運命はかく扉を叩く   作:スケート観戦に必要な知識多すぎ

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牙を剥く

 

 騒ぎがひと段落したのは、日が沈み出してからだった。

 鴗鳥慎一郎が滅多に見せない慌てた様子で謝罪に回ったりしたせいで、名港ウィンドのメンバーも随分浮き足立っていた。

 

 

「随分、派手にやったみたいだね?」

 

 

 その浮き足立ったメンバーには、今冷たい表情でこちらを見つめている狼嵜光も含まれている。

 

 クラブの専用スペースで筋力増強の陸トレに励んでいたところ、まだ落ち着いていなかったらしい鴗鳥理凰が連れて来られたらしく。

 慣れない状況に混乱していた雉田輝也ともども、落ち着くまでに随分時間を要したらしかった。

 

 で、ここまで巻き込んだのだから、理凰のことも気になるし経緯くらいしっかりと話せと、申し訳無さそうな表情をした鴗鳥慎一郎の横で仁王立ちして事情を聞いていたのがついさっき。

 

 結果、まだちょっと怒っているらしい狼嵜光にスケートリンク外のベンチで文句を言われているのが今現在の状況だった。

 

 

「滑らないって言ったくせになんか夜のレッスンに来てるし、理凰と勝手に焚き付けあってるらしいし…………なんか、すっごく振り回された気分!」

「なんというか、ご迷惑おかけしました……」

「理凰について相談はしたけど、爆発させてとは誰も言ってないよ?」

「仰る通りです……」

「……昔はあんなにお兄ちゃんみたいだったのに」

「はい…………うん? あ、狼嵜さんとも疎遠にしちゃってごめん」

「いや理凰のね、理凰の! もう…………」

 

 

 実のところ、狼嵜光はそこまで疎遠になったとは思っていない。

 なんだかんだ学内でも付き合いが続いているし、話がしやすくて、ほどほどに楽しいから。

 強いて言うなら、鴗鳥家に対しては全部名前で呼ぶくせに、自分に対しては苗字呼びなことにちょっと疎外感があるくらい。

 

 つまりは、友達だと思っていた。

 

 夜鷹純に影響されたど直球なコミュニケーション法を無意識のうちに振り回して、狼嵜光は横に座る龍崎氷人を心配げに覗き込んだ。

 

 

「で、結局。龍崎くんはスケートをするの?」

「あー……それは、うん」

「びみょーな返事だけど」

「滑るつもりはあるよ。でも正直なところ、続けられるかどうかは僕自身もわからないんだ」

「……多分、理凰は待ってるよ?」

「それもわかってる。夜鷹さんにきっかけを貰って、理凰に焚き付けられたから、まだここにいる。……僕は多分、一人では滑れなかったから。どんな形であれ、理由をくれた彼らに感謝してるんだよ」

 

「だから、跳ぶ。少なくともノービスBは」

 

「……そっか。わかった」

 

 

 龍崎氷人には悟り得ないことだが。

 

 狼嵜光が目撃した鴗鳥理凰の表情は、敵愾心と怒りに満ちて、若干半泣きで、なんならそれを狼嵜光に見られたことで絶望的ですらあった。

 だが、劣等感とコンプレックスに満ちた朝よりは随分とマシで。

 

 それは、狼嵜光にとって何よりも嬉しいことであった。

 だからできうる限りの支援をしたい、と思っていたのだが。

 

 

「じゃあ蓮華茶とか、名城クラウンとか紹介しようか。お父さんがいるから要らないかもしれないけど、龍崎くんがスケートのクラブ探すなら、私からも紹介してくれる人を探して──」

 

「いや、名港ウィンド入るよ」

 

「???」

 

 

 社会性の極めて高い狼嵜光にとって理外の返答に、ピシリと固まる。

 いや、わかる。環境だけで選ぶなら、コーチの実績も規模も地理的問題も解決している名港ウィンドは良い。

 

 でもライバルのおかげでフィギュアやることを決めた人間が、同じクラブ入るってどうなの。

 氷人は何がおかしいか分からないという顔をしているが、絶対におかしい。

 

 

「え、理凰と戦うんだよね……?」

「理凰が上がってくればそうなるだろうね」

「同じクラブに競う相手が居たら、理凰もやりづらいと思うんだけど」

「………………………………あー、そうかも?」

「わかってなさそう……」

「いや、言われたら流石にわかったよ!名港ウィンドには入るけど!

 

 

 一応、原作の結束いのりが狼嵜光にライバル心をかっ飛ばしてしている様子を氷人は思い出して、なんとか想像できていたのだが。

 狼嵜光からすればそれは察し得ないことだし、そもそも分かって当然のことだと思っていた。

 

 

「なんか龍崎くん、思ったよりも……なんていうのかな」

「融通が効かない?」

「ゆうずう……?」

「あーっと、理屈っぽい?」

「…………まぁ、そう。理凰のこと相談した時は大人っぽいって思ってたけど……どっちかというと、感覚で動けない人っていう感じが……」

「間違ってないよ。何にでも理屈っぽいのをこねてる自覚はあるし、父さんとかもたまに微妙な顔してる」

 

 

 なぜかシューズの靴紐を結びながら、“でも”と続ける龍崎氷人の目には、狼嵜光が何度も他人に見てきた、どうしようもないほどに氷上へ焦がれている熱が宿っていた。

 

 

「フィギュアスケートは、唯一感覚で“良い”って思えたものなんだ。夜鷹さんのスケートだってそう。理屈がないと全然動けない僕が、唯一衝動で動け……動き出したものだった」

「……龍崎くんは、滑ることじゃなくて、フィギュアスケートそのものが好きなんだね」

「そうかな……いや、そうかも。なんなら、この世界も好きだし」

「一気にスケールが大きくなったなぁ……」

 

 

 シューズの様子を確かめて、すっくと立ち上がった氷人がリンクへ向かっていく。

 どうやら、まだ滑る気らしい。

 

 

「今から滑るんだ……さっき理凰と一悶着起こした後だよ? しかも、あと30分くらいで名港ウィンドが貸し切るのに」

「一悶着あったからこそだよ。理凰にああ言われてから、どうにも落ち着かなくって」

「ふーん……」

「あ、狼嵜さんも滑るんだ」

「私はすぐクラブ練習に混ざれるからいいの」

 

 

 ボード*1から手を離して、早速スケートを始めた様子に、狼嵜光はようやくホッと一息つくことができた。

 

 彼は、少し前に辞めていったクラブメイトたちのようなどこか不安げな目をしていない。

 八木夕凪が時々見せる、自分への怒りと興味と対抗心に満ちた、こっちまでスケートを滑りたくなるような熱い目だ。

 

 あれならきっと、理凰とも戦ってくれると信じられる。

 キュッとシューズの紐を締めて、迷いなくブレードをリンクに乗せられた。

 

 

「確か、2回転トウループまでは降りられるんだっけ?」

「そう。ルッツとかはいわゆる刃の使い方に自信がないんだよね」

「それはそうでしょ……コーチ無しに正解を引き当てるのは無茶だよ」

 

 

 跳べるだけでも十分、という言葉は飲み込んだ。

 そんなレベルの話に満足されていては困るし。

 

 今でこそ理凰はほんのちょっと燻っているけど、来年までには2回転アクセルくらいまで追いついてくるという根拠の無い信頼が、この頃の狼嵜光にはまだ存在していた。

 

 

「本当は指導を受けてから、正しい自主練をするべきなんだろうけど。流石に今日からクラブの練習入れてとも言えないし、土日の間平静を保てる自信ないし……ほんの少しでもスケート欲を発散してから帰る、よっ────」

 

 

 

2回転ルッツ

 

 

 

「………………え?」

 

 

 狼嵜光が目を見開く。

 まずエッジの使い方が悪い。確かに回転数もやや足りていないし、体幹も安定しているとは言い難い。助走が長い割にジャンプの長さも幅も物足りない。

 なんなら着氷姿勢の悪さを見るに、3回跳べば2回は着氷に失敗しそうなくらいだ。

 

 思い描く完成系には何一つとして技術が足りない、はずなのに。

 

 夜鷹純の姿が、重なって見えた。

 

 

「龍崎くん、その、フォーム……」

「これ? 夜鷹さんを参考にしたんだけど、体格も筋力も柔軟性も技術も全部足りなかったから、仕方なくマイナーチェンジしたんだよね」

「いやいやいや、そんな簡単に調整できるなら苦労しないよ! 何をどうしたらそうなるの!?」

「あー……跳んでる自分の前にもう一人自分がいて、見て調整する感じ?」

「目はそこにはないけ……ど…………」

 

 

 思い出した。

 確かずっと前に、慎一郎先生が世間話のついでに、夜鷹純について話してくれたこと。

 

 

『純くんは、自分を俯瞰で見て調整している……と考えている』

『ふかん……?』

『ああ、小学生で習う言葉じゃないか……。ええと、上から見ているような感覚といえばいいのかな。そうじゃなければ、あんなにも一人で改良はできないと思うんだ』

 

 

 もしあれが真実なら。

 俯瞰する目と、初めてで2回転を飛ぶ氷上の才能が振るわれたならば。

 

 龍崎氷人はいつか、夜鷹純を再現できるのではないか。

 あの何よりもかっこいいスケートを、彼が。

 

 ()()()()()() 

 

 

 

 2回転ルッツ

 

 

 

「…………拍手した方がいい?」

「いらないよ、まだ」

 

 

 

 2回転アクセル+オイラー+2回転サルコウ

 

 

 

 私のジャンプはコーチ(夜鷹純)が用意したタノジャンプ。

 どれだけ練っていったって、完全に似ることはない。わかっている。

 それでも。

 

 彼のようになる(血肉を喰らう)のは私だ。

 

 

「……狼嵜さん、まだ8歳だよね?」

「あの人は私のコーチだから」

 

 

 この胸を焦がす熱が、闘争心なのだろうか。

 理凰もこんな熱を持っていたんだろうか。

 

 

「負けないよ、龍崎くん」

 

 

 獣を思わせる黄金色の瞳をぎらぎらと輝かせた狼嵜光が、締めた両腕を振り上げる。

 牙が覗くほどに、口を釣り上げて。

 

 誰よりも高く、夜空へ────

 

 

 

 3回転ルッツ

 

 

 

「あなたはまだ初級以下だし、大会じゃ競えないけど」

 

「あの人を連想させるのは、塗り潰していくのは」

 

(狼嵜光)だ……!」

 

 

*1
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