【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず   作:鋼我77

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第52話 と、良い知らせ

 崑崙マーケットに足を運んだ翌週。月曜日の仕事がだるいのはダンジョンでも同じ。それでもどうにか今日も怪我無く安全に仕事を終わらせた。ヨシ。

 夕食を終えて人心地つき、皆がそろそろ帰り支度する頃。唐突に一樹さんに社員が集められた。

 

「報告が二つあります。良い話と悪い話。どちらを先にしましょうか」

 

 ……よもや人生で、リアルにこんな話の振り方をされる日が来ようとは。頬がひくつくのを抑えられん。

 

「ちなみに、良い話は短く、悪い話は長いです」

「……じゃあ、良い話から」

 

 観念してそう告げると、何故か一樹さんの隣に彼の嫁さんが立った。両手を上げて、万歳のポーズをとった彼女は堂々と宣言した。

 

「子供が出来ました! 三か月です!」

 

 ……社員の動きが止った。俺の動きも止まった。あかりさんが手を下ろした。

 

「「「えええええええええーーーーーーー」」」

 

 驚愕の声が家の中に響き渡る。

 

「そういう! 大事な話は! もっと早くしてくれよ! 朝一とか!」

「朝は仕事が忙しく、言い出し辛くて……」

「そこは自分の体の方を優先してほしかった! フジくん! なんでフォローしないの!」

「体に負担があるような仕事はしておりませんし。なによりあかりに釘を刺されておりまして」

「ええい、この尻に敷かれマンめっ!」

「はい!」

「元気に返事をしなくてよろしい!」

 

 いつもの10倍ぐらいニッコニコしよってからに。

 

「すみません社長。就職させてもらって早々に」

「謝る必要なし! 大変めでたい! おめでとう! はい、みんなからも!」

「「「おめでとう!!!」」」

 

 社員一同から祝福の声が上がる。もちろん皆笑顔だ。小百合などは抱き着いていたりもする。……会社から、何かお祝いの品とか出すべきか。金一封とかが普通かな? でも、金なら唸るほどもってるらしいんだよな一樹さん。もうちょっとひねるべきか。後で小百合たちと相談しよう。

 ある程度お祝いムードが落ち着いた所で、次の話題に触れる。正直、この空気を壊したくないのだがそうもいかない。

 

「……で、フジくん。そろそろもう一つについて教えてもらおうか」

「はい。それでは皆様、申し訳ありませんが席にお戻りください。……では、悪い話について。実は前の職場の上司から接触がありまして。自分を引き戻そうという動きがあるようなのです」

 

 皆が少々どよめく。動揺を覚えて当然だ。何といっても一樹さんは我が社の最大戦力である。それがいなくなるかもしれない話題を振られればこうもなる。俺も少々どきりとした。

 

「……でもフジくん、前の職場にはめちゃくちゃ不満があったんじゃ?」

「ええ。職場環境は全く改善されていないとの事で、私が戻る理由は欠片もありません。あかりのこともありますし」

「だよね」

 

 たしかあかりさんのご実家が市内にあると聞いている。初産だし、両親の力は借りたいだろう。わざわざ東京に出ることもない。特別な医療を受けたいなら話は別だが。

 

「話が来ても断って終わり……となるならば、話は楽だったのですがそうもいかず。どうにも、ガラの悪い連中を使って強引に事を運ぼうとしているようなのです」

「自殺志願かな?」

 

 思考と発声がほぼ同時ってレベルの感想が出た。馬鹿の極みとしか思えない。この人、呪文一つでハウルボアの群れを行動不能にするんだぞ? ダンジョンアントを干からびさせる呪いとか使えるんだぞ? それを力づくで? 正気を疑う……あ、違うのか?

 

「フジくんの戦闘力を過小評価している?」

「かもしれません。あるいは、保持戦力を過大評価しているのかも。ともあれ、暴力で事を運ぼうとしているのは間違いない様子。幸いにも、前の職場から情報を得られるような体制を構築できました。相手の動きは多少であれば掴めます」

「多少」

「情報戦のプロフェッショナルではありませんので。ないよりマシ程度かと。なので別口であちらの動きを調べてもらえるように手を回しております」

「うーん、手間をかけさせてすまない」

 

 頭を下げる。やれプラーナだ、アビリティだ社長だといっても俺は一般人である。ダンジョンの事ですらひよっこなのに、それ以外となると手も足も出ない。

 

「今回については、迷惑をかけているのは私の方です。社長及び皆々様には、ご迷惑をおかけします。申し訳ありません」

 

 一樹さんとあかりさんが揃って頭を下げる。俺を含めて皆で頭を上げてくれと慌てて頼む。……前の職場からの迷惑行為、か。俺を含め、会社勤めしてた連中は皆あり得る話だなと思っているだろう。

 昨今の会社は、社員を換えの利く労働力としか見ていない。そして会社の都合は社員の人生よりも優先度が高いと思っている。……ちょっと違うか。社員の人生を全く考慮していない、が正しいかな?

 ともあれそんな体たらくなので、辞めた社員すら場合によっては戦力としてカウントしてくる場合がある。実際よく聞くし、今回の一樹さんの話もその一例だろう。

 そんなわけで、わりと明日は我が身。今度は自分の番かもしれないので、下手に恐縮しないでほしいのだ。

 

「……さて、それでですね。この状況を受け身で待ち構えるのはよろしくないと考えます」

「と、いうと……まさか、先に攻撃を仕掛けると?」

 

 そういうのはちょっと、イリーガルすぎてやりたくないなあ。我が社はお天道様の下で胸を張っていきたい。こけ玉菜園とか、崑崙マーケットとか若干後ろ暗い所もあるけど。

 俺はそんな気分なのだが、御影兄妹は身を少し乗り出していた。お前ら、なんでそんなやる気なの。ステイ。

 

「いえいえ。人間相手の荒事は何かと面倒が多いもの。避けられない場合もありますが、今回はまだ道があります。そんなわけでして、別のアプローチを試してみませんかという提案があります」

「別のアプローチ? ……なんだろう、はいヒロっち早かった」

「手え上げてねぇ!? えーっと、デマを流す!」

「攻撃ではありませんね」

「二番手、ウォーカー」

「全員筋トレして筋肉で脅す」

「それでやめてくれるなら苦労はありませんね」

「そろそろ当てろ、リュー」

「無茶ぶりが過ぎるっす! えーっと、えーっと……デカいヤマを当てて、相手をビビらせる!」

「デカいヤマってなんだよ……」

「……まあ、正解としておきますか」

「「「マジで!?」」」

 

 驚愕する男ども。呆れる女性陣。全力のガッツポーズを決める流。

 

「具体的に申し上げますと、マジックアイテムの収集を始めてみませんかという提案なのですよ」

「マジックアイテム……かぁ」

 

 唸る。ダンジョンの財宝といえばマジックアイテムである。崑崙マーケットに並べられていた品々のように、摩訶不思議な力を秘めた様々な武器防具。一般的にハンターの仕事といえばモンスターと戦うこととこれを集めることと認識されている。

 

「そういえば、なんでウチは集めてないんですか?」

 

 宏明が首をかしげて聞いてくる。確かに、説明した事はなかった。

 

「大した理由じゃないんだけどな? 俺はダンジョン管理者だ。ダンジョンからモンスターを出さない事が義務となる。なのでまず何よりもモンスターを倒して、それを持ち帰らなきゃいけない」

「モンスターを減らす一番の方法ですからね」

 

 勝則のフォローに頷いて続ける。

 

「なので、最初は余力がないからやらなかった。社員が増えてなお、集めなかった理由もかんたんだ。ケイブチキンや弾丸サンマを倒して持ち帰った方が、確実な金になるから」

 

 ああ……と、社員一同が納得して頷いた。マジックアイテムの値段はピンキリだ。高いものは青天井だが、低いものだとウン万円程度。ギャンブル性が高すぎて、とても社員の給料を安定して払えるとは思えない。

 

「あと、売り方がな……一応政府が引き取ってオークションにかけてくれるんだけど。そこそこ手間賃取られるし、あんまり高くならないんだよな」

 

 他所と比べて、だけど。日本のアイテムオークションはそんなに高値が付かない。海外では時々テレビ中継とかあるんだけど、それもない。買う人たちも限らている感じ。そこはかとない談合臭がするんだよな……。

 

「それについてはご安心を。迷惑をかけられるバーターとして、前の職場と取引できるよう話をつけておきました。貿易会社ですので、海外との伝手があります。公営オークションにかけるより、利益が望めるかと」

 

 一樹さんの言葉に一同が沸く。素晴らしい、抜け目ない、格が違った。利益が望めるなら、経営者としては一考の余地が出てくる。

 

「ダンジョンカンパニーの格付けは、どれほどすごいマジックアイテムを見つけられたか。それで儲けられたか、で見られている所があります。今回の事に限らず、今後を見据えればそろそろ手を付ける頃合いかと」

 

 格付け。その単語には思い当たる所がある。一樹さんの言う通り、時期が来たのかもしれない。

 

「社長。自分も一樹さんの提案に賛成したいと思います。戦力向上という面でも、メリットがありますし」

 

 勝則が発言し、隣で妹が頷いている。二人が乗り気であるならば、俺も否はない。他の社員たちを見ても、皆目を輝かせている。やはりダンジョンに係ると、あこがれるものなのだな。マジックアイテムには。

 

「……否定的意見もないようだし、やってみようかアイテム探し」

 

 賛同は全員の拍手によってなされた。……唐突だったけど、いい提案を受けたな。俺たちの実力では、まだまだハウルボアとは戦えない。弾丸サンマを取り続けるだけではマンネリだ。

 惰性は油断を、油断は危険を呼ぶ。違う仕事を覚えるのはいい刺激になるだろう。

 

「社長! 俺、飛翔剣がほしい!」

「おこがましい。キャラじゃないでしょ」

「そんなー」

 

 宏明の言う飛翔剣とは、その名の通り空飛ぶ剣である。ただ飛ぶだけ、と思うなかれ。大きさはまちまちだが、小さくても包丁以上。大きければグレートソードに近いものが発見されている。

 そんなのが、音を立てるほどの速度で宙を舞うのだ。ケイブチキンや弾丸サンマを容易に追い越す速度。それに重さと刃が付いている。端的に言って、クソ強い。流石にサンマの群れはきついが、それ以外だったらダンジョンの地下一~三階を無双できる。

 使いこなすには訓練がいるらしいが、熟練者となればハンターとして一流を名乗れる。プラーナも魔法もいらない。才能のない者のあこがれである。かく言う俺も、ずっとほしいと思っていた。何なら今でも思ってる。

 誰もが欲しい、人気のマジックアイテム。ドラマや映画でも主役が使っている。なので当然、品薄かつ高額だ。ナイフタイプでも数百万。剣なら一千万に届く。これに特殊能力も付与されていたら、億単位の金が必要となるだろう。稼ぐようになったとはいえ、我が社ではまず手が出ない代物だ。

 

「仮に、ダンジョンで見つかったらどうされますか?」

 

 歩の問いかけにちょっと考える。売る……のはもったいない。確かに莫大な利益を得られる。だけど金は命あっての代物。ダンジョン内での安全を求めるならば、強い武器はあってこまるものじゃない。

 でも、問題点が一つあるのだ。

 

「強力な武器だから使えるなら使いたい。けど……資格いるじゃない」

 

 あー、とやや悲鳴交じりの声があがる。刀剣の管理および所持には資格が必要である。マジックアイテムと言えど例外ではない。現在我が社でその資格をもっているのは一樹さんだけである。

 

「資格取ったら手当付けるから、チャレンジしてみたら?」

「藤ヶ谷先生! レクチャーお願いします!」

「やる気のある生徒はいつでも歓迎ですよ」

 

 ふむ。最近、流を含む運搬係三名はトレーニングに熱心だ。どうも、自分たちもプラーナを得ようと目指しているらしい。まあ分かる。あこがれるものな。飛翔剣とかもそうだが、特別ってやつには。……手に入れた特別が、ヒーローになれるとは限らないけどな。具体例は俺である。

 マジックアイテムを手に入れることができれば、憧れに大きく近づける。資格一つで傍に寄れるなら安いものか。

 

「ほしいマジックアイテム……自分はやはりあれですね」

「ウォーカーは何が欲しいんだ?」

「輝きの手鏡。美少女になってみたく」

「おまえ……なあ……」

 

 真剣かつ本気の言葉に、おもわず呻いた。こんなに言葉が重かったのは、アレ以来だ。忘れもしない、ダンジョンがあるって言われた時の『庭』レベル。

 輝きの手鏡とは、使用者の姿を変えるアイテムである。10分間、姿かたちを完全に変化させる。場合によっては色々悪用できる代物なので、所持には登録を求められる。報告なしに所持していた場合は容赦なく没収されたりもする。返還はされない。

 それにしても、である。美少女になってどうするんだお前。見ろよ、女性陣ドン引きしてるぞ。この視線の中、威風堂々としてるってどういうメンタルなんだよ。勝てねぇよ。

 ……いや、しかし。

 

「美少女ってあたりは、まだましか。あれ、知人女性に変身してトラブルになったという話もあったしな……。は!? 小百合!?」

「リアル女性にそのような不埒な事をいたしません。撤回を求めます」

「お、おう……そうか」

「話題に出された時点で私も不愉快なんですけどー!」

「とってもソーリー」

 

 だいぶぐだついた空気になってきたので、ここで解散。具体的な話はまた後日となった。明日も仕事だしね。

 社員たちが帰宅していく中、一人残る男の姿あり。

 

「リュー、お前帰らないの?」

「さっきの無茶ぶり質問、正解のご褒美貰ってないんで!」

「こやつめ」

「……っていうのは口実で、なーんか悩んでません、先輩」

 

 こんにゃろめ。よもや見抜かれるとは。

 

「……正解は缶ビールだ。一本だけな」

「やっほう」

 

 冷蔵庫から冷やしたビールを持ってくる。今日のつまみは普通に市販品だ。毎回ダンジョン品では豪華すぎる。

 軽く乾杯して、炭酸を喉に流し込む。よく冷えたビールは、どうしてこう美味いのか。

 

「……っくー、最高ー! やっぱこれっすよ! 酒は先輩ん家じゃないと飲めないしなー!」

 

 まあ、真面目に借金返済しているからな黄田一家。普段の生活は質素だ。だから、メシぐらいは楽しんでいいんじゃないかと思ったりする。せめて、ウチぐらいでは。

 

「で、先輩。お悩み、俺が聞いていい話っすか?」

「この流れであえて聞いてくるって……まあ断り入れてくる分、前よりマシか」

「その話は、自分たちも同席させていただきたい所」

 

 御影兄妹も、それぞれビール片手に居間にやってくる。隠す話ではない。

 

「この間、ウチで宴会しただろう? その時に、先生の旦那さんに言われた事があってな……」

 

 ちょいとばかり前のことである。弾丸サンマの売り上げが振り込まれて、気が大きくなっていた。暑い時期も乗り越えたことだしということで、慰労会を開いた。そこで折角だからと招待したのが先生の旦那さん、氷川正吉さんである。

 歳は先生と同じ70歳。体格もよく、年齢を感じさせない。曰く、大企業の重役を経験されたそうで結構な貫禄の持ち主である。

 

『いやー、こんなにおいしいモノばかり食べさせてもらって悪いねー!』

 

 ただし、口を開くと結構軽い。地の性格もこんならしく、重役時代は自重に苦労したと酔っぱらいながらペラペラしゃべってくれた。

 とはいえ流石は大企業勤め。色々と知っている事は多く、その中にははっとさせられるものがあった。

 

『ダンジョンカンパニーには、相応の品格が求められる』

 

 ビールのジョッキ片手に、彼は朗々と語る。

 

『一般的には目が飛び出るほどの金を稼ぎ、かつ普通でない力を保有している。現代社会においては特別、あるいは異物。だからこそ、それに値する振る舞いが必要になる。……東京のカンパニーは、それを粗暴という形で表した。アレは酷かった』

 

 ため息一つ。それにどれだけの感情が籠っていたのだろうか。

 

『生存戦略としては、困ったことに間違いじゃない。特別は疎まれる。力が無ければ排斥される。だから分かりやすく表した。効果はてきめん。さらに、やりたい放題できるおまけつきだ。かくて悪評は千里を走り、ダンジョンへの悪感情もさらに増加させた。それがどういう結果に繋がるかは、君たちの知る通りだ』

 

 俺としては、苦笑するしかない。これまでの苦労の半分は、それによってもたらされたと言っていい。もう半分は、運の悪さと言っておこう。

 

『しかし入川社長。君は別の方法で品格を示した。社会への貢献。企業としてあるべき姿だ。健全であり、発展性もある。しかしだからこそ、君たちは力を持たなくてはいけない……意外そうだね。まあ聞きなさい』

 

 ビールを煽って口を湿らせ、老紳士は続ける。

 

『現代社会において、暴力は否定される存在だ。これはダンジョンが身近になってしまった今も変わっていない。そうでなければやれ資格だのなんだの、言うはずもないからね。しかし一方で、はっきりと必要であるともされている。理由は言うまでもないね。ダンジョン、そしてその氾濫。危険はすぐそばにある』

 

 夏場のダンジョンブレイクを思い出す。あの時こそまさに、暴力が必要とされた状況だった。力が無ければ、あそこにいた老人たちは助からなかっただろう。

 

『ダンジョンカンパニーは、強くなくてはいけない。暴力には暴力。言葉は悪いが、必要悪だ。社会に認められるならば、そこに貢献できると示さなくてはいけない。パワーが必要だよ、今以上にね』

 

 ダンジョンからあふれ出る暴威。折れた電柱、割れたアスファルト、崩れたコンクリの壁。竜が吠え、獣が暴れ、魚が空を舞う。人の世を破壊する異常事態。

 それを壊すには、やはり力が必要だ。俺たちの手にはそれがある。しかし、足りていない。

 

『君たちは、大きな利益を稼ぎ出せるようになったと聞いた。本当に素晴らしい事だと思う。そこまで行けるダンジョン管理者は本当に一握りだ。……でも、足りていない。世間の要求、ライバルからの圧力に耐えられるだけの力がない。これからも独立してやっていくには、もっと大きくならなくてはいけない。……どこぞの傘下に入るなら、話は別だけどね?』

 

 それはできない。まず間違いなく、俺たちの会社は解体される。勝則たち魔法使いは上に吸い上げられる。多分俺もそう。そして誰とも知らないダンジョン管理者がここに派遣されてくる。

 待っているのは他と変わらない、利益の低いダンジョン管理作業。ハンターの為の企業という夢は消えてなくなる。俺たちは金を得るかもしれないが、悔いが残るだろう。

 

『本来であるならば、拡張など必要でなければするものではない。ほら、大当たりしたラーメン屋が、二号店三号店に手を出して失敗とかよく聞くだろう? チャレンジ精神は結構だが、安易に行動を起こすのは考え物だ。経営者としては、自分と従業員に給料払えるだけで立派なのにね。……なので君たちは慎重に、しっかりと計画を立てて事を進めなくてはいけない』

 

 無計画な拡張。企業内統制(ガバナンス)の失敗。コンプライアンスの無視。かくてミスは生まれ事故が起きる。かくて企業は滅びゆく。組織でいられないなら、仕事はできない。当たり前のことを、往々にして忘れてしまうのだ。

 

『世間というのは、厳しいものだ。弱いものを叩く。人の業なのかもしれないが、なんとも情けない。……しかし、彼らにも生活がある。数は多いからその分厄介ではあるが、振るえる力には限りがある。それに耐えられるようになった時……君たちは大企業と呼ばれるようになるだろう』

 

 ジョッキの中のビールを飲み干して、正吉さんはにっこりと笑った。

 

『以上! 酔っ払いのおっさんのたわ言でした! お代は、ビールもう一杯で!』

 

 この後、嫁さんに頭をしばかれていた。

 

「俺たちはもっと大きく強くならなくてはいけない。……日本社会という場で立って行くには、求められる能力を発揮し無理な要求を跳ねのけられる力を持たなくてはいけない。その話を思い出してな」

 

 ビールを飲む。最初の一口とは違い、冷たさが薄れて苦味が残る。

 

「……悩んでいるというよりは、悩みが尽きないというのが本音だな。いつまでたっても楽にならない」

 

 ダンジョン管理するか、逃亡するか。究極の二択からスタートしたこの生活。覚悟を決めて始めてみるが、未来は真っ暗闇。か細い利益を得て明日に繋ぎ、先の見えない道を歩いた。

 その結果、多くの幸運を得られて現在がある。金があり、生活も安定した。しかし、問題は続く。一つの山を片付けると、さらに大きなものが道を塞ぐ。

 他社からの人員引き抜き。それを防ぐためのマジックアイテム収集と会社の拡張。かつての暗闇こそ晴れているが、道は険しく上り坂。頂上は一体どこにあるのか。

 

「しかし先輩。これは我々がステップアップしている証拠ではないでしょうか」

 

 鬱々とした気分が俺を覆っていたが、そこに勝則の言葉が突き刺さった。

 

「ステップアップ……これがか? 違うだろう。それはもっとこう……キラキラした奴じゃないか? うまく言えないけど」

「それはいわゆる、意識が高い人間を自称する人々による刷り込みですね。能力を高める自分はそうでない人々よりも上にある。確かにそういう面もありますが、マウント意識が透けて見えています」

 

 すぐにイメージできた。いい所の大学出た連中とかに多い……というのは偏見か。

 

「実際を考えれば、当然のことです。環境が変われば、今まで対応しなくてもよかったものに直面する。平社員と役席では仕事も責任も異なる。我々は確かに、よりよい環境に昇っているのです。だからこそ新しい問題に直面している」

「大変ですけど、前よりはマシですよねー。セクハラ上司と、お局様に悩まされるのをただただ耐え続ける日々よりは」

「え。小百合っち、セクハラされてたの? ふつーに犯罪じゃない?」

「流さんそれ、未成年者うんぬん的なアレですよね? シビれさせますよ?」

「ベリーごめんなさい!」

 

 ワイワイと騒ぐ三人の前で思い返す。こうなる前の、社会人としての日々。上司の機嫌をうかがいながら、ノルマを達成させるべく奮闘する日々。朝から晩まで働いて、ギリギリに追い込まれて。

 いつか破綻する日が来ると分かっていても、そこから抜け出すことができない。破滅に向かって歩く毎日。道は続いていたが、両脇は崖。踏み外せば、真っ逆さま。

 今更になって思う。あの頃もまた、相当にひどかった。明確な命の危険こそなかったが、奇跡でも起きない限り使い潰される未来しかなかった。

 あのころと比べて、今はどうだ? 手の中にあるのは、缶ビール。段ボールでまとめ買いしている。できている。酒屋さんで買うのがコツだ。

 寝る時間も起きる時間も健康的。それどころか身体を鍛えるために運動すらしている。通勤時間などないに等しい。三食まともに食えている。しかもダンジョン食材だ。

 一緒に支え合える仲間がいる。未来に展望がある。……たしかに、昔とは大違いだ。

 

「そうか、そうだな。ステップアップしているのか、俺たちは」

「困難は多いですが、先がある。良いことではないですか」

「そーですそーです」

 

 御影兄妹の励ましに、凹んでいた気分が引き戻される。楽ではないが、前よりは間違いなく良くなっている。無駄ではないと理解できれば、次へと向かう気にもなってくる。

 

「あー、でも……いや、なんでもないっす」

 

 流が、言葉を濁した。分かりやすく、手で口元まで覆って見せている。何とも分かりやすい。即座に失言をぶちかまさなかった分だけ、いつもよりマシか。

 三人からの視線を浴びた流は、両手を振って誤魔化してくる。

 

「ええっとそのー……そうだ! 拡張! 拡張どーするんすか。アテ、あるんす?」

「それだよ。実は社屋を建てるつもりではあるんだが、肝心の人手が問題でな……」

 

 ビールを飲み干しても話は尽きない。つい、夜遅くまで時間をかけてしまった。大学時代に戻ったようで、楽しい時間ではあった。

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