【書籍発売】汝、現代ダンジョンに希望を持つべからず   作:鋼我77

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第64話 幕間 再スタート

 早朝、乙川(おとがわ)とわは眠りから目覚めた。朝の薄明かりが、古びたアパートの室内を照らし出している。相変わらず身体は重いが、日に日に良くなっている。今更それが何だというのだ、という自嘲の声が胸の中から響いてくる。うるさい、と振り払う気力はとっくの昔に失っていた。

 時計を見れば、目覚ましが鳴る10分前。寝床から起き出し、身支度を始める。これが出来るようになったのも昨日から。それまではどれだけアラームが鳴り響いても目を覚ますことができなかった。

 無様なスクラップめ、と罵る声が聞こえる。その通りだと肯定しかできない。かつての居場所、ハガクレ計画とやらでは第一位の性能を誇ったのも昔の話。ここにいるのは、ナンバー108と呼ばれた少女の残骸であると自分を認識していた。

 十年の潜伏生活は、過酷だった。優秀である彼女は、その気になればいくらでもよい立場を目指せた。それこそダンジョンカンパニーに滑り込めば、数か月で頭角を現せただろう。

 しかし優秀であるからこそ、それがどれだけ愚かな行為なのか理解できてしまう。一時的に良い環境にいられても、国に目を付けられればすべてお終い。そこから先は坂を転がり落ちるようなもの。何もかも失い、再び捕まるかはたまた始末されるか。

 そんな無様は晒せない。第一位のプライドが許さない。だからこそこの十年、一般人の中に紛れ込み続けた。無害な市民であり続けた。その結果がこの有様だ。

 人付き合いは最低限で、自分に興味を持たれないよう細心の注意を払い続けた。少しでも近づこうとする者がいれば、すぐに住む場所を変えてきた。いかなる困難も、たった一人で。おかげでいかなる困難があっても人に頼れず、無理を重ねた。その結果がこのざまだ。

 集合するという話が伝わってきた頃には身動きできず、参加の拒否すらできぬ有様。取り決めでお互いの居場所を伝えていたため、連絡がないことを不審に思った連中によって回収された。気が付いたらこの場にいたのだ。無様の極みだと、かつての己が激怒している。

 目覚まし時計が鳴りだす。即座に止める。これからどうするべきか。化粧の為に鏡を見ながらそうぼんやりと考える。ナンバー108は、一刻も早い離脱を求めている。こんな状態ありえない。他の連中に弱みを見せるなんて言語道断。序列一位を守れと。

 だが弱り切った乙川とわは、こう返す。そんなものはとっくに失った。現実を見ろ。お前は最下位だ。金がない。自分で働き口を探せない。体調は回復しきっていない。潜伏生活に耐えられない。衣食住どころか、この化粧品だって連中から恵んでもらったもの。

 

「どの口で序列一位なんてほざくのか」

 

 ぼそりと、力なくつぶやく。それと同時に、アパートのドアがノックされた。

 

「おはようございます、乙川さん。黄田です、起きていらっしゃいますか」

 

 ここ数日で聞きなれた、壮年の女性の声。声を張り上げようとしたが、やはりまだ喉に引っかかりを感じる。無理せず、ドアの前まで移動した。

 

「はい、起きています。おはようございます」

「お食事の準備が出来ていますが、食べられますか?」

「大丈夫です。すぐそちらに向かいます」

 

 ドアの向こうの気配が遠のいていくのを感じて、息を吐く。どうにも、居心地が悪い。他人に頼らず……信用できず生きてきた。そんな自分が他者に頼る生活をしている。それを意識すると、どうしてもプライドの残骸が騒ぎ立てる。

 

「いい加減、身の程を弁えろ」

 

 うんざりと自分に言い聞かせ、とりあえず鏡の前にもどった。化粧が途中だったのだ。数分でそれを済ませ、部屋を出る。外の空気は少しだけ涼やかさがある。やっと夏が終わろうとしているのを感じる。……油断しているとすぐ戻ってきたりもするが。

 二つほど隣の部屋のドアをノックする。すぐにそれが開かれた。

 

「おはよーございまっす。ささ、どーぞどーぞ」

「……おじゃまします」

 

 軽薄な青年、黄田流に招かれて部屋に入る。狭いアパートの中に、彼の家族が揃っていた。家長の健平と妻の陽子。そしてちゃぶ台と、四人分の朝食だ。

 この生活が始まって一週間以上が経過している。朝昼晩と食卓を共にしているが、いまだに慣れない。健平に挨拶をして、用意された席に座る。

 

「はい、それじゃあ、いただきます」

「「「いただきます」」」

 

 食事を始める。味噌汁を口に含む。美味い。身体に染み渡るようだ。とわの人生において、味噌汁を食べた経験は少ない。訓練所時代に出されることは稀だったし、潜伏生活では三度の食事すらおぼつかなかった。

 日本食への執着心も薄いと思っていたのだが、このわずかな期間ですっかりと味になじんでいた。というか、出されるすべての食事が美味しくて困る。これから先、粗食に戻ろうとしたら相当苦労するだろう。

 分かっているのに箸が止まらない。三度の食事が毎回楽しみになってしまっている。良くない状況であると残骸がわめくが、止める力は残っていなかった。

 あまりの食欲に、はしたない食べ方になりそうになる。プライドを総動員しながら、静かに進める。きゅうりの漬物がしょっぱくて目が覚める。

 気を紛らわせるため、同じ食卓につく三人を観察する。家族であるが、やはりそれぞれ違いがある。

 健平は歳に見合わず健啖だ。平然とおかわりを食べている。運動しているようだが、中年太りが解消されることはないだろう。

 逆に陽子は少食だ。それで体がもつのか、と思うがダンジョン食材が混じっているからおそらく大丈夫だ。……何かにつけて、こちらに多く食べさせようとしてくるのは親切心からだろうが、勘弁してほしい。

 そして一人息子の流。食べるのが早い。しっかり咀嚼しているか怪しく思うレベル。ぱっぱと食べてさっさと食卓から離れる。マイペースな男である。

 

「そういえば、向こうの状況はどうなんだ?」

「あっちはね……」

「流、口の中のものを食べ終わってから喋りなさい。お客様の前だよ」

 

 注意され、ばつが悪そうに咀嚼していたものを飲み込むと改めて答える。

 

「……順調だよ、今は地下二階に入ってる。今日もケイブチキンの間引きをする予定」

「早くないか? まだ三日目だったと思ったが」

「初日がねー……フジくんが魔法をブッパしてくれたから。あれで、地下一階がほぼほぼ全滅状態になった。あの日は掃除とマッピングしかしてねえ」

「やっぱりすごいのねえ、藤ヶ谷さん」

 

 気になる話題だった。情報共有で、現在の状況は一応把握している。この町の市役所が管理しているダンジョンを一つ、借り受けることに成功したと。負担が減るのだから、相手側としては喜んで提案を受けたことだろう。

 それよりも、話に出た名前の方が問題だ。200、今は小百合と名乗っているあれ曰く社内最高戦力であると聞いている。きわめて強力な魔法使いであり、近接戦闘能力も保有していると。そんな話を聞いてしまうと、どうしても過去の自分が騒ぎ出す。

 聞かれないように、小さくため息をついた。気持ちを切り替えるために、改めてこの三人について考える。ミナカタの社長から、彼女の世話を頼まれたこの一家。その背景はすでに他の者達から聞いている。

 何とも奇妙だった。社長である入川の判断も、彼らの現状も。少なくとも世間に潜伏していた期間で、彼らに類似する状態になったものを見たことがない。今も、まるで一般人のように過ごしている。通常であれば、もっと追い込まれて荒んでいてもおかしくないのに。

 

「ごちそーさまでしたっと」

 

 流が食事を終え、食器を片付けて席を立つ。歯磨きを含む身支度を進める速度も速い、というかせわしない。とわが食事を終える頃には、玄関で靴を引っかけていた。

 

「先に会社いってるよー」

「いってらっしゃい。気を付けてね」

 

 ドアが閉まった所で、ご馳走様と口に出す。ここに来るまで、こんな事すらしていなかった。

 

「……美味しかったです」

 

 余分な事だと思いつつも、そう付け加える。

 

「そうですか、よかったです。……ここには慣れましたか?」

「はい、おかげさまで」

 

 社交辞令として、そう返す。実際にはその逆だし、慣れたくないとすら思っている。それが我がままであることも自覚していたが。

 そうとは知らず、陽子は微笑む。

 

「なによりです。……皆さん大変だったとお伺いしています。ここで新しく始められるなら良いのですけど。私たちもそうでしたし、ねえ?」

「そうだな。社長には感謝してもしきれない」

 

 妻の言葉に、健平も深くうなづく。そのやり取りを見て、とわは思わず問い返してしまった。

 

「……皆さんはどうして、ここでやり直そうと思ったのですか」

 

 彼女は理解しかねていた。騙した相手の下で働く。逃げ出したダンジョンにかかわる。罪を犯したという事実が知られた場所に戻る。どれもデメリットばかりだ。なのになぜこの場に残っているのだろう。

 夫婦は顔を見合わせると、頷き合った。そして健平が口を開く。

 

「単純な話で、ここしか受け入れてもらえる場所がなかったからだね。……社長にダンジョンを押し付けて逃げ出した後は、みじめなものだったよ。やってしまった事が露見するのではないかと、あらゆる行動が怖くなった。仕事は出来ず、蓄えは減り、後悔が心身を苛んだ」

 

 彼の言葉には、共感できるところが多くあった。安住の地がないというのは、それだけで大きなストレスを生む。訓練で鍛えていたとわ達ですら厳しいものがあった。一般人のこの家族にそれを耐えろというのは無理な話だった。

 

「出頭して罪を償えと言われた時、どれほど救われたか。さらには家族の面倒まで見てくれるともおっしゃってくれた。……逃亡していた頃の辛さに比べれば、今なんて天国みたいなものさ」

「たしかに、私たちのしたことを非難される人は時折います。でもそれは言われて当然のこと。世間様に顔向けできないことをしでかしたのは間違いないのですから」

 

 二人の顔には、様々な感情が見て取れた。後悔、反省、安堵……厚顔無恥であれば、こんな表情は浮かべない。己の罪と、向き合っているからこその顔だった。

 

「反省する、やり直す。そういった事柄さえ、居場所がなければできない。そして日本は、悪いことをした人間に厳しい場所だ。だからこそ抑制にもなるのだけれど……。そんな訳なので、私たちがここにいるのは社長が受け入れてくれたからだね」

「ダンジョンやモンスターが怖い、という気持ちは変わりませんけど。今は皆さんもいてくれている。だからこそ、自分たちができる精一杯をさせていただいていますよ」

「……話してくださって、ありがとうございます」

 

 理解の出来る話を聞けた。自分に置き換えて、考えてみる。今の状況を、この場以外で得られるだろうか。NOだ。政府や企業に目を付けられて、それを跳ね返そうとする組織など今までなかった。自分たちの境遇を知って受け入れるような人間や組織は、見つけられなかった。

 正直言って社長である入川春夫は、彼女には推し量れない人物だった。凡人に見える。隙だらけだ。逃げ出さない理由は、この間聞いた。それでもなお、理解しがたい人間だ。

 ただ少なくとも、現状を放り出して保身に走らないだろうという予測はできる。彼の財産はすべてここにある。金銭も、人脈も。体一つでここまで立ち上げたと聞いている。捨てるには未練が大きいだろう。

 現状ここ以上を見つけられないのだから、リスクを飲んでメリットを取るべきではないか。そのような前向きな思考にやっと至る事が出来た。

 

「乙川さんもここで頑張れば、きっといいことがあると思いますよ」

「……そうですね」

 

 そうだ。序列一位は過去の話。それに縋って生きる日々は終わったのだ。ここから再スタート。もう一度上を目指す。それしか生きがいを知らないのだから。

 とわの瞳に、力が宿った。お茶を飲み干し、食器を片付けて頭を下げる。

 

「お邪魔しました」

「はい。お昼になったらまたお声掛けしますね」

 

 部屋を出る。今だ体調は芳しくないが、少しだけ活力というものを感じられる。まずは体操から始めよう。固まった体をほぐし、徐々に運動を始めていく。焦らず一歩ずつ。かつての性能を取り戻していく。

 

「あ、おはようございます」

「……おはようございます」

 

 そう思って庭に出ると、先客がいた。中肉中背、二十代半ばの青年。顔立ちは悪くないが、人を引き付けるほどでもない。芦名宏明という、ミナカタの社員。特記事項は、魔法:超能力の覚醒者であること。今も凶悪な見た目の鉄球を宙に浮かべ、自在に動かしている。

 一定の速度、同じコースをなぞっているからおそらくコントロールの訓練なのだろう。自然と、とわの目が鋭くなる。隙がある。身体も鍛えられているが仕上がっているとも言い難い。しかし特別な異能をもつ。

 最初の目標としては、ちょうど良いのでは?

 

「隣、失礼します」

「あ、はい。どうぞ……」

 

 ゆっくりと、柔軟体操を始める。宏明の訓練を眺め、いかにして攻略するべきか考えながら。過去の残骸は、もう何も言ってこなくなっていた。

 後日。

 

「なんだか最近、乙川さんから睨まれるんだけど」

「……自分たちから、強く言っておきます」

「あのアンポンタンは、目標定めると周り見えなくなるんですよね……」

 

 宏明から相談を受ける、御影兄妹の姿があった。

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