運命はかく扉を叩く 作:スケート観戦に必要な知識多すぎ
週明けの月曜日、八木夕凪は朝から機嫌が良かった。
まず、朝練で2回転ルッツをコンビネーションで跳べた。これは2回転が安定してきた証左であり、慎一郎先生からも褒めてもらえたのだ。
(すぐに2回転アクセルだって跳べるようになるんだから……!)
この時点で十分気分は良かったのだが、そこへ申し訳なさそうな表情をした慎一郎先生から頼み事までされてしまったのだ。
(“新入生を気にかけてあげて欲しい”だっけ……いつもは男子なら理凰に頼んでるのに、珍しいな。でも、チャンスだ)
ここでしっかりやれるところを見せるんだ、と背伸びした思考を回して、学校から駆け足で帰ってスケートリンクへ。
早く来ただけあって、早退した光ちゃん以外はまだ来ていなさそうな様子だった。
「やっほー。光ちゃん今日こっちなんだ。連盟主催の方に行くのかと思ってた。……あ、別に邪魔ってわけじゃないよ」
バッジテスト6級を取得している子は、連盟主催の貸切に参加できる。
そちらの方がリンクも広いため、クラブ貸切と被ったときは大抵そちらに行っていたはずの光ちゃんが珍しくこちらへ来ていたことへの、純粋な疑問だった。
「んー、わかってるよ。……今日はちょっと、新入生に知り合いがいるんだ」
「光ちゃんがそういう理由で練習決めるイメージなかった……か……も…………」
あまりの意外さに思わず見た光ちゃんは、あまり見たことがない顔をしていた。
思い当たるのは、ジュニアの先輩たちが大一番で見せる表情。
ライバルへ闘争心を滾らせている時の、威嚇じみた物騒な笑み。
(だ、男子なのに……? 男女混合の試合とかなかったよね……?)
本当はもっと聞きたいことだらけだったが、聞く勇気が湧いてこない。
──この笑みを一度くらい私に向けてくれたら、という考えを振り切るように念入りなウォーミングアップをこなしていると、また一人早く来た人物が現れる。
「こんにちは、理凰………………」
「……ちわ」
現れた鴗鳥理凰は、これまた見たことがないようなものすごい物騒な表情をしたまま、挨拶もおざなりにしてツカツカと光の元へ歩いていった。
「あ、理凰」
「光…………親父から聞いたけど、アイツってマジで名港来んの?」
「そうだよ。今日来る」
「意味分かんねえ…………俺、平静保てる自信ないんだけど」
「うーん……あっちは手振ってくるくらいのテンションなんじゃないかな。多分私にも。うーん、想像するとちょっとムカっとするよねぇ」
「もう一周回って困惑だよ。ッチ、クラブ始まるまでにどうにかしてトウループ完成させるか…………」
どうやら、新入生の話題らしい。
光ちゃんがムカつく的なことを口に出したことすらびっくりだが、基本的に男子には気に入られがちな理凰までそんな対応をするような新入生って……。
(ほ、本当に私で大丈夫なのかな……。とんでもないヤンキーとかスケートを舐め腐ってるヘラヘラしたやつとか来たりしないよね? 大丈夫だよね、慎一郎先生……!?)
今までの上がった気分が全部吹き飛んでしまった。
しかし今更やっぱり別の人にして、と慎一郎先生に言うことなんてできない。
今までにない鬼気迫る表情でジャンプ練を繰り返す二人に反して、精彩を欠く自主練を繰り返しながら、八木夕凪は戦々恐々とその時を待つしかなかった、のだが。
「皆さん、今日からクラブに入る龍崎氷人くんです」
「龍崎氷人、9歳です。スケートはほぼ未経験ですが、親が審査員をやってる関係で知識は一通り入っています。よろしくお願いします」
「未経験とは言いますが、ある程度は滑れることを確認していますので、3級以上の組に混ざってもらうつもりです」
(わ、割と普通の子そうだけど……? というか未経験なの!? 未経験なのに光ちゃんと理凰にあんな態度取られてるの!? そして3級以上ってことは2回転跳べるの!?)
予想とは違う普通さに、一瞬自分の勘違いかと二人の様子を伺うが、この子で間違いないらしい。
新入生を見る理凰は今すぐにでも中指を突き立てそうなくらいガンを飛ばしているし、光ちゃんは犬歯を剥き出しにして笑っている。何も知らない四葉ちゃんは二人の横で怯えている。かわいそう。
そして情報量が多すぎる。
未経験で2回転って何なんだろう。バレエ経験者とか……にしては姿勢が鍛えた子のそれじゃないけど……。
「しばらくは練習前に皆の動きを指示しますが、基本的にはそこの……八木夕凪くんについていってください。他に何かクラブについて困ったことがあれば、私か研修コーチの雉多くん、もしくはジュニアの先輩に声をかけるように」
「はい、ありがとうございます。八木さんもよろしくね」
「あ、うん……よろしく……」
「ではまず、全体ウォーミングアップから。その後は組に分かれて、交代でジャンプ確認をしていきます」
おおよその指示が飛ばされ、各々の位置へ動き出す。
思っていたよりも普通な雰囲気に困惑していた八木夕凪だが、慎一郎先生に頼まれたことをやり遂げるべく、ひとまず積極的にコミュニケーションを取ることに決めた。
「えっと……龍崎くん、でいいかな? さっき紹介されたけど、八木夕凪です。改めてよろしくね」
「うん。よろしくお願いします。ジャンプ練の意味はわかるけど、配置とか動きは知らないから、申し訳ないけど結構頼ることになると思う……」
「大丈夫、私も案内するの初めてじゃないから」
「……慎一郎先生も言ってたけど、八木さんはしっかりしてるね」
「ほんと!? 慎一郎先生私のこと褒めてた!?」
もうこの頃から慎一郎先生ラブなのか……と温かい目をしている龍崎氷人に気付くことなく、テンションが爆上がりした八木夕凪はふんすふんすと気合を入れ直した。
「次はすぐ3級のジャンプ練だから、スケートリンクに移動するの。で、適当に左右2列に別れて、順番が来たら指示されたジャンプを跳んで、ボードの方にいる慎一郎先生にコメントを貰う感じ。その後は元いたのと反対の列に加わる……どう、わかる?」
「うん、ありがとう」
「まだ何かあったらいくらでも聞いてね!」
そうこう言っているうちに、すぐにジャンプ練が始まる。
龍崎氷人は予想に反してあっさりと練習へ混ざったため少し拍子抜けしたが、今後も動きについて逐一教えるため、真後ろにつく。
そこで、二人目の天才を目撃するとも知らずに。
「氷人くん、2回転トウループ」
「はい」
クラブに入ってすぐの生徒にするには、あまりにも酷な指示。
しかし当然のように受け入れて、彼は宙を跳んだ。
予想よりも、高く。
(いや……これで未経験は詐欺じゃない?)
技術こそまだ覚束ないところがあるが、間違いなく跳べているし、降りられている。
そのためか他の子よりも随分と長いアドバイスを受けているが、もしこれが練習を続けたら一体どうなってしまうのだろう。
(……光ちゃんみたい)
そう思うと、気合が入る。
試合の時のような、肌がピリつく緊張感が身体を満たす。
2回転ルッツ
(よし、よく跳べた……!)
闘争心に火が付いたのか、試合のような精神状態を保てている。
経験上、こういった時の練習は効果が出やすい。
次の曲かけ練習に入る前に2回転アクセルへ挑戦しておきたいな、などと思いながら2周目に入ったところで、それは起こった。
2回転トウループ
(…………なに、それ)
1回目と、明らかに違う完成度。
先ほどまでは着氷姿勢でむしろ減点されそうなクオリティだったものが、GOEで1〜2点は狙えそうなところまで仕上がっている。
あの、アドバイスだけで?
反対の列でギリ、と歯を噛み締めている鴗鳥理凰の姿が見える。
まぐれだと思いたいが、どこか冷静な頭がまぐれでは生まれないテクニックを指摘する。
ようやくわかった。
あの二人が執着する理由は、この光ちゃんを思わせる成長力だ。
(いや……このペースで上手くなられたら、光ちゃんすら──)
3回転ルッツ+2回転ループ
龍崎氷人へ向いた全員の集中を断ち切るような、力強いタノジャンプ。
同世代の誰もを明確に越したコンビネーションを跳んだ狼嵜光は、跳び終わった後にじっと龍崎氷人の方を見ている。
ああ、
──ふざけるな。
2回転アクセル
私はまだ、追い越されてなんかいない。
怒りを原動力に回ったアクセルは、ややダウングレード気味だったものの、今までで一番良い着氷姿勢を取ることができた。
厳しい指摘と挑戦への褒め言葉を慎一郎先生に貰ってようやく、先ほどまでの怒りが飛んで喜びが込み上げてくる。
(よし、よし……! アクセル跳べた! 回り方がわかった気がする、これで……!)
自らの動きを頭の中でトレースしながら、今度こそ跳ぶために3周目へ並んだところで、前にいた龍崎くんが目をキラキラさせて話しかけてきた。
「八木さん、あのアクセルすごくカッコよかった」
「え?」
「あのフォームは慎一郎先生意識だよね。八木さんは身長が8歳にしては高めだから、筋力で足りない分を補う回転速度意識の高いジャンプを跳んでる」
少し興奮したような語り口でぺらぺらと喋る彼の推測は、およそ当たっていた。
身長のせいで体重も増え、跳びづらい自分に合わせて慎一郎先生と考えたフォームを褒められ、照れた笑みが漏れる。
「ありがとう。このフォームは好きだから、そう褒められると嬉しい。……にしても、よく見ただけでわかったね」
「すごい完成度が高かったからね。やや回転が足りてなかったけど、何回か跳べば成功すると思うジャンプだった! だから」
「
「……え?」
意味がわからない。
フォームを変えるには指先から重心まで、コーチと一緒に決めるものだ。
そんな取り入れると決めて取り入れられるようなものじゃないし、そもそも彼に合っているかどうかだってわからないのに。
2回転アクセル
それでも、彼は跳んだ。
残酷なまでの