はちみつください
灼熱の孤島「溶岩島」。
海により陸からの道筋が絶たれた、本来であれば生命の寄り付く暇もないような険しい地である。しかしながら、多種多様なモンスターの集まる異例の地だ。
そんな地で、狂気に満ちる咆哮が轟いていた。
豪炎の鎧を纏った、鞭のようにしなやかな肉体を持ちし海竜種――炎戈竜”アグナコトル”。
狂竜ウイルスに侵され、元来の生命活動を許されることなく破壊の限りを尽くす運命を強いられる狂竜症を発症しており、その瞳からは生命の焔ではなく命の気配を感じぬ、荒々しいにも関わらず凍てついた気迫を放っていた。
アルメリアは、そんな獲物を目の前にしてもなお、冷静さを保った面立ちで自らの武器――「ミラアンセスブレイド」を構えた。
いずれの幻に似ている、純白の素材から形作られる大剣。どういうわけか、この刃はいかなる科学現象とも似つかない身体への得も言われぬ現象をもたらしてくる。なんといえばよいのか、アルメリアにも説明ができない。
”アグナコトル”は喉を枯らす勢いで増えた後、火炎の名残の残る嘴から火花を散らしながら、灼熱の熱線を解き放った。
アルメリアは最低限の回避行動で、避けるというよりは距離を詰めるように攻撃をいなしながら、攻撃を終えた直後の標的の頭部に渾身の一撃を叩き込んだ。
漏れ出る濁った血液がアルメリアの毛束を汚す。
そんなこともお構いなしに、彼女の剣は”アグナコトル”の顎を切り裂く。皮肉にも自慢の熱線によって柔らかくなった溶岩の鎧は、ミラアンセンスブレイドの刃を容易に通し、神経まで達する攻撃を受け付ける。
”アグナコトル”は本能的に彼女を恐れたのか、それともウイルスにより脳みそがいかれているのか、敵の目の前で大きくスキをさらすような行動をとる。
地中に潜り、柔らかくなった肉体を晒す。
アルメリアはそこにふたたび溜め斬りを叩き込んで、一度剣を納めた。
ポーチから球体状のアイテムを取り出し、一拍置いてから放り投げ、姿勢を低くしながら耳を塞ぐ。
空中ではじけ飛ぶ球体――音爆弾は、鳴き袋が爆ぜたときの劈くような轟音を響かせながら、儚いその役割を終えた。
衝撃により反射的に飛び出してきた”アグナコトル”。いくら狂気に侵されていようと、生物の遺伝子に刻まれた本能には抗えないようだ。
アルメリアは即座に駆け出し、奴の頭部を目掛けてミラアンセスブレイドを振り下ろす。
赤き落雷のような一撃は、炎戈竜の脳髄を断ち切る勢いで放たれる。漏れ出る血液、飛び散る鱗。
アルメリアが終始優勢の中、狩りは続いた。
そんな状況が続く最中、”アグナコトル”とは違う狂気に満ちた咆哮が轟いた。
黒い靄とともに降り立つは、いつしか見た赤い稲妻に似たエネルギーをその身に宿す牙竜――獄狼竜”ジンオウガ亜種”。
彼も同じく、狂竜症を発症した哀れな個体のようだ。
「きれい……」
アルメリアはふと、ぽつりとつぶやいた。
なぜだろうか。いつしか見た幻と、似たような煌めきを宿しているからだろうか。
◇
頭の真上から月光が降り注ぐようになってきたころ。
周りに光源がある影響か、時間の経過にあまり気が付かず思ったよりも夜が深くなっていたようだ。
彼女の傍らには、頭部という竜の弱点たる部位から大量の血を垂れ流して絶命した”アグナコトル”と”ジンオウガ亜種”の姿が見えた。
溶岩による熱のため、立ち込める血液の香りは人肌ほどの温もりを宿したものとなっており酷く気持ちの悪い感覚を覚えるものであった。
何か月かぶりの狩りの余韻に浸っていた。
感覚を忘れてしまったかと思っていたが、どうやら長い間続けていたことは安々体から抜けてはいかないようだ。
アルメリアは深く息を吐いて、少し頬につけられてしまった傷を癒すべく回復薬をちびちびとすすっていた。
回復薬。薬草とアオキノコによる薬品。細胞修復を高速化し、鎮痛作用も兼ねる。ハンターになって、ギルドのもとでお金のためだけに働いていたころは、それの仕組みなど深く考えることもなかったが、こうして実質あの人のために動くようになってからは、そんなことを考える余裕ができた。
そんな風に、本来人間がいるべきではない地で安らぎを得ていたときだった。
乾いた音が聞こえた。ヒトが手と手を勢いよく叩きつける音、すなわち拍手の音だ。
くる、と踵を返した。それは彼女の意志ではない。何か凄まじいものに突き動かされたような気がした。
「人間にしては上出来だ」
その人間――と信じたい存在は、黒く煌めく豪華な装束を身に纏った女性。
艶やかな紺色の髪を靡かせながら、この灼熱の中でも白い肌に汗一粒も滲ませていなかった。背丈はアルメリアを上回り、肉体もかなり女性らしい。
「誰?」
「名を尋ねているのなら、ノクスと名乗ろう」
「質問の答えになってない気がする」
黄金の瞳で、アルメリアの姿を冷酷に捉えている。
よく見てみれば、耳が三角形のように尖っており、アーキと同じ竜人族であるのだとわかる。
「クエストの依頼人?」
「依頼ではない。認められし者への新たなる試練といったほうがいい」
先ほどから、どうにも会話がかみ合わない気がする。
質問しようにも、余計に謎が深まる気がして、彼女は一刻も早くその場を離れたい思いでいっぱいだった。
「白き装束の女は、何処で何をしている」
「アーキのこと……?」
見知った特徴を提示されて、アルメリアの声音と目の色が変わる。
それは、決してアーキに手を出してほしくないという独占欲だけのものではない。
この女は、アーキを知っている。自分の知らないアーキのことをよく知っているかもしれない。そんな好奇心のようなものを感じたためであろうか。
「しかし、先の聖戦は穢れを取り除くためのもの。真なる試練とは程遠く、測るには早計である。ゆえに、これからも精進し、私を楽しませて見せろ」
その女性は踵を返して立ち去ろうとした。
突然目の前に現れておきながら、何も残さずに去っていくなど勝手すぎる。
「待って! 貴女に少し聞きたいことが――」
次に瞬きをしたころには、その黒い影などどこにもなく、ただ赤い景色が広がるのみであった。
空を見れば満点に広がっていた月夜が、いつの間にか暗雲に覆われていた。
そして、降り注いでいた熱を帯びる火山の灰が、見間違えでなければ、酷く凍てつく氷の結晶になっていた。アルメリアは嫌な悪寒を覚え、足早に帰還の準備を整えるのであった。
◇
タンジアの港で、あの人は待ってくれていた。
港名物のシー・タンジニャにて、鍋いっぱいに具材が入ったタンジア鍋を退屈そうに眺めていたようだが、アルメリアの姿を見た瞬間にこっ、と可愛らしい笑みを漏らした。
「おかえり。どう? これ。貴女の口には合うと思うけど」
「……ありがとう。お腹空いてたんだ」
ぐつぐつと煮え滾る鍋は、食欲を唆る匂いを熱々の熱気と共に醸し出している。この食べ物は、彼女にとってそんなに退屈でつまらないものだったのだろうか。まだ熱々だが口をつけた形跡はないし、ついさっき運ばれたというわけでもなさそうだ。
アルメリアは食欲に負け、大きな具材を用意された取皿に取って食べ始める。
そんな彼女を、アーキは不思議そうに眺めていた。
「……どうかした?」
「美味しい?」
質問を質問で返され、彼女以外ならムッとして反論するところであるが、アーキならば話は別だ。
「美味しいよ。出汁が効いてて、具材も大きいし」
「ふぅん。私とどっちが好き?」
ぷ、とアルメリアはつい吹き出してしまった。
あまりに子供じみた質問だったからだ。
「アーキに決まってるでしょ」
「そうよね」
アルメリアは即答する。
しかし、彼女は先程から一切表情を変えない。ほのかに笑みを浮かべたまま、赤い瞳でアルメリアをじっと凝視するばかりであるのだ。
食事を終えると、アーキは席を立った。
そして彼女の側に立ち、耳元で艷やかな唇を動かした。
「ご褒美あげる。宿に行こうか」
アルメリアの手を握り、彼女は夕暮れに染まる空の下を足早に駆けるのだった。
タンジアの港の宿は、有名な観光地ということもあってかかなり高額だ。先のクエストの報酬金がかなり吹き飛んだほどである。
ふかふかのベッドに、アルメリアは吸い込まれるように寝転がった。
良質なシルクの香りが、防具という楔から解き放たれた彼女を至福の癒やしへと導いた。
「疲れた?」
ひどい疲労に襲われていたアルメリアにとって、それは愚問であった。
「じゃあ、今日はゆっくり休もう。私と一緒に」
ほとんど吐息のような声音で、アーキはアルメリアの眠るベッドにゆっくりと入り込んでいき、その小さな肢体を彼女の傍らに忍ばせた。
もふ、という擬音がよく似合う。ふわふわと柔らかい彼女が、上質な白いドレスに包まれており、人形そのもののように感じられた。
アルメリアは彼女を、砕けてしまわないように優しく抱きしめた。ぎゅううと、そんなふうにしても文句一つ言わない彼女が、たまらなく愛おしくなる。
「いいにおい」
アルメリアの独り言に、アーキはいちいち返してくれる。
「やぁん、くすぐったぁい」
わざとらしくかわいい声を漏らすアーキに、アルメリアはかすかに宿っていた劣情を不要に煽られた。
「アルメリアの好きにしていいのよ? いまだけは、私は貴女の抱き枕」
アーキの匂い、温もり、柔らかさを独り占めできるのはアルメリアだけだろう。
仄かに甘い匂いと人肌の温もりが、本当にたまらない。アルメリアはすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだったが、アーキの問いかけに眠気が覚めた。
「ねぇ、あの子と会った?」
どき、として息を呑む。
「ふふ。そんなに怖がらないで。怒ってないから」
「……あ、会ったよ。黒い装束の、女の人」
「そう。元気そうだった?」
「た、たぶん」
アーキはふーん、と喉を鳴らしてから、それっきりその話題には触れなかった。
ノクスと名乗ったあの女性。アーキのことを知っているような口ぶりだった。あそこでもっと踏み込めていれば、アーキのことをもっと知ることができていたのだろうか。あのように神出鬼没なら、きっともう会うことは難しいだろう。
アーキの頬を撫でる。
左目を覆う赤いレース。その下には痛々しい傷が刻まれている。