インフィニット・ストラトス‐Across the Universe‐ 作:譲葉松風
最近は規則のいい生活を続けていたせいか、慣れない寮のベッドのせいか、はたまた隣のベッドで寝ていた水色の髪のよく分からん女のせいか。
今日は朝の5時に起きてしまい、二度寝する気にもならなかったので寝間着代わりのジャージを着たままランニングでもすることにした。
そこまではいいのだが、俺よりも早く更識が起きていて、なんとランニングに同行すると言いだした。下手に断わって拗れるのも面倒だったし、何より一緒に走ってみて分かったが女だてらに随分と体力がある。学園最強の名は伊達ではない。
「はい、お水をどうぞ」
「あぁ。ありがとう」
「ありがとう?」
「……ありがとう『ございます。楯無先輩』」
「ふふっ。よろしい」
で、一時間くらい適当に学園の近くを走り続けて、今は芝生の上で休憩中だ。一息つくときは煙草でも吸いたいものだが学園の中で場所はないし、綾乃に今度送ってもらおう。
「なぁ、更識先輩」
「なに? 紫苑くん」
「サラッと名前で呼ばれたから名前で呼び返したけど、それでよかったんですか」
「それって?」
「名前で呼ばれるのを異様に嫌がる日本人女性っているじゃないですか。先輩も実はああいうタイプなのかと思ってましたよ」
座ったまま重心を後ろに移し、手で体重を支えながらふぅーっと息を吐く。朝露に湿った芝生が心地いい。
「紫苑くんから見て、私はどういう人間?」
「人を食ったような態度を取って周りを巻き込んでいくくせに、実は突然の出来事に弱くて、そういう場面に陥るとテンパって対応できなくなりそうな人間」
「そういう場面って何? お姉さん分からないから、教えてほしーな?」
隣に座っていた更識がズイッと、更に距離を縮めながら蠱惑的な声でそう言った。
だから俺は、更識を自分の側に引き寄せてそのまま押し倒した。
「こういうことですよね」
「……これくらいならまだテンパったりしないわよ?」
「でしょうね――でも」
更識の上に覆いかぶさるようにして両手を押さえつけ、股の間に膝を置いて顔を近づける。更識は目を大きく見開いたかと思えば、覚悟を決めたように目を瞑り――
「――痛っ」
「目なんか瞑っちゃって、一体何をされると思ったんですか?」
近づけた状態から頭突きをかました。顔ににじみ出るニヤつきを抑えながら立ち上がり、未だ芝生に寝たまま顔を真っ赤にしている更識に問いかけるが、彼女は黙ったままだった。
「貴方なら手足の自由を封じられていても、いくらでも対処できる術を持っていたはずだ。なのに抵抗しなかった――少女漫画の読みすぎですね」
更識に背を向けて、後ろ手に右手を振りその場を離れようとする。だがすぐに更識の声が追い縋ってきた。
「――ねぇ! また新しくルームメイトとしての取り決めを決めない?」
「どちらかがシャワーを浴びているときは風呂に入らない、どちらもベッドに入る時間は同じ時間、どちらかが部屋にいない時に昼寝をしない、後輩は先輩に敬語を使う。これ以外にもまだ決めるんですか?」
「そうよ。で、新しい取り決めは『お互いに下の名前で呼び合う』!」
形而上のビシィという音が聞こえた。たぶん疲れてるのかもしれない。
――いや、たぶんじゃない。確実に疲れてる。
「……一体それに何の意味が」
「良いから呼んでみなさい」
「はいはい。さようなら、楯無先輩」
本当によく分からない人だな、と思いながら今度こそ完全に背を向けて歩き去る。
更識の声は追い縋ってこなかった。
授業が全て終わり一夏の訓練場である剣道場にでも行こうかと思った矢先に織斑先生が教室にやってきて俺を名指しし、ただ一言ついて来いとだけ言った。断ったら一夏の様にぶん殴られるか手に持った出席簿が飛んできそうな悪寒がしたので黙ってついてきたが、連れていかれた先で俺はただただ呆然とするのだった。
「確かに作ってあげるとは言ってたが……」
いきなりアリーナのピットに連行され、えっまさかブリュンヒルデ直々に「かわいがり」別名「新人イジメ」とかしだすの、ここは相撲部屋じゃないんだからそんな冗談止めろよ、などと考えているとピットには俺の良く知る人物が先客としていた。
透き通る白い肌に真っ赤な瞳、先天的なメラニン欠乏遺伝子疾患の特徴であるその姿を差し引いても誰もが振り返るような美貌を持つ女性。汐澄綾乃の姿がそこにはあった。
機械的なピットの内装とは明らかには場違いな、純白の下地に真っ赤な花が彩られた振袖を優雅に着こなす綾乃が、俺に気付いたのかこちらに歩み寄ってきた。
まあそこは特に驚くところじゃない。アルビノっぽい銀髪の髪を綾乃は嫌がり、 赤の色素を入れてピンクの髪にしているとか、ここ数日で鬼であることをはっきりと見せた織斑先生が実は普通に敬語を使えるとかそんなことは些細なことだ。どうでもいい。
問題は、俺の前に佇む鈍い銀色を放つこの機械だ。
そいつの横に立ち、綾乃は凛とした顔つきで言った。
「これがあなたの専用機よ」
そんなこんなで呆然としている俺の心中をお察ししていただけただろうか。俺は誰に話しかけているんだろう。笑える。呆然というか混乱している。いとおかし。
「来週の月曜日までに一次移行を済ませておかないと、実戦で面倒なことになっちゃうから今すぐ試験稼働させましょうか」
「そんな事よりなんで宣言から一日で完成したのか説明してほしい」
「サプライズの為、もともと製作を始めていたから」
てへっ、って感じで舌を突き出す。それ言っちゃったらサプライズにならねーだろうが。
「ささっ、早く乗っちゃって。アリーナの使用許可は私がとっておいたから、汐澄インダストリーというか私があらゆる労力をつぎ込んで作ったその性能をいかんなく発揮してきて!」
「……わかったよ」
汐澄インダストリーとは名前がそのままの気がするが、汐澄綾乃が社長を務める会社だ。今まではISの開発など微塵も行っていなかったわけだが、仮にもそこの社員である俺が適性を出してしまったために開発事業にも手を出した、ということは以前に聞いていた。
「初期設定の方法はわかるかしら?」
「あぁ。真面目に授業を聞いていてよかった」
ISに乗り込み、仮想コンソールで設定を打ち込んでいきながら進行状況を口に出す。何をやっているのか間違わないための初歩的な小細工だ。
「ダミーデータクリア――ニューロシステムクリア――神経系バイパス正常稼働――パワーフロー正常――出力荷重比正常――外部デバイスアクティブ――シリンダー油圧正常――活動電位データ変換率98.7%――拒絶反応なし、全システムオールグリーン」
そういえば機体名はなんなのかと綾乃に聞こうとすると、それを理解したかのようにIS内部の投射ディスプレイに名前が表示される。
――Snow Aster tataricus――
雪の紫苑――名前を付けたのは葉月か。恋人の顔を思い浮かべると表情に出ていたのか綾乃に早くいけと急かされた。
「了解。スノー・アスタータタリクス、稼働テストを開始する――!」
稼働テストを終え、待機状態となったISを綾乃に預けてピットを出る。アリーナは借りただけで貸切にはしてなかった為、大勢の生徒が俺のISを見たらしい。恐らくそのせいだろう。ピットを出た途端に種種雑多な学年の生徒が入り乱れ、俺を質問責めにした。
「あれってどこの機体!?」
「鳴海君って専用機持ってたの!?」
「ちくわ大明神」
「名前は!? 機体の名前なんていうの!?」
……変なのが混ざっていた気がする。
律儀に全部答えると面倒なので俺は逃げた。我武者羅に一心不乱に電光石火の一騎当千だった。
全員を撒いて逃げた先が剣道場。一夏と篠ノ之が打ち合っていて、素人ながら素晴らしい動きだと思った。までは例によっていいんだが、何故か俺がその打ち合いに巻き込まれた。
結果、惨敗。惜敗じゃない。惨敗。
「経験無いのに全国優勝者に勝てるわけねーだろ! 馬鹿にしてんのか!? さもなきゃ初心者狩りか!? 今度俺の得意分野で再起不能になるまで叩きのめしてやろうか!?」
真剣勝負の競技という名の理不尽な暴力に襲われた俺は一夏と篠ノ之を正座させ当たり散らしていた。やられっぱなしは癪だし、何を隠そう負けず嫌いなのだ。
「だって紫苑強そうだったし……」
「アホか。だったら今すぐ東京ドームに行って、そこにいる野球選手にサッカー挑んでこいよ! 篠ノ之、お前は何か言い訳ないのか」
「私も、鳴海がやり手だと思ったから……」
「あって間もない奴に挑む勇気があるならさっさと告白しろ。貴様、名前は何という?」
「箒だ!」
「ふざけるな、これより貴様はモップだ」
「ん、箒、誰かに告白するのか?」
「貴様は黙ってその薄ら笑いを止めろ二等兵!」
心を鬼軍曹(戦争映画準拠)にして二人に説教を続ける。傍から見ていたらしい織斑先生が止めに入るまで『ずっと怒っていて怖かった』とは、同じクラスにいたらしい制服の袖が余った謎の生徒の語るところである。
それから時間は飛んで決闘前夜。授業や一夏の訓練は省略。合掌。
とにかく前日まで剣道の訓練をしていた一夏と篠ノ之を遠目に眺めて(巻き込まれたトラウマ)、適当な飲み物を買って部屋に戻る。
楯無がまたよく分からないコスプレでもしているんじゃないかと、慎重に鍵を開けてドアを開け放つが部屋は真っ暗で心配は杞憂に終わった。
訳がなかった。電気をつけてベッドに倒れこもうとすると、バスルーム付近に隠れていた楯無に飛び掛かられた。こういうパターン何回目だろうね? この上げて落とすみたいなパターン何回もいらないから。
「で、今日はなんですか楯無先輩。欲求不満が祟って身近な男性に襲いかかった今の気分を教えてください」
「あまりに可愛くない反応でつまんなーい」
「じゃあさっさと離れてくださいよ。思春期の男は女の体に敏感なんですよ」
「……微塵もそんな様子がない。――でもさ、明日決闘の後輩の勝利を祈るのも先輩の役目でしょ?」
そういいながらコアラのように俺に抱き着き、ふふっと笑う楯無。
正直、可愛い。年上の女に弱いのも自覚している。葉月がいなければ恋愛対象だったことも、まぁ恐らく間違いない。
だけど見え透いたハニートラップであるような気がしてならない。何か隠れた思惑があるのは間違いないのだから。
「勝ちの目しかない決闘ですから。むしろオルコットが木端微塵にならないことを祈っていてください」
「――相手は代表候補生だよ?」
「所詮は候補でしょう。先輩みたいな国家代表が相手ならまだしも、候補止まりなら俺の敵じゃない」
「ISに乗って一週間ちょっとでしょ? お姉さんが手取り足取り教えてあげましょうか」
「それをあと数日早く言ってくれれば教えて貰ってたんですけどね」
楯無を纏わりつかせたまま、バッグから封筒を取り出し封を切る。差出人は綾乃だが、貴重なISを郵便で送るんじゃないと今度説教する必要がありそうだ。
「それが紫苑くんのIS?」
「みたいですね」
待機状態となっていたISは、一昔前に流行っていたパワーストーンを幾重にも繋ぎ合わせた数珠だった。利き腕の邪魔にならないよう、左手首に通して眺めてみる。
「……言い辛いんだけど、古い」
「やめて。分かってるからやめて」
綾乃はファッションに微塵も興味なんて無い。適当にネットで調べたものの姿にしただけに違いない。
虚しい。
『シークレット・ガーデン』:楯無と変にイチャついてる庭。