運命はかく扉を叩く 作:スケート観戦に必要な知識多すぎ
書いてください。今すぐ。
午後4時半を過ぎたところ。
小学生だけでなく、中学生も学校を終えてやってくる時間帯の邦和みなとスポーツ&カルチャースケートリンクにて。
(わ……あの子、迫力あるな。どこの子だろ)
名港ウィンドに所属して2年と少し。
ようやくバッジテストの5級を合格してウキウキしながら自主練に来たある中学生の女子は、スケートリンクの中央で一人滑る自分よりも小さな少年に目を惹かれていた。
雰囲気からして、周囲と違う。
スケートに命でも掛けていそうな真剣さと、信じられないほどに楽しそうな顔。
ただ、それと見合わない部分がいくつもあるミスマッチさが、逆に少年を目立たせていた。
(なんか、変だな)
顔立ちは整っていると思うが、イケメンと言えるほどではない。
過去に見た夜鷹純のような小学生女子すらときめかせるようなものは欠片もない。
それでもただ単に魅入ってしまう存在感。真剣さ。
スケートに人生を賭けているような子が時々発揮している、情熱と呼ぶべきものがあった。
なのに、何かがおかしい。
学校ジャージを着てるし、よく見れば貸し靴のようだし、周囲に付き添いもいない。
いくつかは綺麗なフォームだって、基礎の基礎ができていなかったりする。
(もしかして初心者……………いや、そんなわけ、ないか)
ほんの僅かに浮かんだ考えをバカバカしいと切って捨てる。
そもそも、スケート初心者にあんな雰囲気は出ない、というか出せないはずだし。
しかも──ほら、今だって。
当然のように、2回転を跳んでいる。
◇
肌着だけでなく、ジャージまで染みるほどびっしょりと汗をかいている少年が、1時間近い全力運動を終え、リンク外のベンチに座り込む。
過呼吸寸前の苦しげな息をゆっくりと整えながら、悔しげに目を瞑った。
(わかってたことだけど──身体が、思うように動かない)
一人、コートの中心で滑っていた少年、龍崎氷人の内心は荒れに荒れていた。
身体を突き動かす衝動のままに跳びに来たはいいものの、ある一定のラインから技術が成長しない。
いや、勝手に成長するだけ異常極まりないのだが。
(クソ、スポーツのついでにちゃんと筋トレや柔軟しておくんだった……!)
どれだけ異次元の才能があっても、身体がついていくかは別。
スケーティングのスピードを上げるための姿勢は取れないし、フリーレッグも途中で足が曲がってしまう。
明らかに、筋力も柔軟性も足りていない。
“夜鷹純のジャンプ”には、まだ何一つとしてピースが足りない。
あの滑走を再現するためには、基礎から積み上げていく必要がある。
「……でも、楽しい」
理想には届かないけれど、スケートはやっぱり楽しかった。
滑れるようになってから、ずっと心に巣食っていた負の感情が綺麗さっぱり消し飛んだような気すらする。
卑屈で諦めばかり多い思考に行っていたのもこのせいか、とまで考えて、ふと思考が別のことに行き当たった。
(夜鷹純も、同じ気持ちだったんだろうか)
こんな、スケートから逃げに逃げて、今ようやく向き合ったような自分と比べるべきではないのかもしれないけれど。
氷上を頼りに生き続けた人物が氷上から離れる苦悩というものの一端を、今ようやく分かったような気がした。
しかし、そんな感傷に長らく浸っているわけにもいかない。
(父さん捕まえて、スケート教室に入れるようお願いするとこからかな……)
ここまで会話スキルくらいにしかプラスを齎さなかった大人としてのスキルを駆使して、するべきことを想定した結果。
当然のごとく、基礎を指導するコーチが必要だという考えに行き当たった氷人は、迷わず父に電話をかけた。
父、龍崎兜があまりの効果に一周回って宇宙猫になるほど、夜鷹純のスケートは熱を与えていた。
そして同時に、困難も呼び寄せることになる。
「……あ、父さん? スケート滑ったよ、うん。だから教室に」
「──いつから滑り始めたんだよ」
「うん、とりあえず鴗鳥先生のところで。夜鷹純のことも知ってるはずだし──」
「……おい」
「お前に声かけてんだよ、氷人」
その声を認識して最初に思ったのは、“なぜここに”だった。
振り返ってみると多分、相手も同じことを思っていたんだろうけど。
「……父さん、後でかけ直す」
奇跡とは、滅多に起きないからこそ奇跡と呼ばれる。
しかし運命に愛されているならば、
奇跡は連続し得る。
無愛想な態度を崩さないまま話しかけてくる、かつては友人だった同級生の少年。
氷から逃げた、
鴗鳥理凰が、そこにいた。
「……こんにちは、理凰。随分な剣幕だな」
「ッチ……答える気ないの?」
「要件人間じゃないってだけさ。滑り始めたタイミングだっけ? 今日だよ、今日」
「何があって滑る気になったんだよ」
話す言葉一つ一つに棘がある。
たぶん、結束いのりにブスエビフライだとか言っていた時の精神状態に近いのが見て取れる様子で、ひどく痛々しい。
「端的に言うなら、夜鷹純のスケートに触発された」
「はぁ!? じゃあ夜のアレに、お前も……」
夜鷹純の名前が出た瞬間、小学生とは思えない顔の歪め方になる。
この様子を見るに、夜鷹純から邪魔だと言われた後なのかもしれない。それで狼嵜光ともギクシャクしているのだろうか。
「あんなクソジジイのどこが良いんだよ!」
「どこって、スケート」
「それはっ…………ッチ、あれだけ言っても滑らなかったくせに。都合が良すぎるだろ」
スケートの上手さだけは否定できないらしく、苛立ったように舌打ちを繰り返している。
メダリスト風に言うなら怒りGOE+5というところ。
「で、どこまで滑れるんだよ。ちょっと前やってたって言ってたけど……1回転とスピンくらい?」
「いや、全然。技術的には完全に初心者だよ」
「は? じゃあそんな汗だくで、コーチも付けずに何やってたの?」
「2回転トウループ跳んでた」
「どの口が初心者って言ったんだ?」
頭を掻きむしる理凰に苦笑する。
正直なところ、威張れるわけではないと思っているから。
「力任せに跳んで誤魔化してる部分もあるし、そもそも回転数だって安定してない。着氷姿勢は多分ダサい。文字通り、跳べただけなんだよ」
「謙遜のし過ぎはキモいって分かれよ。初めから跳べるのが才能じゃなかったらなんだっていうんだ」
「……それは、そうなんだけど」
理凰の言っていることは極めて正しい。
たしかに才能の定義は多岐に渡るが、あえて分類するならば、後天的に獲得可能なものと先天的に獲得可能なものに分けられる。
当然ながら、分けた時に才能と呼ばれるのは先天的に獲得可能な方だ。
だからこそ、夜鷹純は運などという理不尽な才能を狼嵜光に求めていたし、明浦路司の持つ“鷹の目”も才能と評していた。
たぶん、僕には両方が備わっている。
これがズルでなければ何なのか。
「それでも初心者だよ。技術面も肉体面もまだ未熟なんだから。1年前から真面目に練習してたら身体も作れていたし、姿勢だって染み付いてた」
この時、龍崎氷人は本当の意味で理解していなかった。
本来ならフィギュアスケートに必要な才能を全て持ち合わせている鴗鳥理凰が、なぜここまで拗れてしまったのかを。
「──今から滑る。見てろ」
「突然だなぁ」
夜鷹純みたいな言い草だ、と口にしないだけの理性はあった氷人だが、鴗鳥理凰の表情変化にはついぞ気がつけなかった。
ただ、シューズを結んでリンクに上がっていく理凰を見送る。そこにどんな感情が渦巻いているかも知らず。
(鴗鳥慎一郎譲りのキレがある振り付け。やっぱ、カッコいいな)
滑り始めた鴗鳥理凰は、流石に上手かった。同年代男子よりは遥かに。
2回転アクセルまでは苦もなく進めただけある。
ほら、ジャンプも、あんなに美しい姿勢で──。
2回転トウループ
シューズが氷を付く硬質な音と、まだ軽い体重が投げ出されたドサリという音がする。
悔しさに震える鴗鳥理凰は、2回転トウループを降りることができていなかった。
「お前が初心者なら、俺はなんなんだよ」
「3年やって、お前よりもジャンプができないオレは」
「2回転は跳べて当然なのかよ」
「1年も無駄に捨てたくせに」
「練習だってしてないくせに」
「なんで、跳べるんだよ……!」