インフィニット・ストラトス‐Across the Universe‐ 作:譲葉松風
ラウラから謎の「お前は私の嫁」宣言と共にキスされ呆然としたのち、昼休みまで彼女からのアプローチはなかったのは幸いだった。昼休みを告げるチャイムが鳴るとともに荷物を持って教室を飛び出し、安息の地を求めて走り出す。
女子であるラウラを撒くのに一番ふさわしいのは男子トイレだが、距離がありすぎる上に彼女に羞恥心があるとするならば公衆の面前で告白するなどあり得ない。あまり気乗りはしないが、ここは無様に逃げ回り整備室にでも逃げ込むとしよう。遮蔽物が多く身を隠しやすいうえに、簪がいる可能性が高い。匿ってもらうついでにデータの受け渡し諸々を済ませることができ、一石二鳥だ。いつものように捕まえようとしてくる雌豚どもをあしらって整備室へと駆けた。
「簪、いるか?」
誰も追って来ていないことを確認したうえで扉を閉め、簪が潜んでいそうな物陰へ声をかけると水色の頭が以前の様におずおずと姿を見せた。
「こ、こんにちは」
「そんなに警戒しなくても楯無も一夏も連れてきてないよ。しかし、昼休みもここにいるとは相当熱心だな」
あまりの警戒態勢に笑いが漏れ出る。その笑みを携えたまま、静かに歩み寄りながら辺りを見回す。簪の専用機の開発は芳しくないようだ。
「……少しでも早く完成させたいから」
「俺にもそういう経験があるから、気持ちは分からなくはないけどな。小さい頃、綾乃――姉みたいなやつだ。そいつに買って来てもらったプラモデルを、友達に自慢したくて早く組み立てたことがある。で、自慢して結局どんな気持ちになったと思う?」
「有頂天?」
「最初はね。でも真逆だ。プラモデルなんて組み立てるのが8割、棚に飾って愛でるのが2割みたいなもんだろ? なのに早足で作ったせいで目的の8割がどっかに消えて行った。ISの製作と必ずしも一致することではないが、要はあまり早く作ってもいいことはないってことだ」
「でも……私は時間をかけ過ぎたかな、って思うから」
「簪がそう思うなら急げばいい。自分の専用機だからな、他人の助言は無視して好きに作った方が良いに決まってる。それで不具合が出たなら、まぁそれも醍醐味なんじゃないか。ということで、遅くなったけどこれが俺の戦闘データ」
ポケットからデータをコピーした記録媒体を取り出して簪に手渡す。それで少し明るくなった簪は早速、近くの端末に差し込んでデータを読み出していた。
「参考になるのは対セシリア戦が主になると思う。二つ以上の目標への同時射撃の回数が目に見えて多いからな」
「うん……!凄いよ、これ……」
「参考になりそうなら何よりだ。……なんだこれ、アニメのDVD?」
おもむろにさっきまで簪が隠れていた物の近くに歩いていくと、無造作にDVDが置かれていた。手に取ってパッケージを確認してみると、どうやらヒーロー系のアニメらしい。
「えっ、う、うわぁ!」
内容を確認しようとしたところで飛び起きた簪にDVDを奪い取られる。
「簪のだったのか。凄い食いつき方だ」
「あ、ごめんなさい……」
「気にするな。元はと言えば勝手に見たこっちが悪い……んだけど、結局どんな内容だったのか確認できなかったから教えてくれ」
「アニメ、見るの?」
「見た事ない。だからこそ気になってる」
そういうと恥ずかしそうに目を背けながら、ストーリーを説明し始めた。要は正義のヒーローが悪人を成敗する、勧善懲悪もののヒーローアニメということだ。
「正義のヒーローなぁ。なんか俺とは正反対な気がする」
「っ!? そんなことない、この前かっこよかったもん!」
「面と向かってそういってくれるのはありがたいが大きな間違いだ。今度休みの日に病院行ってこい」
反射的に言ってしまったのか、自分の言ったことに気付き赤面する簪に正気に戻るよう辛辣に声をかける。楯無と同じように真意が探れないわけではないが、同じ家である以上はこちらの情報を何かしら握っている可能性も否定できない。即ち俺の過去を知っているかもしれない。だが、知らないとしたらカッコいいと思わせておく方がよかったのだろうか。なにしろこれまで、女子生徒からそう思われるように振舞ってきたのだから。
ここはこれ以上墓穴を掘らない様に話題を変えておくか。
「というか、この前ってことは俺の試合見てたんだな」
「……うん」
「それは見苦しいところを見せた」
「……うわさで聞いたんだけど、鳴海君のIS、修復不可能になったって」
どこから漏れたのか分からないが、整備に精通している簪の助言くらいは受け取れるかもしれない。教えてもいいだろう。
「……あぁ。コア内部を修復した部分に負荷がかかりすぎて再起不能だってさ。この機会だから一応聞いておくけど、簪はコア内部の修理はできるか?」
「……本当に悪いんだけど、私には出来ない。たぶん世界中の――」
言いかけて黙る。だがその続きは聞かなくてもわかる。
世界中の誰にも修復できない。
きっと綾乃ですら無理だ。一度目が修復できたのはウィルスが入り込んだ場所が演算処理区画のみだと分かっていたのと、偶然という奇跡の賜物だ。奇跡に二度目はない。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
踵を返して整備室から出る。
「……あの! 本当に、お気の毒だと思う……」
フォローするようにかけられた声に返事する気にもなれず、止まることなく歩き続けた。教室に戻る気にもならず、当てもなくフラフラと歩いているとどこか聞きなれた声に気付く。
「――なの」
「分かってます、汐澄さん」
この声は楯無と……綾乃?
綾乃が来ていた事にも驚きだが、この二人に繋がりがあったことも驚きだ。双方に面識はあるが、耳を欹てて二人でいったい何を話しているのか聞いておくことにする。
「ありがとう、楯無さん。紫苑をよろしくね。あんなでも、私のたった一人の弟だから」
「大丈夫ですよ。まだ警戒はされちゃってますけどね」
そう言って二人の話は終わりそうになる。この会話だけで判断するなら、俺の面倒を頼むとルームメイトに言っているだけのようだが……。
とりあえず顔は見せておくか。
「二人とも、こんなところで何してるんだ?」
「紫苑!?授業はどうしたの」
「出る気にならなくて」
「ダメだよ。学園最強のルームメイトがサボりなんて、よくないよ。うん、よくない」
驚いたような声を上げる綾乃といつも通りおどけた調子で話す楯無。
「じゃあ出るから、何してたのか教えてくれよ」
「楯無さんに紫苑の面倒を見てほしいって頼んだだけよ」
「そうそう、紫苑君がやんちゃだって言われてね。だからお姉さんがきっちり面倒を見てあげるわ。あ、あとね私、今から出かけなきゃならないから今日は一人で寝てね。一人で寝られる?」
「馬鹿にしてんのか。というか俺はお前の息子か」
吐き捨てるように言ってその場所から離れる。あと数分で授業が始まり、それに間に合わなければ口煩く叱られたうえで反省文でも書かされることだろう。自分の意志でサボって罰を受けるなら仕方が無い事だが、出席すると決めているのにかかわらず遅刻して罰を受けるのは気分が悪い。何より嘘をつきたくない。
廊下は走るなという風化した暗黙の了解を無視して俺は廊下を駆ける。だがその途中で気づいた。
「……遅刻って出席に入るんじゃね?」
綾乃と楯無には嘘をつかない形で、かつ必死で走って間に合わないという最悪の形を回避できる。その事に気付いた途端、俺は走るのを止めゆっくりと昼下がりの廊下を闊歩した。
楯無はルームメイトである俺にいくつかルールを提示してきたが、それを作った彼女本人がいないのであればそれを守る必要もない。夜の帳が下りた事もあって、久方ぶりに訪れた安息の空間の中ベッドでまどろんでいた。
結果から言って授業には遅刻し、懲罰を受けることになった。「遅刻は出席だ!」と猛々しく反論するも、脳まで筋肉でできている最強の女性教師を前に詭弁は通じず。手伝いたいと言い出したセシリアやラウラを追い返し、放課後は遅くまで一人寂しく懲罰を受ける身となった。授業内容を反復書き取りという内容だが、何度も読み直して理解している事柄を更に何度も書き写すのは確かに懲罰に相応しい。途中からひらがなも漢字もヒエログリフのような象形文字に見えてきた。
足が棒のようになったという表現はよく聞くが、引用させてもらおう。腕が棒になった。睡眠はあまり取らなくても大丈夫なようには訓練された。10分か15分ほど仮眠を取れば再び戦場を駆けるくらいの事は日常茶飯事だったが、腕が棒になった今となっては動くことすら億劫だ。
だから目だけを閉じ、窓の外にさざめく木々や虫の羽音を聞いてまどろんでいた。
故に気付く。
気配を殺して部屋に侵入してきた奴の存在に。
足音を殺してゆっくりと近づいてくる。楯無という線もあるが、このためだけに態々嘘をつくとも思えない。ならそれなりに悪意を持った人間だと断定して対応させてもらおう。
獲物を捕らえるその瞬間まで無防備な姿をさらす食虫植物の様に、或いは巻貝を触手で捕獲して養分を吸い取り尽くす瞬間までは流氷の天使とも言われるクリオネの様にただじっと動かずに待ち続ける。
じりじりと近づいてくる相手は成程それなりの手練れだろう。足音は辺りに騒音が撒き散らされていれば判別できないほど掠れた音だ。
そしてベッドから約2m離れた地点、俺のリーチが届き尚且つ相手が反応できない範囲内に足を踏み入れたその瞬間を狙う。ベッドから転げ落ちるように出て、這うような体制のまま侵入者の足を払い、腕を捻りあげて捕縛する。得物代わりにスタンドライト近くのボールペンを掴んで侵入者の頸動脈に突きつけ、問いかけた。
「何の用――」
「……ご、強引だな」
俺の言葉を遮るように侵入者が、聞き覚えのあるような声で言う。警戒を緩めず、闇に目を慣らして侵入者の顔を凝視する。
「何やってんだ、ラウラ」
「ま、まぁ、私もやぶさかではないが……」
突っ込む気も失せるが、脳内でくらいは突っ込むとしよう。
この馬鹿は、全裸でいったい何をやってる。
「昼間は暑くても夜は冷える。クールビズにしても服くらいは着ろ」
捻りあげた腕を離してやり、対して自由になったラウラはベッドにちょこんと座って小首をかしげた。
「夫婦とは、互いに包み隠さぬものだと聞いたぞ」
「夫婦だと?」
「お前は私の嫁だ」
そういえば言っていたな。俺がラウラの嫁だのどうのと。
「婚約も結婚も、した覚えがないが」
「してなくてもいい。日本では気に入った相手を“俺の嫁”等と呼ぶと言うそうだが」
日本の事情はある程度把握していたつもりだが、いつの間にそんな風潮が出来上がったのだろう。
あれか、アンダーグラウンドな界隈で流行ってる言葉を信じきっているとかそんなもんか。
「第一に夫婦が包み隠さないのは物事であって物理的な意味じゃない。夫婦が全員すべて包み隠さず全裸になっていたら、世界中がヌーディストビーチだ」
「問題は――」
「第二に、嫁は女性を指す言葉だ。いくらISのせいでパワーバランスが狂ったと言っても、嫁や婿の意味まで逆転することはない。嫁という文字には女という文字が入っているだろ」
「問題はな――」
「後二つ言わせてもらうぞ。まず、俺はお前の嫁じゃない。次に、俺はお前の嫁じゃない」
「問題はない。私が呼びたいからそう呼んでいる」
いくら生まれ育った環境が特殊だと言ってもこの頑固さと、俺への執着は異常だな。説得するにもそれ相応の時間が必要になる。そして今の俺はその時間が惜しい。
「……私は、同じベッドで寝たいのだ。ダメか?」
「アホか」
一瞥もくれずにあしらうと、ラウラはあからさまに俯いて悲しみを背負った。しかし悲しみを背負っただけだ。
直視するのも躊躇われるほどに不幸なオーラを発散しているその小さな体は、それでもベッドから降りる様子はない。
「同じ部屋で寝るくらいならいいよ。ルームメイトは今日帰ってこないから、俺がそいつのベッドを使う。だからそれはお前が使え」
楯無にあとでからかわれそうだなぁと思いつつも、この場を凌ぐ譲歩の策として提示する。楯無のベッドに寝転がり枕に顔を埋めると彼女の匂いが鼻腔をくすぐり、何処か背徳的な気分になった。目を閉じると楯無の顔が浮かび、扇子で口を隠しながら何かを言ってくるが無視する。
が、違和感を感じて目を開けるとラウラがベッドに入り込もうとしていた。
「あっ……」
「国に帰れ」
辛辣にそういうと再び悲しみを背負って帰っていく。その姿を確認して再び目を閉じた数分後。
「こちとら年上の女のベッドで何とも言えない気持ちになりながらも必死で寝付こうとしてるんだけど、何故その努力を無碍にするように妨害してくるの」
「……」
埒が明かない。
「分かった。同じベッドで寝てもいいから、俺に安眠の時間をくれ」
さっきまでの悲しみはどこへやら、満面の笑みになったラウラがいる自分のベッドへ歩いて行く。今度こそ寝つけるなと思いつつ、いつもより半分ほど開けてベッドに寝転がった。俺の隣に寝転び、少し経ったのちに腕にしがみ付いてきた元冷酷非情な代表候補生の姿を見て思う。
一緒に寝たいと言う願望は男女のそれとは違い、むしろ一般的な親子のそれに近かったのか、と。
そうだとするならばこの無防備な姿にも頷ける。育った環境のせいで、仕方が無い事だとわかる。静かに寝息を立て始めたラウラの頭を撫でてみると、なんとなく娘ができた気分になったが良く考えると彼女は同い年だった。
とにかくその姿にこちらも安心し、再び微睡へと落ちていく。
自己覚醒実験という実験がある。あらかじめ決められた時間に意図的に起きる事が出来るかという実験だ。この実験によるとプラスマイナス40分以内に起きられたケースが86%、プラスマイナス10分以内でも36%だと言う。つまり人間は体内に非常に正確な体内時計持っていることになる。俺は士官学校に入るより以前、正確に自己覚醒ができるよう訓練をさせられたことがあった。おかげで毎朝、同じ時間に目覚める事が出来る。
そして今日も例外なく、いつもと変わりない時間に覚醒した。掛布団をゆっくりと剥ぎ、隣で未だ寝て居るラウラを起さないようにベッドを出ようとしたその時、部屋のドアが静かに開いた。
僅かに警戒するが、すぐに緩める。部屋に入ってきたのは楯無だった。
「――おはよ~う、ってあれ。ゆうべはおたのしみでしたね?」
「全裸のクラスメイトが同じベッドで寝ていたからと言って、いや俺が見たら間違いなくそう思うだろうけど、お楽しみというのはあまりにも早計だ」
「……無作法なやつだな。夫婦の寝室に」
楯無の茶化しに必死で弁解すると、目を擦りながらラウラが起き上がる。
「起こしちゃったかな。でもごめんね、私は今から紫苑君と話があるの」
「嫁に説教をするのなら、私がいても構わないだろう」
「ラウラちゃんごめん、大事な話だから。早く部屋から出てもらえるかな?」
いつになく真剣な目でそう訴える楯無の姿を見て、今から話すことの重大さを察した俺はラウラに適当に服を渡して言う。
「すまないが、この埋め合わせは必ずするから、一度部屋に戻れ」
「……嫁がそういうのなら仕方ないな」
口では尊大な言い方をするも、明らかに寂しそうな目をしながら服を着て部屋を出るラウラを見送る。そして鍵を掛けてから、軽く息を吸って楯無の元へ振り返る。
「鍵は閉めましたよ。何か重要な話なら盗聴器を持ってないか調べますか?」
「大丈夫よ。取り敢えず、こっちに来て座ってもらえるかな?」
言われるがままに楯無と向かい合うような形でベッドに腰掛ける。いつもならどちらともなく茶化しあうような間柄だが、今がその時でないことくらいは俺でも理解できる。両手の指を絡ませて力を込め、楯無が話し出すその瞬間を目を見つめて、ただじっと待つ。互いに見つめ合う状況がしばし続き、やがて根負けしたわけではないだろうが楯無がゆっくりと口を開いた。
「……単刀直入に聞くわね。雪峰葉月、この名前に聞き覚えはあるかしら?」
楯無の口から葉月の名が出たのは驚いたが、その感情を表に出すわけにはいかない。今俺がするべきなのは楯無が一体何の目的があって、その名前を出したのか探ることだ。彼女の口から名前が出た以上、嘘を言っても仕方ない。そして見つめ合っているこの状況下で目を逸らすのは、心理学上で「嘘」を意味する。真実を告げるが余計な疑いを駆けられない様、視線を逸らさずに言う。
「聞き覚えがある、以前に葉月は俺の恋人だ」
「……そう」
ゆっくりと明瞭に答えるも、楯無の反応は芳しいものでは無かった。それが余計に俺の警戒心を逆撫でする。楯無は目を閉じ、短く深呼吸をした。
「彼女、雪峰葉月さんね――」
楯無が話し始めると同時に、脳内でこれ以上は聞くなと警鐘が鳴らされる。
心臓が早鐘を打って、視界がスローモーションで流れ始める。
戦場で養われた警戒心がむき出しになって、その場を去れと警告する。
だが無情にも、楯無はその続きを口にした。
「――2年前に亡くなってるわよ」
『まつろわぬ少女』:言うことを聞かない少女。纏わないし、まつろわない。