運命はかく扉を叩く 作:スケート観戦に必要な知識多すぎ
『史上初、ノービスB時点で3回転ルッツ+トウループのコンビネーションジャンプを跳んだ龍崎氷人くんが金メダルを獲得しました!』
“敗北”とは何か、ずっと考えていた。
人生を賭けた試合で負けたら敗北なのだろうか。
絶対に違う。まだ挑む機会も気持ちもあれば、完全に敗北したとはいえない。
成長速度で負けたら敗北なのだろうか。
違う。例え実力が追いつけなくとも、工夫や運の向き一つで変わるフィギュアスケートというスポーツならば、完全に敗北したとはいえない。
現状に満足したら敗北なのだろうか。
違う、はずだ。現在地点を確認しなければ相手との距離も割り出せない。がむしゃらに追うのが全てじゃないんだ。
「…………俺は、まだ」
負けてない、と。そう信じていたい。
けれど、その一言を捻り出すことがどうしてもできない。
それほどまでに、
ずっしりと重い銀のメダルを握り締めて、鴗鳥理凰は自室に閉じこもっていた。
「理凰、ご飯はいいの?」
「後で食べる。今はもう少し、ビデオを見たい」
「…………わかったよ」
時折様子を見に来ているらしい光の足音が遠ざかっていく。
エイヴァや親父の時はもっと説得が長引くから、一言で通じるのは助かった。
まだ、やることがあるから。
鴗鳥理凰は、2回目の全日本ノービスBで
男子ノービスB二連覇かつ、二連続で歴代最高点を更新した稀代の天才。
男子史上初、10歳で3回転ルッツ+3回転トウループを含む3回転5種を跳んだ次代のオリンピアン。
スケートの運命に愛された男、龍崎氷人の滑走を。
「……得点が、足りない」
鴗鳥理凰が2年目のノービスBで叩き出したスコアは81.90点。
これは歴代でも三指に入る点数で、ノービスB銀メダリストとしては破格。
今までならば、第二滑走にして優勝決定かと騒つかれるような点数だっただろう。
──龍崎氷人さえ、いなければ。
96.95点
狼嵜光へわずかに届かず、それでいて異次元の高得点。
TESでは言うに及ばず、PCSでも敗北したあまりに大きい15点。
ジャンプの壁を3つ4つ破らなくてはならない高い高い差。
その事実を受け止め続ける、人によっては自傷行為とすら認識しそうなそれを鴗鳥理凰はずっと続けている。
「ジャンプが足りない、スケーティングの技術が足りない、メンタルが足りない……」
去年のノービスB時にも行っていた、龍崎氷人の滑走をただぼうっと見続けるこの行為が、消えそうな闘志の火を灯すためだと知っているのは鴗鳥慎一郎だけだった。
「時間が足りない、思考能力が足りない、吸収力が足りない……」
一番のくせに嬉しそうではない
圧倒的なまでの差に、諦めないために。
「……才能が、足りない。でも」
諦める理由にも、ならない。
才能が足りないことを言い訳にしたくない。
自分は銀メダルに満足しそうになっている。
燻っていた2回転も跳んで、10歳で3回転トウループに手を掛けて、同世代で2位。
これ以上ないくらいの結果だから良いじゃないか。
サラブレッドとしても成功で、自らの価値を認めてやれる最高の成果じゃないか。
──ふざけるな。
満足なんかするんじゃない。
鴗鳥理凰は、
「……認めて欲しい」
赤の他人に。
自分を気遣ってくれるであろう親父でもなく、エイヴァでもなく、光でもなく、ましてや氷人でもなく。
自分の滑走だけを知っているような奴に、認めて欲しい。
俺はまだ諦めなくていいんだと。
天才を追いかけていいんだと。
アイツにほんの一回でも勝てる分だけでいいから──伸び代が、才能があると。
「──っ、ちょっと外に出てくる!」
1週間ぶり、鈍った体に鞭を入れて、行くあてもなく夜の街へ走り出した。
この怠けた闘争心に、火をつけなきゃならない。
逃げたがる本能を押さえつける“何か”が欲しい。
だって、ここで俺が諦めてしまったら。
(氷人だけじゃない。“光”にだって、誰も届かないって言うようなものじゃないか……!)
才能を持つ奴らが誰にも追いかけられなかったら。
あの愛しい家族が、クソみたいな腐れ縁の幼馴染が。
冷たい氷の上で、ひとりぼっちになってしまう。
(そうだ、原点を思い出せ)
俺は真実、勝ちたいわけじゃない。
まだお前らを追っている奴がいるんだぞと伝えたいだけなんだ。
諦めない理由をもっと探せ。
プライドの他に、家族愛の他に、友愛の他に、もっと。
何かが欲しい。
追い続ける自分を認める何かが。この道をがむしゃらに走っていていいと言ってくれる何かが。
それさえあれば、俺はまだここにいられるのに。
──
その願いは、ある元アイスダンス選手の悩みとそっくりだった。
急に動かした身体が軋んで、今にも詰まりそうな呼吸を吐き出す。
……気付けば、家からはだいぶ離れたところまで来てしまった。
「…………水、飲むか」
ふと目に入った公園の水飲み場で、水分補給を行う。
全く気付いていなかったが、既に街灯と月光がなければ動けないほどに周囲は暗くなっていた。
衝動のままにここまで来てしまったが、家に戻らないと随分心配されるだろう、というかもうしてるはずだ。
バカみたいだ。
こんなところまで走ったところで悩みは解決しないのに。
抑えきれなくなって飛び出して、何がしたかったんだか。
疲労とは違う溜息を一つ。
この付近の地図を思い出しながら周囲をキョロキョロと見渡したところで、ベンチで光っているものに目が留まった。
「なんだあれ。…………タブレット端末?」
誰かの置き忘れだろうか。
動画のループ再生を繰り返しているらしいそれは、ちょうどこの公園で撮られたような背景で……1回転ルッツらしきものを、陸で回っている男性が映っている。
そのたった1回転が、妙に理凰の心を惹いて、この場に留めた。
「あーっ!! やっぱりここにあった!!」
どデカい声にビクッと体が跳ねる。
近所迷惑そうな大声と共に駆け寄ってきたガタイのいい男が、荒い息を吐きながらタブレット端末を確認し、バッグへと戻した。
「はー……よかった。これ買い直しになったらシャレにならないから……って、君。どこの子か知らないけれど、こんな暗い時間に外歩いてちゃ…………あれ?」
不審者のような挙動だったくせに大人ぶってこちらへ注意しようとしてきた男性は、何かに気付いたように言葉を止めた。
「……もしかして、全日本ノービスBに出てた鴗鳥理凰選手?」
「…………そうですけど、アンタ誰ですか?」
「あ、いや怪しいものじゃないよ! スケート関係者! というか本当になんで夜遅くにここに!?」
子供ながらに警戒心を滲ませ、すぐに逃げられるように一歩後ろへ下がった理凰を落ち着かせるべく、わたわたと手を振って名乗っている男。
その指先一つすら、無意識のうちにピンと伸ばす職業病が垣間見えて、理凰はどこか心臓が跳ねたのを感じた。
それは龍崎氷人によって狂った歯車が、奇跡のように噛み合ったもの。
「俺はこの辺りの……大須スケートリンクにあるルクス東山でコーチ研修やってる者だよ」
「名前は、明浦路司」
月光の中で、二人が出逢ったこれを。
運命と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。
メダリストの二次創作あと1000件くらい増えてほしい