【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず   作:鋼我77

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第48話 しょっぱいカレー

 アビリティとは何か。端的に説明すれば、魔法じみた特殊能力のことだ。ダンジョンに挑み続けることで覚醒し、常識ではありえない力を発揮する。

 具体例として日本が誇る英雄部隊、ドゥームブレイカーズの『剣聖』国友(くにとも)道明(みちあき)を上げよう。彼だけではないが、基本的にアビリティの詳細は公開されていない。個人情報であるし、いかに強くても研究されてしまったら弱点も見えてしまう。実際、彼らを狙った襲撃事件も何度か報道された。英雄というのは、色んな連中から目の敵にされるようだ。

 話がそれた。公開されていない彼のアビリティだが、テレビなどで映った戦いぶりから、いくつか推察はされている。まず代表的な能力が加速能力。言葉通り目にもとまらぬ速度で戦場を駆け巡る。そしてモンスターを次々と切って捨てている。

 このことから加速能力のほかに、身体能力も強化する能力があるのではないかと言われている。ひとつのアビリティにつき二つ、または三つほどの特色が出るらしい。他にもあるのかどうか、そもそも推察はあっているのかどうか。真実を知るのは当人と近しいものだけだろう。

 ともあれこれがアビリティ。取得したものに超人的な能力を与える。一流ハンターの、証と言えるだろう。

 それを、俺が覚醒できたと。

 

「……マジかー」

 

 居間でひとり、事実を疑う俺がいる。現在は午後二時を過ぎた頃。社員たちから今日は半休を取れと強く強く進められた。午前中のアレは無茶過ぎた。実際身体がガタガタなので、ダンジョンの仕事は厳しい。大人しく従うことにした。

 他の社員たちはケイブチキンの駆除に向かった。こまめな間引きが快適な移動に繋がるのだ。あとは食肉処理場への義理と俺たちの食糧確保にも。

 それにしても、アビリティである。俺が、一流ハンターの仲間入りを果たしてしまった。いやはや、まさかまさかだ。十年前に諦めた夢が、唐突に目の前で輝いている。

 ダンジョンに入って、アビリティを手に入れて栄達の道を行く。妄想じみた、しかし確かに夢見たそれが現実となってしまった。

 まあプラーナを使えるようになった時点でハンターとして食っていける領域に足を踏み入れていたのだが。正直その後の衝撃的なアレソレや、一樹さんの地獄の特訓でそういった事柄を考えている暇はなかった。

 だけど今回は、今日は違う。何といっても考える時間があるというのが大きい。普段はなんだかんだ、時間に追われているし。

 

「社長、ちょっとよろしいですか?」

「別に構わんが……なんだそれ」

 

 うわっついた気分を持て余していたら、勝則が声をかけてきた。その手には紙の束が握られていた。……新聞に挟まっている広告か?

 

「これより、社長のアビリティを解析したいと思いますのでご協力願えますか?」

「そりゃ願ったりかなったりだが、そんなことができるのか?」

 

 覚醒したと言われても、詳細はさっぱりである。能力が分からなければ使い様がない。なので調べてもらえるのは助かる。勝則に限って、俺の力を吹聴するなどありえんし。

 

「ええ。一時間ほどかかってしまうのが難点ですが。ですので今のうちにトイレなど済ませておいてください」

「おー、わかった」

 

 促されるままトイレへ行き、手を洗って戻ってくる頃には勝則も準備を整えていた。広告の裏紙……白い方を上にして床に並べてある。油性ペンを使ってそれに書かれているのは、いわゆる魔法陣。セロテープでつなぎ合わせてあるのがなんとも子供の工作じみた雰囲気を感じさせるが、彼が遊びでこんな事をやるはずもない。

 

「おかえりなさい。では、この中心でお座りください」

「……一時間座ってなきゃいかんの?」

「そういうことです。スマホでも見ながらお待ちください」

 

 そういうことになった。足元に気を付けながら、陣の中心に座る。スマホを取り出す。見る。……どこぞでまたダンジョンブレイクが起きたらしい。断神様たちが出動したとのこと。単語を見て、身体に震えが走る。続いて、脳裏にあの恐ろしい刃が思い返される。

 すっかりトラウマである。彼女の事を嫌いになったわけではない。あれは事故である。むしろあんな所に不用意に飛び込んだ俺が悪い。他に方法がなかったとはいえ、僅かでも気づいていれば直撃コースを逸らすことができたはずだ。

 それに肉体は無事だったのだ。グダグダいうのは筋が違う。……結果的に断神様の刃を弾いてしまい、それが彼女のプライドを傷付けてしまった点については謝らない。事故だったのだからしょうがないじゃないか。何なら防げたこともそれに含まれる。プラーナとアビリティに覚醒した現状でさえ、同じことができるなどとは思っていない。

 なので彼女の来訪宣言は大いに不満がある。来られても困る。どうしろというのだ。一樹さんはもう一度彼女の刃を防げとか無茶を言ってくる。それが出来れば苦労はない。状況から見て、間違いなく全身全霊の一撃をぶち込んでくるだろう。

 こちとらダンジョンに入り始めてやっと半年にとどくかってレベルの一般人だぞ。……能力的に一般人を名乗れなくなっている点は素直に認める。だけどそれでも、日本が誇る英雄と対峙できるなんて欠片も思わない。確か彼女も、十年近いキャリアの持ち主だ。

 奇跡というのは、起きないから奇跡というのだと誰かが言っていた。強く同意する。絶対に無理。土下座してでも帰ってもらおう。そう思う昨今である。

 

「社長。今のうちにこちらの書類に目を通していただいてもよろしいでしょうか。半休を取ったと伺ってはおりますが、少々急ぎでして……」

 

 携帯で時間を潰して待つことしばしの後。書類片手に現れたのは、頭髪の薄い壮年の男性。執行猶予もらって出てきたこの家の元の家主。流の父親、黄田(こうだ)健平(けんぺい)だった。

 

「大丈夫です。見せてくださいな」

 

 手を伸ばして受け取る。内容は給与関係。たしかに、後回しにするにはよろしくない。早速チェックを開始する。

 健平の裁判は、予想された通り早く片付いた。本人が出頭した、罪を認めている、被害者(俺)と示談しているなどなど。つまり口論になるような要素が一切なかったのだ。

 そうなれば裁判長や陪審員の心象も少しは良くなる。面倒事を歓迎するようなものは少ない。そんなこんなで執行猶予付きの判決を下された彼は、約束通り我が社の社員となった。現在は流達と一緒に近所のアパートで暮らしている。

 あそこも、住人が増えて最近は「ボロ」という単語が取れたという。自分たちの住環境を改善する為、宏明たちが頑張ったとかなんとか。直接見に行ったわけではないので詳しい話は知らない。数少ないご近所さんと良い交流が出来ているのは何よりだ。

 さて。そんな健平の働きぶりだが、今の所文句はない。それどころか、大変満足している。彼に任せている仕事は、書類関係全般だ。

 会社を運営する以上、数字と記録からは逃れられない。商品の売買、給与の支払い、経費の記録。会社が稼働すれば数字が動く。記録しなければ忘れられ、後々俺たちの首を絞める。

 個人だろうと法人だろうと、税務署からは逃れられない。納税は義務である。義務を果たせない会社の信用は地に落ちる。

 なので事務仕事は絶対に必要で、会社立ち上げから最近まで俺たちは毎日悲鳴を上げていた。ダンジョンで体を酷使し、そのあとに事務仕事を片付ける。どれだけ辛いか、語るまでもないだろう。普通に眠くなる。

 幸いにも、我が社には事務仕事の経験者がそれなりにいる。俺、御影兄妹、宏明と歩。ダニエラさんもできるだろうが、ジャンルが違うので引き入れていない。教員と会社員の違いのすり合わせをする余裕はなかった。疲れで。

 俺などは一樹さん加入後、訓練の質が上がったからさらにきつかった。それでいて社長であるから、責任もって書類と向き合わなければならない。休みの日の多くは、残った書類仕事と向き合っていたように思う。

 なので健平の加入は、大いなる助けとなった。彼にとってそれ等の仕事は最も得意とする所だった。その道ウン十年の大ベテラン。その知識と経験は確かなものだった。

 彼の提案に従い、家の空き部屋を事務所に作り替えた。事務机、書類棚、キャビネット。予定や支払日を書き込むホワイトボード。前職を離れて半年程度だというのに、なぜか懐かしさを覚えたものだ。

 彼の手によって俺たちの負荷はかなり軽減された。もちろん、任せっぱなしなどにはしていない。このように重要な事柄は複数人の目でチェックする。また、金銭の支払いに関しては関わらせていない。これは本人も了承した事だ。

 このように健平は上手くやっている。当初は負い目や疲労から弱っていたが、そこはいつものごとくダンジョン食材で解決させた。美味いもの食って元気になればとりあえず大体のことは上向くのである。

 

「確認した。問題ないとおもう。ハンコは後で打つよ」

「はい、ありがとうございました。……それでその。これは一体何事なので?」

 

 困惑する彼。どうやら話が通ってなかった様子。簡単に説明する。

 

「はあ……あの大騒ぎでそんなことが。私としては、あのサンマの数だけで目を疑ったのですが」

「現実離れしていたことは認めるよ。当事者の俺も、正直あんまり実感していない」

「そうおっしゃいますが……あれはすさまじい事ですよ。社長が元気でいらっしゃるなら、会社の将来は明るい……いや、個人スキルに頼るのはよくありませんな」

 

 流石、社会人歴が長いだけある。

 

「そうだな。仕事の属人化はトラブルの元だ」

 

 特定の人物が一つの仕事を専門にすることで、他の人がそれについて分からなくなる。簡単に説明すれば属人化とはこういう意味である。会社でよくある、担当者が休みなのでその仕事が進まないとかいうのはコレのこと。

 魔法使いが居なければモンスターが倒せない。俺が居なければ倒したモンスターを運べない。健平が居なければ事務仕事ができない。こういう状態になってはいけないのだ。

 

「使える能力は活用していくけど、頼りっぱなしはいかんよな」

「そうですな。私も、多少なりともダンジョン内でも働かなくては」

「地下一階の間引き程度なら、いいんじゃないかな」

 

 俺と彼との関係性は、悪くない。うちに来てまず最初にやったのが、俺に対する真摯な謝罪と礼だった。特に流や陽子さんの世話をしていた件については、涙ながらに感謝された。彼にとっては一番大事な所だったのだろう。

 そういった気持ちが本物であることは、仕事ぶりに現れている。思う所は多々あるだろうに、すべて飲み込んで手を動かしている。彼がそうやっているので、俺としても受けた仕打ちに関する怒りを流せている。

 これで少しでもへそを曲げた振る舞いをしようものなら、すべてご破算にすることも考えていたのだが杞憂だった。

 

「む……すみません。お二人ともしばしお静かに」

 

 俺たちの雑談に加わらず、魔法陣の外で瞑想していた勝則がそう告げてきた。思わず口元に手を当てて黙り込む。マナが動いている。俺の中の感覚が確信させてくれる。

 勝則は、一つの紙箱を抱えていた。おそらくお菓子の箱を再利用しただろうそれの中には、砂が敷き詰められていた。その中でマナが踊っている。砂が動いている。

 何か、文字のようなものが刻まれていく。俺たちは黙して、邪魔にならないように見守る事しかできなかった。

 しばらく、といっても数分程度。箱の中には文字がぎっしりと刻まれていた。勝則は静かに手を動かすと、スマホのカメラでそれを撮影した。ぴろーん、と軽やかなアラームが部屋に鳴り響く。

 

「ふう、完了です。お疲れさまでした」

「そっちこそ、お疲れさん。……で、どんな感じなんだ?」

 

 気が逸ってしまいそう訊ねる。

 

「これから、現れた文字を読み込む作業があります。もう少々おまちください」

 

 彼は苦笑しながら、砂の文字を携帯カメラで撮影する。……たしかに、ぱっと見ても読み辛い。もうちょっと待たねばならないようだ。

 その場で立ち上がろうとして、チラシの裏紙に改めて触れる。摩擦がなくて、うっかり体重を込めると転びそうだ。安全を取って、四つん這いで脱出する。やや恥ずかしいが、足を滑らせ怪我をするよりマシだ。

 ……その後、中途半端な時間を持て余した。半休を取った以上、仕事に手を出すわけには行かない。やろうとしたら、建平に止められた。上に立つものがそうしないと、下の者が気兼ねなく休めない。そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。自分自身、会社勤め時代で思い当たる事柄がいくつかあるし。

 仕方なく、自室に戻る。なんとなしに、横になるとすぐに眠気がやってきた。午前中の疲れは、最大の睡眠導入剤として働いた。

 

「……社長、いらっしゃいますかー?」

「おう」

 

 で、小百合の声かけで目が覚めた。時計を見れば、午後五時を過ぎていた。思いのほか眠りが深かったらしく、思考の巡りが悪い。

 

「アビリティの解析がおわりました。みんな下に集まっていますから、降りてきてください」

「あいよー」

 

 頭を振って、眠気を飛ばす。顔をもみほぐして、刺激を与える。立ち上がって身体を軽く動かせば、疲れは大分取れていた。

 階段を降りて居間へ足を運ぶと、社員達が集合していた。

 

「お疲れ様っす。ケイブチキンの間引きと納品、おわりました」

「おう。トラブルは?」

「ナシっす」

 

 流の報告を受けて、用意されていた座布団に腰を下ろす。……やはり、狭い。一般家庭の居間にこの人数は多すぎる。当然の話だよな。社屋を想定されていないんだから。やっぱり、そろそろ建てる必要があるよな。サンマの売り上げがあるから、大丈夫だとは思うが。

 

「……さて。社長がいらしてくださったので、これよりアビリティの詳細について発表します。よろしいですか?」

「やってくれ」

 

 個人情報だから、知るものは最低限にするべきでは。そんな話が最初に出た。俺はそれに対してNOと答えた。確かにその通りではあるのだ。俺としても、社外におおっぴらにする気はない。

 だけど、社員達には隠しておくつもりはなかった。たとえその結果、後々情報が漏れてしまうとしても。なんといっても、肩を並べて戦う仲間である。命を預ける連中だ。どんなことが出来るというのは、知っておいてもらわねば。

 それに勝則たちの魔法などは皆がすでに知るところだ。彼ら彼女らにそれを(成り行きとはいえ)強いておいて、自分だけというのは格好が付かない。格好悪い社長について行きたいと思う社員は少数派だろう。少なくとも俺はついて行きたくない。

 そんなわけで、皆を集めての公開なのだが。どうしたことか、勝則の表情が若干堅い。何か問題でもあるのだろうか。

 

「まず名前です。……ご存じでない方もいるかもしれませんので一応説明を。アビリティには必ず名前が付いています。それを強く意識すると、能力の発動を手助けするのだとか」

 

 皆が理解を示すように首を縦に振る。この辺の知識は、テレビなどでよく流れてきたこと。大抵は知っている話だが、そういうのって大抵うろ覚えになるからな……。

 ふと気づけば、手に力が入っていた。心なしか、心臓の鼓動が早く感じる。いよいよかと思うと、どうしても気分が高ぶってしまう。

 

「では鑑定呪文によって読み取った、アビリティの名前を発表します。……大君(タイクーン)、です」

 

 彼の発表と同時に、隣で準備していた小百合がコピー用紙を掲げて見せる。そこには筆ペンで大きく大君と書かれいていた。

 それを認識した瞬間、たしかに自分の奥底で手ごたえのようなものを感じ取った。昼間、ダンジョンで体感したアレだ。

 

「どうですか、社長」

「……なんか、それっぽいものがあるぞ」

 

 おお、と社員たちが感嘆の声を上げる。向けられる視線も暖かい。……なんともむず痒い。魔法に覚醒した時の勝則達もこういう気分だったのかなと思ったり。

 

「結構です。それでは肝心の能力なのですが……」

 

 勝則がことさら大きく深呼吸をした。……何故か、緊迫したものを感じる。

 

「一つ目は、所有物による負荷軽減。端的に言えば、重いものを楽に運べる能力。もう一つは、活力の増強。スタミナとかタフネスとか、そういったものを強化する。それが社長のアビリティ、大君の能力です」

 

 ……しばし、俺を含め皆の動きが止る。情報が脳に浸透する。そうすると当然感想が生まれる。何というか……もっとこう、ド派手なものを想像していたのだけど……。

 

「なんつーか、アレっすね。一生荷運びやってろって言ってるような性能」

 

 流の極めて的を射た感想は、俺の心を的確にえぐった。希望と期待に膨らんでいたそれを、音を立てて爆ぜさせるに十分な威力だった。

 

「う、ぐ、おおおぉぉぉ……」

 

 両手で顔を隠す。ひっくり返って倒れ伏す。ダメだった。耐えられなかった。なまじ、童心に帰っていたのがいけなかった。子供のころの夢がかなうとか、そんな願望が膨らんでいただけに潰れた時の衝撃は想像以上だった。

 涙があふれてきた。

 

「流! お前、言葉を選べ!」

 

 勝則の、珍しく本気で怒った声が聞こえる。彼がここまで感情的なそれを出すなど、もしかしたら初めてかもしれない。

 

「センパイ! すんません、マジスンマセン!」

 

 流のこれまたガチな謝罪が聞こえる。何なら本人もちょっと泣きが入ってる。うん、これはマジでやらかしたと実感しているな。別に怒ってはいないんだが。

 しかし困った。心のごく一部は、このように冷静なんだ。だけど大部分は、打ちのめされている。社員の前でさめざめと泣くなど、本当に恥ずかしい。でも止められなくて、それも涙があふれる原因になっている。

 大人になって、ここまで泣く日がくるとは。一周回って新鮮な気分ですらある。

 

「せんぱーい。元気だしてくださいよー。今日はカレーですよー。ケイブチキンカレー」

 

 いつもよりだいぶ優しい声色で、小百合がそう言ってくる。そうかー、カレーかー……。

 

「辛くしてくれぇ……」

 

 なんとか、言葉を絞り出す。

 

「先輩、辛いのあんまり得意じゃないですよね?」

「かまわん……うんと、辛くしてくれ……」

「はーい」

 

 さて。どんなに強い刺激でも、人間の脳は慣れるように出来ていると聞く。希望を粉々に打ち砕く衝撃も、数分すれば新鮮味が薄れる。そうなれば涙を流す衝動も治まり始める。丁度良いタイミングで、陽子さんから温かいタオルを差し出された。ありがたく使わせてもらう。

 タオルの熱が、疲労した目元にたまらなく効く。汚れた顔もスッキリだ。

 

「あー……恥ずかしい」

 

 正直な気持ちを吐露すると、宏明が気を使って明るく声をかけてくる。

 

「今回ばかりは、しょうがないかと。俺だって同じ立場なら耐えられないと思いますもん。なあ、森沢」

「夢を打ち砕かれれば、涙して当然。それが分からないものは、薄っぺらい人生を送っているということですよ」

 

 何とも暖かい言葉だ。まだ涙が止まっていないので、タオルで顔を隠す。

 

「社長、うちの息子が大変失礼を……」

「いいよ、気にしないで。たまたまストレートな言葉が、いい角度でストライクしただけだから」

「本当に、申し訳なく……」

 

 健平が息子と一緒に頭を下げてくる。流に対して怒りは本当に無いのだ。なので頭を上げさせておく。

 しばらくぼんやりとしていると、台所からスパイシーな香りが漂ってきた。途端に腹が鳴る。ああ、どれだけ悲しいことがあっても空腹になるのだ。生きているから。

 

「おまたせしましたー。チキンカレーですよー。はい、社長どーぞ」

 

 どん、と俺の前に山盛りのカレーが置かれた。ケイブチキン入りカレー。チキンカツ付きである。ルーは黄金のように輝いていて、炊きあがった米も艶やかに光っている。チキンカツの衣はカリッカリに揚がっている。なんというか、一つの究極を見ている気がする。空腹と精神状態からそんな胡乱な幻想を抱いただけだと思うけど。

 その輝きに魅了されていると、テーブルの上はどんどん賑やかになっていく。社員たちの分のカレーに、サラダに煮卵……。当然その分だけ香りは強くなり、いよいよ空腹に耐えられなくなってきた。それは他の者達もそうだった。

 

「社長、よろしいですか」

 

 勝則に促され、俺は緩慢に首を縦に振った。

 

「あー……うん。いただきます」

「「「いただきます!」」」

 

 社員たちが一斉にカレーに挑みかかる。漂っていた微妙な空気は、カレーの前に敗北した。まあそうなる。大抵そうなる。それだけの魅力を目の前のこれは放っていた。主に香りで。

 俺はとりあえず、用意されていた水で口を潤した。流した分だけ、水気が減っていたから。そしてカレーをすくい、ライスと一緒に口に運んだ。

 

「!」

 

 辛い! 頭を叩かれたかと思うほどの衝撃。口の中を辛さとスパイスの香りが蹂躙する。ぶわりと汗が浮かび、萎えていた精神に活を叩き込んでくる。

 最初のインパクトが抜けると、芳醇な味わいが口の中に残る。ルーの中に溶け込んだ、ケイブチキンの味わい。各種野菜がそこに加わり、より深みを与えている。米と一緒にかみしめれば、混ざり合って楽しみが広がる。

 辛くて旨い。辛いのはやはり苦手なのだが、今日はこの刺激が必要だ。

 

「美味い! 美味い! マジ最高!」

 

 身体を使う仕事をしているだけあって、うちの社員は大抵皆健啖だ。よく食べる。パート陣もそうなのだが、これを指摘してはいけない。女性陣にこの話題を振るとデリカシーがないと小百合あたりに叱られるのだ。

 さてそんなよく食べるメンバーの中にあって、頭一つ抜けているのが今騒いでいる宏明である。こいつは本当によく食べる。それだけ食べたら流石に過剰。デブって当然なのだが、その分よく身体を動かしている。

 入社当初はもやしのごとくヒョロヒョロしていたのだが、今ではすっかり筋肉をつけている。モンスターの運搬も、元気よくこなしている。最初は本当、一歩ごとに悲鳴を上げていたのだが。

 今では運搬の主力である。食わせればそれだけ働くと思えば……いやそれでも、ちょっとは遠慮しろという気持ちが湧いてくる。おかわり三杯当たり前だからな、こいつは。

 

「東京で食べたら、これ一杯で一万円とか言いそうですね」

 

 しみじみと語るのは歩である。体格の良さは社員随一なのだが、食べる量は人並みだ。いやそれでも二杯はペロリといくから、一般人から見れば大食いな方か。

 

「材料費的には、それほどでもないんですけどねー。普段の料理で残るケイブチキンの余りをドカンと入れただけなので」

 

 裏事情をばらす小百合が、ニコニコ笑いながらスプーンを動かしている。ちなみに、この兄妹は辛い料理ぜんぜん平気なタイプである。……辛いの苦手って言ってるの、俺の他には陽子さんとダニエラさんだけだった気がする。あかりさん? あの人は全然平気な方。今も二杯目をよそってるところだ。

 

「辛い、辛い、からい……」

 

 額から汗を流しつつ、おカレー様に挑んて行く。衣にたっぷりカレーをつけて、チキンカツにかぶりつく。湧き出る肉汁と、スパイスのハーモニー。味わいたいのに、すぐに飲み込んでしまう。

 あっという間に一切れ、腹に収まってしまった。こうなると分かっていたので、チキンカツに手を出すのは慎重になっていた。残弾、のこり4。チキンカツのおかわりはない。ペース配分を考えねば。

 

「そーいえばダニエラ先生が最近ボヤいてましたよ。ダンナさんが太ってきたって。どこかで働かせなきゃーとかなんとか」

「美味しいとどうしても、食べ過ぎてしまいますからね……。うちもそろそろ気を付けてもらわないと」

 

 ダニエラさんは、自宅で旦那さんと夕食を取っている。今頃、お二人でカレーを楽しまれているだろう。まあこれが普通だ。社員で集まって食事している俺たちが特殊なのだ。……金欠状態から脱したのだから、もうこの体制を継続させる必要ないのでは?

 ふとそんなことを思う。一人でメシを食っていた時期が長すぎた。今の状況が楽しくて、ついついそのままにしてしまった。一度、話し合うべきかと思う。

 まあこの状況にメリットがないわけじゃない。何といっても社員にダンジョン食材の料理を提供できる。俺たちの仕事は身体が資本。それを強化できるということは、そのまま社員の戦力アップにつながる。

 ……普通の会社だと戦力アップって言い回しは技能を覚えたり仕事の効率をあげたりすることだよな。言葉そのままになるのってダンジョンらしいというか……現実離れしているなあ。

 デメリットとして食事を用意する労力、それに伴う人件費。食材の材料費などが発生しているわけだが……社員育成のコストと十分納得できる。うちの会社が短期間でここまで利益を出せるようになったのは、これに寄る所が大きいと理解している。

 そうすると、これを継続させることに会社としては十分メリットがある。これから新しい社員が入ってきても、同様の育成……新人研修を行っていけばいいと結果が出ているわけだし。

 毎日一食ダンジョン食材でも、効果は出るだろう。むしろ今の俺達が食べすぎな気がする。一人で飯を食べる趣味の人間もいるだろう。会社都合を押し付けてはいけない。やはり話し合うべきだな。

 それにしても、あかりさんと陽子さんの話題だが。やはり中年になると代謝が落ちてぜい肉が付きやすくなるんだなぁ。今の所、俺にその兆候はない。でも覚えている。社会人時代、運動不足と荒れた食生活が祟って腹に肉がついていた時期を。

 油断は大敵だ。

 

「元気が出たようで何よりです。おかわりいかがですか?」

 

 カレー皿がだいぶ寂しくなってきた所で、小百合が鍋を持ってやってきた。

 

「……たのむ。心配かけて、すまん」

「いーんですよー。社長が特別なスーパーマンじゃないことぐらい、昔から知ってますしー」

「……そうだな。その通りだ」

 

 プラーナに目覚めて、アビリティまで手に入れてしまった。勘違いした代償がこの程度だったのだから、むしろ安いと言えるだろう。社員に負担や犠牲を強いるようなやらかしなどしてしまったら、目も当てられない。

 

「いつも通り、一歩一歩コツコツやっていくしかないんだな」

「それが先輩らしさで、いい所だと思いますよー。はい、おかわりです」

「わあい」

 

 ひゃっほう、と俺は再び熱々のカレーを口に運び始めた。食い終わるころには、気分はだいぶ復調した。……そして数時間後、トイレにて再び涙を流すことになる。

 刺激物は、お腹に厳しい。

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