インフィニット・ストラトス‐Across the Universe‐ 作:譲葉松風
目を覚ましたのは、波打ち際に迫る潮騒の音が聞こえたときだった。
それぞれ身長の違う二人に肩を貸される形で砂浜を引き摺られている。一人はラウラ、もう一人はセシリア。砂浜についた時点でISを解除したのか、生身で運んでいるようだった。
「っ……ごほっ……!」
「っ! 紫苑さん!」
二人にもう一人で歩けると伝えようとして、咳き込んだ。泡交じりの血が、口から漏れ出る。それを見たセシリアが心配するように顔を覗き込む。
「大丈夫だ……ありがとう。ラウラも……」
「痩せ我慢なのは、聞かなくても分かる」
小柄な少女は、それに見合わない程力強い言葉でそういった。事実として内臓の損傷は確かだろうから、自分の足で歩きはするが依然として肩は借りたままという形で、お言葉に甘えさせてもらうことにする。
「紫苑君っ!」
俺を呼ぶ声を聞いて、辺りを見渡す。傷だらけの姿に何事だろうと集まる野次馬の中、旅館の入り口から一人駆け寄ってくる姿を見つけた。
その姿を見て、ラウラとセシリアに「ありがとう」と言い、一人で歩き始める。
他の女に手を貸されている状態で彼女に近づくのは、なんとなくバツが悪かった。
ぎこちない足取りで、セシリアが何度も手を貸そうと近づいてきたが、手で制して歩き続ける。
一歩か、あるいは二歩しか進んでいないかもしれない。だが気づけば楯無は目の前にいた。
「……お務めご苦労さま、だね」
真っ赤な瞳で見上げながら言う年上の彼女に、跪いて思いっきり抱きしめた。
――言葉だけで全てを伝えられる気がしなかったから。
案の定、視線を彷徨わせアタフタしているのは、抱きしめ返さず行く宛を失ったその両手からも、忙しなく耳元で動き回る髪からも分かった。
突然公衆の面前で抱き締められれば、そんな反応になることは予測できていた。
野次や口笛も、まぁ予想できていた。
それでも迷わず抱き締めたのは、そんなことに構っていられるほど、俺の心の余裕がなかったからだ。
「……真面目に、死ぬかと思った」
本心だった。
数年前から戦いの中にあって、いつでも死がすぐ傍にあったにも関わらず、そうでない場所に数ヶ月放り込まれただけで、人間というものはこうも弱くなるのかと思い知らされた。
こうも死という物が怖く感じるのか、と。
楯無以外の誰にも聞こえないよう耳元で言うと、彼女は優しく抱き締め返してくれた。記憶を取り戻した日にも思ったが、楯無には母性と言うか包容力のようなものがあるような気がする。
なんかもう甘えたい気持ちになって、楯無の頭を掴んで唇を近づけた。野次馬の声が更にヒートアップする。知り合いも見ていることなど、忘れかけていた。
「っ! た、たぁっ!」
あまり力は入れられていないはずなのに謎の技術でするりと抜けられ、どこから取り出したのか分からないが、扇子で頭をバンバンと叩かれる。
「……俺、怪我人」
「生意気だぞ……?」
「作戦完了――といいたいところだが、お前たちは重大な違反を犯した。学園に帰ったら反省文と懲罰用トレーニングを用意してやるから、そのつもりでいろ」
「……はい」
楯無に肩を貸される形で引き続き旅館の中に戻り、無事に帰還したと思った俺だったが、結構な速さでそれが間違いだったことを知らされる。
ここに至るまでの流れだが。
大広間についた途端、血塗れの俺の姿を見た山田先生が慌ててベッドを用意し、織斑先生が神速で医療用ナノマシンを喉に突っ込む。
咽こんだ俺に水を差し出したのは、綾乃だった。
感動の再開Part.2も束の間、ベッドに寝かされたと同時に一夏たち他の命令違反組も全員正座させられた。功績に対して扱いが酷すぎる。
その状態で30分――ナノマシンの効力で痛み止めが効いている上、ベッドに寝ている俺は兎も角として――説教をくらい、慣れない正座の影響かセシリアの顔に血液が巡らなくなり、今や美しいエメラルドグリーンの顔色だった。
更にその状況を混沌とさせているのが、ベッドの傍らで何故か正座している楯無の存在だ。お前は正座する理由ないだろ――あぁ、楽しんでるわこいつ。
「あ、あの織斑先生……怪我人もいることですし、そのへんで……」
「ふん……」
山田先生の制御が利き、なんとか矛を収める織斑先生。山田先生の名誉のために言っておくが、彼女はこの30分間救急道具や診察道具など持ってきていたので、今の今まで織斑先生を抑えようにも抑えられなかったのだ。
「じゃ、じゃあ一度休憩してから診察しましょうか。ちゃんと服を脱いで全身見せてくださいね。織斑君と鳴海君は私が、女子生徒たちは汐澄さんにお願いしますね」
「汐澄さん……?」
説教の最中は一度も向けられなかった視線が、一斉に綾乃へ向けられる。いいたい事は分かる。「いったい誰だろう?」楯無と俺を除いた全員が、そう思っているだろう。
「……俺の、姉貴だよ」
上司と答えようとして、正体をばらす訳には行かないことを思い出し、思わずばらしてもいいほうの真実を伝えてしまった。
「そう、紫苑の姉です。苗字が違うのは気にしないでね」
「親父が――うん、絶倫で」
「……………」
自己紹介をする綾乃に補足するように何かを言おうとするが、どうも頭が回らない。結果として意味のわからない事を言ってしまった。
おい、女子共。俺の股間の辺りを見るな。適当な嘘に惑わされるな。
「…………お父さん似なんだ」
「っ!? な、なななな……」
顔を真っ赤にして目を背けながら爆弾を投下する楯無。その言葉に見事に乗せられ、楯無よりも更に真っ赤になる女子たち。
見せた覚えは無い。寝ている間に見られていたとしても、事情を知った上でそんな事を言ってのけるあたり、こいつは生粋のトリックスターだった。
「じゃあ、そろそろ学園に戻らなきゃいけないから」
「早いな……。もう少し居られないのか?」
「甘えん坊だなぁ」
「うるせえ、聞くのは礼儀だ。甘えたくて会いに来たのはそっちのほうだろ」
旅館の一室に敷かれた布団に寝転ぶこと数時間後、楯無が唐突に立ち上がり身支度を整え始めた。
数時間の休息でもナノマシンが十分に効いたのか、もう体の痛みは殆ど無いし、多少の運動くらいならば出来るほどには動ける。
「生徒会はやることが多いんだよー。帰って仕事が山積みなんだから」
「へぇ。仕事に追われるって言うのも面白そうだな」
「他人事だからって……。なんなら入ってみればいいのに」
「考えておくよ」
受け流すようには言ったが、面白そうだと思ったのは事実だ。経験の無いものほど面白いものは無い。
旅館の入り口まで見送ると「じゃあね」と言って、楯無は学園に向かって行った。
その姿が見えなくなるまで見送ってから、ふと空腹感を覚える。
そういえば大広間で食事って言ってたな。
言葉を記憶の片隅から掘り出し、踵を返して大広間に向かう。生徒の殆どは大広間にいるようで、旅館の従業員以外とすれ違うことは無かった。既に賑やかな声が漏れ出ている部屋の襖を開けると、頭を抱えたくなる光景が目に入る。
「し、紫苑さんの幼い頃の写真……ゴクリ」
「なんだったら全データあげるわ。イギリス軍の兵器受注を回してもらえるんだったら」
「本国に帰り次第、軍上層部に要求しますわ! ですから是非――」
御前を前に正座して食事をする綾乃。その横から、なにやら恍惚とした表情で縋るセシリア。
……なんつー話してんだこいつら。生唾飲み込むな、少年時代の写真売りつけるな、軍の商談をそんな物で進めるな。
綾乃だろうとプライベートを流出させるのは許さない。暴力も辞さんぞ。
大広間に入ったことで集まる視線を無視して腕まくりをする。ズカズカと二人に近づく中で、セシリアとは反対側から綾乃に話しかける影があった。
「嫁は――失礼。紫苑は幼い頃、どんな子だったのですか?」
「生意気、というかツンデレ? 今と殆ど変わらないかな。照れ隠しに暴言吐くところも何も変わってない」
「て、照れ隠し……。なるほど、いつものアレは照れ隠しだったのか……」
綾乃の着物の袖をちょいちょいと引っ張りながら聞くラウラ。
お前もお前で俺の少年時代に興味を持つな。夏が過ぎ風あざみな、青空に残された私の心は夏模様だこの野郎。
これ以上俺の弱みをばら撒かせるわけには行かない。食事は諦めて、旅館の外に連れ出してやる。
「……綾乃、ちょっとついて来い」
「あら、噂をすれば本人だわ。こんな美人に好意を抱かれるなんて、貴方は幸せ者ね」
「こ、好意!? ……ということは、接吻!?」
「よ、嫁だからな。好意を持つのは当然だ」
……葉月助けて。
嫌だよ。巻き込まないでよ。
後生だから。
自分のことでしょ。
……分かったよ。
「酔ってんのかお前ら。未成年飲酒か。監督責任として、この人連れて行くからな」
「あっ、ちょっと。徳利が割れちゃうってば」
「うるせえ。俺の心が割れそうだ」
綾乃の腕を掴み、強引に旅館の外へと連れ出す。アルビノで紫外線に弱かろうが、夜の今では影響はほぼ無い。
砂浜を越え、岬を上り、海を見下ろせる絶景まで辿り着いて、手を離す。
「これだけ涼しい場所で涼めば酔いも醒めるだろ。その後で悪ふざけの真意を問いただしてやる」
「酔いも何も、元々飲んでたのは甘酒だから。全く以って酔ってないんだなぁ、これが」
「腹立つこいつ」
セシリアとラウラだけでなく俺までからかわれていた、ということだ。弟は姉に弄られ倒されるという風潮は消えてなくなればいい……。
そんな心境など知らないかのように、海の彼方では真っ黒な空に月が小さく光り、真珠のように映えていた。
夕暮れだけでなく月明かりまで綺麗なのだから、景色を楽しむだけでも十分な一等地だ。
「月が綺麗だね」
「唐突に愛の告白するのやめてくれない」
「本心よ。わざわざ遠回しに愛の告白なんて、私がする訳ないでしょ」
「夏目漱石に言ってくれ。『I love you』をそう訳せと教えたのはあいつだ」
「だからと言って『月が綺麗ですね』を『I love you』と訳せとは言わないよ」
岬の柵に腕を乗せて体重を預け、溜め息をつく。
……姉ちゃんには勝てないな。
「……こんなところにいたんだ」
――その声が聞こえたのは突然だった。
音も無く、気配すら感じられない。反応できたのは、その声が聞こえて数秒経ってからのことだった。
ISの部分展開を応用し、拡張領域からハンドガンだけを取り出して、声の聞こえた方向に向ける。左手で綾乃を、俺の背に隠すように押し込んだ。
「そこで動かずに、名前を言え」
「まさか、不完全とはいえ模造品を作れるようなのが出てくるとは思って無かったよ」
声の主は問いに答えようともせず、自分の言いたいことだけを話しながら近づいてくる。
ウサミミのついたカチューシャ、胸元の開いたエプロンドレスを着た女だった。
豊満なバストを強調した奇抜なその外見から得られる印象とは裏腹に、目元には隈ができていて眠たげだ。
銃を向けられても尚、止まらない足取りの数歩先へ向けて、ハンドガンの引き金を引く。サプレッサーで消音効果があるとは言え、静寂のこの中では威嚇として十分な音が響き渡った。
「警告はしたからな。次は当てるぞ」
「……撃ってみればいいよ」
挑発に乗って、頭目掛けた銃弾を放つ。――頭を傾けて、躱される。
自分から言った以上、一射目は躱されると、何故だか確信があった。
だから続く二射目は、脚を狙う。運動能力の要さえ奪えればいいと。――それすらも、分かりきっていたかのように躱される。そいつは信じられない速度で走り寄ってきた。
三射目、首に狙いを定めた。――引き金を引く前に、その女が下から掌底でハンドガンを弾く。
あさっての方向へ放たれた銃弾と、呆然とする俺を無視して女は話を続ける。
「私には及ばないけど、君も天才ってやつなのかな」
「……篠ノ之束さん、で合ってるかしら」
「そうだよ」
「まさか褒められるとは思ってなかったわ。模造品を作られて、多少は怒るかなぁとは思ったけれど」
「うん、怒ってるよ。だから、どこの馬の骨が作ったのか、この目で見に来たんだよ。ついでだから、いっくん以外でISに乗れちゃった例外も見に来たんだけど……」
篠ノ之束は、チラリと俺のほうを見ただけで、またすぐに綾乃との話に戻る。
「まぁ大体分かったかな。脳と体の半分近くが女だから起動できた。そんな存在からして例外だから、この場で消しておくのも悪くないかなって思ってたんだけど」
「貴方も妹がいる身なら、弟をそんなに言われて、姉が黙ってると思ってないわよね?」
「話は最後まで聞きなよ。学園にゴーレムを送り込んだこと、銀の福音が暴走した原因。それを突き止めたのは君の弟。例外にそこまで突き止められたら、もっと遊びたくなってきたんだよ」
黙って聞いていれば、この女は勝手なことを……。
ハンドガンを投げ捨て拡張領域からナイフを呼び出して構えるが、綾乃がその腕を抑えて話を続ける。
「束さん、貴方と話すときがあったら言いたいことがたくさんあったんだけど……。許可もなしにコピーを取った事だし、今のところは黙っておくわ」
「コピー……というよりは同じような性能を持った別物だよね。他の奴等に売り渡すようなことも、そもそもそれ以上の複製も出来ないし」
「私は私が満足できればそれでいい。弟が――紫苑が必要としていたから、作っただけ。商売にする気なんて、端からないわ」
「うんうん。やっぱり、なんとなく君は私と同類だと思ってたんだよ」
「こっちからすれば、一緒にしないで欲しいの一言に尽きるけれど」
篠ノ之束は綾乃の答えに満足したかのように、眠たげな表情のまま少しだけ笑った。
「じゃあね、あーちゃん。あと……君も、今度は少しくらいなら相手してあげるよ」
蚊帳の外に置かれ続けた俺を見て、彼女は挑発するように言うと、闇の中へと消えていった。
頭脳で負けていることは分かっていた。
まさか身体能力ですら劣るとは、正直夢にも思っていなかった。合間見える機会があるなら、殺すつもりでいたのに……。
「やっぱり、まだまだか……。少し訓練したくらいで、世界で渡り合えるくらい強くなれるはずがない」
昨日の福音との戦いでもそうだ。最新鋭機を駆って、葉月と言う優秀なサポートがいるにも関わらず、負けた。
福音が強すぎたわけじゃない。軍用ISだからといって、グリム・ロートケープが敵わない訳がない。
単純に、俺の力が弱かっただけだ。
「じゃあ、また強くならなきゃね」
「ああ、そうだね」
再び柵に体重を預けて、海を眺める。
空でも美しいものだったが、水面に揺れる月は神々しかった。
夜が明けて、次の日。
本来ISの実習を目的とした合宿だったが、途中で半分抜け出した俺は特にしたこともなく――軍用ISとの実戦、篠ノ之束との邂逅は抜きにして――朝食を終えた後、すぐにISの撤収作業に入った。
10時を過ぎた頃に作業は終わり、行きと同じようにクラス別のバスに乗り込む。
綾乃は紫外線を避けて、夜のうちに帰った。本社ビルのワンフロアを自分の部屋にしている彼女は、部屋でも仕事をしている社畜の鑑だったりする。好きなことだから集中できるというのもあるのだろうが……。
「あ~……」
突然前の座席から聞こえてきた亡者の声。声のトーンからして一夏のものだが、何故死にかけているのだろう。
隣の席に座るラウラに聞いてみたところ、朝まで痴話喧嘩をしていて疲れ果てたうえに睡眠時間が短いらしい。その後の重労働で死にかけたのだろうが、同情の余地はなかった。
「すまん……誰か、飲み物持ってないか……?」
掠れた声で水分を欲する一夏。
唾でも飲み込めと辛辣なラウラや、あるけど渡さないツンデレなシャルル。知りませんわとツーンとしちゃうセシリアに、何故かチョップをかます箒と反応は様々だった。
「……外で買ってくるから、バス発車しないように止めとけ」
流石の俺もこれには同情した。一応怪我人なのに当たられ方が酷すぎて、女尊男卑の根深さを実感しつつ、一言そういってバスを降りる。陽の光で目に痛みを感じて、懐からサングラスを出した。
まだ出発の時間ではないはずだし、織斑先生も外にいるのが見えた。弟のことだから事情を伝えれば、多少の我侭くらいは出席簿アタックで許されるだろう。
「あら、君は織斑くん? それとも鳴海くん?」
織斑先生に話しかけようと近づいたとき、見知らぬブロンドに声をかけられた。
「……人に声を名前を聞くときは自分から名乗れって、ブロンドでも知ってるんだろ」
「口悪っ。じゃあ君が鳴海紫苑くんだ」
時間を取られるのが嫌で冷たくあしらうが、それで名前を見破られてしまった。
金髪で年上、学生服ではなくカジュアルなスーツを着こなしているその姿と、俺の情報を知っているという特徴から正体を探る。その顔立ちは、福音の情報を見ているときに見覚えがあった。
「初対面の人間に口悪いって言うのも十分口が悪いよ、ナターシャ・ファイルス」
「さすが、噂に違わぬ洞察力ね――」
褒められて困惑する俺に、ナターシャは近づいてくる。目を閉じて、唇を突き出したそのポーズで何をされるかを察し、指を彼女の額に当て阻止した。
「礼のつもりだと思うけど、気持ちだけでいいよ。たぶんバスの中にいる一夏は、ほっぺにキスで大喜びするんじゃない」
「うぅん……納得いかないけど――ありがとう、またね」
「今度は戦場以外で会えると嬉しいよ」
手を振りながらバスに乗り込むナターシャを見送ってから、再び織斑先生のところへと向かう。
背後のバスのほうからは、大声と悲痛な叫びが聞こえた。
痴話喧嘩の後のこれだ、何をされたのか想像に難くない。