森を出たら精霊は死ぬ。
森を出なくても殺されるのに? なんだよそれ。そりゃあこんなにもイカれた生態を持つ精霊についての情報が一切インターネットに流れてこないわけだ。そんなの――
「えっとる……じゃあキミは、僕を森の外に送り届けた後はどうするつもりだったんだ?」
「えっ、そんなの………………あら? あんまり考えてなかったかも」
「考えてなかったんか」
謎の成分で出来た涙を拭いつつ、えっとるは思案をする。
「うーん……森の端っこなら見つかりにくいかしら? そこでひっそり過ごすの。処分されても別に良かったはずだったけど、アイツに処分されるかもって思うとなんだか……なにかしらこの気持ち? もしかしてこれが、すっごく、嫌……?」
見事なまでの嫌そうな顔だ。クリーム頭のことだろうか。そりゃまあ嫌だよな。僕も嫌だ。けれどアイツがいたからこそえっとるが処分の道に後ろ向きになってくれているという点は評価しなくてはいけないのかもしれない。嫌だな。
「だから、端っこで目立たないように暮らして、最期は生き物以外を触って終点になる……くらいかしら。べーこんが来てくれたから、出来たらべーこんが「いなくなる」まではこのまま何ともくっつかないで居たいわね」
「そっか……」
「べーこんの特技もあるしそうすぐには……あらら? 一人じゃなくって、ニンゲンを殺すことについて考えなくてもいい……今までよりいいかも!」
このまま僕を送り届けたら素直に処分されに行くとかだったら全力で考え直すよう懇願しただろうが、どうにもコメントがしにくい。そして自分以外の生き物に触れられなくなり、同族が自分を殺しにくる可能性がある状態の方が今までより良いと言うのだから、なんとも言えない苦い感情が湧く。
「ごめんねミモリ、誘ってくれて本当、ほんっとうに嬉しかったんだけど……」
「いや、まあ、ウン、僕の独り善がりだから。……アー、この森って出入りが固定で自由に出来る場所ってあるのかな? 外で色々調べて、なにか分かったら伝えに来れる感じだといいんだけど」
「どうなのかしら? 会えるならとっても嬉しいけれど……ふふ、でもなにも調べなくっていいわよ。たくさん遊びに来てくれた方が嬉しいもの!」
ベーコンだったら一層のことにも詳しいからなにか分かるかも、朝になったら訊かなきゃとはしゃぐえっとる。僕もなんだかつられて気持ちが上を向き、一緒に楽しい仮定の未来の話を重ねる。
「二人とも、ちょっと静かにしてです」
「「ごめんなさい……」」
そのため今が本来は眠るべき時間だということをすっかり忘れていた。ほんとごめん。
「むむ、ちげーですよ。なんか嫌な感じがしたです。ちょっとだけ集中して気配探らせてほしーです」
この姿は気に入ってますが力がうまく使えねーのは本当歯痒いです、と小さく呟き僕からなにかを吸い取っていくべーこん。次の瞬間頭上で動く感触がし、焦ったように喋り出す。
「あの、二人とも。わりーですが休憩は終わりです。すぐに二層は出ましょう。ぽあれって……さっきの穢れ肉の反応が大きくなってます」
「! 大変じゃない! それって……」
「はい。精霊かニンゲンか――どちらもかもしれません。新しく何人か飲み込んでます。あの子の特技はわたしと似てますから、大きくなると流石に見破られるかもしんねーんです。わたしは優秀ですが、見つけられちゃうとかよわい存在です……急ぐですよ――ミモリ、オレンジ色の木の側へまずは向かってください!」
真剣な様子のべーこんに指示され、慌ててカバンを取り走り出す。眠る前に収穫したリンゴを結構食べてしまったので新しく採っておきたかったが、そんな時間はなさそうだった。いや一つだけ、一つだけとっとこう。腹がもたない!
「はいそれではここでしゃがむ! 立つ! もういっちょしゃがむ! 立つ! よしっそのまますぐあっちの水色の木に向かって全力で体当たりです!」
「ウオオオオオーッ……!? ワッ痛くない! ってここどこだ!?」
「よーし景色変わりましたね! それではその場でキッカリ五十六回跳ねてください、ちゃんと両脚使うですよ!」
「ワアアアアアアーッ」
「崖です! 両手を広げて……なんか短めに歌って下さい! 好きなやつでいいですよ!」
「む、無茶振りッ……♫《特定のコンビニで聞きがちな入店音》」
「おっいけましたよ、なんですかその曲! いいですね!」
「コンビニと僕のばあちゃん家のチャイムの音!」
「ウワッなんだこの馬鹿でかい滑り台!?」
「これは恵の木です! 精霊に人気の遊び場ですが……今は誰もいませんね! 急いで登って滑るです!」
「ゼーッヒューッ……オエッ! ちょ、ちょっと待って……このハシゴ、長……終わらな……」
「見た目よりずっと高いですからね、まだまだ終わんねーですよ!」
「アアアアアーッ! ねえこれいつまで滑ってんの!? 終わりある!? 明らかに登った距離以上あるでしょアッ曲がっウオアアアーッ!?!?」
「ヒャッホーです! たのしーです!!!」
「アアアアアアッヒャホー!……ねえところでえっとるは?」
「……………………。………あっ、大丈夫です! 後ろの方に着いてきてま……えっとるー!? どうして顔面から滑ってるですー!?」
「えっとるー!? お前いつから……大丈夫かえっとるー!!!!」
ハイッ! そんなこんなでやってきましたふわふわ森第一層! よ、ようやく一層……! えっとるは滑り台で削れてすっかり平らになっていた。ぺらぺらだ……あっ戻った。どういう原理なんだろう。
一層は明らかに空気が違う。二層までとは異なる、圧倒的な緊張感。暗く、冷たく、ねばついた――マシュマロのニオイがする空気。森の中を照らしていた植物は数を減らし、闇の中でほの赤く光が見える程度。既に明け方のはずなのだが、夜の二層よりも暗く感じる。花みたいに生えた釣り鐘はここにもあるが、こんな状況だと人の声のように――いや、実際どこからか呻き声が聞こえる。なにかが蠢いている。すぐ近くに、いる。
ヤバい。ここは、明らかにヤバい。頭の中で警鐘が鳴り響く。おかしい。逃げなくては。帰りたい。帰らなくてはいけない。こんなところにいては――
「ミモリ、おちつくです」
「っ、ごめんべーこん。いや、一層ってすごいね。全然……なんというか、ジャンルが違うっていうか」
「ここもいつもはこんなんじゃないです。もっと明るくて、チビども――精霊だってたくさんいるです。二層もいつもはもっと平和ですが、その比じゃないです。おかしいです……」
「なにか」が近寄ってくる。肌色の動くもやしの塊のようななにか。ぶよぶよした血色の煮凝り。たくさんの花が咲いた――花のように、指が生えた――肌色の肉の塊。僕の目の前で止まる。じっと見てくる。なにかをずっと呟いている。
「めぅ も ぎ ええう あにぇ ぐ えええう」
「…………ッ!」
「だ、大丈夫です、大丈夫ですよ。気付いてません。とにかくそっと離れるです。右後ろにもいますから気をつけるです」
辺りを見渡すと、そこかしこに「なにか」がいる。まったく気が休まらない。背中を汗が伝う。
「とにかく看板を探すです。一層はそれさえ見つけられたら帰れるはずです」
「アタシ、見てこようか?」
「……いえ、これだけ多いと高く飛べるヤツもいるはずです……わたしの側を離れねー方がいいと思うです」
一層は元々ごく小さな精霊の数が多く、一人一人の特技は大したことがない者が多数を占めるのだが、それが一斉に穢れ翅となり――化け物と化しているとどうなるか。この化け物は精霊とニンゲンなどの生き物に強く反応し、目に入ると見境なく襲ってくる。元となった精霊の特技も使用出来る為、いくら元々が弱い力だとしても数が多いとどうしても対処が難しい。それに弱くとも相性の悪い力の持ち主がいないとも限らない。地道にまとまって行動する方が安全……らしい。
今すぐにでもどこかに走り出してしまいたい衝動に駆られながら、辺りを見まわし歩き回る。視界に常に化け物がいる。あまりに多すぎる。このすべてに触れないように歩かねばならないのだから、余計に気が滅入る。
それでもなんとか化け物を避け探索を続けると、木製の看板が地面に突き刺さっているのが目に入った。
「! 看板です! やりました!」
「おっ見つかった!? よっしゃどこに行けば……」
『おまえは にどと もどれない』
……あ?
「あれっ、文字ですか? おかしいですね、いつもは……これじゃ分かんねです……」
「ほんとね、なんて書いてあるのかしら? ミモリは分かる?」
「んん……ンー……いや、分かるんだ。分かるんだけどさ」
認めたくない現実として横たわる文章。声に出して読むことを躊躇っていると、文字がウゾウゾと動き、文章が変わっていった。
『ここで くるしめ ぜったい にがさない』
……ワッ、ちくちくの態度!
二人に看板が敵意を剥き出しにしてくることを伝えると、「看板のくせに案内もしないとはなにごとですか! 燃やされてーですか!」とべーこんは怒り出し、えっとるは「でも、ここから帰さないし苦しんでねって案内ではあるかも……」と何故か悔しそうにしていた。僕はもうどうしたらいいか分かんない。おうちかえりたい。
「看板くん、僕、キミに何かした? 出来ればさ、キミとは仲良くしたいんだよ……いや本当……アッこの辺り掃除とかしようか? ツタみたいなの絡まってるし――真っ黒だねこのツタ! いやマジで黒いな――きれいにするからさ! 機嫌なおし――」
「しぇ ろぉか も がええうい」
「はっ?」
看板の側に、コールタールの色をした化け物が現れた。なんの予兆もなく、最初からそこに居たかのように出現した化け物は、僕に向かって腕を伸ばす。誰も反応出来なかった。あまりに突然で、避けなくてはいけないのに頭が追いつかない。このままでは触れてしま――――
キン、と金属の擦れたような音がした。
コールタールの化け物が、真っ二つになって溶け崩れていく。いつの間にかその向こうに青白い、ぼんやり光る人型が居た。人型はろうそくの炎のように姿がぶれて瞬いて、人型をしていることしか分からない。しかし一瞬だけピントが合ったかのように、なにか武器のようなもの――剣? のようなものを持っているのが見えた。
「あ、えっ、と……」
声が出てこない。状況が追いつかない。突然現れたコールタール。この人型が、それを切った……助けてくれた? 青白い人型が、顔に当たるであろう部分を近づけてくる。目のような二つの光が、僕を捉える。全身を見るように動く顔。僕の様子を見ている?
「…………その、助けてくれた……んです、よね? あ、ありがとう……ございます……おかげで、その、無事……だと思います」
僕の声に反応し、視線を僕の顔に戻す人型。肯定なのか満足したのか、僕をじっと見つめた後、二度ほど頷く。揺れる光。一瞬、少女のような顔が見えたような気がした。
「…………「翅ナシ」、ですか」
「知ってるのかべーこん」
「直接見たのは初めてです。でも一層では有名なヤツですよ」
べーこんは明らかに警戒を声色に滲ませている。助けてくれたヒトに対する態度としてはあまり良いものではない気がしたが、どういうことなのだろうか。
「一層の、精霊殺し……そう呼ばれているです」