顔が近い。
「そろそろからかうのは勘弁してくれませんかねぇ!」
悲鳴を上げる春夫。結界が無ければ、周囲の注目を浴びている所だ。フフ、と笑って魔女は男を解放した。
「それじゃあ仕方がありません。そういった遊びはまた後日に」
「……いやもう、勘弁していただきたい」
「何かおっしゃいまして?」
「いいえ、何でもありません!」
微笑み一つで男を操る。魔女はかくあるべきだとマリアンヌは考えるのだ。
疲労困憊した春夫を連れて、店内を歩く。楽しい時間も、そろそろ終わりが近い。青年の疲労はある程度緩和された。別の疲労もあるようだが、まあそこには目をつぶろう。その分、色んな刺激を与えてやったわけだし。
「気分転換は出来ましたか?」
「はい、大変とっても。くらくらするほど」
などと口にしているが、その表情は明るい。マリアンヌとしては、十分な成果だった。
「ダンジョン、頑張れそうですか?」
「ええ、まあ。会社もまだまだ大きくしていくつもりですし。今は弾丸サンマですが、実力が付いたらさらに下も目指す予定です」
「ますます素晴らしい。稼ぎも増えて美味しいものも食べられる。貴方の社員たちは幸せ者ですね」
「そうであるといいのですが。社長初心者としては、日々不安ではあります」
「胸を張って行けばいいのですよ。その方が男はかっこいいのですから」
そう発破をかけ、一つサービスでもしてやろうかと思ったが……時間切れだった。
「あら、残念。お迎えですわ」
「え?」
二人の視線の先に、一人の男がいた。聖職者のような、柔和な笑顔。否、笑顔を張り付けた、追跡者がそこにいた。
「探しましたよ、社長」
「許して!」
全力で逃げ出す春夫。ここぞとばかりにプラーナすら使って足を速める。人ゴミだらけの店内では、明らかな危険行為。しかし、三歩も進むことはできなかった。
「絡め取れ、暁闇の影」
藤ヶ谷一樹の影が伸びる。瞬く間に春夫に追いつくと、幾本もの黒い綱を伸ばして捕縛した。魔女は、その技に感心する。彼女以外のだれもが、これに気づいていない。結界にて術を隠しているのだ。
その術に、大変既知感を覚える。理由は考える間でもない。マリアンヌの結界を学んだのだ。先日の、僅かな接触のみで。
「つたない技をお見せしました、大魔導士よ」
「研鑽を積む若人は好ましい。精進するように」
「恐悦至極。では、社長を回収させていただきます」
「ええ……手加減を間違えないように」
「もちろんですとも。……さて、社長。先ほどの動きは素晴らしかった。素早い判断、プラーナの即時使用。過去一番の出来栄えだったかと」
「んー! んー!」
春夫は答えられない。影の縄が猿ぐつわのそれになって発言を封じているからだ。
「あれならば、段階を一つ上げても問題ないと考えます。というわけで、弾丸サンマの群れを逆走してみましょう。ええ、大丈夫。社長ならば可能ですとも」
「んんんーーー!」
春夫の瞳が、魔女に助けを求めていた。それを、笑顔で手を振って送り出す。売られる子牛のように、青年は連行されていった。
あの男であれば、上手く育て上げるだろう。そう考え、同時にあり得ぬ願望も脳裏によぎる。もしかしたら、彼が自分の望みを叶えてくれるのではないか。計画の鍵になりうるのではないか。
その考えを振り払う。それは彼に対して、あまりにもひどい仕打ちとなるのだから。
もう一度外を見やり、そして踵を返す。魔女の姿は人ごみに消える。やがて黒猫が一匹、デパートの外へと走り出た。