春河童先生が広瀬ちゃんオススメの中華料理店に訪問して、内装に驚いたりチャーハンに舌鼓を打ったりするお話。
野上武志先生『はるかリセット』(秋田書店チャンピオンRED/チャンピオンクロス)から
エッセイ風二次創作
私、天野はるかは尻込みしていた。
めずらしく横浜に用事があって、電車でトコトコ1時間半。乗り換え要らずで楽ちんなのはとても助かる一方で、在来線にこれだけ長い時間乗りっぱなしは、なかなか慣れない。
車内のモニターに流れる広告が何巡したのか、数えるのは途中で諦めてしまった。車窓から覗く風景も、勝手知ったる車両の中からだと、どうにも味気ない。広瀬ちゃんがうちに来るときに時折こぼす「楽だけど遠すぎる」の不満も、ここにきて身に染みて理解できたものだ。
午前中の打ち合わせを終えて、時間はちょうどお昼前だった。せっかくここまで足を伸ばしたのだから、もう一踏ん張りして横浜でご飯を食べたいと心に決めるも、なかなかお店が決まらない。
慣れない土地でのお店選び、特にランチタイムのお店選びは、アタリを見つけるのが難しい。頻繁に来る場所でもないから、負けず嫌い精神が「失敗したくない!」と声高に主張する。
元町中華街に向かってしまうのが安牌で手っ取り早いけれど、横浜といえば中華街と決めてかかるのは、どこか芸がない気がする。さりとて、みなとみらいや関内に向かうのも、なんだか違う。でも中華、ああ、中華がいいなあ。
ああでもないこうでもないと地図アプリを血眼になってスクロールしていると、横浜の近くに1か所、見覚えのないピンが刺してあった。記憶をたぐる。
たぶん、広瀬ちゃんに教えてもらった、ローカルな中華屋さんだった。
「横浜といえば中華街。生粋のはまっこであるわたしも、ええ、横浜には中華街しか見どころがないと断言しますが、しかーし!横浜の中華は、中華街のみにあらず!」
「はあ」
広瀬ちゃんは時折、衒学的に曖昧な表現で話すものところが玉に瑕だ。饒舌かと思えば舌足らずになり、自信満々かと思えば茫然自失になる。
話の筋はともかくとして、話の調子が一貫せず矛盾しているのだ。彼女の喋り方はどうにも反応し辛くて、私は気の抜けた返答しかできないことが多かった。
「元町中華街の堂々たる老舗名門の料理人たちにも家があり、家族があります。修行中の息子さんや兄弟姉妹たち。横浜には、そんな彼らが腕を振るう町中華、そう。隠れガチ中華のお店が点在しているのです」
「ふうん、なるほど、なるほど」
こんな次第だったと思う。話の真偽はさておき、今は他に頼る情報もない。なにより、魅惑の中華料理の数々が頭の中で飛び跳ね始めて、私のお腹は早急な解決を要求してきた。この際、町中華だろうとガチ中華だろうとなんでもいい。
「よおし、ここに行こう!」
そうして広瀬ちゃんオススメのお店に辿り着いたのだけれど、けれど。
なんだか外観が、どうにもしっくりこなかった。
お店は大通りに面した細長いビルの1階にあった。
正面に掲げられた巨大な青い看板に、これまた巨大な黄色い文字で「なかやま」と書かれている。その上下には目を凝らすと赤い文字で広東料理、香港式とあり、いかにも中国らしい、どぎついコントラストだ。
その巨大な看板の下、お店の入り口は壁の全面に貼り付けられた巨大な写真入りのメニュー表で隠れてしまっている。色とりどりのメニューの中でも、とりわけ目を引くのは子豚の丸焼きやあひるの丸焼きで、なんだかもう、そのままの姿だった。
「主張が、主張が激しすぎる…」
私は尻込み、後ずさり、たじろいでしまっていた。美味しそうは美味しそうだけれども、外観のあまりの主張の激しさは、広告だらけの通販サイトのようで、詐欺めいた感じが否めない。
また、あの臆病な広瀬ちゃんがここに通っている姿も、どうにも想像できなかった。彼女の過度に慎重な性格であれば「えっ。ここ本当に入るんですか?」と遠回しに拒否しそうで、場所を間違えたかなと地図を確認する。うん、ここだ。
正面の入り口から裏路地の、ビルの真横の様子を窺ってみても、窓は目の高さの部分がすりガラスになっていて、中は確認できなかった。
「広瀬君は割とロクでもないお店しか選ばないからねえ」
観音さんの広瀬ちゃん評を思い出す。
どうしたものかと悩んでいると、運良く、スーツに身を包んだサラリーマン風の男性ふたりが、躊躇いなくお店に入っていった。入口は外から見ると薄暗く、よく見えなかったけれど、玄関が二重になっていて、お店の奥が半地下になっているのが確認できた。
半地下というのが余計に不安を誘う。しかしリーマンの胃袋を掴んでいるならば、それならば、少なくとも味と価格のバランスはとれているはず。ううん、これ以上悩んでも仕方ない。
散々に悩んだ末、ようやく私は入店する決心がついた。巨大なメニューに挟まれた入口をくぐり抜けて、階段を一、二段降りる。
「おお~」
お店の中は意外と広々としていた。厨房の前にカウンター席が並び、4人掛けのボックス席が2つ、奥には中華の丸テーブルがひとつ。外観の派手さに反して、内装は落ち着いていて、赤とか黄とかの蛍光色はどこにもない。
しげしげと店内を見渡していると、いわゆるホールを実質的に切り盛りしているのであろう、オカミさんが近付いてきた。
「こんにちは!ひとりなんですけど」と私が言い終わる前に
「ナンバン!?」
「なんばん?」
開口一番。いったい全体、何を言われたのかわからなかった。ナンバンと聞こえたけれど、早口だったので違ったかもしれない。中国語?
「ナンバン?」
まただ。南蛮?ではないだろうし、なんだろう。私が頭に?を生やしていると、オカミさんは諦めたようで
「カウンター!」と小さく叫んで、カウンター席の椅子を指差した。
うん、今のはわかった。ここに座れってことね。ナンバンが何かは謎のままだったけれど、案内されてしまった以上、もう引き下がるわけにもいかない。私は言われるがまま、お店の奥の方のカウンターに座る。と、
「わっ」
いきなり誰か、いや何かと目が合った。
案内された席の目の前には大きな水槽がどんと置かれていて、その中に一匹のアロワナが泳いでいたのだ。
水槽の主は興味があるのか、それともメンチを切っているのか、私をじっと見つめている。
これはどういうことだろう。厨房の一角に水槽が置かれている景色は、他の何とも比べがたい不思議な光景だった。水槽はカウンターに迫る近さ、というより、カウンターにくっつくように設置されていて、アロワナと私を隔てるのはアクリル板だけだ。
水槽の中身は殺風景そのもので、エアーポンプとアロワナ以外、何も入っていない。水族館でもないのに、こんなに間近でアロワナを見るのは初めてだった。
これって普通のことなの!?あたりを見回そうとすると
「うわあ!」また何かと、それもたくさんの目が合って、悲鳴が出た。
水槽の横に五匹ほど、アヒルの丸焼きが吊られていた。アヒルだ。他の鳥ではなくアヒルだとわかるのは、首がついたままだからだ。全身が茶色にこんがりと焼けているけれど、あのクチバシの形は、ぜったいにアヒルだ。
その首付きのアヒルの丸焼きが、きれいに並べられて、こちらに向いている。
「これは大変なところに入っちゃったぞ」
私は戦々恐々とした。10の死んだアヒルの目と2つの生きたアロワナの目が、私をじっくりと眺めているのだから、戦々恐々として当然なのだ。
「メニュー!」
怯えてオロオロしている私にオカミさんからメニューが手渡された。
メニュー自体は、うん、さすがに普通だ。表にあった写真と変わりない。店内含めて色々と気になるけれど、鶏肉料理はどうにも頼む気になれなかった。
「ええっと、じゃあチャーハンと」
「ゴモク?」
五目のことだろう。他に何があるのか聞いてもみたかったけれど、オカミさんの圧に負けて「ゴモク」と答える。私にまでオカミさんの口調が乗り移ったかのようだった。
「あと、この豚バラの」読めない。以前に中華街で食べたことのある、豚肉をカリカリになるまでローストしたものに似た料理を指差す。
「パリパリ?」
「はい、パリパリで」
パリパリもカリカリも同じことだろう。パリパリが料理の名前なのかどうかはさておき、なるようになれだった。私が食べたことがある料理もきっとパリパリだったのだ。そうなのだ。
オカミさんは中国語で元気よく、厨房に向かって何か声を上げる。言葉の返答の代わりに、中華鍋を加熱するスチーム音が聞こえてきた。
アヒルとアロワナの陰を覗くと、厨房には若いお兄さんと、お年を召した感じのおじいさんが立っている。広瀬ちゃんの言が正しければ、きっと家族なのだろう。
中華鍋は流し台とコンロが一体化した、日本ではなかなかお目にかかることのできない専用の器材にのせられている。面食らってばかりだけど、料理は期待できそうだった。
アロワナとにらめっこしながら、出来上がりを待っていると、作業服を着たお兄さんが入ってきた。新しいお客さんだ。聞き耳を立てる。
「ナンバン?」オカミさんは私の時と同じナンバンを発した。
「2番で」お兄さんは即答だった。すると、オカミさんは中国語で厨房に向かって叫んだ。オーダーが通ったようだ。
なるほど、ナンバンは「何番」のことだったのだ。よくよく店内を見渡してみると、小さい黒板がいくつか置いてある。そこには「しょうが焼き」、「塩タンメン+半チャーハン」、「なかやま式ヤキソバ」など、1から8の番号が振られたメニューが書かれている。
そうか、あれがランチメニューなんだ。
続いて入ってきたお客さんたちも、ナンバン?に対して番号を答えていた。ははあ、なんのことかと思ったら、答えは単純明快、シンプルだった。
謎が解けると、現金なことに私の警戒心も一気に下がる。ああ、すっきりした。
「チャーハン!パリパリ!」
カウンター席なのに、アヒルとアロワナに塞がれているものだから、オカミさんが遠回りして、2つの皿を運んでくる。なんだかそれが可笑しくて、かわいらしくて、ついつい笑ってしまう。
チャーハンはこんもりとまんまるに盛られていて、サイコロ状の赤いチャーシューが色鮮やかで美味しそう。パリパリは、うん、私の求めていたパリパリそのものだった。
中華のコースでくらげだとか、棒棒鶏だとかと一緒に前菜で盛られている、豚のロースト。あれだけを満足できるまで食べてみたかったのだけれど、まさかここで念願が叶うとは!
砂糖が添えられているのがいかにも本格っぽいじゃない!
辛抱たまらずチャーハンを頬張る。ああ、これはいい!塩気とオイリーさが、たまらない。まずは一口と思ったのに、夢中で次々と口に運んでしまう。
これは確かに、家で作るチャーハンや町中華のチャーハンとは一味も二味も違う。何か、危険な、中毒性のあるものが入っているんじゃないかと思えるくらい、レンゲが止まらない。中華の妙義が詰まっているのだ。
きっと、本格中華でしか見られない、この赤いチャーシューがいいんだ。このチャーシューも、吊るされているアヒルのように入念に仕込まれた一品に違いないのだ。
例のパリパリも一口。ああ、名に恥じぬパリパリ、ザクザク感、クリスピー!
豚バラ肉の甘い脂が、素晴らしい。パリパリの食感と塩気、甘みが見事に融け合っている。しかも、これに砂糖をつけちゃうんだ。本当につけちゃうの?つけちゃうよ?
パリパリのひときれに砂糖をまぶして、ぱくり。うわ、これはダメかも。頭がとけちゃう!脳が美味しいと、もっと食べろと叫んでいる!
私は夢中でチャーハンの山を崩しにかかる。いかに美味しくてもチャーハンはチャーハンのはずで、食べ進めれば一口目で抱いた感動は薄れてゆくものだ。しかし、これはどうだろう。このチャーハンは違う。食べても食べても、一口目の感動が繰り返し訪れる。
これを幸福と呼ばずに、何と呼ぶのですか?ああ、幸せだ!
アロワナに食べる姿を観察されていても、アヒルの死んだ目がそこにあっても、もう全く気にならなかった。勢いは止まらぬまま、私は2皿をきれいに平らげた。
これは、文句なしだ。こうやって満ち足りた気持ちにひたっていると、このお店の全てがあるべきまま、そうあるべきものとして見えてくる。
派手な外観に落ち着いた内装。
音楽もテレビも不要だ。ただ中華鍋の振るわれる音だけで十分だ。
ディナー用のアヒルが吊るされているのでさえ、理にかなっている。
あのナンバンもそうだ。ランチメニューで客をいかに回すか、必要最低限でありながら十分なコミュニケーション。まさに質実剛健。その心構えが、あのナンバンに端的に顕れているわけだ。そうか、とても納得だ。
全てが愛らしく思えてくる。オカミさんも、このアロワナさえも。
私はとても満足した。
後日、広瀬ちゃんにこの一件を話したところ、「なんで一緒に行ってくれなかったんですか!」と彼女が憤慨したのは言わずもがな。
「チャーハンとパリパリ、食べたよ」
「わ!いきなりツウな注文じゃないですか」
「どちらもすごい美味しかった!」
「なんかヤバいものが入ってるんじゃないかってくらいですよね!」
「そうそう!」
広瀬ちゃんは共通の理解が得られたと、とても嬉しそうだ。
「ナンバン?はどうでしたか?」
「最初はわからなかったけれど、他のお客さんを見て気付いたの!」
「わたしも最初わからなかったんです!適当にイチバンって答えたら、麻婆豆腐ととんでもない量のごはんが出てきて、びっくりしちゃいました」
「あはは。そこで適当言っちゃうの、広瀬ちゃんらしいや。私もジュウバン!とか適当に答えてみれば面白かったかも!」
「それは、やめておいてよかったですね」
にこにこしていた広瀬ちゃんは急に、ほとぼりが冷めたように静かになった。
「え?」
「水槽、ありましたでしょう?」
「うん、目の前に座らされたんだけど」
「あれ、ランチにない番号を言ったお客さんです」
「は?」
耳を疑う。
「ちょっと待って」
「なーんて、冗談ですよ。冗談!」
「やめてよ!広瀬ちゃん、もう!」
広瀬ちゃんは冗談と笑っていたけれど、笑っているように見えなかった。一瞬だけ、とても冷たい目をしていた。
私はあのチャーハンの味が忘れられず、できれば再訪したかった。でも、広瀬ちゃんの目と、あのアロワナの目を思い出して、どうしても、行く気になれないでいる。
(ナンバン? 終)