その後もポツポツと会話をしていたところ、気が付くとえっとるがそばに居た。ものすごいしおしおの顔をしながら。
「ごめんなさいミモリ、ベーコン……」
「ワッいつの間に!?」
「二人が自己紹介してたとこから……」
「結構居たな?!」
「あれっもうちょっと後からだと思ってたです……ぐぬぬ」
分かってたなら教えてくれないか。
「アタシが説明しなかったばっかりに……そこまで悩ませてたなんて……ううっ ベーコンもごめんなさい、アタシったらいっつもこう……アタシがっ……アタシが悪いのにうえぶぁあああ」
「えっとる鼻から汁が出てるです、ミモリに掛かるので近寄らないでくださいね」
「ワッつめたい……」
「ニンゲンに掛かるとお肉が溶けちゃうです」
「ウワァ近寄るなァ」
謎の液体で顔面がべちょべちょになったえっとるが、僕の周りをくるくる飛び回る。
「大丈夫ミモリ? もうつらくない? ううぅ……ただのこっちの事情なの。ミモリはなんにも悪くないの……気を遣わせたくなかったの……」
「いやその、ウーン……そっちの事情は分かんなかったけど。まず僕も訊くべきだったし――というかどんな事情があれ僕がえっとるの言うことを聞かなかったのがなのが原因なのは変わらないっていうか……その、つまり、まずはごめん。ごめんで済ませられることではないけれど……」
「うああぁぁんミモリわるくないのに謝られたあぁぁ」
「どうしてェ……」
「精霊からしてみるとそうなるです、ニンゲンは面倒ですね」
「ニンゲンからしてみてもいい?」
などと言いつつ他の人間がどう思うのかはちょっと分からないので、僕には人間代表は出来ないかもしれない。
会話をしていて、身体が軽くなったように感じた。そのことに苦味を覚えて空を見上げる。いつの間にか空はすっかり暗くなっている。
向き合えないことばかりのくせになにを誠実ぶっているのだろう。謝るという行為を自分がラクになるために使っている。謝れることへの焦げついたよろこびが心臓をなでる。これもベーコンに伝わってしまったのだろうか。居た堪れない――
「…………。おっと、流石に暗くなってきたですね。えっとる、何度もわりーですが緑の木はあったですか?」
「あっ! うう、そうだった……だ、大丈夫よちゃんと見つけてるわ! あっちの方にアタシの眼の色みたいな木があったでしょう? その側に漂流物っぽい木が生えてたの、木の実も成っていそうだったからミモリでも食べられるんじゃないかしら。他にも――」
えっとるが指を指しながらいくつか候補を上げていく。この森の植物は暗闇でも淡く光るものが多く、空が暗くなっていても色が分かる。道も十分歩けそうだが、夜は動きすぎない方が良いということでなるべく早急に確認しにいくことになった。なにより僕のお腹が保たない、らしい。
べーこんの気配偽装は優秀なのだが、いわく敵の視界に入ってからでは意味がないのと、今は燃料が僕依存であることが問題点だそうだ。なるべく燃費に配慮してくれていると言うが、化け物が出没している今、敵に見つからないようにする為には力を使い続ける必要があり、それに伴い僕のお腹が勢いよく減っていく。コンビニまんは一応まだあるとはいえ、食料を確保しないと安全に森を脱出するのは困難な状態だ。
えっとるの案内で木の実の元に向かうと、そこには赤や緑、黄色の大きな丸い実を付けた木があり――――
「リンゴじゃん、これ」
「知ってるの?」
「漂流物はニンゲンの領域のモノらしいですね」
いやまあ普通はこんなに一本に色とりどりの実が成るのかどうかちょっと疑問だけれど。……やっぱりりんごじゃないのかもしれない。
しかしどう見てもリンゴの形をした、りんごのニオイのする実の成った植物だ。頭上で会話をする精霊二人を放っておいて、なんとなく取りやすい位置にあった黄色いリンゴをもぎ取り、かじる。パリ、と音を立てて、酸味の薄い、芳しい甘味が口に広がる。
どうもとんでもなくお腹が空いていたようで、そのまま三個ほど平らげてしまった。おいしー。りんごって一つでも意外と腹にたまるはずなんだけれどな。
「そういや聞きそびれてましたが、おめーらなんで生きてるんです?」
「急な罵倒」
「本当に穢れ翅に触ったんだったらありえねーことなんですよ。元に戻れたなんて聞いたことねーです」
本当にそういう感じなのか。確かに触ったら終わりみたいな話だったけれど、えっとるの翅の色が変わったこと以外特におかしなところはなにもない。
「アタシもそう思ったんだけど、くっついちゃったと思ったら吐き出されたのよね、スポーンって」
「快便じゃねーですか」
「なんつー例えしてんだお前」
「えっ、快便なのはいいことなのよね?」
「そうだけどッ……そうじゃないッ……」
明後日の方向に飛んで行く会話を憂いながら、僕はリンゴ収穫に勤しんだ。コンビニまんが潰れない程度に詰めるだけ詰めておくか。大事なカバンが芳しくなっちゃうね。
「けど、なんでなのかはやっぱり分からないわ。ごめんなさいベーコン」
「大丈夫です。まあ、理由がわかんねーならもう一度試せとは言えねーですね。えっとるが何度溶けても戻せるってことならとってもよかったんですけれど……」
「流石にミモリをこれ以上危険に晒せないわよ!」
よく分からないけれどあの時大丈夫だったんだしそれなら試してみてもいいのではないかとも思ったが、えっとるに全力で止められた。
「とりあえずミモリはこの木の下で休むです。横になって構いませんが、わたしは頭にくっついてるです。力はずっと使っておくのでさっきのヤツに気付かれることはねーです。でもお腹が減ったら定期的に起きて食べるです。……えっとるは、あっちの背の高いオレンジ色の木にするです。わたしの力が届かないので絶対にめいっぱい高い位置で休むですよ……
仕方ないわよね、と少しだけ残念そうに承諾するえっとる。それなら僕もあっちのオレンジ色の木の下で休めば良いのではと思ったが、いくつかの都合上僕はこちらの木の下にして欲しいのだという。そもそもこの木のような漂流物といわれる外の世界由来のモノ以外、ふわふわ森にあるものは大体人間にはうっすら害があるそうだ。それを聞いて思わず首筋を撫でたが、あの地面の星は「多分大丈夫っぽい」のカテゴリらしく……多分大丈夫。多分。
「本当は近くにいてえっとるの気配もまとめて隠せた方がいいんですが……」
「……それ、例えばあのオレンジ色の葉っぱ越しにリンゴの木を触るとかだとどうなるのかな」
「! なるほどですね、確かにそれなら大丈夫かもしれねーです。……むーん、我々、穢れ翅になるとまずいい感じのくっつき先探しちゃうので……盲点でした……」
最終的に僕から少し離れた位置に、極彩色の枝とバカでかい水色の葉っぱを使用したテントのようなものをつくり、えっとるはその中で眠ることになった。地面にはもこもこの草とそこら辺に埋まっている星を掘り出し敷き詰めてある。全体的に光っているのだがこれで眠れるのだろうか。
僕は思いつきを口に出したのと組み立てを手伝ったくらいだったのだが、えっとるは何度も感謝を示してきた。過剰なまでに喜びはしゃいで、テントと僕のまわりをくるくる飛び回って、そうしてひとしきりはしゃぐと疲れたのかテントの中に引っ込んでいった。なんとも忙しいヤツである。
空はもうとっくに真っ暗だが、森の中は至る所が淡く光っており明るく幻想的な雰囲気だ。これでニオイにこびりつくような甘さがなければとは思い、それよりも化け物がいない方がありがたいし、全体的に色々おかしいのでやっぱり帰りたいなという思いが勝手に戦い勝手に勝った。
自分では気付いていなかったが相応に疲労は蓄積されていたようで、休めると分かると身体が動かなくなってくる。頭上で行われる会話の内容が頭に入ってこない。本当は休んでいる場合なのかも分からないし、知っておくべきこともまだたくさんあるとは思うのだが、意識がどんどん沈んでいく。えっとるがこちらにおやすみ、と言ったことだけはなんとか分かり、返事をしたつもりがどうにも口が動いていないことに気付き、僕は諦めて意識を手放した。
――――泣いている。誰かが、泣いている。
あまりにも深い哀しみ。悲鳴を押し殺すような泣き方。かえりたい。かえりたい。
泣き声が耳に入るだけで身体中が強張り、臓器がねじれ押し潰されるような感覚がした。耐え難い苦しみに襲われる。
どうして泣いているのか。どうにかしたいのに、どうしたらいいのか分からないことがひどく悲しい。どうにも出来ないまま、ただここにいることしか出来ない。
そのうち声に、哀しみ以外の感情が乗ってきたのが分かった。どろりとして、深い水の中にいるのに燃えるような、世界すべてを憎むような、複雑で悲痛で身体すべてが捻じ切れそうな感情。かえして。かえしてよ。声が耳に触れるたび、心が蝕まれていく。引き摺り込まれる。どこに? 分からない。ただ深く、底がなく、溺れるような苦しさを感じて――――
「――――腹、減った」
それよりもお腹が空いたことを思い出して目を覚ました。なんだかひどい悪夢を見ていた気がするが、空腹と尿意に勝てる夢はなく、案の定夢の内容はあっという間に頭からこぼれ落ちていく。
冷蔵庫になにかあったかなと思案しつつ辺りを見渡すと、ほのかに光るカラフルなイルミネーションが飛び込んできた。そうだった。冷蔵庫自体がない。ガッカリだ。帰りたいな。
眠りに落ちる前に収穫しておいたリンゴを手に取り食べ始める。少なくなったペットボトルのお茶にも口をつけ、コンビニまんが悪くなってしまってやいないかと不安になり様子を見る。まだ大丈夫か。
「ミモリ、なにをやっているの?」
「うおっ!? えっとる……なんだ起きてたのか」
声の方向に振り向くと、簡易テントからひょっこり顔を出した水色頭の少女がいた。かたつむりのようになっている。
「ずっと起きてたわけじゃないけど……寝る前にはしゃいじゃってたからか、ちょっと前に目が覚めちゃって。ミモリは?」
「いや、ちょっとお腹が空いて目が覚めたから……食べてただけだよ。ついでに荷物の点検」
「そう? カバンに頭つっこんで息を吸っていたからなにかと思った」
「アッウン……気にしないで……」
コンビニまんへの愛が溢れているところを見られてしまった。少し恥ずかしさを覚える。
まだ空腹が満たされていないので新たなリンゴを齧り出す。咀嚼音だけが響く無言の時間。眠ったのかと思いチラと様子を伺うと、えっとるは思いっきりこっちを見ていた。微笑みながら、じーっと。
「ン゙ッ゙!? な、なに? 僕の顔になんか付いてた?」
「え? ううん、なんだか嬉しくて。つい眺めちゃった。ダメだったかしら」
「ゲホッ……ダメかどうかは分からないけれど、ちょっと恥ずかしいっていうか……」
驚いてリンゴが気管に入りかけた。相手がペットボトルサイズとはいえ、愛らしいヒトの形をしている生命体にあまり見つめられると流石にムズムズする。
そんな様子を見てもえへへ、と穏やかに笑うばかりのえっとる。本当に嬉しそうで、そんな顔をみるとなにも言えなくなる。再び無言の時間。リンゴの味に集中出来ない。
「…………僕の顔、そんな面白いかな」
「あっ、違うの、ごめんね! そういうわけじゃないんだけど……」
自分の顔を揉むえっとる。少し遠くを見て、一泊置いて話し出す。
「……その。アタシ、初めてなの。こうやって、誰かと一緒に夜を過ごすって」
「ほら、三層って他にだあれもいないから! 決まりもあるから誰も来れないし――べーこんはたまに来てくれたけど――それでも夜までには帰らなくちゃいけなかったから。夜って少し寒いし、だから、あんまり好きじゃなくて」
えへへ、と苦笑いするえっとる。あんまり好きじゃないという言葉では済まない程度の感情を抱いているだろうことは、混ざり合いかけた時に流れ込んだ断片から察せられる。喉の奥が冷たい。
「でも今、夜なのにね、すぐそばにミモリとべーこんが居るの! ぜんぜん、寒くないの。こんなのって初めてで――今日、いままでで一番、声を出してる気がする。声を聞いてる気がする。よくないこともしちゃったし、ミモリも大変なのにこんなこと思っちゃいけないなっても思うんだけど――――でもアタシ、今日、やっぱり、うまれてきてから一番、楽しかった」
楽しかった、とこちらを向く彼女の表情は、この世のどんな花よりも美しく見えた。時間が止まるような感覚。ミモリにこんな思いさせておいてなにをーって感じよね、アタシったら、と続ける彼女に、僕は気がつくと手を伸ばしていた。リンゴ一個分の距離。
「――ミモリ?」
呼ばれて我に帰る。僕はなにをしようとしていたのだろう。彼女に触れてはいけないのだ。ただ、死に限りなく近づいた一日のはずなのに、人生で最も楽しかったと言う彼女。あまりに綺麗に笑う彼女から目を離せなくて、このまま放って置けないような感覚がして、でもどうしたらいいのか分からず――――だからって触ったらダメなヤツを触ろうとするのヤバくない? それは本当にそう。危ないところだった。この森の人間を狂わせるなにかと、そのなにかがあったとしても衝動でよく分からない行動に走る自分の人間性に恐怖を感じる。深森くんキモーい。はい……。
「いや、違うんだ。ちょっと間違えたというか……そうじゃなくて……間違えたんだ。つまりは……間違えたんだよ」
「そ、そう?」
「そうじゃなくてェ……えっと、そうだ。うん、色々あったし、まだまだ先は長そうだし、まあ、帰りたいのはそうだけど。でもさ、えっとるたちと居て――居たから、今日、嫌なことだけじゃなくて……楽しかったんだ。僕も」
えっとるが目を見開く。頬に赤みが差していく。噛み締めるような笑顔。
「……ッ! ミモリ……」
「楽しかったんだ……。楽しかったから……こんなの……嫌なんだ。えっとるともっと、ずっと、一緒に……」
「……」
「……あのさ、えっとる。僕、森を出たら、えっとるの翅を治す方法がないか探してみようと思う」
「ミモリ、そんなの、」
「精霊がなにかってこと自体全くわかんないけどさ! 僕とえっとるはくっつかなかったんだ。なにかきっとあるんだと思う。ここじゃインターネットも繋がらないけれど、ネットは広大なんだから、探したらなにか見つかる可能性だってきっとあるだろうし。森に居れないならさ、えっとるも一緒に僕の家に来るのはどうかな! 触ったらいけないなら今みたいにここの葉っぱとかで――」
目が合う。透明な微笑み。人間のそれとは異なる成分で出来た涙が、ピンク色の瞳から溢れていく。
「ごめんね、ミモリ――アタシ、アタシのせいなのに――嬉しくて――嬉しいの、嬉しくて嬉しくて堪らないの。でも――――きっと森の外に、一緒には、行けない」
「精霊って――森を出たら、死んじゃうんだって」