1話 友人
日が落ちて暗くなり始めた黄昏時。倉田ましろは外観が赤レンガを積まれて作られ三角形の屋根をした。喫茶店のような店の前には佇んでいた。
ノックをするか。それとも店の主が出てくるのを待つべきか悩んでいると「お、来たか」と店の中から長い黒髪を後ろでに纏めた女性。西条律子が姿を現した。
「なに、突っ立ているんだ? 中に入れよ」と左目を閉じながら、親指で二回店の中を差した。
その言葉に従い、ましろは店の中に入る。真っ先に目に入ったのは英語で書かれた高そうなお酒が入ったショーケース。その後ろから姿を現した律子の手には少し大きめの紙袋があった。
「教科書が1冊とノート。あとは食料品が少々と……少し重たいが持っていけるか? ましろちゃん」
「は、はい……」
ましろに対して優しい言葉をかける律子。
しかし、彼女の中で普段の律子は自分の娘に対しては厳しい言葉をかけていた。そのイメージがましろの中では強く残っており、律子に対して少し苦手意識があった。
律子から紙袋を受け取ったましろは急いで店を飛び出して、友達が待つ病院に向かった。
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都内の中心部から離れた場所にある大きな病院。そこの8階の奥にある窓が締め切った静かな病室。
そこに私─瑞穂依頼は1人で黙々とパソコンのキーを叩いていた。
「こんなものかな」
独り言を洩らしながらパソコンに表示された時計を見てみると昼食を摂ってから3時間半以上も編集作業をやっていたことに気が付いた。
ひと息つける為、パソコンを閉じると見えたのは包帯でぐるぐる巻きにされた自身の足であった。
2週間前の三月の下旬頃。私は心地よい風と太陽の光を全身に浴びながら散歩をしていた。公園の前を通りかかった際に子供の遊ぶ声に混ざった中に微かにベースの音が聞こえてきた。
その音が気になった私は誘われるように公園の中に入っていった。
音の発生源は黒髪長髪に黒いベストを着た女性だった。彼女の邪魔にならないように距離を開けながら耳を澄ませた。演奏が終わると同時に彼女は顔を上げた。その際に彼女と目が合った。声を掛けられていたが、それが怖くて急いで公園に出た所、左から来た車に轢かれた。
あぁ……今思い出すだけでも恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「うっ……」
物思いにふけていると強い吐き気が現世に引き戻す。空っぽの胃袋から熱いものが込み上げてくる。ベッドの傍にあるビニール袋に嘔吐する。
静かな部屋に自分の情けない声が耳に残る。アルコール除菌ペーパーで手を拭き、ごみ箱に捨てる。処理が終えてベットに横になるとノックをする音が聞こえた。
急いで身だしなみを整える。いくら入院中だとしても身だしなみには注意しないとだらしない人間だと思われたくない。
髪を手櫛でといて左目を前髪で隠すと同時にノックをした人物が病室に入ってきた。
「依頼ちゃん。頼まれてた物を持って来たよ」
ビニール袋を両手に抱えて入ってきたのは、近所に住んでいる倉田 ましろだった。彼女とは中学からの知り合い。私が転校してきた当時はあまり会話する間柄ではなかったが、学校生活を送る間にいつしか親しい関係になった。
「あぁ、ありがとう。色々注文が多くて悪いな」
「ううん。大丈夫……私は持ってきただけで律子さんが用意してくれたから……」
父が亡くなって数年。親戚中からたらいまわしのように各地を転々していた。行く当てがなくなって路頭に迷っている私を引き受けてくれたのは、父の友人だと名乗る律子さんだった。
「甘いものとかある? 今はそれを食べたい気分」
「ちょっと待ってて……プリンとぶどうのゼリーがあるよ」
「気分的にはゼリーかな?」
ましろからゼリーを受け取り、ベットの上で黙々と甘味を堪能しながらゆっくり空っぽの胃に流し込む。
その横でましろはベットの横に備え付けられた冷蔵庫にプリンや飲料水等々。消化によさそうな物を入れていった。
「そうだ。誰か友達になりそうな人はいた?」
ましろは首を横に振った。
彼女は極度の人見知り。なんとなくそうだろうと思った。私ともこうして話せるようになったのも私の方から何度かアプローチを掛けた方だ。
「依頼ちゃんの方はどう……あと、どれぐらいで学校に来れるの?」
「残念ながら、早くても2週間は大人しくしないとダメだって」
月ノ森女子学園。お金持ちや才能を持っている人が通う学校。そんなお嬢様学校に平凡な私達は偶然にも同じ高校に通う事になっていた。
「心配しなくても大丈夫。順調に回復していっているから運が良かったら直ぐに退院できるって医者が言っていたから……」
「うん……あ、そうだ。律子さんが着替えとか他に欲しい物はあるか聞いていたよ」
「はい。これに書いているのをよろしく」
必要な物を書いた1枚の紙切れをましろに渡す。
事故の衝撃でスマホが壊れてしまった。代用携帯があるにはあるが私の保護者である律子の連絡先がない為、直接電話やメールを送る事が出来なかった。
残された連絡手段は、古典的だが見舞いに来てくれるましろにメモを書いて渡すしかなかった。
「科学と地理。これ全部1回で持ってこないといけないのかな?」
「じゃあ、明日は科学だけでいい。ましろも知っていると思うけど、私は科学が苦手だから勉強しておきたい」
1ヶ月も入院しているとその分だけクラスメイトと勉学に差が出る。それを埋めるためには独学で勉強しないといけない。奨学金を貰っているなら尚更勉学に励まないといけない。
「うん。明日持ってくるね。それと今日もお願いしてもいいかな?」
「あぁ、いいよ」
ましろは鞄から付箋が付いた数学の教科書とノート、そしてプリントを取り出す。それに合わせて私は鉛筆とノートを病院テーブルに広げた。彼女の成績はお世辞にも良いとはいえなかった。
入学後の新入生テストの結果も中の下。下手すれば留年をしかねない。それを防ぐのと同時にましろがお見舞いに来るお礼として、勉強を見る事を約束していた。
「さて、今日は昨日の続きでいいか?」
「うん。明々後日に小テストがあるから、出来ればもう一回最初から教えてくれるかな?」
「じゃあ、私は何も言わないから一回、このプリントを何も見ないで解いてみな」
「え、そんな……いきなりなんて出来ないよ……」
「泣き言は聞かないよ。ほら、面会時間中に終わらないぞー」
ましろは渋々とテスト対策プリントに手を付ける。その間に私は数学の教科書を読みながら公式と例題問題をノートに書き写す。小テストに参加できないとはいえ、定期テストの範囲内に入るなら勉強はしておきたい。
30分後。付箋が付いたページの内容を書き写し始めた瞬間、声を掛けられた。プリントを受け取ると20問中4問だけ空白になっていた。
「パット見た感じ殆ど埋まっているね。次の授業は明日か?」
「ううん。次の授業は明後日にある。はぁ……」
「ため息なんかついてどうした?」
「依頼ちゃんってすごいね。事故に遭っても前向きで……」
「前から思っていたけど、ましろのなかで私はどういうイメージなの?」
「ふ、普段は頼りになるよ。だけど、たまに何もないところで急に笑い出したりするから……ちょっと怖いかな……」
確かに偶々、いいアイディアが浮かんだときは頬を緩めているかもしれないけど……まさか、ましろに見られていたなんて……少しショック。
ふと、外の景色を見る。そこには赤い夕陽に染まった建物が見えた。しかし、髪の毛の隙間から見える景色は全く違うものが映っていた。目に映る全てには色はなく白と黒の美しさの欠片もない世界が広がっていた。
一羽の鳥が右から左に視界を横切っていくが、その鮮やかな色も目の隅に移っていくにつれて色褪せて見えた。
「もうすぐお花見の季節だね」
「あぁ、お花見か。もうすぐそんな時期か。悪いけどそこの窓を開けてくれる」
ましろが窓を開けると心地いい春の風が病室内に入ってきた。ましろの手を借りながら、窓の近くにある椅子に腰かける。ベットから見えない所に木々があり、そのどれもが白や薄いピング色の蕾を膨らましていた。あと数日もすれば、蕾も開花し見頃になる。
「いい風だ」
「まるで妖精の国にいるみたい」
時々、ましろは想像力が豊かで空想に夢中になる癖があり、偶に面白い事を言いだす。だから彼女と一緒にいても飽きがこない。
「依頼ちゃん。実は明日、ガールズバンドのライブイベントに行くんだけど……一緒に来てくれるかな?」
話の後半部分は蚊がなくような声で呟いた。外の景色からましろに目をやると断られる事を知っているのだろう。少しうつむいていた。
「それは無理な話だな。先生に安静にするように言われている。どうせ怖い人がいるかもって思っているんだろう?」
ましろの口から「うっ……」と低い声が出た。どうやら図星だったようだ。
「大丈夫。仮にそんな人がいたとしても気にならないから、行ってきなよ」
「う、うん。わかった……あ、そろそろ時間だから、私はそろそろ行くね……」
「あぁ、今日もありがとう。律子さんによろしくって伝えておいてくれ。それとライブの感想。楽しみに待っているよ」
足音が段々と遠退いて行くのを感じながら、窓の近くに壁にもたれかかって読みかけていた推理小説に目を下ろした。